依頼
「なん…だと?」
耳を疑うシャルル。それは明らかに理解の範疇を超えていた。もっとも疑いの眼差しを向けられていたはずの相手から,まさかの頼み。
「魔法男?突然何を?」
他の面々にとっても意外だったようだ。ハーディが驚いた表情でまず口を開く。
「突然も何も,当然の帰結だと思いますが?姫の安全を最優先に考えればこそ,もっとも実力のある流星殿に託す」
「む…まぁそれはそうじゃな」
(おい…それでいいのか?)
それだけであっさり引き下がるハーディ。ちょっと待って,と今度はフレイアが口を開く。
「実力があるだけでそんな重大な決断をするなんて不自然だわ。もっと肝心なことを聞かないと,私は納得できないわよ。」
「と,言いますと?」
「ノーブル。あなた何を見たの?それとも,何を聞いたの?何を知ったのよ?」
「…エルフ殿。仰ることの意味が,分かりませんが…?」
珍しく,ノーブルの声に動揺の響きが混じる。自分すら知らない何かを,この男は知っているのか?努めて平静を装うが,卓の下で手に汗を握るシャルル。
「…」
ちらり,と一瞬ノーブルはエリィを見た。それは見られた本人を除く,彼の様子を見守る全員がそれと認識しただろう。
「あ,なるほどねー。分かったわ。それじゃぁしょうがないわね」
それで納得するフレイア。
「ご賢察,痛み入ります」
一礼するノーブル。その声は既にいつものものだ。
「む?むむ?どういうことじゃフレイア?」
「え?今ので分からなかったの?やっぱりだめねー」
フレイアはハーディにぼそぼそと耳打ちする。なるほど,とハーディ。その視線がこれまた一瞬,当の本人には分からないようにエリィの方に向けられるのをシャルルは見逃さなかった。
(…なるほどそっち方面に誤解しているのか…)
すかさずノーブルの様子を探ってそれが誤魔化しの手段であることを確認しようとする。しかしそんな内心を見透かしているのかいないのか,微笑を浮かべる魔法使いからは他のどんな様子も読み取ることはできなかった。
「待てよノーブル。俺は納得しねぇぜ」
動揺のあと,腕を組んで苦い表情を崩さなかったノエルがそこで口を開く。そこには明らかな怒りの響き。
「盗賊殿?どういう…」
「どういうもこういうもねぇ!」
ダンッ!と拳で卓を叩く。他の客からはそれなりに離れたところへ陣取ってはいたが,それでも周囲の視線を集めはしなかっただろうかと様子を探ってしまうほど大きな音を立て,しかしそんなことにはお構いなしでノエルは怒りの目をノーブルに向ける。
「てめぇ!前回も不参加じゃねぇか!やる気あんのか!話題を逸らして逃げようったってそうはいかねぇぞ!」
(…)
こめかみを押さえるシャルル。ノーブルはちょっと口元に手をやって考える素振りを見せたが,ややあって何かを決意したかのような表情になると,まっすぐノエルを見据えて言った。
「…その件についてはすみません。まさか二回連続で同じ依頼元になるとは思いませんでしたので…」
「なに?どういうことだ?」
「できれば内緒にしておきたかったのですが…そこまでお怒りなのであれば話さなければなりませんか…」
「う!?…まさかそれは…いや…しかし…」
途端にうろたえるノエル。その反応に何の脈絡も見いだせず目を丸くするばかりのシャルルに,エリィが耳打ちした。
「まだ話してなかったわね。”悠久の風”にはいくつかのルールがあるんだけど,その一つに,メンバーの過去は詮索しない,ってのがあるの」
「…素敵なルールだな…」
脱力するシャルル。しかしなるほど,妙に楽天家が多いこのパーティならばそんなルールがあっても不思議はない。ノーブルのこれまでの振る舞いには多少不自然な点もないわけではないが,いきなりエリィの事を頼んできた事にもそれなりの説明はつけられる。だが待てよ,そうすると,さっきの誤解は実は誤解ではないのか…?そういえば,真っ先に真意を問いただしてもおかしくないはずのエリィがなぜかおとなしい。ノーブルの思わせぶりな態度や,こちらは単に気づいていないだけかも知れないがフレイアのお約束な納得にも動じたふうがない。
