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漆黒

「全軍,進め!マイシャ砦を取り戻すのだ!」

クリミアの号令のもと,連合軍は帝国軍の立てこもる砦へ突撃を開始する。数的優位に立っているであろうことを考えれば,門さえ突破してしまえば容易に落とせる。攻城槌が門にとりつくまで守り切るのが第一目的であった。

「まぁ今回は楽っちゃあ楽かな」

前線を見やりながらノエルがのんびりと言う。

「伏兵も無し,迎撃も無し,せいぜい気を付けるのはトカゲぐらいだろうし,出番もなさそうだ」

「蟹…はどうだ?」

「居ないとは言い切れんが。これまでと違ってこっちが囲めるからな。第三軍も控えてるし,何とかなるだろう」

「流星君の怪我の事もあるし。今回は私たちは控えでいいかな」

「…悪いな,気を遣わせて」

「気にするなって。名を上げるにしたって,ガツガツやるってのはうちのスタイルじゃねぇからな。ランツの野郎が調子づくのは煩いが,今回は”火”の奴らに任そうぜ」

「そうね…」

複雑な表情のエリィ。

「ほ…嬢ちゃん今回はいつになく聞き分けが良いの?流星の,お主の怪我もまんざら悪い事ばかりではないのぅ?」

「そうですね。不幸中の幸いといったところでしょうか」

事情を知らないハーディに,しれっとノーブルが同調する。

「…すまん」

別の意味で,と心の中で付け加える。

「…う,うん。しょうがないよ…」

「そ…そういえば」

気まずさに耐えらえなくなり,話題を変えようとする一言。

「連合が反攻に出るのは,今回で二回目なのか?」

「そうですね。前回はルトリア王城の奪還作戦でしたから,反攻らしい反攻はそれ以来でしょうか」

「あー,思い出しただけでも腹が立つぜアレは…。行ける!と思った矢先に両側から…」

途中でノエルの言葉が止まる。

「どうした?ノエル?」

何でもねぇ,と頭を振るノエル。

「…どうもあの負けはいけねぇ。悪いイメージがついちまったからな。こういう押してる作戦の時にも,心のどっかに奇襲があるんじゃねぇかって思っちまう。…へっ,ヴァニティの野郎もなかなかやってくれたよ…」

「伏兵は無いんだろう?」

「…そのはずだ。この辺りの地形は熟知しているから,伏兵に適した場所は全て偵察している筈なんだ。その上にこの突撃があるからな…。それこそ,あの時みたいに魔法か何かで姿を隠してでもいなきゃぁ…」

「ちょ,ちょっとあれ!」

フレイアの叫び。見ると,下流側に突如数体の蟹とリザードマンの部隊が現れ,連合軍の側面へ突撃を始める。

「あっちもじゃぞ!」

上流側にはライカンスロープとオーガーの部隊。

「上からも来ますね…」

ノーブルの指し示す杖の先を見ると,砦の上空に無数の影。大部分はハーピーだが,それに混じって悪魔のような影。

「お,おいおい…ありえねぇだろ!あの大敗のあとにこの数だと!?」

ノエルの叫び。

「こっから向こうは,もう完全に帝国が掌握しちまったって事か?大型の魔獣こそ居ねぇが,本腰を入れてきてるとしか思えねえ数だぞ!」

見れば正面からも,門を開いて妖魔の部隊が迎撃に出てくるところだ。

「どうするんだノエル?このままじゃまずいぞ…」

「やるしかねぇな…見ろ。」

見ると,赤い装備の一団が蟹の方へ走っていく。

「キツいのは毎度のことだが,やることもいつも通り簡単だ。兵を分けて包囲してくるなら,各個撃破すればいい。奴らが蟹を抑えるなら俺たちは逆側だ。ライカンスロープとオーガーを止める。両側さえ止めれば,上空からの敵は第三軍が止めてくれるはずだ!」

