第五話「黄金竜姫Ⅲ」
「……」
自身のプライドとも言える”堕天”を凌がれ、鬼の姫は、流石に驚きを隠せないでいた。
「……竜鱗いや、竜城か……”黄金の要塞”は健在ってわけだ」
地面に押さえつけられたまま、俺は呟く。
「”黄金の要塞”……?」
その言葉に僅かに彩夏が反応する。
「竜士族の能力の一つ、鉄壁の防御”竜鱗”聞いたことぐらいはあるだろ?能力を解放した雅のそれは、それを遙かに凌駕する」
俺は低い体制の視界から、佇む黒髪の美少女を、いや、黄金の瞳を見据えて続けた。
「雅がその能力を完全に解放し、竜の技
を使えば、暫撃技の”竜爪”は”雷帝”と名を変え、防御技たる”竜鱗”は”竜城”と名を変える、もはや別物とさえいえる技となるんだ、特に”竜城”は絶対防御ともいえる絶技だ、”黄金の要塞”とは、そんな雅に畏怖と敬意を込めて竜士族の中で呼ばれる尊称だ」
俺の説明に、雅彌を睨んだまま彩夏は黙って耳を傾け、真那は誇らしげに瞳を輝かせていた。
彩夏は離れて対峙する雅彌の黄金色に輝く瞳を改めて注視しながら口を開く。
「”竜眼”、竜士族の証、でも黄金色ってのは初めて見るわ」
俺から、目の前の敵の偉大さを説明されても、全く怯むそぶりの無いポニーテールの鬼姫。
彼女は対峙した状態のまま、腰を落として臨戦態勢を維持すると、その艶やかな唇の端をぺろりと舐めた。
「……だろうな」
俺は解っていた。
彼女は、峰月 彩夏は、退くことが無い。
その対象が脅威ならば、その相手が自身が認める強敵ならば、決して退くことが無い性格なのだ。
ーーザザッ!
再び、彩夏の姿がその場から消えた!
遅れて、大地をとらえていた彼女の両足があった地点に砂塵が上がる!
先程の状況が寸分違わず再現される。
「……」
ーーバシュッーー!、バシュッーー!、バシュッーー!
雅彌も同様に、立て続けに”竜爪”を放ち、迎撃した。
「っ!」
しかし今回のそれは、先程までとはわけが違う!
能力全開の雅彌の”竜爪”それは別名で呼称されるほどの技。
”雷帝!”紫電の如く天翔る雷光はその速度も、威力も、神の御技そのものであった。
ーーザッ! ザザッ! ザッ!
神速で躱す彩夏の体を擦める白い光の凶刃。
真にそれは”雷帝”と言う名を体現している。
それでも、彩夏はそれらを躱し、何とか距離を詰めていた!
その士力の全てをこの瞬間に集中したであろう鬼姫は、彼女に似合わぬ必死の体で、美しき竜の姫の要塞に辿り着いていた。
「堕天!」
再度、峰月 彩夏の必殺技、右ハイキックが炸裂する。
ーーガシィィィィィィーーーーーン!
しかし、鬼姫の破壊の打撃は、またもやその黄金の城壁に遮られる!
「ふっ!ふっ!」
ーーガシィィィィィィーーーーーン!
ーーガシィィィィィィーーーーーン!
構わず”堕天”を放ち続ける彩夏。
竜の美姫に密着した彼女は、右ハイキック、左ローキック、右ミドルキック、左回し蹴りと息もつかせぬ連撃を放ち続けた。
「……!」
流石だ、彩夏のやつ”竜鱗”という技の根本を理解している。
俺は改めて、彩夏の瞠目すべき格闘センスを思い知った。
防御技たる”竜鱗”は、いわゆる”盾”である。
使用者の前面、側面あるいは背面にそれを展開する。
それがこの技の根本、”竜城”と呼ばれる雅彌の無敵の強度を誇る盾と言えども、全方位を一度に防御は出来ないのだ。
近接戦闘に富む、鬼士族。
それも姫神たる峰月 彩夏の神速の連続打撃を至近距離で防ぎ続けるのは、如何に雅彌といえども不可能であろう。
「……っ!」
次第に雅彌の”竜城”が、鬼姫の”堕天”に遅れ始める!
「お嬢様!」
目つきの悪い少女、吾田 真那がたまらず叫んでいた。
「!」
そして真那の意識がそちらに一瞬逸れた瞬間、俺は一気に腕を引き抜き自身に自由を取り戻すことに成功する!
