休息
それから五日ほどが,平凡に過ぎていった。潰走した敵軍が再び現れるまではまだ時を要するだろう。だがアリシア国軍の立て直しもまだ進んではいない。当面は傭兵に主力を担ってもらわねばならず,募兵が継続的に行われていることをぽつりぽつりと入ってくる新入りたちが物語っていた。
「ねぇ…ちょっと気になることがあるんだけど…」
フレイアが言う。一同は昼食を終えてくつろいでいるところだが,そこにシャルルとエリィの姿は無い。
「あの二人,ちょっと様子がおかしくないかしら?」
「そうか?おかしさで言ったら直後のエリィが一番おかしかったと思うが。今はまともじゃないのか?」
口にくわえた楊枝をピコピコ,椅子を傾けてユラユラさせながらノエル。
「まともだからおかしいのよ。シャルルの怪我は治っているはずでしょ?それなのに部屋から出てこない。食事はずっとエリィが運んで行って,中で二人で食べてる」
「まぁ,のぅ…」
ついさっきも,きれいに平らげられた食器をエリィが運んできた。ハーディはその時の様子を思い出す。特に挙動に不審な点は見られないが,だからこそ逆におかしいと言われれば確かにそんな気もする。いろいろ責任を取れと言って出てきたが,その後どうなったのかは分からない。
「それとなく様子を見てるんだけど,エリィもさ…妙に疲れてるような感じなのに,目と,腰のあたりが充実してるような感じなのよね」
「んー?そっちか?そりゃないんじゃねぇの?」
フレイアの様子が少し変わったことにまずノエルが気づき,いつものお約束とみて気のない返事をする。しかしフレイアは自信ありげに言葉を継いだ。
「実はさっき,シャルルの部屋の様子をこっそり伺ってきたんだけど…中から結構激しい息遣いが聞こえてきてたわ」
「まさか!ないない」
「二人とも何を言ってるんじゃ?分かるように説明せんかい」
「相変わらずだなハーディ…脳みそもっと柔らかくしようぜ」
肩をすくめるノエル。
「フレイアが言ってるのは,あいつらが男女の仲になったんじゃないかって事だよ。それこそ食う寝る以外はそればっかってレベルでな」
「な,な,なんじゃと!?」
「だってさー,そうとしか考えられないじゃん」
「あ,ありえん!認めん!そんなことがあるわけがない!」
苦笑するフレイアに食って掛かるハーディ。そんな責任の取り方を容認した覚えはない。
「そーそー。あのオトコオンナがそんなんなるなんてありえんよ」
「なんじゃと!盗賊の,嬢ちゃんを侮辱するのか!?」
「…おいどっちだよ。あってほしいのか?ほしくないのか?」
「む,ぐ…」
「まぁオトコオンナってのは多少極端かもしれんがよ。エリィはあれだ,まだお子様だぜ?ほれ,ヤローにゃよくあるだろ?色恋よりも仲間とバカ騒ぎしてるほうが楽しいって,あんな感じだ。父親譲りの脳みそ筋肉だからこそ,あんな格闘バカに育ったんだろ?」
「えー,それは失礼だよノエル。エリィだってれっきとしたレディなんだからさ」
「ないない!そもそも日がな一日そればっかなんてレディがいてたまるかよ」
「むむむ…」
フレイアとノエルのやりとりが耳に入っているのかいないのか,ハーディは腕組みをして唸り続けている。
「…まぁあれだろ?多少…どころか思いっきり話を膨らまそうとしてるのはいただけんが,要は暇だし面白そうだし覗きに行こうぜ,ってことなんだろ?」
やれやれと言った感じで,しかし暇つぶしにはちょうどいいといった様子でノエルが言う。
「そそ。そーいうこと」
「で,お父さんはどうするんだ?娘の様子を確かめに行くのか?行かないのか?いっそ儂を倒してからにせい!とか説教するか?」
「むむむ…」
結局,その話に乗らなかったのはアラウドだけであった。三人はシャルルの部屋へと向かう。こちらの気配だけは相手に悟られないようにフレイアが魔法をかけ,こっそりと中の様子を伺った。
「ほら…きこえるでしょ?あの鋭いというか激しい息遣い」
「おー,こいつは意外だな。確かに思わせぶりだ。それに,なんか怪しい音もしてるな」
こそこそと話すフレイアとノエル。
「むむむ…」
そのとき,中からエリィの短い叫び。
「んっ!」
続けて聞こえてくる会話。
「す,すまん…」
「ううん…遠慮しないで。もっと強くても大丈夫だから」
「ちょ,ちょ,これって…」
「お?こりゃもしかして…」
目を丸くするフレイア。にやにやするノエル。そこで,ハーディの頭の中の何かが切れた。
「流星の!ちと話がある!」
突然叫ぶと,激しく扉を叩く。
「え…」
「ちょ,おま…」
