初陣
それから数日して,敵軍が現れたとの報告が入る。先遣隊といった規模の妖魔の軍団。ゴブリン,オークと言った下級の妖魔が大多数であり,魔獣などの姿は見えない。
連合軍は橋を渡り,正面から迎え撃つ態勢を取る。エリティア軍の部隊と”風”の役割は,敵の前線にくさびを打ち込んで崩しながら,指揮系統の分断を狙う事である。
「まぁ…報告に間違いが無ければそれほど苦労する相手でもなかろうよ」
気楽にノエルが言う。そんなものか,と思うが他のメンバーの表情にも緊張の色は見られない。
「シャルルにはイメージしづらいわよね。様子をみながら説明するわ」
とエリィ。あの程度の相手には遅れは取らないという揺るがない自信があるのだろう。ほとんど全く,散歩でもしているかのような気楽さだ。これなら,あれ以来の懸念も杞憂に終わりそうだ。ハーディの様子をちらりと再確認し,その様子に変わりがないことを見て取って内心ほっとする。
「普通は,まず適当な距離から弓矢の応酬が始まるわ。後衛の弓矢部隊が前衛の頭の上を飛び越えるように射るから,矢の雨が降ってくるような感じね」
ザアッ,という音。頭の上を前方に向かって大量の矢が飛んでいく。前方を見れば敵の放った矢が放物線の頂点から落下をはじめ迫ってくるところだ。
「前衛は,第一射はまず凌ぐわね。統率のとれた騎士団とかだと,盾で壁を作って防いだり,魔法兵が防御魔法をかけたりするわね」
「あぁ,上空にたくさん舞っているのはそれでか」
先日見せてもらった風の妖精らしきものが,迫ってくる矢のある程度を逸らしていく。
「さすがはアリシアの第三軍だねー。精霊魔法も使えるんだよねー」
とフレイア。精霊魔法も,という言い方にひっかかるが,それを聞いている暇はさすがにないだろう。しかし彼女自身は特に魔法を使っている素振りもない。
「私らはこの程度は問題ないからね。後に備えて無駄な消費はさけないと」
それに気づいた彼女はぺろりと舌を出しながら,抜き放った細身の剣で矢を叩き落とす。
「なるほど…」
言いながらシャルルも数本の矢を無造作に手で掴む。
「さてそれじゃいきましょ。第一射を凌いだら,前衛は突撃するわ。ぶつかってしまえば矢の雨を降らせるわけにもいかないから,人手が不足している時は前衛が矢を射たりすることもあるわね」
言い終えると周囲に混じってエリィは走り出し,一同もそれを追う。いちおう,約束を意識してシャルルはエリィのやや後方を並走する。
「大部分は下級の妖魔だから,物理的な殴り合いになるわね。たまに魔法を使ってくるのがいるから,気を付けて」
「どう気を付ければいいんだ?」
「えーと…気合いね」
「…」
「そんな胡散臭そうな目でみないでよ…攻撃魔法は割合見て分かるから対応しやすいけれど,眠りとか混乱とか,精神に作用する魔法は突然襲ってくるから,気をしっかり持って抵抗するってこと」
「あぁそういうことか…」
緊張感のない会話をしてはいるが,エリィはすでに両手の指以上の妖魔を蹴り飛ばしていた。あるものは攻撃の暇を与えず出会い頭に一撃。あるものは足に付けた甲で攻撃を受け流し崩れた体にカウンターで一撃。実に無駄のない洗練された動きで,軽やかに踊っているだけのようにも見える。
対して自分はといえば,剣を使うことも無く適当に相手の攻撃をかわして適当に攻撃。妖魔とはいえ無闇に殺してもいいのかなどと場違いな事を考えながら,体当たりや蹴りで飛ばすだけである。そういえばエリィは皆伝だったな,基本の蹴りを一つ二つ教えてもらうのもいいかもな,などとふと考えて,何をやる気になっているんだと自嘲の笑みを漏らす。
他の仲間はどうなのだろう,と見回すが,全員が危なげない戦いぶりである。ハーディとフレイアは連携して戦っていた。敵の攻撃をハーディが戦斧で受け止めればその隙間からフレイアが急所に細剣を突き入れる。フレイアが敵を翻弄すればその隙にハーディの重い一撃。流れるような連携で,かなりの場数を踏んできたことを感じさせる。大剣を振り回して薙ぎ払うアラウドと,小剣を両手にそれぞれ持ったノエルも,同じような役割分担で戦っていた。なるほど,剛と柔の組み合わせで連携しているのか,と納得する。
(おっ?)