「し、しまった!」
真那が咄嗟にそう漏らした時はもう遅い。
俺はアタッシュケースを拾い、死闘に終止符を打とうとする二人の方に駆けだしていた。
満を持して彩夏が決着の一撃を放とうとした瞬間だった。
ーー間に合うか!?
俺は、駆けながら叫んだ。
「彩夏!、駄目だ、飛べ!」
「!!」
ーーブワァァァァァァ
直後、黒髪の竜の美姫の周り一体が、大地からそそりたった黄金の火柱に包まれる!
ーーグオォォォォーーーー!
ーーブオォォォォーーーー!
二本、三本、四本……巨大な炎の巨柱が次々とそそり立ち、烈火の光が闇に染まり行く空の時間を巻き戻すかのような光に包まれる!
炎竜の灼熱の息吹の如き紅蓮の業火に焼かれる大地。
「やはり”竜炎”いや、”焔王”か!」
俺は、眼前で突如巻き起こる熱風から、両手で顔を庇い、視界を確保する。
同時に彩夏の安否を確かめる為、一層その歩を速めた。
「……!」
俺がそこで見た光景は、黒髪の見目麗しい少女を中心に、半径五メートル程の範囲内で、溶けて変形した一面の石畳。
焦げた周辺の大気が、その場の人間の肺を焼く。
俺は熱風で息苦しさに噎せ返りそうになりながら、辺りを見回す。
「あ、彩夏!」
爆心地から少し離れた、芝生の上に這いつくばる、ポニーテールの少女を発見した俺は、すぐに彼女の状態を確認した。
どうやら全身が軽く煤けてはいるものの、火傷などは負っていない様だ。
俺は取りあえず胸をなで下ろす。
「くっ……、うっ……」
ポニーテールの少女は震える両手で何とか体を起こすが、足下が覚束ない。
「彩夏、無理するな」
そう言って駆け寄る俺を彼女は睨んでいた。
「……狙っていたのね、あの女……してやられたわ……」
彩夏は心底悔しそうに呟くと、芝生の上に再びストンとお尻を落とし、行儀悪く胡座をかいた。
俺の言葉で咄嗟に、それを回避した彼女は、炎の直撃を受けることは無かったが、爆発の衝撃と士力の枯渇で、とても戦える状態では無いだろう。
「悔しいわ!ほんと!ああっもう!」
尻餅をついたまま天を仰ぎ叫ぶ少女は、俺の目には、そう言いながらも少しスッキリとした表情にも見える。
俺は今回は潔く?負けを認める、彩夏の竹を割ったような性格につい口元を緩めていた。
「雅も、もう良いだろ?」
次いで俺は、今度はいとこの少女の方を振り返る。
「……別にどうでもいいわ、その女の事は」
少しだけ乱れた艶のある美しく長い黒髪を、右手で肩口から後ろに流し、彼女は、アッサリと俺に答えた。
「…………」
そして、すっかり元の、澄んだ濡れ羽色に戻った瞳で、俺を見つめてくる。
「……わかった、だが、状況は教えて欲しい」
これ以上事を荒立てたくない俺は、持っていたアタッシュケースを地面に降ろし、取りあえず彼女の言葉に従う旨を伝えた。
雅彌も静かに頷くと俺の意思を尊重するかのように説明を始める。
「……九宝からあなたを拘束するよう命令が出されたわ……」
仕方なさそうにそう答える彼女に、俺は顔を曇らせた。
九宝……ね、いやな名だ。
この国を支配する上級士族、最強を誇る十二の士族家。
その十二士族を統轄するのが九宝家である。
鳳凰の血脈である九宝家は、現在の当主、九宝 戲万で十一代目となっている。
「今更か?」
俺は不快感を露わにしていた。
「ファンデンベルグ帝国のヘルベルト・ギレが絡んでいるようだわ」
雅彌の追加情報に、俺はぴくりと眉をひきつらせる。
ヘルベルト・ギレ、ああ、もの凄く馴染みのある単語だ……
俺は曇った表情のままで考え込む。
「ドクトーレ・ギレが……」
「……」
思わず呟く俺を見つめる雅彌の濡れ羽色の瞳は、深い後悔を抱えている様に沈んでいた。
「私が、今更、こんな事言える立場では無いことは解っているけど、今度は……」
「命が無い……か」
即座に俺は言葉を返す。
無言で頷く雅彌。
明らかに沈んだ瞳の幼なじみを前に、俺は必死に頭の中の言葉を選ぶ。
そうだ、俺は彼女にこんな顔をさせないために、あの時……
「雅、俺はあの一件では、竜士族の当主家の者としては当然の判断だったと思ってる、だいたいあの状況ではあの対応しか選択肢は無いし、雅が気に病むことは全くないとも……」
「……」
俺が絞り出した言葉にも彼女の顔色は優れないままだ。
くそっ!頭悪いな俺、言葉のストックがなさ過ぎる!
