第四話「黄金竜姫Ⅱ」
そこには、少し垂れ目気味の瞳と艶やかな唇が特徴の目鼻立ちのハッキリとした美人。
薄い茶色のカールされた髪をトップで纏め、サイドに垂らしたポニーテールの快活そうな美人が、美しく長い黒髪の美少女をにこやかに睨んで立っていた。
「力尽く?面白いわ、相手になるわよ、竜のお姫様!」
彼女は、そう言うと艶やかな唇の端を上げ、不適な笑みを浮かべる。
「……」
雅彌はというと、自身に、この燐堂の、竜の一族の当主代理である自分に、平然と挑発的な言葉で挑んでくる身の程知らずの人物に、変わらない濡れ羽色の瞳で対応している。
変わらない?いや、滅茶苦茶怖いんですけど……
微笑むポニーテールの少女と無表情な黒髪の少女。
一見、特に問題なさそうなシチュエーションだが、張り詰めた空気がそれを真っ向から否定しいている。
「お嬢様!あれが、先程報告致しました女です」
雅彌の傍らに控える、目付きの悪い少女、吾田 真那が主に耳打ちする。
「随分なものね……三年前に、彼を一族から追放しただけでは飽き足らず、今度は、こんな田舎まで追いかけてきて、その居場所まで奪おうって言うの!」
彩夏はいきなり初対面の雅彌を糾弾した。
「彩夏!」
ポニーテールの少女のその言葉の内容に、俺は即座に窘める。
「本当の事でしょ?」
当の彩夏は、助けてあげているのに、何なのよ!と言うような顔で俺に反論してきた。
「……名を聞いておこうかしら」
雅彌が静かにそう問う。
「おい、雅!、彩夏も勘違いするな、ちょっとした行き違いだよ、別に事を荒立てる意図は雅にも俺にもない!」
静かにヒートアップしていく空気に、俺はたまらず割って入っていた。
「行き違いではないわ、鋼、あなたが素直に従わなければ、実力行使に出ることになるのよ」
しかし、雅彌は、何とかこの場を納めようとする俺の努力をふいにする言葉を放つ。
おいおい……勘弁してくれ。
「ふっ!」
雅彌の、その台詞が言い終わるか終わらないかのタイミングで、ポニーテールの少女は素早く横に飛んだ。
ーーザザッ!
獣もあわやと言うような俊敏な動きでターゲット目掛けて駆ける彩夏!
ーーザッ、ーーザザッ、ーーザッ!
肉眼で捕らえることの限界を超えた速度で跳ねる体は、ほぼ視認することが出来ない。
「はやっ、速すぎる、何これ!」
主の援護射撃を準備していたであろう吾田 真那は、予想を超越した相手の動きに何も出来なかったようだ。
彩夏の動きは、単純にスピードだけの問題じゃ無い、初動からほぼトップスピードが出せる非常識なフットワークにあるんだ……そしてそこから繰り出される……
俺は幾多の強敵を屠ってきた、彩夏の能力を思い出す。
「ふっ!」
ーーガシィィィ!ーーー
ほぼ捉えることの出来ない程の速度から放たれる、何らかの攻撃!
