二日目、その2。
ガラリと扉を開けて入って来たのは、先程の怒りを感じさせないあの無気力な表情の担任だった。
クラスメイト達が担任の顔を確認した途端、クラスの温度が下がったような気がした。
「授業を始める。まず先に言っておく。今年前半の授業配分は一般九割、魔法一割だ。一般常識が無い、基本がなってない奴に魔法を使う資格は無いと思え。いいな?」
魔法学校なのに魔法を学べないとはこれ如何に。他の生徒達も戸惑ってはいたが、怒らせたら怖いと学んでいた為に皆揃って頷いていた。
「よし。まずは一般常識Aの教科書を開け」
それから四限、何事もなく終わった。
「午前はここまで。午後の授業は五十分後に行う。昼は大食堂で食べるように。以上、解散!」
そう言うと手早く教材を片付けてさっさと教室を後にする担任を見送ってから、自分も机の上の物を片付けていく。
全てアイテムボックスに入れてから、大食堂の場所を確認する為、地図を表示する。
一年の教室からそこそこ離れた所にあるらしい。
(これは早めに行かないと席がなくなるやつでは?)
そう思って席を立ったが、ふと思いとどまる。食堂と言うからには食事が提供される場所になる。つまりは、金銭のやり取りが発生する可能性があるということ。
しかし、自分にはこんな金持ちばかりが居る学校の、金持ち基準の金銭価格は到底払えない。
手持ちもそんなにある訳ではないし、どうしようか。
悶々と考えて込んでいると、ひょっこりと視界に赤い髪が入って来た。
「リズも一緒に行こうよ!ここの食堂のご飯は、元王宮お抱えの料理人が作ってるらしいから、美味しいんだって評判らしいよ?ほら、行こ!」
人の意見も聞かずにグイグイと手を引っ張っていくメテオに、あ、だとか待っ、だとか言葉にならない声を上げながらついて行く。
そして良く見れば、自分とは逆の手はレオンハルトのそれが握られていて、同じように引っ張られていた。
その表情は相変わらず無だった。何を考えているのか分からない。
逆に、引っ張られているレオンハルトの事を見ているノアの顔は青ざめていた。
何やら不敬だ、とか怒られたら、とか聞こえた気がする。出来ればブツブツ言ってないで暴走している幼馴染みを止めて欲しい。切実に。
メテオを先頭にやって来た大食堂はそれはもう、とてつもなく広かった。おそらく全校生徒が余裕で入れるだろう。
「すっごい!広い!良い匂い!」
目をキラキラさせて辺りをキョロキョロと忙しなく見渡しているメテオは、何かを見つけたのかずんずんとそちらに向かって歩いて行く。必然的に未だに手を掴まれている私達も引きずられて行く。
「これで注文するみたいだね。何食べようかなー」
そこには券売機のような物があった。
その機械の前で止まって悩み始めたメテオをよそに、メニューが書かれたボタンに価格表示が無いのを確認した。
「お金は払わないのかな…」
「え?」
小さい声で呟いたはずなのに目の前の人物が振り返って聞き返してきた。
しかも何故かキョトンとした顔をしている。
「な、何?」
「…何でお金払うの?」
「え、だってご飯を食べる対価としてお金を払うんだよね?」
「…うん?」
二人して会話が噛み合わずに首を傾げていると、見かねたのかノアが教えてくれた。
「ここの学院は国が運営しているので、生徒が金銭を払わなくても良いんですよ。国民から徴収している税金の中から補われているので」
「…そうなの!?」
「ええ、そうなんです」
「あれ、リズ知らなかったの?」
「全然、初耳だよ…」
「これだけの大人数とお金のやり取りをしていれば時間がかかってしまいますし、休み時間も終わってしまいますからね」
「…確かに!」
言われてみればそうかもしれない。
でも、収入がそんなに多くない庶民の私は得をするけど、多くのお金を払って納税しているメテオ達はそうでもないなと思う。
大半は貴族である彼らのお金で回っているのだから。
うーんと唸っているとふと視線を感じたので顔を上げてみる。
じっとこちらを見ているレオンハルトと目が合った。直ぐに逸らされてしまったけど。
「さっ、早く選んで食べよう!お腹空いた!」
「そうだね。何にしようかな…」
「これだけメニューがあると迷いますね」
「ねー」
メテオとノアが悩んでいる横でさっさと決めてボタンを押していく。
押したはいいがこの機械、ボタンしか付いていなかった。つまり、通常の券売機のように紙が出てくる場所が見当たらなかったのだ。
