第九話「追憶Ⅱ」
ーー時は流れ
この日から程なく、俺は帝都にあるファンデンベルグの研究施設に研修生として入所し、燐堂 雅彌は竜士族の次期当主として本格的に学ぶため、帝都の別宅に居を移した。
互い新しい目標に向かって学ぶ日々は、瞬く間に流れる。
「自立式戦闘アルゴリズム、穂邑 鋼くん、君はこれをどう考えるかね?」
世界に名を馳せるファンデンベルグ帝国の天才博士、ヘルベルト・ギレは問いかけた。
白髪に窪んだ目、顔に刻まれた無数の溝が、その人物の長い人生を物語る。
老人は足が少し悪いのか、金属製の杖をついていた。
「……」
自身が勤める研究室の主の質問に黙り込む……俺。
少し考え込む俺の、その瞳は左右で違う光を発している。
「穂邑 鋼くん、君にも思うところはあるかもしれんが、ここは軍の施設だ、仮初とはいえ、君も我がファンデンベルグの軍属になり、四年も経つのだから、このアルゴリズムの必要性は承知しているだろう?」
「……勿論です、ドクトーレ・ギレ、しかし私が感じるのは、高度すぎるハードウェアにソフトウェアが追いついていない現状では、実戦配備はとても難しいと」
「ふむ……一理あるが、先程も言ったとおり、ここは軍の施設だ、つまり軍の支援無くては成り立たぬ、定期的に結果を出していかねばならない」
「単純な兵器ならまだしも、ドクトーレ・ギレのBTーRTー01の様な高度すぎる新兵器には、この制御プログラムは、まだまだ実装は不可能であると自分は考えます」
「……なるほど、制御プログラムは君の責任担当であるのだから、考慮には入れるが……」
そういった議論を交わすヘルベルト・ギレと俺。
「そういえば、穂邑くんは、今日は午後から所用があるのだったな、時間は大丈夫かね?」
話が一段落したところで、一転、ギレが話題を変えた。
「はい、そろそろ帰らせて頂こうと思っていたところです」
渡りに船とばかりに、俺はそう言って頷くと帰り支度を始めた。
「君は実に良くやってくれている、私の研究にも大いに役立ってくれておるぞ」
「恐縮ですドクトーレ」
俺は帰り支度を済ませながら、俺を労う師にそう返事をする。
「いつぞやの麟石の解析レポートの様な画期的な発想と開発努力を期待しておるぞ、穂邑 鋼くん」
俺が研究室を後にする直前に、もう一度声をかけるギレに、ペコリと頭を下げると俺は退出した。
「本当に、今までよくやってくれたよキミは……そんな君を失うかと思うと……くくっ、それも運命か、穂邑 鋼くん、喜びたまえ、君の尊い献身で我が研究は完成に大きく一歩近づくのだ。」
自分以外誰も居なくなった研究室で、ヘルベルト・ギレはそう呟いた。
「……」
部屋を出た俺は、ドアにもたれ、ふうっと一つ深呼吸する。
ドアから漏れるヘルベルト・ギレの独り言を、しっかり聞いていた俺は、その言葉を噛みしめる。
それはお互い様ですよ、ドクトーレ・ギレ、あなたは本当に天才だ、凡庸な俺には本当に大いに役立ってくれたよ……あとは……腹を括るだけだ!
