角砂糖
エイプリルは、『聖霊塔』の食堂で料理長である父を手伝っている。
正しくは、製菓の担当員だ。きちんと試験をパスして勤める、正式な職員である。
ミセス・マーガレットの教えが活きて、彼女は推奨学業期間を終えると同時に就職した。一年と少し前、当時は十四歳だった。
採用試験をパスすると、新人は雑用を担当しながら調理と食品管理について学ぶ。さらにいくつかの試験をクリアして、ようやく厨房に入る。学習制度がきっちりしているのは、いかにも『聖霊塔』らしい仕組みだ。
食堂を利用する魔術師の中には、世界に影響を及ぼすような偉人もいる。そのことから、ちゃんとしているのは当前。どこかの城や高級ホテルのような高級料理は無いけれど、様々な文化の魔術師たちが不便しないよう、多くの取り組みが行われていた。
「おはようございます、トーラットさん!」
「おぉ、おはようさん! 今日は一人かい? 料理長は、あぁ、今週担当だったか?」
「そうなんです。私は製菓の買い出しを頼まれてて」
「調理長の娘なら話が早いってかぁ? そりゃ良いように使われてるぞ、お嬢ちゃん」
「まだ新人ですから。製菓は人が少ないし、共同食材は向こうが優先。いろいろ足りないのも仕方ないし……でも、食材選びから関われるのは楽しいですよ!」
「良い子だねぇ」
メモを手渡すと、トーラットは次々と材料をカゴに詰めてくれる。
マーガレットが言うように、小分けにしたものが分かりやすく表示され、さらに安く売られていた。
いつもより少しランクの高いものに代えて貰っても、費用にはちゃんと収まった。
「おばあちゃん……ミセス・マーガレットが、トーラットのお店に行きなさいって。とても褒めてましたよ、あそこはきちんとしてるからって」
「お、そりゃあ嬉しいね! いやね、うちの死んだ親父がうるさくって、雨が続いたら絶対ほったらかしちゃなんねぇ!って。濡れないようするんは当然だけど、悪くなる前に使いきれるよう小分けにして、早めに売れるよう安くすんだ。普通、雨だとあれこれ買いたくねーもんだけど、おかげでウチは客足が遠くならずに済んでるよ」
「むしろこれを見越して来る人とか?」
「常連はどいつもそうさ! お、この砂糖だが、今日はオススメがあるんだ」
と言って出されたのは、分厚い本のような紙包み。その包みの色が微妙に違って、エイプリルは首を傾げた。
「これは?」
「角砂糖さ!」
と、トーラットはサンプルの小包を広げて見せた。
白、茶、濃い茶の三色の角砂糖が、ころころんと現れた。
「かわいい!」
が、第一印象だ。
「それぞれの色は精製の度合いが違うんだが、これを使うとそれだけでいつもと風味の違う味が出せる。いちいち計量しなくてもいいしな! 砂糖は保つものだが、こいつらは乾燥させて成型するんで、湿気にあてられると折角の形が崩れちまう。んで、今は安い。どう?」
「いただきます! 製菓長が最近マンネリだって言ってたから、今日明日明後日で試してみます!」
「よっしゃ! こっちも助かるよー、角砂糖を大量に買って貰うことは滅多にないし、保管しようにも……こうも雨が続いちゃあ」
カゴを一回り大きな物に代え、支払いを済ませる。
トーラットは止まない雨を見上げて、ため息をついた。
「もう十日目だっけ?」
「九日目ですって」
「よく数えてるな? 憂鬱だよ、まったく」
「そうですね……」
常に薄暗いせいか、今朝は寝坊。今もどことなくスッキリしない。
さっきの紅茶を思い出して、エイプリルは顔をあげた。
「もし余ったら、この角砂糖で作ったお菓子、保ってきますね!」
「そりゃ楽しみだ! あ、重くないかい? 結構な量入ってるぞ?」
「これくらいなら」
と、エイプリルはワンピースのポケットから、平べったいガラス玉を取り出した。よく見れば何かが刻まれ模様になっているのだが、ともかくそれを手の平に乗せた。
「〈再度呼応せよ人世彩る風の尾〉……アーノスティピス!」
呟くように唱えると、パン!とガラス玉は弾け飛んだ。
破片は宙に浮き、細かな霧のような姿に変わる。
エイプリルは指先をくるくると回して、その霧をかき回した。すると、引きつけられるように霧は集まり、まるで綿飴が棒にくっつくようにしてまとまった。
それを、エイプリルはトーラットから受け取ったカゴに入れたのだ。
「……上手いもんだねぇ、さすが『聖霊塔』!」
「どうも、ありがとうございました」
笑顔を残し、少女は足早に歩き出す。カゴは物語を二・三冊積んだくらいの重さになった。
この街の者は、誰もが知っている。
『聖霊塔』に勤める者は、例え下っ端の食堂職員でも、多かれ少なかれ魔術が使えるということを。
世界にはたくさんの魔物と動物、亜人と植物、聖霊と悪魔とが暮らしている。
そのうち、地上で最も広い生息域を持っているのが、人間だ。人型の種では最も弱いとされるが、個体差が多く、能力差も様々である。この多様性により集団社会は複雑な構造を持って営まれ、長く種の生命活動を維持している。
元は弱い人間が、今日まで生き残った理由。それは戦の歴史と、魔術の発展が深く関わる。
そして魔術とは、悪魔が人に齎した世界原理の応用である。
「おはようございます。食堂職員、エイプリル・アストラーナ」
「確認しました、どうぞ。良い一日を」