あれ、と思っていると、横から腕が伸びてきて自分と同じようにボタンを押す。
腕はレオンハルトのもので、ボタンを押し終わると無言で横にずれていった。
その行動に首を傾げていると、再び彼と目が合った。心なしかその目がこちらに来いと言っているような気がしたのでとりあえずそばに寄ってみた。
隣に立つのはあまり良くないかなと思ったので、斜め後ろに立ってみた。すると、レオンハルトが小さな声で話しかけてきた。
「…あの機械は、ボタンを押すと注文が直接厨房に届くようになっている」
「…えっ、そうなんですか!?」
レオンハルトが自分から喋った驚きと、券売機の正体が実は魔法道具だった事による二重の驚きで思わず大きな声を上げてしまった。
そんな自分には目もくれずに、驚かれた張本人は静かに頷いただけだったが。
残りの二人も漸く決まったところで席を探すも、入り口付近はやはり既に埋まっていた。
「やっぱりちょっと遠くまで行かないと駄目かなーこれ」
「そうだね。でもそんなに奥まで行かなくても大丈夫そうだけど」
「ラッキー!」
メニューに悩んでいる時間が長かったせいで奥まで行くはめになったのでは、なんて口が裂けても言えないので、先陣切ってずんずん進んでいく幼馴染み二人組の後を追いかけていく。
ちなみに、大食堂に来るのが遅れた順に奥へ行くのが暗黙の了解らしい。
比較的真ん中の方の席を運良く見つけることが出来た為、そちらに座る。
大食堂のテーブルは長テーブルだったが、ちょうど向かい合うように席が空いていたので、メテオとノアが隣に座り、メテオの向かいにリズが、ノアの向かいにレオンハルトが座る事になった。
ちなみに、レオンハルトが席に座った途端、その隣に座っていたおそらく上級生と思われる男子生徒がギョッとした目で彼を見つめ、自身の食事をかき込んで急いで席を立っていた。
レオンハルトが王子だと分かっての事だろうが、礼儀をかいていると思うのは気のせいだろうか。
席に着くのとほぼ同時に目の前に頼んだ食事が現れた。
ほくほくと湯気が出ているから、作りたてだと分かるが、一体どういう仕組みなんだろうか。
「やっぱりご飯豪華だね!」
「まあ、元王宮料理人が作っているらしいから、当然といえば当然だよね」
「うん!ご飯が美味しいと幸せだよね!」
「そうだね。見た目も味もこだわっているのが分かるね」
「じゃあ早速、いただきます!」
「いただきます」
疑問に思いつつも自分も手を合わせてから食べ始める。
正直、こんなに美味しい料理は生まれて初めて食べた。何これ、すっごい美味しい!
美味しすぎて黙々と食べていると、ある事に気付いた。
(皆食べ方綺麗…)
当然のように綺麗な所作で食事をする三人に囲まれながら、私は自分なりに綺麗に食べるので精一杯だ。
肉を切り分けているメテオ、パスタを丁寧に巻き取っているノア、スープを掬って口に運ぶレオンハルト。皆どの仕草をとっても美しい。流石貴族。普段騒がしいメテオですらちゃんとしているから余計に自分との差が凄い。
(寮に戻ったらメアリーとリリアに教えてもらおう)
そう思いつつ恥をかかない程度に自分なりに綺麗に食べて、なんとか昼食を乗り切った。
ゴーンと授業終了の鐘が鳴った。
「今日はここまで。明日も遅刻するなよ」
そう言って担任が教室から出ていくと、今まで張り詰めていた空気が散漫するのが分かった。皆無意識に大きく息を吐いている。
かくいう私も久し振りの授業を終えて思わず深呼吸をする。結局、今日一日の授業は全部担任だった。
(まあでも、思っていたよりも簡単だったな。小学一年生レベルって感じ)
これならば当分はついていけそうだ、そう思っていたら。
「終わったー!疲れたー!」
後ろの席から大声が聞こえた。ビクリと肩が跳ねる。心臓に悪いからやめて欲しい。
そんな事を思っていると、ガシリと両肩を掴まれて前後に揺さぶられた。
「ねえ、授業中は先生怖くなかったね!ねえ、リズは全部理解出来た?案外簡単だったね!」
「そうだね、分かったから離して…」
「あ、ごめん」
メテオの手をやんわりと解きつつ、帰りの支度をする。教科書と筆記用具をしまって、鞄もしまう。最後に忘れ物がないかチェックをして、さあ帰ろうと席を立とうとして、思い留まる。
行きはメアリーとリリアと一緒に来たが、帰りも一緒に帰るのだろうかと。
特に約束はしていないが、帰る場所は同じなわけで。
(約束はしていないけど友達なら一緒に帰るのは当たり前?リリアはともかく、メアリーは教室まで迎えに行くべき?)