「!」
何かを打撃する衝突音が響いたかと思うと、その姿を、二、三メートル程の空中に再現させるポニーテールの少女。
先ほどまでの動きとは一転、ゆっくりと宙に舞う彩夏は、後方に一回転して、大地に着地した。
そして、象徴とも言えるポニーテールを揺らせてターゲットを見据える彼女は、一瞬少し驚いた表情を見せた後、ニヤリと艶やかな唇の端を上げた。
彩夏の体術に驚いて動けない真那や、咄嗟にどうすることも出来ない俺は何が起こったのかも解らない。
まぁ、いくつか憶測はできるけどな……
対照的に、見目麗しき竜の姫は、全く動じぬ姿でそこに立っていた。
艶のある美しく長い黒髪が一本たりとも乱れず、高貴さと清楚さを兼ね備えた比類ない容姿のまま佇む美少女。
ただ、澄んだ濡れ羽色の瞳の波間に時折ゆれるように顕現する黄金鏡の煌めきが、僅かにその黄金色の濃度を増している様であった。
雅彌は、その場から一歩も動いていない。
先ほどまでと僅かに違うのは、白い繊細な右手を前面に翳すようなポーズをとっていることのみだ。
「竜爪か!」
俺は思わずそう叫んでいた。
「……へぇ……そんなこと出来るんだ、弾かれたわ」
目にもとまらぬ速度で攻撃を仕掛けた彩夏、恐らくそれを竜爪という技で彩夏ごと弾き飛ばした雅彌。
「……峰月 彩夏よ!」
彩夏は、着地した地点から雅彌と対峙したまま、改めて先程の雅彌の問いに答えていた。
自らの敵に値する相手だと認めたって事か……
もう、中途半端な決着は無さそうだな……俺は頭を抱える。
「峰月……そう、あなたも」
雅彌はというと、何か納得したかのような台詞を漏らしていた。
「峰月……鬼の一族!、上級士族の鬼士族の当主家じゃ無いですか!」
真那が、驚きの声をあげる。
俺の気苦労も、真那の驚愕もお構いなしで自身の世界を構築しいていく当の二人。
「久しぶりに面白そうじゃない」
呟いた彩夏は、そのままの姿勢で静かに目を閉じた。
「ちっ!」
彩夏のその仕草を確認した俺は、短く舌打ちをすると、足元のアタッシュケースをガチャリと乱暴に開け、その中身をぶちまけていた。
不味い!それを始めたら本当に後戻りできないぞ、彩夏!
ーードサッドサッ
公園の石畳に、百万円単位で束ねられた札束が無造作に放り出され、ばらけた何枚かの一万円札が宙に舞う。
俺はそんなモノにはお構いなしでアタッシュケースの内側の底部分を勢いよく剥がす。
ーーベリリィィー!
「に、二重底!」
真那はその光景に驚くと同時に、自らのチェックの甘さを恥じるような表情をした後、直ぐに駆けだした。
「よし、これで……」
そこから何か出そうとする俺、しかし、直ぐに真那が俺の元に駆け寄る!
「鋼!」
目を閉じて何か仕掛けようとしていた彩夏がその状況に気づき、俺の方に戻ろうとしていた。
ーーザシュゥゥゥ!
「!」
彩夏は寸前でその残撃を躱した。
後ろへ飛び退いて、その残撃の主を睨む。
竜爪という、衝撃波のような……すさまじい威力の遠隔攻撃。
雅彌が右手の平を彼女の方へ翳し、それを阻止していた。
「……」
距離を取り、油断無く雅彌の方へ構えを取る彩夏。
そして、チラリと俺の方を確認する。
俺はというと、情けないことに、雅彌の従者、吾田 真那に後ろ手に引き倒され押さえ込まれていた。
「くっ、吾田 真那、ちがう、俺はこの二人の諍いを止めるために……」
右手を後ろ手に極められ、顔を地面に押しつけられながら、俺は必死に弁明する。
俺を組み伏せた真那は、その状態でチラリと主に確認した。
「……」
雅彌に目線で何か伝えられたらしい真那は、コクリと頷く。
「お嬢様はそれを望まれていない、穂邑 鋼、余計なことはするな!」
「しょ、正気か、こんな争い……とにかく一度話し合いを…ぐっ!」
何とか二人の争いを回避しようと説得する俺の腕をひねり上げる、目つきの悪い少女。
「……人質、っていうわけじゃ無いみたいね」
様子を確認した彩夏が、対峙する美しい黒髪の少女に言った。
「今は鋼は関係ないわ、今不快なのは、部外者が厚かましくも私達の問題に割り込んで来たことよ」
雅彌は静かにそう言葉を口にする。
整った美しい少女の容姿と対照的に、発せられる威圧感が桁違いだった。
「部外者?」
彩夏はそれを、しれっと事も無げに正面から受け止める。
いや、殺気の籠もったともいえる垂れ目がちの瞳は、怖じ気づくどころか寧ろ燐堂 雅彌の放ったその言葉に苛立ちを覚えているようですらある。
「……続けるのでしょう?」
今度は雅彌がそれを平然と受け流し、事も無げに促していた。
彩夏は、一端とはいえ自分の実力を知って尚、峰月 彩夏を体験して尚、余裕を滲ませる雅彌を初めて完全に笑みの消えた顔で睨む。
恐らく、彼女が今まで感じたことの無い感情を覚えていたに違いない。
「……」
再び目を閉じ、何かに集中する彩夏。
くっ!
