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翠磁の紅茶具(ティーセット)




 リンリンと、鈴が鳴る。

 その音に起こされて、目を覚ます。

 余韻が去った後は、ただただ、雨の音だけ。

「ん? いま何時……って、あぁあああ!」

 少女は飛び起きた。

 鈴が鳴った、ということは。

「うそ、外、まだ暗いのに……!」

 慌てて首を回し、時計を見探す。昨夜、疲れ切ってテーブルから落としたのを思い出すと同時に、文字盤が目に飛び込んできた。

「きゃーー!!」

 丹色の長い癖毛が、その日は最悪の状態コンディションだった。湿気で膨張し、寝癖で飛び跳ね、花も目を覆う惨状である。

 しかし、少女の対処は早かった。持ち前の指先の起用さを発揮して、あっという間に二本の三つ編みを完成させた。

 りんりん、と。また鈴が鳴った。

 少女は詰み上がった本の山を崩しながら、二階である自室の窓を押し開けた。

「ごめーん! おばあちゃん、今行きまーすっ!」

 雨が降っているという事もあって、少女は大きな声で呼びかけた。 

 りりん、と鳴ったのは「了解」という意味だろう。

 窓を閉めて鍵をかけ、パジャマを脱いで、紺色のワンピースを頭から被る。もぞもぞと腕を通したら、階段を降りながら靴下を履いた。玄関に逆さまにして乾かしていたブーツは、思った通り湿っている。

「どうせ濡れる!」

 と、気にせず履いて、玄関に掛けておいた雨着を羽織り、飛び出した。

 土砂降りでないだけマシだろう。

 見慣れ過ぎた雨の景色。大きな街の、静かな一角。

 趣有る『古美術小路アンティークレーン』に、その店はあった。

 カランと鳴った、正面入り口。『close』を『open』に入れ替えて、出しっぱなしの傘立ての底に溜まった水を捨てる。

 少女は一歩中に入ると、玄関にコートを引っかけた。

「ごめんね、おばあちゃん!」

 そして店内へ続くカーテンを開き、少女は全力で謝った。

 ふわり、豊かな紅茶の香り。

 降水量を知らせるラジオ術石いしの声。

 少し俯きがちな花のテーブル。

 その一番奥の席、隣の家の鈴に続く紐の横で、老女はたおやかに微笑んだ。

「おはよう。エイプリル」

 ふくよかで、笑い皺の刻まれた顔。

 初夏でも淡色のカーディガンを肩に掛け、喫茶『貴婦人』の店主オーナーミセス・マーガレットは片手を差し出した。こちらにおいで、と少女を促す。

朝食モーニングは二人分で良かったかしらね?」

「うん! お父さん、今週の担当だから昨日から『聖霊塔』に泊まってるの」

「それじゃ、出勤する時バンズを持って行ってね。忙しい料理長でも仕事の合間に食べられるよう、小さめのものをいくつか作ったのよ」

 ミセス・マーガレットはカウンターの上に乗せたバケットを示して言った。

 エイプリルはお礼を言って、席に着く。

「では、いただきましょう」

「いただきます!」

 テーブルの上には綺麗に焼けたパンケーキと、蜂蜜の入った小壷。皿の上にはスクランブルエッグとベーコン、アスパラとレタス。どれも食材が瑞々しく光っていて、見ているだけで食欲をそそった。

「ん〜、今日も美味しい! 雨が続いて憂鬱でも、おばあちゃんのご飯と紅茶だけは輝いて見える!」

 マーガレットは目尻を下げて、嬉しそうにした。

「ふふっ、ありがとう」

 エイプリルは、彼女の事が大好きだ。

 この街で最も有名な場所。そして、世界一の狭き門とも言われる、魔術の総本山にして研究機関ーー『聖霊塔』。敷地の中央にある巨大な塔の名称であると同時に、学舎などの無数の関連施設が広がる敷地全体を総称して呼ばれている。