過去に友達が居なかったせいでこんなところで悩むなんて…。
でもクラスの子達は皆自然と一緒に帰ってたしな、と思いつつさり気なくリリアを見ると目が合った。
向こうも同じように悩んでいるみたいだ。
ここは人生の先輩として自分から声をかけるべきでは、と今度こそ席を立つ。
「あ、リズ帰るの?」
「あ、いや…」
「メテオ、リズさんはホワイトさんと一緒に帰るのでは?来た時も一緒でしたし」
「そっかー。じゃあ今度また一緒に帰ろうね!また明日!」
「あ、うん。また明日」
じゃあねーと手を振りながらメテオが、軽く会釈をしながらノアが、こちらに一瞥をくれてからレオンハルトが教室から出て行った。
三人が見えなくなってから肩の力を抜いて息を吐いていると、リリアが話しかけて来た。
「あっ、あのね、リズちゃん。一緒に帰っても良いかな…?」
「えっ、もちろん!メアリーも誘おう!」
「うん!」
私が了承すると、ぱあっと笑顔になったリリアがとても可愛い。
二人でメアリーが居る隣のAクラスまで行こうと教室を出ると、ちょうど二つのクラスの間の廊下に彼女が立っているのが見えた。
二人して駆け寄ると、こちらに気付いた彼女は呆れたような視線を向けてきた。
「廊下は走らないの。みっともないでしょ」
「ごめんなさい。それより、待っててくれたの?」
「当たり前でしょ。あなた達の事だから私のクラスまで来ると思って」
「…行っちゃダメなの?」
「ダメなわけじゃないけど、極力来ない方が私の為になるの」
「なんで?」
リリアと揃って首を傾げていると、またも呆れたようにしつつも教えてくれた。
「私があなた達に媚を売って、Sクラスに進級しようとしてる、なんて噂が流れたらどう思う?」
「何それ。そんな事言われたの?」
「まだよ。でもあなた達が来たら言われるでしょうね」
「…そっか。じゃあ行かない方が良いかもね」
「そうして」
メアリーは私達が彼女の居る教室まで行かないようにした方が良いと理解したのを見て、どこかほっとしたような表情を見せた。
(人間関係って面倒なんだな)
それからは今日あった事をお互いに話しながら寮へと戻る。
私達の担任が言った事を聞かせると、甘やかされて育った奴らには効果あるでしょうね、と笑っていたし、メアリーのクラスの担任がすごい髪と髭が長いおじいちゃん先生で、耳が遠くて大きい声で話さないといけないから疲れると言っていた。
笑いあっている二人の友人を見ながら、友達と帰るって楽しいものだったのかと実感する。
前は最初こそ一緒に帰ろうと誘ってくれた子も居たけど、塾があるからと何度も断っているうちに段々声もかけられなくなっていった。
それでも別に苦ではなかったし、あの時はなんとも思っていなかったけど、一度でも楽しい思いをしてしまうときっともう一人で居ることが寂しくなってしまう。
一人でいる時間が苦しくなるに違いない。
会ってまだ二日しか経っていないのに、昔から知り合いだったかのように息が合うし、話していて楽しい。
(初めて友達になってくれたメテオも大事だけど、やっぱり気のおける人と一緒に居るのが一番良い)
そう一人で幸せを噛み締めていると、前を歩いていた二人が振り返ってこっちを見た。
「何一人で笑っているのよ」
「…何でもない!」
「変なの。それよりも早く帰るわよ」
「はーい。あ、そうだ。メアリーちゃんにお願いがあるの!」
「何?」
「あのね、食事の作法を教えて欲しくて」
「良いわよ」
約束を取り付けつつ、帰り道を歩く。
この二人がいれば、明日からも楽しく生きていけそうだ。