「ほら、あれだ、俺は元々半端者だったし、能力が無くなっても、あんまり変わらないしな、結構楽しくやってる」
気が利くこと場の一つも出てこない、無教養で無力な自分に苛立ちながらも、俺はせめてもと、落ち込む彼女を気遣い、明るく振る舞う。
「……あなたは、いつも他人優先ね」
そんな俺をじっと見つめていた彼女は、呆れた顔でそう言った。
「自分の命の危機かもしれない時に……私のことなんか」
彼女は少し怒っているようにも見える。
「俺は他人優先じゃ無いぞ、そんなにお人好しじゃ無い」
勿論俺は反論する。
しかし雅彌は嘘をつくなと言った瞳で俺を見上げてきた。
……いや、ウソは言っていない!本当だ!
至近距離で見る彼女の美しい顔と、ふわりと漂う甘い香り、つい心が持って行かれそうになる理不尽な敵と戦いながら、俺はなんとか尊厳を保つ。
「俺が優先するのは、燐堂 雅彌の時だけだ!」
本人を目の前にして、恥ずかしげもなく堂々と言ってのける俺。
よく言った!俺にしては上出来だ、偉いぞ俺!
「……この話は、もういいわ、それより納得したのなら、直ぐに準備をしなさい」
「……」
当の雅彌は、それを軽く流して、俺に行動を促していた。
まあ、雅彌に相手にされないのはいつもの事だったし、特に気にしていない。
……本当だ、本当にそうなんだからな……
「ふぅ」
ただ、ああは言ったものの、俺はここから逃亡するという件はどうしたものかと、思案していた。
「鋼!」
煮え切らない俺に、雅彌の鋭い声が飛ぶ。
「あ、ああ……」
俺が未だ決めかねた状態で、せかす彼女にそう答えた時だった。
ーー「それは困りますな、フロイライン雅彌!」
今は既に完全に日の落ちた夜の公園に、老人のしゃがれた声が響いた。
夜の公園に響き渡る機械的に補助された独特の声。
俺達は拡声器から放たれた声の発生源らしき方向を一斉に振り返る。
ーー!
公園の入り口に多数、全身黒尽くめの戦闘服を纏う兵士らしき一団が、自動小銃を構え、臨戦態勢で此方を伺っていた。
兵士一団の中央には、白髪で杖をついたファンデンベルグ人の老人。
「ドクトーレ・ギレ……」
見覚えのありすぎるしわくちゃ顔に、俺は思わずその名を口に出していた。
「久しいな、穂邑 鋼くん、息災であったかね」
ヘルベルト・ギレは態とらしく、ごく一般的な挨拶の言葉を発する。
ーーザザザッ!