驚く二人に構わず,叩き続ける。扉はすぐに開き,中からシャルルが顔を出す。その額には玉の汗が浮かんでいる。
「ハーディ…?フレイアに,ノエルも?どうしたんだそんなに慌てて?」
「あー…お父さんがな?まず儂を倒してからにしろって話をしたいんだとよ」
状況を瞬時に悟り,笑いをこらえながらノエルが言う。
「どんな話だ?…まぁ入るか?あ,いや…今は中はあまり…」
「構わん!」
「そ,そうか…エリィ,ハーディが話があるみたいだからまた後で…」
「構わん!嬢ちゃんにも話がある!」
部屋の中へ押し入るハーディ。わくわく顔のフレイア,笑いをこらえるのに必死のノエルと続く。
「む…?」
部屋の中は汗のにおいと熱気が充満していた。そこにはきょとんとした顔のエリィ。練習着に身を包み,四肢には皮製の防具までつけている。
「どうしたの?ハーディ?」
滴る汗を拭いながら,エリィが尋ねる。
「う,うむ…その…つまり…なんじゃ…」
「部屋にこもって二人で何やってるのか覗きに来たのよ」
混乱するハーディに代わってフレイアが言う。何となく状況を察しさすがに茶化すのはまずいと思ったのか,いつもの調子は影を潜める。
「あ,えーと…」
ちらり,とシャルルを見るエリィ。ひとつ溜息をついて,シャルルが言葉を継ぐ。
「簡単に言うと,型を教わっていたんだ」
そこでついに,ノエルがゲラゲラと笑い出す。
「よかったじゃないかハーディ。お父さんを倒す特訓中だとよ」
「むむむ…」
きょとんとする当の二人。
(これで通じないんじゃ,やっぱりまだまだ心配するのは早いぜお父さん…)
ノエルはシャルルに近寄るとその肩をポンッと叩く。
「まぁがんばんな。応援してるぜ」
踵を返し,オクテ君,と小さく付け加えると,ノエルは背中越しにひらひらと手を振って部屋を出て行った。
「それにしても…ずいぶん頑張ったわねー二人とも」
はたはたと手で仰ぎながらフレイアが言う。すでに彼女もうっすらと汗をかき始めている。
「なんでわざわざ,こんなところでやってるの?」
「お…おう,そうじゃそれじゃ」
そこでやっとハーディが落としどころを見つけて相づちをうち,フレイアの苦笑を誘う。
「いくつか理由があるんだが…最大の理由は,狭いからだ」
「わざとってこと?どうして?」
「先日のあれで,自分の欠点が見えたんだ。…というより,”風”のやり方に合わないところといったほうがいいか…」
「合わないところ?」
「見た限り,小回りの利く連携がここのやり方だと思ったのさ。フレイアやノエルの役割なら…コンビの動きの隙間に攻撃を差し込んでいただろう?ハーディやアラウドの戦い方は逆に,その隙間から相手が敵の急所を狙えるような戦い方をしていた」
「ほぅ…あれだけでそこまで見ておったのか」
ハーディが感心する。それも重大なミスにつながる原因だったんだがな,と内心苦々しく思いながらシャルルは続ける。
「ところが,だ。俺は記憶が無い…せいかどうかは分からんが,戦い方が適当なんだ。だから,エリィの攻撃の隙間に自分のそれを差し込むこともできなければ,逆にエリィが差し込みやすい立ち回りもできない。つまりは,フォワードにもバックアップにもなれなかったんだ」
後先考えない適当なつまみ食いならさして問題も無いのだろうが,それでエリィのリズムが崩れてしまうのも考え物だからな,と心の中で付け加える。
「ふむ…」
「そこで,まず整った攻撃の型をいくつか覚えることが必要だと思った。あくまでいくつかだがな。で,小回りを利かせる練習には広い場所は向かないと思った。むしろ狭い場所で自由に動けるようにしておくほうがいいはずだ」
「確かにそうね」
「で,エリィなら何とか流…の皆伝だから効果的な型を教えてもらえるし,何よりその型を使うことで,エリィとの連携は格段に良くなるはずだと考えた」
「むむむ…」
ハーディが唸る。
「部屋を閉め切ってわざと熱気をこもらせているのは,そのほうがスタミナがつくとエリィに教えてもらったからだ。まぁ…過酷な環境につきあってもらってるのはちょっと心苦しいがな…」
「気にしないで。このところご無沙汰で,ちょっとなまってたのよ。私自身もいい訓練になっているわ」
(あー…これはまったく,反論の余地もなくノエルの完全勝利ね…)
まだまだ仲間とバカ騒ぎをしているほうが楽しい,脳みそ筋肉の格闘バカ…。にっこり笑うエリィをみてそう思い,先は長いわね…とつぶやきそうになって慌ててフレイアは口を押える。そこでハーディが口を開いた。
