揺れる
(同じ高校だったなんて...!)
県大会の日、彼に目を奪われたあの時のことが、フラッシュバックした。
思い出す、『4』の数字を揺らして、楽しそうに走る背中、
シュートを放つときの、ディフェンスのときの、真剣な顔。
決勝では結構酷く負けたと聞いたけど、そうか、彼はバスケを続けるのか。
(いや当たり前か...)
だって彼は、私とは違って、
「?えーと...次、笠井さんだよ?」
日高先生がぼけっとしている私を前へ促す。
すみません、と言って前に出ると、
「二中出身の、笠井和葉です。部活は、まだ決めてないです。えーっと.....」
(なんて言えばいいんだっけ、こういうの...)
とりあえず、みんなの流れ的に部活のことに触れてから、
大好きだったバスケをやめてしまった今、名前以外に皆の前で紹介できることなんて持ち合わせていなかったことに気づく。
結局、
「えっと...よろしくお願いします。」
名前だけ言って、頭を下げて、席に戻った。
特に何を考えるでもなくクラスメイトの自己紹介を聞いていると、
(...おっ、綾瀬)
綾瀬は、緊張した様子で顔をあげると、
「水野綾瀬です。二中から来ました。部活は、...悩み中です。よろしくお願いします。」
小さく微笑みながら、席に戻る。
...綾瀬は、バスケ、やりたいんだろうか。
私は、県大会を見に行ったあの日、改めて自分の弱さを、不甲斐なさを思い知った。あの、4番との果てしない距離を。
また、思い出すのは最後の試合のこと。
(...だめだな、私)
結局弱くて不甲斐なくて、そんな自分と向き合えもしない。
「どうしようこのクラス、ほんとに知り合いいないよ和葉」
HRが終わると、綾瀬が私の席にやってきて、消沈している。
「確かに...三中とかならいるかな〜と思ったけど、全然だよね...」
と2人でどんよりしていると、
「やっぱり!!西中の大山!!」
とざわついているクラスの中でも一際大きな声が響いた。
声の正体は、
「俺飯岡潤...よろしく!」
と興奮気味に''彼''に話しかける飯岡くんだった。
「お、おう...俺大山稜介...よろしくな!」
引き気味に答えながらも、笑顔で返したのは、あの4番くん。
「む...嫌でも目に入るな...」
ぼそっとつぶやくと、
「...何が?」
と綾瀬が首をかしげる。
「いや、あれ、あの、大山って人、県大会の準決で、うちの男バスに勝ったチームの4番だった」
「あー...たしかに、西中だったね。...え、名前なんて言った?」
何かを思い出したように、綾瀬が聞いてくるので、たった今聞いた名前を、復唱する。
「大山でしょ、大山...稜介?」
というと、みるみる綾瀬の顔が明るくなって、
「ねえ、あの人県選抜の人だよ!うそ、名前聞くまでわかんなかったー、写真と全然違うんだもん」
憧れの人を見るような目で、彼を見る綾瀬。
(け、県選抜...!?)
たしかに県大会で見た彼はとても上手かった。私の目でもそれはわかった。なるほど、県選抜だったのか。そりゃ上手いわけだ。
...だけど、わからないことがある。
「なんで、この高校来たんだろう...?」
と私が言うと、神妙な顔になって、
「たしかに...うちの高校、強い部活といえば水泳部くらいだよね。」
と言う綾瀬。
話しながら、2人で4番くんの方を見ていると、はたと、飯岡くんと目が合う。
飯岡くんが振り返って、4番くんに何か話しかけると、2人でこっちに歩いてきた。
...こっちに歩いてきた??