「フレイア!お願い!」

「はいはーい」

いつもの加護を受けて走り出す。

「エリィ,オーガーは俺たちでやろう。とにかくなるべく早く,より多くを戦闘不能にする」

「分かったわ」

でも大丈夫?と別の意味で心配してくるエリィに苦笑し,無理はしないさ,とこれも別の意味で返す。後ろにさえ気を付ければ,あとは剣で受け止めるだけ。蓄積された力を使えばさして苦も無く倒せるはずだが,そこは敢えて戦闘不能にとどめておこう。

(本来は苦戦する相手なんだろうな…)

オーガーのこん棒を剣で苦も無く受け止める。本来ならばそんなことはありえない。そのままひょいと振った剣で膝上の腱を切断し,体勢を崩しているにも関わらずピンポイントで持ち手の手首の腱を切る。そんなこともあり得ない。

(とはいえ…)

隣のエリィを見れば,ひらりひらりと攻撃をかわしながら肘と膝を砕いている。防具に乗せた魔力と皆伝の実力があればこのくらいはできるのだから,常人レベルと言えば言えなくもないのだろうか。

「次!」

エリィは次へ向けて走る。とはいえノーブルの補助魔法と違って時間制限はないから,それはあの時に比べれば随分と余裕のある行動だ。まさに友軍に斧を振り下ろした別のオーガーの肘を蹴り上げて砕き,膝を踏み砕きながらそれを踏み台に跳び上がると顔を蹴る。

「次!」

(おっといかんいかん…)

あまり離れるわけにもいかない。膝上と肘裏に剣を突き込んで腱を切り,エリィの方へ走る。間に割り込んで来るライカンスロープの膝下と手首を行きがけの駄賃に切り飛ばす。

「あ…」

エリィが声を上げる。そちらを見ると,正面から押し出してきた妖魔によって攻城槌が破壊されたところだ。

「これで籠られたら,時間稼ぎに変更するしかないな」

「そうね…ともかく,こっち側は撃退しておかないと」

「うむ」

剣を握りなおし,残ったオーガーに向かう。おそらく包囲が失敗したと判断した時点で,敵は兵を引いて守りを固めるだろう。そうなれば攻城兵器のないこちらはどうしようもない。トルサから新たな攻城兵器を持ち出して来るのも時間を要する。とりあえずは王城側の戦果を確認してそれから,ということになるだろう。

オーガーをあらかた片付けると,残った敵はじりじりと距離を取って,やがて王城側へ後退していった。下流側の蟹も”火”に悉く始末されたようで,残ったリザードマン達も川の中へと次々飛び込んで退いていった。

「深追いはするな,いったん態勢を立て直す!こちらも安全な位置まで退くぞ!」

クリミアの号令。正面の妖魔も退いていき,門は閉ざされた。これ以上の無理押しは兵力の浪費である。連合軍もいったん砦から離れ,そこに陣を張って対峙した。

その夜。連合軍にもたらされた情報は大いに首脳部を混乱させた。総大将のクリミアと副官のラルス,アリシア第三軍からはギルバートが出席し,また戦果を挙げた”風”と”火”の代表が特に参加を許されたその会議で,王城から駆けてきたアリシア騎士が驚くべき報告をしたのだ。

「何じゃと!?」

会議から戻ってきた代表,ノエルの言葉に真っ先に反応したのはハーディだった。

「王城側の攻撃部隊が…敗北じゃと?それは真なのか!?」

「…それは,分からねぇ。正直信じられねぇんだよ…」

「ど…どんな報告だったの?」

「それが…」

報告の話によれば,国境線付近を過ぎた攻撃部隊に帝国軍から使者があったという。使者の口上によれば,事を荒立てたくなくば兵を引け,引かねばアリシアそのものが貴君らの敵となろう。とのことだったらしい。

「…どういうことじゃ?よく分からんのじゃが…」

「女王に弓を引いたら逆賊,ってことかな?でもそれって…」

首をかしげるハーディとフレイア。

「そう,ありえねぇ話なんだよ。女王を悪党の手から取り返そうってぇアリシア騎士たちがアリシアの敵になるって,全く意味わからんよな」

だが,とノエルは続ける。その口上を一笑に付して進軍を続けた攻撃部隊は,山地を抜けようかというあたりで帝国軍の部隊と対峙した。しかし敵の規模はおよそ十。とてもまともに戦おうという規模ではない。