突然,地中から半透明の腕のようなものが生えてきて,足をつかもうとしてきた。しかしシャルルはそれをひょいとかわす。
(なんだ…?)
「魔法よ!気を付けて!」
その問いに答えるかのようなエリィの短い警告。そちらを見ると,彼女はその腕を振りほどいたところだった。一同もそれぞれ振りほどきにかかる。
「生意気なんだ…よっ!」
ノエルが懐から短剣を取り出して一閃。そちらを見ると,のど元から血を吹き出しながら倒れる妖魔。どうやら術者を仕留めたらしい。
「精霊魔法か…」
「だね。大地の精霊の力を借りて動きを止めるやつだよ…って,やっぱり見えてるんだ。すごい素質だね」
と,フレイア。素質があるなら,もし教えてもらったら使えるようになるのだろうか。などと考えてまた自嘲の笑みを漏らす。先日とは違うが,今日もどこか調子が狂っているのかもしれない。
(ん?)
突如,至近距離に半透明の何かが現れ,何かを投げつけてくる。
(…砂?塩?粉か…?)
ひょいっとそれもかわすシャルル。
「眠りの魔法よ!気を付けて!」
エリィの警告。彼女はぐっと四肢に力を入れて眠気に耐える。
「むぅ…」
ハーディの体が大きくぐらりと揺れる。抵抗に失敗したのか?と思ったその瞬間,彼の頬がパァンッ,と小気味良い音を立てる。
「朝よっ!」
それはフレイアの平手打ちだった。ハッと意識を取り戻すハーディ。単なる物理なのか,それとも精霊使いの打撃には特殊な効果があるのだろうか。
「おぅ,おはよぅ」
「ちょっと気を抜きすぎだよ?」
「すまんすまん」
緊張感の無い2人の会話のかたわらで,またノエルが短剣を投げる。
「エリィ,どうやら結構魔法使いが居るようだ。早めに突っ込んでかきまわした方がいい」
周囲を見ると,足を取られて転ぶ者,パニックに陥っている者が目に飛び込んでくる。
「そうね!行きましょう!」
「オッケー、んじゃいくよー」
フレイアがそういって,突然声の調子を変えた。
〔誇り高き戦乙女,輝かしき命の担い手,麗しき風の乙女,集い来たりてその力我が朋輩に分け与え…〕
いや,変えたというよりは全く別の言葉を発しているようだ。だがなぜか,その言葉が何を意味しているのかをシャルルは理解することができた。
(む…)
なぜだろう,と考える間もなく周囲に複数の精霊が現れ,まとわりつこうとしてくる。シャルルはまたそれらをひょいひょいとかわす。フレイアの怒声。
「こら!そこ!何遊んでるの!よけちゃダメでしょ!」
「あぁ…やはりそうなのか」
苦笑しながらされるに任せる。
(うぉ…これは…)
精霊が次々と,ゆっくり自分の中に溶け込んでくるような感覚。おそらくは例のあれのせいなのだろうが,溶け込んでくる部分を中心にぞくぞくとした刺激が広がり顔をしかめる。
これが先ほどの攻撃だったら…と考えてぶるっと身震いする。それが終わると得体の知れない勇気が心の奥から湧き上がり,四肢には力がみなぎり,身体は軽くなった。
(…)
絶望感と虚無感があるのにわけもなく気力が充実し力がみなぎった状態。これもなかなかに不気味である。
「”風”,参ります!」
エリィが近くに展開している突撃部隊に聞こえるように宣言し,彼女を先頭に一同は走り出す。精霊の加護を受けてその動きは速い。
「右は俺とアラウドで引き受ける。左は…」
「はいはーい」
「任されたぞい」
素早く陣形を整える。エリィがくさびの役割を担って前方へ押し出し,それを両翼のメンバーが押し広げて突破口を切り開いていく。そこへ後続のエリティア突撃部隊が入り込んで敵軍の前線を切り崩す。
(それにしても…)
意外だったのはノエルであった。戦闘が始まるまではもっともだらけていたような彼が,いざ戦闘が始まると実に的確な指示を出している。周囲にも目が届いているようで,常に先を読んだ行動を取っているようだ。過去の詮索は無しということだったが,どこでどのような経験を積んできたのだろう。出番もなく暇を持て余すシャルルはエリィの後ろでそんなことを考えていた。だが,その時点ですでに彼は大きなミスを犯していた。
「ダークエルフ!おそらくあれが本命だぞ!」
ノエルが言う。こちらの狙いに気づいたのか,両翼の部隊を前面に押し込むようにしながら後退をはじめる一団。
「逃がしはしないわ!」
(…まずい!)