心の中で呟いた俺は、自然と小刻みに震える拳に力を込めて、口元に緊張気味の笑みを浮かべていた。
帝都中央区、帝都の中心地で、この国の政治、経済を一手に担う都市に燐堂家の別宅がある。
国政を行う国会議事堂もほど近い立地にある燐堂家の屋敷には、本家ほどでは無いにしろ、名所にでもなり得るような立派な日本庭園があった。
その庭園内の大きな楠木の下で、一人の少女がガーデンベンチに腰をかける。
艶のある美しく長い黒髪、眉にかかる前髪が緑から溢れる木漏れ日に輝き、爽やかな風にサラサラとゆれる、透き通った透明感のある肌と整った輪郭、可憐で気品のある桜色の唇、まだまだあどけなさを残しながらも、高貴さと清楚さを兼ね備える比類無い容姿。
木陰になったその場所で、手のひらサイズの文庫本を読む彼女の澄んだ濡れ羽色の瞳には、時折波間にゆれるように顕現する黄金鏡の煌めきがあった。
神々しいまでに神秘的な双眸があまりにも印象的な美少女。
帝都に移ってから四年、燐堂 雅彌は、十四歳になっていた。
彼女はパタンと静かに本を閉じた。
年季の入った文庫本の表紙にはこう書かれている、”銀の勇者”と。
本を傍らに置き、ふと、左手の腕時計を見る少女。
彼女の動作とほぼ同時に、聞き慣れた声が聞こえた。
ーー声の主は、穂邑 鋼。
「ごめん、ごめん、ちょっと出がけにドクトーレに捕まって」
俺の視界にはガーデンベンチに腰掛けた黒髪の美少女。
彼女が左手の腕時計で時間を確認している姿が見えていた。
「あなたは、いつも遅れてくるのね」
そう言って左手を膝の上に戻し、俺を見上げる少女は、言葉とは裏腹にあまり怒った様子でも無い。
「そうだったっけ?ごめん、ごめん、」
俺はたいして悪びれた風でも無くそう答える。
「この燐堂 雅彌を待たせる男なんてあなたくらいよ……鋼、次からは気をつけなさい」
「……まぁ、あれだ、久しぶり雅、また綺麗になったな、えっと、お互い帝都に上京してからは、直接会うのはこれで……」
俺はというと、彼女の”次からは気をつけなさい”という言葉を誤魔化すように彼女に話しかける。
「……えっと……」
雅彌の冷ややかな視線に俺は言葉に詰まっていた。
「十六回」
「へっ?」
間抜けな声を出す俺。
「だから、十六回目でしょう……」
仕方がないわねとばかりに答える彼女は、そのまま軽く腰を上げ、横にスライドする。
「ああ、そうだったっけ?結構……」
俺は軽く右手を挙げて”わるいな”と挨拶した後、彼女の横に腰掛ける。
「結構?」
真横になったか雅彌の美しく整った顔が俺の顔を凝視していた。
「……結構……少ないな……」
一瞬の間に、二択を迫られた俺は、咄嗟にそちらをチョイスしていた。
「そうね」
俺の答えににっこりと微笑む少女。
なんだか……言わされた感はあるが……
確かに、お互いに忙しい身である二人の、その回数を多いとみるか少ないとみるか……少なくともその回数を律儀に記憶している彼女は後者であることだろう。
選択肢を誤らなかった俺は、安堵の後、暫く彼女と過ごした。
ーー
ーー
「……そう言えば、話って?」
一頻り会話を楽しんだ後、雅彌は俺に訪ねる。
「ああ、そうだった、明日、雅はオフだろ、夕方までで少し時間をもらえないかな」
俺は彼女の問いかけに、そう言って本題を尋ねる。
「……鋼って、いつもどうやって、こういうどうでも良い情報を仕入れてくるのかしら?」
雅彌はあきれ顔で逆に質問してくる。
「雅の情報はどうでも良い事じゃないだろ?」
「ぷっ!」
俺は至って真面目に答えたつもりであったが、彼女は軽く吹き出してしまったようだ。
「本当にそういう鋼のマメさには感心するわ……一応、特に予定は入れていないけど……理由は?」
クスクスと笑った後、彼女はそう訪ねてきた。
俺はといえば、雅彌の答えにキョトンとしていた。
「私は一応、竜士族を束ねる燐堂の当主代理なのだから、それに……立場もあるし、解るでしょう?」
理由がいるのか?と言わんばかりの顔の俺に、彼女は釘を刺してくる。
そう言えば、最近、雅彌は俺と距離を置くことが多い、それは今、彼女が口に出した理由も含んでいるのだろうが……
「鋼、貴方は確かに帝都に来てからもの凄く頑張っていると思う……うん、すごく頑張ってる、その歳であのヘルベルト・ギレ博士の助手を務めるほどだし、何か責任者のようなものにも抜擢されたのでしょう?」