「少し…見せてもらって,いいかのぅ?」
「ん?練習をか?」
無言で頷いて部屋の隅へと移動する。フレイアも様子を伺ってくるシャルルに頷いて見せ,それにならう。二人は向き合うと,左の掌と右拳を合わせて挨拶を交わす。
次の瞬間,直線的な蹴りの応酬。回し蹴りも膝を折って小さく回り,より直線的に蹴り込む。大きな動きがないため全体的な展開も必然的に早くなり,息もつかせぬほどの攻防となる。空を切る音,激しい息遣い,それらが一分,二分と続いていく。
「おお…」
思わず感嘆の声を漏らすハーディ。だが,シャルルの感覚の中ではそれは大した速さではない。彼はむしろ,攻めにせよ受けにせよ教わった型を崩さないことのみに集中していた。それが崩れない限りは,軸足が一定の範囲を踏み外すこともない。部屋に敷き詰められた正方形の石畳。彼の肩幅程度のそれを踏み外す程崩れてしまえば受け損ね避け損ねで蹴られて終わるが,崩れなければ一定のサイクルでどこまでも繰り返せるのだ。終わらせずにどれだけ長く続けられるかが彼の課題であった。
「んっ!」
しかし彼の場合は,蹴られるばかりが終わりではなかった。型を崩した焦りが不必要な力を生み,エリィの受けの速度を上回る,美しくない蹴りが出てしまう。
「す,すまん…」
何度目かのそれがエリィのわき腹をかすめて,終わりが訪れる。時間にして五分ほど続いただろうか。二人はまたさっきの挨拶を交わして終了する。
息を詰めて見守っていたフレイアも,それを合図にしてふぅっと大きく息をついた。
「凄いわね,たった数日でここまでになるなんて」
「いや,まだまだだ。せめて十分は続けられるようにならないと…」
ベッドの上から水筒をとって一つをエリィに渡し,ごくごくと中身を飲み干す。
「一日中,これやってるの?」
「いや。型だけでもいくつかパターンがあるし,技ごとの練習もやっている」
結局,食う寝る以外はそればっかということか。どこが,あくまでいくつかなのだろう。まぁ他にやることもないのなら気が済むまでやればいいか,とフレイアは心の中で溜息をついた。
「そうだ,フレイア。実は頼もうと思っていたことがあるんだ。」
そこでシャルルが思い出したように口を開き,思いもよらないことを言い出す。
「少し,魔法のことを教えて欲しいんだ。素質があるのかどうかは分からないが,少しばかり気になっていることもある」
「驚いた…魔法まで覚える気?」
「あくまで興味だよ。そうそう何でもかんでもが簡単にできるとは思っていないさ」
若いわね。とふっと思う。そういえばこの男はいくつなのだろう。何かを警戒するような物腰と思慮深そうな言動からそれなりの年齢かとも思っていたが,よく見れば顔立ちにはまだあどけなさも残っている。
記憶を無くしているという話だから聞いても無駄だと思うが,案外エリィとは齢が近いのかも知れない。一番近いノエルでも彼女とは十年近い開きがあるから,いろいろといい刺激になっているのかも…。
(あれれ…?)
そこで自分の反応がいつもとあまりにも違うことに気づき,額に手をやって自分の状況を確認する。特に精霊の影響があるわけではなさそうだ。ということは,俗な言い方だが若さと熱気にあてられたということか。
(まぁ…それが目当てだったってのもあるけどね…)
自分が居たのは何の変化もない刺激に乏しい世界。もともとはそれに疑問を感じ,自分に比べればはるかに短い一生の人間に興味を持って飛び出してきたのだ。
ハーディに出会って紆余曲折の末行動をともにするようになり,ノーブルからエリィを預けられてからは彼女の成長を楽しく見守ってきたが,今また成り行きで行動をともにするようになったこの男が今後彼女にどんな影響を与えていくのか。なかなか面白い事になりそうな予感がする。
「…フレイア?」
シャルルが様子を伺ってくる。仕草を見て呆れられたとでも思ったのだろうか。
「あぁごめんごめん。…オッケー,その熱意に負けたわ。協力する」
「助かる」
流星の…と,そこで唸り続けていたハーディが口を開いた。その目に明確な意思をみなぎらせ,しかし静かに彼は言った。
「お主には感服した。あらためて嬢ちゃんのこと,よろしく頼むぞい」
「?お,おう…」
どう反応していいのかわからず曖昧な返事をするシャルル。
(あらら…お父さんが先に落ちちゃったみたい…)
あてられたのは自分だけではなかったようだ。すぐに部屋を出て行ったノエルは,その意味でも正解だったのかも知れない。
ま,いいけどね,面白いし。フレイアはまた苦笑した。