「…何かの策略?伏兵とか…罠とか…」

思いをめぐらすエリィ。

「まぁそうだよな。普通はそうなるんだが,そこでまた意外な展開になったんだと」

その中から一人が距離を詰め,口上を述べる。引き返せ,ここが有効範囲ギリギリだ,と。

「…有効範囲…?」

ぴくり,とノーブルが反応する。

「いえ,まさか…そんなはずは…」

「ノーブル?何か心あたりが?」

「エリティアからの山地を抜けたあたり,というのが気になったのですが…いえ,さすがに突拍子もない話です。盗賊殿,続きをお願いします」

「分かった」

攻撃部隊は結局その口上も一笑に付した。小規模の部隊しか居ないという情報もある。伏兵は置いていないだろうと判断し,攻撃を開始する。とはいえ相手はたかが十程度。騎士としての矜持もあり,まずは同程度の部隊が帝国兵に向かって突撃を開始した。

「ところが…だ。一合も交えないどころか,近寄った途端にバタバタ倒れちまったんだとよ」

「な…!?」

ノーブルが短く叫ぶ。

「やっぱ何か知ってんの?」

「会議じゃ,ギルバートも似たような反応をしてた…てぇことはやっぱ間違いないのか」

「…認めたくありませんが…どうやらそのようです」

「何じゃい,分かるように説明せんかい。さっぱり分からんぞい?」

「…どんな手を使ったのか分かりませんが…アリシア王城の防衛システムが向こうに掌握されたのでしょう」

「!?」

「ちょ,ちょっと…それって…そんなに簡単にできるものなの!?」

うろたえるフレイア。

「正直,ショックです…解除どころか逆に利用されるとは…しかし認めざるを得ません。ですが…アリシア王城が,帝国に味方しているなど…」

小刻みに震えるノーブル。およそ日頃の姿からは想像できない狼狽ぶりに,事の重大さが伝わってくる。

「…まぁ,続けるぜ」

どうやらその帝国兵は戦うためではなく,救助のためにそこにいたらしい。倒れたアリシア騎士を抱えて連れて来るのを,攻撃部隊はただ茫然と見るしかなかったのだという。そこで帝国兵はまた口上を述べる。ご覧の通りこれ以上の行動は無意味だ,速やかに退かれたし,と。

「それと…ここへの伝令を一人立ててくれ,無駄な損害はむしろそちらの為になるまい,道中の安全は責任を持つ…だとさ」

「こちらの作戦は全てお見通し,という事かの…」

「ここへきたその伝令は,帝国兵に護衛されていたようだぜ。だからこそ,王城側へ逃げてった帝国部隊にもやられずに済んだのかも知れねぇな…」

そこでノエルは肩をすくめる。

「これが全部ほんとなら…おっそろしい奴だぜヴァニティってのはよ。結局今回も無血…だろ?なんで敵に情けをかけてんのかは分からねぇが…明らかに常人のレベルから外れてる」

(…まさか…)

先ほどから得体の知れない落ち着かなさを感じていたシャルルは,そこでそれが急速に形になっていくのを感じる。

「で…会議はどうなったの?」

「そこなんだよなー…正直,常識を外れ過ぎててどこをどう信じてよいやらってレベルだろ?」

ぼりぼりと頭をかくノエル。

「ギルバートはノーブルみたいになってたから,どちらかってぇと即時撤退に賛成。俺も何となくヤバい雰囲気だから撤退容認だな。これだけなら姫さんも撤退を決断したかも知れねぇが…”火”のエース様がよぅ…」

「あー…ランツが出とったのか…」

「アイツなら…そんなのハッタリだ,とか言いそうだわ…」

「フレイア,正解~。一字一句間違わずにそう言ってのけてな。で,どうにもこうにも収拾がつかなくなっちまった。ところがだ…」

「まだ何かあるの?」

「あぁ。その伝令の後出しがまた強烈でよ…。ハッタリでない証拠を明朝お見せする,くれぐれも軽率な行動は慎むように,だとよ」

肩をすくめるノエル。

「なんと…」

「それは…」

「ヴァニティの指示だってんだが,俺らが掌の上で踊ってるような格好だよな。恥かかされたってんで,もうすっかりトサカに来ちまってるよアイツ…今夜はいつにも増して絡んで来るから出くわさんほうがいいぜ?」  