雅彌はまるで自分の事のようにキラキラとした瞳でそう言ってくれた。
俺は、軍事機密や、守秘義務などから、余り踏み込んだ受け答えはできないから、曖昧に返事を返すのみだが、彼女はそれでも楽しそうに話す。
「それでね、それで……鋼」
一転、彼女は少しだけ、その濡れ羽色の美しい瞳を陰らせた。
「私は……まだまだ……燐堂家当主としての能力も、心がけも、まだまだなの」
俺はその言葉に驚いた。
いや、全然そんな風に思ったことも無い俺にとっては、彼女の言葉は理解できなかったのだ。
「そんなこと無いだろ?俺が聞いた評判じゃあ、みんな雅をすごく評価してる、いや、竜士族の至宝だって凄く期待してるよ!」
「……うん……」
俺はフォローのつもりだったのだが、いや、実際、雅彌の評価は本当の事だったけど、彼女の力無い返事で、彼女が言いたい事はそうじゃ無いって事に気づいた。
「本当の雅彌が凄いから、みんな期待する!それだけのことだよ、凄くない奴は期待なんかされないから、期待されている時点で雅はすごく頑張ってるんだ」
俺は自分を指しながらそうやって戯けた。
「鋼って、たまに変な視点から物事を捉えるのね……」
微笑む彼女に俺も笑って見せた。
彼女の不安は、努力してきた事が形になっているかと言う不安。
「山を登っている時には、その山がどんなに美しい風貌でもそれを愛でることは出来ない、それは麓から見上げる人々だからわかるんだ……って、偉大なことを成す人間の業績は自身では解り難いってことだよ」
「……うん」
彼女は俺のたとえにコクリと頷く。
「でもな……俺はどうせなら山道だからこそ楽しみたい」
「え?」
「だから、木とか土とか、落ち葉に、虫に、川とか、もしかしたら滝とかあるかもしれないしなぁ……あっ!雪男とか捕まえられるかもしれないぞ!」
「……それは……最初と趣旨が違うんじゃ……」
「……兎に角!どうせなら、踏み出した者しか楽しめない何かを楽しめってことだよ!」
「ふふ、そうだね」
今度は口元を大きく綻ばせて笑う彼女。
俺は色んな彼女を知っているが、この雅彌の顔が一番好きだ。
そして……解ってる、彼女の本当の意味での不安、それは九宝 戲万!
奴を何とかしないことには、本当の意味でのハッピーエンドは来ない……だから……
「鋼!はがね!」
「!」
俺の思考は雅彌の声で再び現実に戻った。
「あ、悪い」
「……それで改めて明日のことだけど」
彼女は少し怪訝そうにしたが、話を続ける。
「ああ、そうだった、理由ね、理由……あっ!……顔が見たい、雅の顔が見たいんだ」
俺は少し頭が混乱していたこともあってか、いつもより堂々と言ってのけていた。
「……」
冷ややかな視線で俺を見る雅彌。
「……たのむよ」
重ねてそう言う俺はいつもより真剣な顔だったろうか?
「いいわ、明日午後二時に、場所はここでいい?」
俺の押しに負けてそう答える雅彌。
「ありがとう雅」
ニッコリと笑いそう言う俺を見る雅彌は、仕方ないなぁという顔になる。
「あなたといると普段考えているような、くだらない悩みが、本当にくだらない事に思えてくるわ……本当に」
「?くだらない悩みは、俺と関係無く、本当にくだらない悩みだろ?」
「いいわ、あなたには分からなくても」
そう言って彼女は、ふふっと微笑んだ。
「それから、さっきも言ったけど、明日だけで無く、次からはちゃんと時間を守りなさい」
雅彌のその言葉”次からは”には、俺はやはり応えずに曖昧に笑った。
「ふぅ……じゃあ、今日はもう、時間が無いから」
雅彌は、そんな俺に少し呆れた素振りをすると、立ち上がって、別れを告げる。
文庫本を手に、ベンチから立ち上がって背中を向け……
「雅彌!」
俺は思わず、去ろうとする雅彌を呼び止めていた。
振り返った彼女の顔はすこし驚いた表情だ。
俺のいつもと違う呼び方に、彼女は少し違和感を覚えたからだろう。
「あ、明日、二時に……」
咄嗟にとってしまった自身の行動、とりあえず俺は、彼女にそう念を押して無理に笑う。
「ええ」
特に気にすることも無く頷いて屋敷の方に向かう少女。
この時点で彼女は知るよしも無いが、ある意味で、燐堂 雅彌と穂邑 鋼が会うのはこれが最後になるのであった。