 『聖霊塔』の敷地には関係者以外は入れない。しかし世界中の魔術師が集まり、かつ世界中の重要な問題を討議し、解決する為の機関であるこの地には、やはり世界中の人間が集まるのだ。そうして発展した街『アストロメア』は、世界有数の観光都市として名を轟かせている。

「今月は外の任務から戻ってくる人が多くって、いつもより大変みたい。私も早めに行かなくちゃ」

「そうなの」

「うん、だからお店あまり手伝えなくて、ごめんなさい」

「いいのよ」

 街の中央通りメインストリートはいつも賑やかだが、この『古美術小路アンティークレーン』はそうでもない。独特の静けさを好んで訪れる客は勿論いるが、いつも静かな時が流れている。

 この小路に暮らす人々、誰もが知っている顔。みなの頼れる相談役、それが喫茶『貴婦人』のミセス・マーガレットである。

 彼女は気取ることなく、優雅で柔和だ。そして思考までおっとりではない。彼女が店で出す紅茶とお菓子が、シンプルでありながら複雑な香りと味わいであるように、彼女自身もまたそうなのだ。

「お母さんは、次はいつ頃戻るのかしら?」

「手紙が来たの! 大きな川沿いにある地下遺跡に、宝物があるらしいって」

「まぁ」

探索アタックしたらまた手紙をくれるって言うから、帰りは大分先だと思うけど……宝物探索トレジャーハントは楽しそうだなぁ」

「やってみたりはしないの? エイプリル」

「興味はあるけど、子供は危ないって言われるし、それに私にはこっちの夢があるから」

 エイプリルはパンケーキに蜂蜜をゆっくり垂らした。

 それを、まるで見て楽しんでいるかのように。

「パトリエね?」

「おばあちゃんみたいになりたいの!」


 料理人の父を持つエイプリルが、食事に興味を持つのは早かった。しかし、世界中を体一つで渡り歩く宝物狩人トレジャーハンターの母と、多忙な父は、家を空けることも多かった。

 観光都市として充実した制度を持つ『アストロメア』では、そうして一人になる子供たちを預かる場所も多い。

 しかし、エイプリルはいつ帰るか分からない母を恋しがって、度々勝手に家に帰っていた。あの手この手で家の中に入り、託児所では行方不明だと騒がれたことも。そして、大人たちは大いに驚くのだ。エイプリルは一見すると大人しく、聞き分けがよい。なのに、母親ゆずりの度胸と行動力とで、とんでもないことをしたりするのだ。

 物心ついてすぐの頃、また行方不明かという騒ぎで、家の前で大人たちが話し込んでいた。

 エイプリルは泣きはしなかったが、無言で俯いたままでいた。周りの大人たちが困り果て、自分を疎んじるのを感じていた。

「あらあら、かわい子ちゃん? もし良かったら、お母さんが帰るまで隣のお店を手伝わない?」

 救いの女神に出会ったのは、その時だ。

 隣の家からする甘い香り。いつもその香りに心を奪われていたエイプリルは、縋るように飛びついた。

 ミセス・マーガレットは未亡人で、二人の息子は遠方にいる。お店は彼女と親しい友人たちの手伝いでやっていて、常に誰かがそこにいた。彼女は父親と話をして、エイプリルの世話をしてくれたのだ。

「さぁ、甘いものを食べましょう。幸せが少し増えるから」

 マーガレットは実の孫のように、エイプリルを大切にした。教えればキチンとしたエイプリルは、常連客にも可愛がられた。学習は他人より少し遅れたが、たまに来る魔術師の教師が見てやると取り戻した。