会話の主導権は,タブーに自ら触れようとするノーブルが完全に握っていた。しょうがないわね,といった表情で成り行きを見守るエリィ。その横顔を我知らず見つめ,シャルルはそこでハッと我に返る。
(何をしょうもない事を考えているんだ俺は…)
自虐の雲がむくむくと心に湧き上がる。それを何とか抑え込み,アレはただのお節介,と心の中で何度か繰り返すと,肩をすくめて溜息を一つ。きっと商店でノーブルと話していたのはこれだったのだろう。
面倒なことにさえならなければ構わない。いやすでにかなり面倒だが,なるべく被害を減らさなければ…。
「いえやはり,ここは語っておきましょう。…お気になさらず。当たり障りないところだけにとどめておきますので」
それが結論となった。お,おう,と首肯するノエルはすっかり気勢を削がれて歯切れが悪い。
「実はですね…アリシアの国軍には顔見知りが結構いるので,見られるといろいろとまずいのですよ…といったところで勘弁してください」
「あー分かったよ。悪かったな」
それだけでも随分タブーに踏み込んだ,という認識なのだろう。気まずそうな表情でぼりぼりと頭をかきながら,ノエルが謝る。
「しっかしどうするか…前金受け取っちまったんだよなー。宿代もそっから払ってるしなー…」
「その件は申し訳ないとしか…」
「あ?」
その時フレイアが素っ頓狂な声を上げる。その視線が自分の後ろに向けられていると知り振り返ったシャルルは,いつの間にか大男にすぐ後ろに立たれていたことを知る。いくらしょうもないことを考えていたとはいえ,全く気付かなかった。自分の感覚が鋭いかどうかは疑問だが,かなりの実力者なのかもしれない。
「あ…アラウド!?」
エリィの驚きの声。その名には聞き覚えがあった。瀕死の重傷を負って,まだ当分は安静の筈の…。
「大男殿?傷はもう良いのですか?」
「当分安静のはずじゃろ?大丈夫なのか?」
両名の問いにそれぞれ頷いて見せ,アラウドと呼ばれた男は空いている椅子に腰を下ろした。
(ここのメンバーなら,かなりの実力者とみたほうがよさそうだな)
と勝手に結論付けるシャルル。
「ほんとに大丈夫なのか?大丈夫なら…いや,無理はするなよ?」
アラウドはノエルにも頷いて見せると,それとなく様子を伺っていたシャルルに視線を向ける。
「あぁそうね。紹介しないと。シャルル,彼がアラウドよ」
「…シャルル=ナズルだ。成り行きで加わることになった。よろしく頼む」
「シャルル…ナズル…?」
シャルルはまたしがらみが増えるのだろうかと内心でうんざりしながら握手を求めた。しかしアラウドは思わぬところに反応する。単なる思い付きで言った名前。偶然の一致でノーブルが反応した,今はほとんど誰にも知られていない筈の名前。
「大男殿?ご存じなのですか?」
どうやらノーブルにも意外だったようだ。一体何者の名前だというのだろうか。しかし答えはあっけなかった。
「…心の師と,同じ名だった…」
アラウドはしばしの沈黙を挟んでぽつりと言うと,握手に応じた。ごつごつとした固く大きな手。病み上がりのせいかひんやりと冷たい。
「本当に大丈夫なのか?大男?お主らしからぬ無口っぷりじゃぞ」
大丈夫だ,とそれだけを言うアラウド。
「それじゃ今夜はこれでお開きにしましょ。ゆっくり休んで,少しでもコンディションを整えないとね」
「あ,あたし部屋の追加頼んでくるね」
フレイアがパタパタと小走りにかけていき,他のメンバーも一人,また一人とその場を後にする。フレイア待ちのアラウドとそれを気遣うエリィを残し,シャルルもあてがわれた部屋へと向かった。
(ん?…待てよ…まてまて…)