そして瞬く間に、武装した兵士達に包囲される俺達。
芝生にへたり込んだままの彩夏も、雅彌を庇うように立つ吾田 真那も、完全に囲まれて動くことができない。
「!」
兵士達の軍服の腕には、一様に、頭蓋骨に突きたったアーミーナイフがデザインされたワッペンが縫い付けられていた。
髑髏にナイフ……ファンデンベルグ帝国の第八特殊処理部隊、通称”アハト・デア・ゾーリンゲン”の象徴だ。
この状況でこの相手、分が悪すぎる……
俺は、かつてヘルベルト・ギレの元に居た事がある。
そして俺は、今目の前にいる兵士達が、その時噂に聞いた部隊だと確信していた。
実際、対抗出来そうな、雅彌と彩夏は、先の戦いで士力を使い切った状態で、尚且つダメージも抜けていない、真那に関しては役不足だろう。
相手は世界最強の呼び名も高い超実戦部隊……隊員の内、何人かは上級士族が構成されているとも聞く、さらにはこの人数だ。
「困りますな、勝手に動かれては……フロイライン雅彌、九宝閣下から指示があったかと思いますが」
白髪の老人はコトリと拡声器を傍らに置いてから、自らが形成させた包囲網の中央に立つ見目麗しき少女に丁寧な口調で話しかけた。
「……」
無言のまま老人を見据える、濡れ羽色の瞳。
「……黙りですか、なにか、含むところがあると邪推されますぞ」
ネチネチと雅彌を問い糾す、ヘルベルト・ギレ。
「無礼な!異国の使節ごときが、誰に口を利いているかわかっているのか!」
彼女を守るように、前面で警戒していた目つきの悪い少女、吾田 真那がたまらず怒りの声を上げていた。
「……われらは、この国の支配者、九宝 戲万閣下の依頼で動いておる、そのお方は貴公ら十二士族の頭目でもあるのではないか」
「くっ」
九宝の名を出され、黙らされる真那、彼女はぶつける先のない怒りに震える。
「特に理由はないわ、たまたま居合わせただけ」
やり込められる従者を庇うように、しかし感情の無い声で雅彌は老人の問いに答えた。
脅威になりそうな雅彌と彩夏、彼女達がぶつかり、お互い消耗しきったところでの登場、出来すぎのタイミングから、おおよその経緯を知っているであろうギレ老人に、平然としらをきる、黒髪の美少女。
相変わらず、堂々としたものだ……雅彌は三年前と変わっていない。
「……そのまま、閣下に報告しても良いと?」
ギレは、その窪んだ眼光を老人らしからぬ鋭さで光らせて追求を続ける、手心など端から加えるつもりは無いようだ。
「……何か問題?」
対して雅彌は全く動じずに、寧ろ静かな言葉でその老人を威圧する。
ここまでくると不貞不貞しくさえあるな……可愛いから俺的には全然アリだけどな。
俺はこの期に及んでも、そんなことを考えていた。
いや、決して余裕があるわけじゃ無い!ほんと、どうして良いか判断がついていないだけだ……
「穂邑 鋼とあなたは、いとこで幼馴染みだとか……感心しませんな、九宝 戲万閣下の花嫁候補ともあろう方が、追放された男と密会などとは」
ーー!
なっ!……この!
老人のあまりに無粋な、いや、邪推に、俺と雅彌は同時に老人を睨んでいた。
特に雅彌に限っては、途端に、その濡れ羽色の瞳にわずかとはいえ、黄金色が揺らめいている。
「いや、これは失礼、老婆心から痛くも無い腹を探られるのは本意では無いのではと……いや、老人の戯言とお聞き流しいただきたい」
それを見て取ったためか、それとも燐堂の家を憚ってか?ヘルベルト・ギレは雅彌には敵意のないことを強調し、すぐに竜の姫とお付きの少女からは兵を退かせた。
「……では、本題だ」
続いて、老人は改めて手勢の兵士に俺の拘束を命じる。
ブンッ!
俺が拘束されようとした瞬間、銃口を突きつけられ、動きを制限されていたポニーテールの少女が、眼前の兵士に蹴りを放っていた。
パンッ!パンッ!パンッ!
少女の突然の奇襲にも、兵士は冷静にそれを後方に下がってかわし、そして躊躇無く対象に発砲した。
ドカッ!ーーバキッ!
しかし、ポニーテールの少女は、自身を牽制していた兵士が後方に半歩下がった瞬間に、その脇をすり抜けて俺を拘束しようとしていた二人の兵士を蹴り倒す。
ザザッ!
そしてそのまま俺の前に立ち、構えるポニーテールの少女、彩夏。
ーー!
俺と俺を庇うように立つ彼女を一斉に囲む兵士達。
「やめよ!」
兵士達が殲滅行動に移行する寸前で、ギレがそれを制止していた。
老人の、老人にしては鋭い眼光が忌々しげに彩夏を睨む。
「まだ、そこまで動けるのか、鬼の姫神よ、流石といえるな……しかし」
そう言って今度はその眼光で俺を見る。
老人と結構付き合いの長かった俺はそれだけで理解した。
つまり、わかっているな?という眼差しだ。
彩夏の体力は既に限界だろう、俺がおとなしく降れば、彩夏には手を出さないでやる、ヘルベルト・ギレはそう言っているのだ。
「……ふぅ」
深いため息を一つ、俺は眼前の、一見華奢な背中に視線を合わせる。
「彩夏……もういい」
俺は自身を庇うように立つポニーテールの少女にそう声をかけていた。