「友達もうひとりできたから、笠井さんと水野さんにも紹介しようと思って」
とにこにこする飯岡くん。
そして、「確かふたりも、中学んときバスケ部だったよね」と言うと、私たちを見て首をかしげる。
「「えっ」」
2人でハモると、
「2人とも県南選抜いたでしょ、ガードの笠井さんにセンターの水野さん!」
ビシッ!と指さしてそう言う飯岡くん。
「ああ〜」とふたりで納得していると、
「二人もバスケ好きなの!?...あ、俺大山稜介!よろしく!...えっと、笠井さんに、水野さん!」
と私たちにニカッと笑って、「仲間いっぱいだな!」とか飯岡くんに話しかけてる。
「大山くんって、県選抜の大山くん?」
と綾瀬が訊くと、4番くんはぽかんとした顔をして、コクコクと頷いて、
「まあ...あんま、いい結果出せなかったけど...あ、そうだ」
と苦笑したあと、何かを思い出したように手を叩く。
「今日の放課後から、部活見学始まるんだって。4人で、見学とかどうかなって!」
と、当然悪気なんてなく4番くんが言う。
「「えっ」」
さっきより微妙なトーンで、また綾瀬と私でハモる。
4番くんの隣では飯岡くんが、「! いいねー!」なんて笑顔を覗かせる。
私の隣では、私をちらっと見ながら
「うーん...今日はいいかな〜...」
と、綾瀬が苦笑する。
そんな反応に少し残念そうな顔をした4番くん。...で、
「笠井さんは?」
と首をかしげて訊いてくる。
「私は...」
思わず口ごもる。綾瀬が行かない時点で、今日は行く気にはなれないけれど。
そんなわけないのに、なんだかこれからの事まで訊かれてる気がして、
「...私は、バスケ部、入んないから」
と、口にしていた。
「? そうなの?勿体ない、県南選抜。」
重たくなった空気をわざと無視しているのかあえてなのか、今までと変わらない口調で4番くんが言う。
「うまくないよ、私は、もうバスケ...」
好きじゃないし、と言ってしまいそうになったところで、チャイムが鳴って、先生が来た。
はっとして、くるりと踵をかえして席に戻る。
(初対面の人の前で、私は何を...!!)
勢いで出そうになった言葉達を、頭の隅っこに追いやる。
楽しそうにバスケのことを話す2人の前で、何を言っているんだ私!KYか!
...それに綾瀬にも、気を使わせてしまった。
綾瀬は優しい。小さい頃から、私のわがままを聞いてくれる。ミニバスに誘ったのだって、私だったのに。綾瀬だって、バスケが大好きなはずなのに。県大会を見に行って以来、綾瀬は「バスケ」という単語を一言も口にしていない。
また、今日の朝、考えたことを思い返す。
もし綾瀬が、バスケ部に入るなら、それは純粋に応援したいと思った。
綾瀬はセンターだから、番号はミニバスでも中学でも、キャプテンはやらず、5番だった。もっとも、キャプテンは私だったわけだけど。
でも綾瀬は、ドリブルも上手くて、外のプレーも出来る。それに視野が広くて、試合中に限らずチームのみんなに気遣いができる。センター以外にも、きっと選択肢はある。
ちょっと斜め後ろを振り返って、綾瀬の方をチラ見する。
珍しく先生の話なんて聞いていない様子で、頬杖をついてぼけーっとしている。
私は前に向き直って、頭の中に、綾瀬の顔と、4番くんの顔と、バスケットボールを思い浮かべる。
3つが頭の中をゆっくり回る。綾瀬、4番くん、ボール、綾瀬、4番くん、ボール、綾瀬...