中に入って鍵をかけ,ベッドにそのまま倒れこんだ時,彼は唐突に気づいた。結局,自分はノーブルに返事をしていない。ノエルが明後日の方向に怒り出し,アラウドが現れて,結局それでうやむやになってしまったままだ。その件について誰も何も言わなかったが,単に忘れているだけなのだろうか。それとも既に決定したということなのだろうか。
(誰かに聞くしかないか…)
いくら考えたところで分かるはずもない。さて誰に聞くべきだろうか。頼み主のノーブルはまず除外。経緯がじゅうぶん伝わっていないはずのアラウドも除外。フレイアではあらぬ方向へ持っていかれる可能性がある。ノエルもあの様子ではまともな答えは望めまい。残るはエリィとハーディのどちらかだが…。
(ハーディだろうな,やはり…)
エリィの表情が曇る,と真っ先に考えてしまうあたりやはりどこか調子が狂っている。無論記憶が無いのでその真偽は定かでないが,そういうことにしておくのが良い気がした。
父親代わりと言ったハーディに娘の事を尋ねるのも何ともきまり悪いような気もしたが,やむを得ない。放っておいて明日面倒な事になるのは最悪手だ。結構な時間あれこれと思い悩んだ末にその結論に至ったシャルルは,ベッドから起き上がり,鍵を開けて外へ出た。部屋へ入るハーディの後ろ姿を見たのは,確か隣の部屋だった筈だ。
「ハーディ,居るか?」
隣の部屋の扉をノックする。ややあって扉が少しだけ開き,中からハーディの顔がのぞいた。
「流星の?どうしたんじゃ?」
”悠久の風”の中では,ノーブルとこのハーディが独特な呼び方を好んでいるようだ。ノーブルがそう呼んだのを聞いてまねたのだろう。
「ちょっと聞きたいことがあるんだが,いいか?」
「ふむ…外でも構わんかの?」
頷くと,ちょっと待て,と言い残してハーディは扉を閉めた。ややあって,ラフな格好で再び姿を現す。あまり他に聞かれたくない話でもあり適当な場所へ移動して,と思ったがちょうどいい場所も思いつかず,結局シャルルは自分の部屋へとハーディを招き入れた。
「して,話と言うのは?」
椅子にゆったりと腰を掛け,くつろいだハーディが言う。シャルルはベッドに腰を降ろしたが,こちらはくつろぎすぎずかしこまりすぎずの自然な格好に落ち着くのに苦心していた。
「さっきの話なんだが…」
「む?さっきの話?…何じゃったかのぅ?」
真剣に考え込むような素振りを見せるハーディ。
「ノーブルが俺に頼みごとをしてきた話だ」
「嬢ちゃんの護衛の話か?何か腑に落ちん点でもあったかの?」
と言って目を丸くするハーディ。あれが腑に落ちる方が不思議なのではないだろうか,と思いながらもシャルルは本題に入る。
「俺は返事をしていない。というかその機会さえ無くお開きとなったのだが,どう判断すればいいんだ?」
「む?流星の,お主…」
きらり,とハーディの瞳に不穏な輝きが宿る。
「俺の意思はここでは関係ない。事実あの場でも確認はされなかったしな。俺が聞きたいのは,あの流れでどういう了解がされたのかだ」
予想通りだなと内心苦笑しながら,シャルルは用意していた言葉を繰り出す。
「あぁなるほど。そういう事じゃったか。それはすまんことをした。…気にはせんでよいと思うぞ?」
「…は?」
あまりに予想外の言葉が返ってきて面食らうシャルル。
「お主が明日どう行動しようが,それはお主の勝手ということじゃ。あの場の誰も,お主に負担を背負い込まそうなどとは思っておらんかったよ」
「しかし…それではノーブルの言葉が…」
「あーあれはじゃな,嬢ちゃんにブレーキをかけたのじゃ。お主じゃったので儂らもちと驚いたし,何も知らぬお主には余計驚きじゃったろうが,話自体はいつものお約束じゃよ」
ハーディがからからと笑う。
「ブレーキ,というのは?」
「お主も気づいたのではないか?嬢ちゃんはあれでなかなかの格闘バカでな。ちと逆境に置かれたりちと骨のある相手に当たると途端にのめりこむのじゃ」
「あ,あー…」
シャルルの脳裏に,鮮やかにその様子が蘇る。あの嬉々とした表情。我知らず微笑が浮かぶ。