 魔術の街というだけあって、多かれ少なかれ魔術の素養を持つものが多い土地柄。エイプリルもまた、マッチで火をつける程度の簡単な魔術なら、すぐに覚えて仕事に生かした。

「ちゃんとした魔術は覚えるのが大変だけど、美味しいお菓子を作る呪文おまじないは教えてあげるわね」

 そうして教えてもらった歌は、エイプリルの子守歌になった。


 ある日、母が帰ってきたときのこと。

「はぁ……相変わらず、ほれぼれする翠磁のポット……」

「そんな高価なものではないのよ?」

「いやいや! これは立派な美術品ですよ、ミセス・マーガレット! 私の目に狂いはありません、まさに『古美術小路アンティークレーン』に相応しい、立派な一品です! いやぁ、娘を預かって頂いている恩人が見る目のある方だと、なお感慨深い! 頭が上がりませんよ、本当に! ということで、この翠磁を傷つけない洗浄術石せきをお持ちしましたので、どうかお納めくださいませ!」

「ふふっ、ありがとう。あなたったら、本当に楽しい人ねぇ」

「人生は楽しく、面白く、色鮮やかでなくては! 本当なら娘を連れて行くか、外出を控えるべき所なのでしょうけど……マーガレット、何もかも貴女のおかげです。私は娘に、夢を追う姿を見せてやれる!」

「エイプリルも、そんなあなたが大好きよ。そして私たちもエイプリルやあなたたちが大好きだわ。ねぇ?」

「うん!」

 エイプリルは、勇気を出して言ってみた。

「あのね、お母さん! 私ね、パトリエになりたいの!」

「はい?」

 母は首を傾げた。

「パティシエでなく?」

「パトリエ!」

「って、なに?」

「最近はそう言うんですって。私のような製菓職人を、パティシエとソムリエを足してパトリエって」

「なんじゃそりゃ! お菓子を作るだけでなく、客にオススメしたりってことです?」

「そうなの」

 まだ小さな娘は、カウンター席から一生懸命重たい本を持ってきた。

「なあに?」

「これ、全部作れるようになるの! それでね、おばあちゃんがするみたいに、今日はどんな気分?って聞いて、その場で作ってあげるの!」

「時間かからない? それ」

「すぐに食べたい人にはね、ほかのお客さんの為に作ったお菓子を、少しずつ取っておいてあるの。シェフの気まぐれデザート、みたいにしてね」

「はぁ、なるほどねぇ」

 重たいレシピ本には、どこのページにも、一人から十人分までの分量や注意点がびっしりと書き込まれていた。それは紅茶のページも同じ。季節や天候によっても少しずつ違うことが分かり、細やかな仕事ぶりが見て取れた。

「これは素晴らしい! それに、娘が夢を見つけたことは喜ばしい! 一つ約束を守ってくれるのなら、母はこれを全力で応援しよう!」

「約束?」

「ぜーったいに、大きな怪我のないよう気をつけること!」

「!」

 母は娘にウインクをして、娘は目を輝かせた。

「はい!」


 強くなった雨を見て、エイプリルは立ち上がった。

「もう十日目くらいかなぁ? 雨、止まないね」

「今日で九日目よ。……心配ね」

「?」

 呟いて、マーガレットはキッチンへ行ってしまった。

 出勤時間までもう少しある。エイプリルは窓から灰色の空を見上げて、勢いが弱まるのを祈った。

 かちゃん、と軽い陶磁器の音がした。

 あの、翠磁のティーポットが、セットのカップと共に並べられていく。

「ごめん、おばあちゃん。あんまりゆっくり飲めなくて」

「いいのよ。でも、一口だけでも飲んでいって?」

「……うん」

 浅く椅子に腰掛けて、エイプリルは紅茶に口を付けた。

(いい香り……)

 とろん、と。そのまま夢でも見そうな心地よさ。

 温かい紅茶と香り高さは、灰色の景色をぬぐい去った。

 ふう、と息をつけば、気分は浮上している。

「このセットはね、私の年の離れた姉が使っていたの。姉は魔術師で、聖霊塔でも特別な存在だったのよ」

「え、そうなんだ……初めて聞いたね?」

「若い頃に亡くなったから。あなたに勉強を教えてくれた先生、いたでしょう? 今はもう引退されたけれど、姉の数少ない友人……専攻学部の後輩だったの」

「先生が!」

 確かに小さい頃の記憶でも、先生は老父だった。とはいえ、とても元気な人だった。魔術師というのは体内に魔力を多く溜める性質から、長生きすることがあるというから、その例なのかもしれない。