エリィが踏み込み蹴りを連発して突撃の速度を上げる。しかしその結果両翼と彼女の間に空白ができ,敵は両側からそこへも割り込んでくる。
「ちぃっ!」
シャルルは地を蹴る。まず右から来る妖魔へ向けて飛び蹴り。精霊の加護も得た全力の蹴りは,もっとも先頭のゴブリンの胸へめりこむ。骨が砕けていく感触が,装甲越しで幾分鈍いながらも彼の足に伝わる。
(うっ…)
なかなかに不快な気分だ。少なくとも自分の骨では決して味わいたくない感触だ,と思いを新たにする。しかし今はそんなことを言っている場合ではない。すべての衝撃を受け止められるわけもなく,一瞬でただの肉塊と化したゴブリンは後続に接触する。その瞬間を狙ってシャルルは足に全力を込め,妖魔たちの身体を踏み台として逆方向へ跳ぶと,同じ要領でまた先頭の妖魔を蹴った。
「おおっ!」
「なんと!」
ノエル,ハーディが同時に声を上げる。右から来た妖魔の群れが,まるで攻城槌の一撃でも食らったかのように吹き飛び,その一瞬後には反対側の妖魔が同じく吹き飛ぶ。不自然に開けた視界と予想外の空白の時間が,一人の男の蹴りによって唐突にそこに現れたのだ。ほんの小さな,だが紛れもない無人の野。そこに無造作に立つ男。その男が叫ぶ。
「エリィ,出すぎだ!」
「えっ…?」
だがそのタイミングが悪すぎた。エリィが我に返ってこちらを見た瞬間,その向こうにゆらゆらと火をまとったトカゲのようなものが現れた。突出しすぎたのが仇となったのか,集中的に狙われたのだろう。かなりの数だ。それが無防備なエリィに向けて襲い掛かってくる。
「しゃがめ!」
エリィに向かって跳躍。反射的に身を沈めた彼女の上を飛び越え,襲い来るそれに向けて蹴りを放つ。だがそれはさすがに甘かった。実体を持たないそれには当たるはずもなく,空中ではかわすこともできない。結果としてシャルルはそのすべてを食らってしまう格好となった。
「ぐっ!」
次々と取りついて来る火トカゲ。取りつかれた部分からじわじわと広がりだす熱さと苦痛。
(しくじったか…だが,まだだ,まだ終われん!)
ここで進撃が止まってしまってはいよいよ無駄骨だ。シャルルはいちかばちか,全力を込めて指揮官と思しきダークエルフへ剣を投げる。それは一直線に飛んで,相手の胸を貫通した。
動きが止まり,喀血して倒れるダークエルフ。だがそこまで見るのがやっとであった。シャルルは熱さと苦痛に意識が遠のいていくのを感じた。ぼんやりと浮かぶ,死の意識。
(随分予定が狂ったが…まぁ…いいさ…)
そう思ったのを最後に,彼の意識は闇に飲み込まれた。