「ところがそれで突出してしまうこともままあってのぅ。こちらとしてはもっと慎重になってほしいところじゃが,本人に言ってもきれいに忘れてしまう。そこで,ああいう言い方で意識をそちらに分散させ,のめりこみ過ぎんようにしとるのじゃ。儂が育てておいて何じゃが,かなりのお節介焼きにも育ったからのぅ。」
苦笑しながらハーディは続ける。
「仲間に負担がかかるかもと思えば自然に踏みとどまる。突出さえせねば嬢ちゃんを危機に追い込める相手などそうそうおらんよ。いざとなれば儂らも全力で援護に回るが,この方法にしてから危機らしい危機を迎えたのはたったの一度だけじゃ」
「なるほどそういうことか…了解した」
ほっとしてシャルルは言った。しかし今度は逆にハーディが懸念を口にする。瞳にはまだあの不穏な輝きが宿ったままだが,警戒を緩めてしまったシャルルはそれを見逃した。
「ただのぅ…できれば,少し様子を見てやってくれんか。今回は,実はちと心配でのぅ」
「なぜだ?」
「正直な話,これまでのブレーキ役よりもお主が圧倒的に強すぎるんじゃ。何せ嬢ちゃんを完封するくらいじゃからな」
「つまり…エリィが,いつもより安心してしまうということか?いつもなら負担でも今回は負担にならないと?」
「そういうことじゃな。皮肉なことに今回のブレーキは,ブレーキとしては効きが悪い」
「…」
それはまずい。それでは結局,エリィの身に何か起こればすべて自分の責任ということになる。いつ死んでも構わないと思っている自分が他人の命運を左右するなど,冗談ではない。
「そこでじゃ。お主には,嬢ちゃんの敵をそれとわからんようにたまに横取りしてほしいのじゃ」
ハーディがまた妙なことを口走る。しかし話の主導権は完全に彼に握られていた。
「横取り?」
「理屈はこうじゃ。嬢ちゃんはお主の強さを熟知しておる。しておるからこそ,いつもより戦いにのめりこみやすい。ということは,ついついお主が護衛に入っていることを忘れることが多くなるということじゃ」
「…道理だな」
「そこで。視界に入る敵はすべて自分の手で仕留めにかかる嬢ちゃんに,視界内の敵を横取りすることでお主の存在を見せる。ただ視界に入っただけでは味方と区別されるだけでおしまいじゃが,それをすることで強制的に認識させるのじゃ。それでブレーキをかける」
「ふむ…」
「お主ほどの実力者ならさしたる苦労もなかろう?逆に,お主からその余裕が消えるようなら,それはすでに嬢ちゃんの手にも余る。逃げの一手じゃ。が,そんな状況はまず滅多に起こらんはずじゃ」
「…あまり買いかぶらないでくれよ?」
もはや選択の余地はなさそうだ。面倒でないといえば嘘になるが,置かれた状況の中ではもっとも面倒が少ない提案だろう。シャルルにはそう思えた。
ハーディは立ち上がると,嬢ちゃんを頼むぞ,と言い残して部屋を出た。自分の部屋の前まで戻って来ると,様子を伺う。誰も見ていない事を確認して彼が中に入ると,そこにはフレイアとノーブルの姿。
「首尾はいかがでしたか?ドワーフ殿」
「上々じゃ。まさかあれほど見事にはまるとは思わんかったぞぃ」
「ほんとノーブルって,悪だくみも巧いわよね」
にやにやしながらフレイアが言う。
「人聞きの悪い。少なくとも,理屈のところには嘘はまったくありませんよ?姫には慎重に行動してほしい。しかし万一に備えてもっとも実力のある流星殿に護衛を頼みたい。間違いありません。流星殿に負担をかけるような戦場なら,留まるのは下策です。これも間違いありません」
涼し気な表情で答えるノーブル。しかしそこでちょっとだけ表情を曇らせ,付け加えた。
「問題は魔獣が出てこれるのか,これるならばどのタイミングか,ですね。前回はそれで完全にしてやられましたし,大男殿もさすがに復調とは言い難いと見ました」
「じゃのぅ」
「楽な戦場なら良いのですが状況は日に日に厳しくなっています…頼みますよ,流星殿」