毎朝のお決まりの遣り取りで、エイプリルは門を潜った。
『聖霊塔』敷地内へ入る為の入場口で、用が無くては入れない。その上、原則として職員か魔術師以外は入場できない決まりだ。人間とって最も重要な学問である魔術、そのあらゆる秘密と研究が扱われる最高機関が『聖霊塔』である。世界中の魔術師の憧れであり、厳重な警備と複雑な構造に守られた、世界一安全な場所とも言われる。
「おはよう、エイプリル」
「おはようございます、先輩」
真っ黒な柵に沿って脇道を行くと、食堂職員が同じ方向へ集まって行く。『聖霊塔』の中にはいくつも施設があるが、彼女たちが向かうのは施設の中心、その名前を持つ巨大な塔なのだ。
門を潜ったばかりの時は、魔術師を目指す学生や外部関係者の姿を見られるが、塔そのものに近づくと、職員以外は全て本物の魔術師である。
つまり、世界基準の条件を満たした公認の魔術使いで、学院を卒業し昇格試験もパスした、一流の者たち。
世界には彼らの助力を求めて、国の最重要機密を持ち込む者がいたり、最新の魔術や道具の発明に出資する実業家もいる。研究機関であり、ギルドであり、学舎である『聖霊塔』。そんなところで、彼女たちは働いている。
「黒推奨とはいえ、もうちょっとお洒落して良いんじゃない? エイプリル、貴女まだまだ青春時代でしょう?」
「青春って……私もう就職者ですけど」
「若いうちに冒険しなさいってこと! 地味ぃな格好してないで、ここには一流のエリートがたーくさんいるのよ? 食堂には若い世代も来るし、ロマンスしなさい、ロマンス! いかにも寝坊して解かしもせず三つ編み作って、その辺にあった服着てきましたーって感じよ?」
「!!」
「図星ね〜? だめだめ! 女は男より遙かに身だしなみで苦労するけど、その分楽しんだ者勝ちなのよ? そりゃ、製菓担当の新人は安月給だけど! 甘い誘惑がたーっぷりで、スタイル気にするのも大変だけど! 折角、栄えた街に暮らしてるんだから、花の乙女時代を満喫しなさいな!」
ぐうの音も出ない。
彼女はお団子頭に流行の髪留めで、お洒落も出来る美人だった。製菓担当では盛りつけを任されており、彩りのセンスも良い。一回り上とはいえ、エイプリルに気さくに話かけてくれる人物だ。
「恋愛に興味がない訳じゃないんでしょ?」
「そ、そりゃ……まぁ」
「週末にはウチに来なさいな? そのぼさぼさ頭くらいは何とかしてあげるわよぉ?」
と、こういう台詞も嫌みでない。
因みに彼女の実家は美容師だ。
「……おねがいします」
「任された!」
更衣室で着替えると、彼女たちは黒を基調とした制服に着替え、白いエプロンと帽子を装着した。担当と位が一目で分かるように、ベルトと線模様が入っている。製菓担当はエプロンの上からオレンジ色のベルトをし、厨房内の新人であるエイプリルには水色の線模様が入っていた。
「買い出し担当、食材出して!」
「はい!」
「調理場はしばらく空かないから、下準備と生地作りは小調理室で! 今日のレシピを確認、提案が有る者は三十分以内に製菓責任者へ進言! 今日の予測は連日通り、雨で外出する者は少なく、食堂は混雑が予想される。スムーズに提供できるよう、気を配るように! 調理担当らはピリピリしてるから、邪魔するなよ!」
「はい!」
「では、注意事項の確認を怠らないように、始め!!」
厨房内を指揮するのは製菓長ではなく「指揮官」の愛称で呼ばれる、製菓長補佐の一人。皆が動き出す中、食材を並べ終えたエイプリルは別室の扉をノックした。
「買い出し担当のエイプリルです!」
「どうぞ、どうぞ」
「失礼します!」
小調理室の二つとなりの部屋だ。
中は何もない、本当に机と椅子が一組あるだけの、閑散とした部屋である。
「早速で恐れ入ります。本日の買い出しで、お店側から風味の違う角砂糖を三種類いただきました。いつもより、かなり安くて……本日の二種類のケーキと三種類の焼き菓子に、砂糖を代えたものを出してみてはと。手間は同じで、むしろ計量が楽になります。素材だけを代えて作るのは、半年前にもやっていますから、皆さんもすぐ対応して頂けると思います」
「ふんふん、見せて見せて」
と、手招くのは、初老の変人ーー否、製菓の世界では有名な菓子職人、ダンテック・ウィシュラーだ。この人物、腕は確かなのだが、昔から自分ではあまり働かない。誰でも作れるレシピを出して、そこに一手間加えると、驚くほどに上手くなるーーという、魔法のような演出で名を広めた人物なのだ。彼が自ら作るのは、専ら気難しい奥さんの前だけとの噂である。
「このまま紅茶と出しても、おもしろい」
「はい! かわいいと思います!」
「女性受けしそうだ。採用。今日は忙しいから、砂糖を代えて作るのは焼き菓子だけにしよう。採用」
「ありがとうございます!」
エイプリルは目を輝かせた。
ほっほっほ、と製菓長は笑った。
「お嬢さん、身軽かね?」
「え? は、はい……そこそこ」
「おつかい頼むよ」
「おつかい?」
「ん」
と、彼は何もない部屋のテーブルの上に置かれた、カビでも生えてそうな洋紙の切れ端を差し出した。
「………………はい」
「ありがとう」
短い文章の内容を読みとって、エイプリルは力なく受け取った。
製菓長はのんびりと礼を言ったが、恐らくニヤリとしたであろう。