回転は次第に早くなって、私の頭にひとつの決断をおいて、すうっと消えていった。
(綾瀬、どんな顔するかな)
...先生の話が終わって、今日は初日ともあって、昼前に放課。
私の席に来て、「和葉、駅前のドーナツ屋さん寄って帰ろー」と綾瀬が歩いてくる。
その言葉に「いや」と返すと、
「やっぱバスケ部の見学行こ?」
と笑顔で綾瀬を振り返る。
綾瀬は、私に話しかけた顔のままで固まって、
「...へっ...?」
と間抜けた返事をする。
そのやりとりを隣で聞いていたらしい飯岡くんが、
「じゃあやっぱり4人で見学行こうよ」
と4番くんの方を指さしながら言う。
「うん」
まだ固まってる綾瀬のことを引っ張って、4人で廊下に出る。
「よかった、2人も来れて」
と嬉しそうに4番くんがこっちを振り返る。
私が4番くんに笑いかけると、綾瀬がこっちを見て、
「...いいの?」
と言ってきた。
私は笑って、
「いいの」
と答えた。
体育館に着くと、バッシュのスキール音と、ボールをつく音。
この音はもうすっかり脳に染み付いているみたいで、なんだか懐かしさを感じた。
「和葉」
顔を寄せてこっそり、綾瀬が話しかけてくる。
ん?と目線で返事をすると、
「やっぱりさ、練習みてても、ここそんな強豪じゃないよね?...いや、ほんとなんで、大山くん、ここ来たのかなって」
というと、ちらっと4番くんの方を見る。
...たしかに、今やってるドリブル練習をみてても、そこまで強い、というようには...見えない。
失礼かもしれないけど、...普通、といった感じだった。
でも、横に立っている4番くんは楽しそうに練習を見ている。
「入部届、来週から受付開始だってさ。」
と、始まった対面シュートを眺めながら飯岡くん。
「...え!来週まで部活入れないってこと...??」
がーん、と、驚きの表情をする4番くん。
''入部届は来週から受付開始''。頭の中で繰り返す。
(...自分でもびっくりだな)
だって、こうしてまた体育館に来ると、
やっぱりバスケを嫌いになんてなれていないんだ。
___________
高校生活、2日目。
朝起きてよく考えると、昨日はなんだかすごい1日だった。
あの4番くんと同じ高校で、しかも同じクラスで、どうしてか仲良くなって。さらに、私がバスケ部の部活見学に行くなんて。
あの後、綾瀬とドーナツ屋に寄って、普通に家まで帰ってきたわけだけど、なんとなくそわそわして、物置にしまってあったバスケットボールを15分くらい磨いてた。
自分がバスケをまだ好きなことは、充分理解してるつもりでいる。
まだ...っていうか、きっと一生嫌いにはなれない。
でも、やっぱり怖い。それが強い。自分の抵抗しようのない形で弱さを突きつけられるのは、やっぱりもう懲り懲りだ。
(結局、逃げてるのはわかってるんだけどさ...)
ため息をついて、小さく「いってきまーす」と言って、家を出る。
「おはようございます!...えっと、今日から、日直と、掃除当番が始まります。日直は、出席番号順に1人ずつ、掃除当番は、出席番号順に2人ずつ、日替わりで行いまーす」
と、相変わらず元気な日高先生。
「俺、日直と掃除当番被る...」
「1番ドンマイ〜」
隣で飯岡くんが呟いたので笑ってやると、
「ひどー。あ、そしたら俺ちょっと見学遅れるじゃん...うわああ」
とまたうなだれる。
そっか、見学は1週間あるんだった。
「「ふぁ〜ぁ...」」
放課後。
私と4番くんが二人揃ってあくびをすると、綾瀬がプッと吹き出した。
「2人してあくびして、どうしたの?」クスクスと問いかけてくる。
「逆になんで綾瀬はそんなに元気なの、授業眠くて眠くて...」
「俺、古典ちょっと寝た...」
とまたあくびをかます4番くん。飯岡くんが日直と掃除当番でいないので、女子2人に男子1人という傍から見たら変な状況なのに、そういうのには疎いのか、彼はいつも通りだ。
体育館の扉を静かに開けてギャラリーに上がって、いつも通り練習を眺める。
女バスにも、見たことのあるような有名な選手は居なくて、12人いるうちの、3人くらいは初心者に見える。
(あ...歩いた今...)
無意識にトラベリングを見つけたり、
(今のはトップに戻してウィングから…)
惜しいプレーを心の中で指摘したり。
思っていたよりもずっと、バスケは私の頭の中に染み付いているみたい。
綾瀬は?
綾瀬は、今なにを考えているだろう。
「和葉」
びくっ、と肩が跳ねる。声の主は、たった今思い浮かべていた人物。
「あのさ、私さ」
綾瀬は、視線はコートに残したまま、
「私さ、バスケ部、入ろうかなって」
と言って、私にチラッと視線を送って、またコートに目を戻す。
私は、
「...あ、うん...そっか。」
なんとも微妙な返事を返してしまった。
そんな私に綾瀬は、次は顔をこちらに向けて、
「...和葉も、やろうよ」
そう言った。
思わずパッと顔を上げる。顔を上げて、綾瀬を見る。
「...なんてね、冗談!
...バスケ部入ろうかなっていうのは、冗談じゃないけどー。」
と笑って、またコートを見下ろす。
「......うん。」
私は、それしか返す言葉が出てこなかった。
(綾瀬、ごめん)
心の中でそう告げて、私もコートを見下ろした。