「二十年くらい前、そう、あなたのお父さんが聖霊塔に勤め出した頃、姉の遺品が見つかったの。亡くなったのは何十年も前のことなのに、不思議と傷んだ所はなかったわ。お父さんが近所だからって、預けられて届けてくれたのだけど、とても丁寧に事情を話してくれて……それで、お隣さんは良い人だって知ってたから、あなたのことを預かったのよ」

「へぇ〜!」

「その中にあったのが、この紅茶具ティーセット。姉が生きていたとき、家から持って行ったのを覚えてる。これはお守りなんだって言ってたわ」

「お守り?」

「価値は低いけれど、意味はちゃんとあるものだって。これで紅茶をいれて飲むと、魔除けの効果があるんだとか言ってたかしら? 本当か分からないけれど、姉は病気持ちだったから……心の支えになったのだと思うわ」

「……そっか。だからかな? この紅茶、なんだかとても安心する!」

 カップを両手で包み込み、エイプリルはポットや他のカップを見つめた。

「それに、やっぱり綺麗……」

「えぇ。あなたのお母さんがくれた洗浄術石も、とても役立ってるわ」

 白地に翠色のグラデーション、そして描かれた模様。まるで水の綺麗な泉の中をのぞき込んでいるような、美しい色彩だった。

「悪魔に触れたら、このポットを使いなさい。私たちの母が言っていた言葉よ」

「ーー悪魔?」

「聖霊塔には、たくさんいるって聞いてるわ」

「何かの比喩? あそこにいるのは何十日も徹夜して、おかしな魔術の勉強を永遠と続ける変人たちよ? 食堂まで来てご飯を食べるのは、まだマシな方! 先生方に頼まれて研究室まで出前に行ったら、本の下からひしゃげたカエルのような声でお礼を言われるの。お皿を回収しに行くと、何故か持って行った倍の数のお皿を出されたりするし。部屋は変な匂いがして、奇妙な絵の具で壁や窓が大惨事! 私、魔術師にならなくて本当に良かったわ」

「エイプリルは、魔術師がキライ?」

「ううん」

 少女は即答し、首を左右に振った。

「変な人たちだなぁって、思うだけ」

「ふふふ!」

 老婦人は可笑しそうに笑った。

「本当の魔術師はね、魔術師にしかなれないの。生まれながらの性なのね。強さは区々(まちまち)だけれど、他より遙かに記憶力がよく、賢くい。体力に欠けることが多いけれど、生命力には長けていて、不摂生に強い。まるで、ひたすらに本を読む事に特化したような人たち。それが、魔術師」

「……私の場合、ちょっとくらい素養があっても、適性はなかったってことね」

「私もよ。さぁ、時間ね? 気をつけて行ってらっしゃい、怪我をしないようにね」

「うん!」

 エイプリルは立ち上がり、再び玄関の雨着に腕を通した。

 マーガレットが見送りに出て、大きめの傘を貸してくれた。

「買い出しの品が濡れないように。いい? エイプリル、雨が続くと湿気で食材は早く悪くなってしまうわ。特にお菓子使うものはね。衛生面に気をつけて、時間が経ったものは避けること。できれば毎日、新鮮なもので作ってあげてね」

「はい」

「トーラットのお店に行くと良いわ。彼はしっかり者だから、ちゃんとした品を小分けにして安く売ってくれるはず。彼の父親がそうだったの。長雨を経験した者同士、古い付き合いなのよ」

「わかった! いってきます!」

 石畳の小路は、勾配に合わせて水が流れていた。その上にも雨滴が落ちて、乱雑な波紋が生まれては消えていく。

 さあさあと降る雨は、他の音を奪っていった。

 自分の濡れた足音を聞きながら、エイプリルは小路を曲がり、メインストリートへ出て行った。




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