「じゃぁ…結局明日の朝待ちって事になったのね?」

「そういうこった。どんな証拠を見せてくれるのか分からんが…まぁそこで俺らを殲滅,ってのも現実的じゃ無いしな」

結局それでお開きとなり,明日の朝を待つばかりとなった。戦地での野営は夜襲に備え,武装した見張りを立てて交代で睡眠をとる。周囲は味方兵ばかりだが,シャルルとエリィが見張りを行っていた。

「…シャルル?どうしたの」

エリィは,ふらりと立ち上がり歩いて行こうとするシャルルに声をかける。

「あ,ああ…ちょっと気になる事があってな」

「気になる事?」

「感じないか?こう…得体のしれない不安というか,妙な感覚というか…」

「…そりゃぁ…殺気みたいなものは感じるけれども…戦場の肌触りだっていろいろだし…」

「こんなことを言うと笑われるかも知れないが…誰かに呼ばれているような気がするんだ…」

「…えっ?あなたを?誰が?」

「分からん…おかしいよな。おかしいんだが…ちょっと確かめに行ってこようと思ってな」

そう言って歩き始める。

「…待って。私も行く」

「エリィ?しかし…」

危ないぞ,と言いかけて,何が?と自問する。

「あなたは病み上がりなんだから。一人で出歩くのはいよいよ不自然でしょ?」

「…すまん」

連れだって野営地を横切り,松明の僅かな灯りを頼りにやや離れた木立へ向かう。明日をも知れぬ戦場では珍しい事ではなく咎められることこそなかったが,別の意味で二人は気まずい思いをすることになった。

「…いろいろ,すまん…」

「う,うん…でも,こんなところから呼ばれていたの?」

「あぁ…かなり近い,はずなんだが…」

と,その時。まるで闇から溶け出したかのように音も無く現れる一人の男。

「!」

「…一人で来ると思ったが,まさか女連れとはな…」

(…こいつっ…違うぞ!?)

一瞬にして総毛立つ。感覚の全てが,目の前の男に対して最大の警報を鳴らしている。

「う,嘘…まったく気配に気づかなかった…」

(だが…)

違和感。この男の着ている黒い鎧は,一般の甲冑とはかなり趣を異にしている。さらに驚くべきは,男の腰に差された二本の曲刀。

(これでは,まるで…)

「はじめに言っておく。…危害を加えるつもりはない」

落ち着きはらった,男の声。

「…信用できないわね」

エリィが前へ出て身構える。しかし男は全く意に介さない。

「…斬るつもりなら…わざわざ姿を晒したりはしない」

「う…」

「…ん?」

男はそこでちょっと意外そうに,エリィをまじまじと見る。

「…な,何?」

「…いや。名を聞いておこう」

「そちらが先に名乗るのが,筋ではないかしら?」

「…なるほど。確かにそうだな」

ふ,と男は微笑する。

「漆黒将軍…と言えば分かるか?」

「な!?」

「貴様が…」

「なぜここに!?」

「…次はまず,そちらが名乗るのが筋ではないか?」

ふ,とまた男は微笑する。

「う…エリィよ,”悠久の風”のエリィ」

「…ほぅ,お前があの…」

心なしか,楽しそうな口ぶり。軽く見られたと思ったエリィが語気を強める。

「答えて!何をしに来たの!?」

「…ひとつは,お前たちが明日の朝を待つのかどうかを確認しに」

「…たいした自信ね,たった一人なんて…」

「一人ならばどうとでもなるからな…」

そこでちらり,とシャルルへ視線を向ける。

(う…)