俺は雅彌の従者により、強制的に傍観者徹することしか出来ない。
ーー数秒後、その瞳を静かに開く。
ポニーテールの少女の肌はうっすらと朱に染まり、程なく全身に梵字のような黒い模様が浮かび上がっていた。
「鬼呪!、でも、これは!」
俺を押さえながら、同様に様子を伺っていた真那が思わず叫んだ。
そう、それは鬼士族の能力が最大限に顕現する時、現れる証、”鬼呪”
鬼士族の、それも当主家である峰月の人間なら当然扱える力だが、真那が驚いたのはそこでは無いだろう。
上級士族がもつ能力、それの根源たる”証”は、種族別に様々である。
しかし、今、目の前で峰月 彩夏が示した”証”は、あまりにも桁違いの力を孕んでいるのが真那にも感じられたのだ。
「……彩夏は、姫神だ」
呆気に取られる真那に、俺は告げる。
「姫神……お嬢様と同じ……」
真那はそのワードに明らかに戸惑っている。
この国の上級士族の中でも最強を誇る十二の士族家。
その中でも滅多に現れる事の無い、最高の能力の持ち主。
その対象が男なら”真神”
その対象が女なら”姫神”
人々は敬意を込めてこう呼んでいた。
「……」
雅彌は自身の前面に翳していた右手の平を、対峙する彩夏に向け水平に払った。
ーーバシュッーーーーーー!
大気を引き裂く破裂音と共に、衝撃波が放たれる。
「ふっ!」
ーーザザッ!
刹那、彩夏の姿がその場から消えた!
そして、その直後、大地をとらえていた彼女の両足があった地点に遅れて砂塵が上がり、その上を衝撃波が通り過ぎる。
鬼士族本来の能力を解放した彼女の動きは、それらの現象が後についてくる始末で、もはや異次元のスピードといえた。
ーーバシュッーー!、バシュッーー!、バシュッーー!
構わず雅彌は、立て続けにその衝撃波、”竜爪”を放ち続ける。
ーーザッ! ザザッ! ザッ!
しかしそれは文字通り虚空を引き裂く空砲となり、それどころか、おそらくは距離を詰められて、次第に追い込まれていくのは、竜の姫の方であろう。
鬼の姫神の能力で神速を手に入れた彩夏は、多分こう分析したであろう。
”竜爪”威力、スピード共に驚異であることには変わりない……しかし、ある程度距離を保って威力を発揮する技である、燐堂 雅彌が如何に姫神とはいえ、竜士族特有の典型的なミドルレンジの戦闘スタイルには変わりない。
そうして、彩夏は、その種の相手を対処するのに一番効果的な一手を実行する。
ーーズザァァァァァーーーーー!
雨あられと放たれた、雅彌の”竜爪”をかいくぐり、朱き鬼姫の姿が、美しき黒髪の少女に届く距離に顕現した。
「堕天!」
ーーガシィィィィィィーーーーーン!
鬼の姫神、峰月 彩夏の必殺技、右ハイキックが炸裂する!
打撃を伝える、打伝は堕天に通づる、天の神をも打ち落とすことを意味する絶技。
”堕天”と呼ばれる彼女の足技は、鬼士族随一の破壊力を誇る!
鬼の能力、その士力を、両の足に乗せ、インパクトの瞬間に解放する。
鋼鉄をも容易く粉砕する打撃技、それは真に伝家の宝刀に他ならない。
ーー!
「?なっ!」
しかし、驚きの声をあげたのは、またもや彩夏の方であった。
鬼の姫は後方に大きく飛び退いて下がる。
ーーザッ! ザザッ! ザッ!
その神速で、ジグザクに移動しながらさらに距離を取っていく。
ーー
やがて辺りは一時的に静寂を取り戻していた。
艶のある美しく長い黒髪、透き通った透明感のある肌と整った輪郭。
可憐で気品のある桜色の唇。
高貴さと清楚さを兼ね備えた比類ない容姿の少女。
凄まじい攻撃を受けたはずの少女が、何も変わらぬ状態で、そこに存在する。
いや、違う!彼女の澄んだ濡れ羽色の瞳が、輝くばかりの黄金色に変貌し、神神しい光を孕んでいた。