ここへエリィを連れてきてしまったことを後悔する,心の奥底を見透かされたような居心地の悪さ。

「もう一つは!」

「…そちらの男ならば,その理由が分かるのではないか?」

「え…それじゃ…」

「…お前が”紅き流星”シャルル=ナズルだな?」

「…そのようだ」

エリィを庇うように前へ出る。冷たい汗が背中を流れる。

「…そう気負うな。ここでは危害を加えるつもりはない」

「く…」

ごく自然体。だがそれは裏を返せば,その気になればいつでも斬れるという自負の現れ。

「…ひとつ,聞こう」

「何だ…?」

「隣のその女は…お前の,思い人か?」

「!?」

意外な質問。

「な…そんなのあなたに関係ないでしょ!?イキナリ何言い出すのよ!?」

顔を赤くして抗議するエリィにまた微笑して,男は続ける。

「…関係ならば大いにある」

「!?」

「逢って確信した…。我々は仲間だとな。”紅き流星”…私の同志となれ」

「なん…だと…?」

次々と斜め上の事を言い出すヴァニティ。頭がついて行かない。

「そ…それはそれとして!それと私と何の関係があるのよ!?」

「…お前が”紅き流星”の思い人ならば,それを置いて同志となるわけがあるまい?」

ふ,とまた微笑する。

「う…」

「それとも,お前に聞いた方が早いのか?」

「…そうだな,その方が早い」

「ちょっと!?シャルル!?」

うろたえるエリィ。ふ,とまた微笑してヴァニティは続ける。

「…そうか。世界よりもこの女が大事か」

「…そうだ」

「え,ちょ…」

「確かにこの女ならば,な…」

(なに…?)

「!?な…何を…」

「では…お前に聞こう。エリィ,と言ったな。私の同志になれ」

微笑を浮かべていたヴァニティは急に真顔になり,それに引き込まれてエリィも真剣な表情になる。

「…邪神の復活を目論むあなた方に,どうして味方できるというの?」

(…う…)

よぎる不安。エリィが世界を相手に大立ち回り,と言えなくもないこの状況。

「…今の帝国には加担できん,と理解していいのだな?」

「そうよ」

「ならば…邪神の復活を目論まなければ良いのか?」

「えっ…?」

意外な問いかけ。

「どうした?それならば構わないのか?」

「そ…そんな事はありえないでしょう!?封印を二つも解いて…」

「だが,まだ二つ残っている。…そうだな?」

「な…何を言うの…?わ,わけが分からないわ!」

と,その時。ヴァニティが僅かに反応し,それに疑問を持つ間もなく,声。

「エリィ,そんな奴のヨタ話に付き合う必要はねぇぜ」

緋の鎧の男。

「ランツ…」

「こんなとこまで一人で来るたぁいい度胸じゃねぇか。えぇ?漆黒将軍さんよ」

「…最後まで盗み聞きだけしていればいいものを…」

ひとつ溜息をつくヴァニティ。その一言でランツの顔から余裕が消える。

「…何だと?」

(聞かれていたのか…)

余計な事を言わなくて良かった,とこの期に及んで場違いな事を考える。しかしランツの気配にも全く気が付かなかった時点で,それはヴァニティと自分の間に大きな差があることを意味している。

「…邪魔が入った。”紅き流星”,そして”風”のエリィ。話はまた次の機会にしよう」

くるり,と踵を返して立ち去ろうとするヴァニティ。

「…待ちな。無事に帰れると思うなよ」

「…余程の自信があるようだな。それとも,背を向けている相手なら勝てると踏んだか?」

「何っ!」

(うまい…)

とはいえ,単純に面倒事を避けようとしているだけなのかも知れない。いざとなれば簡単に斬って捨てそうなピリピリした緊張がヴァニティの周囲にある,ような気がする。

「下手な言い訳するんじゃねぇ…こっちを向かねぇってんならそのまま…」

「…せめて名乗るくらいはしたらどうだ?”紅き流星”の真似でもしているなら別だが」

(お,おい…?)

何となく妙な方向へ行こうとしている予感。

「この野郎…俺は”緋の明星”ランツ=シャルクだ!こんな奴と一緒にするな!」

「…ほぅ?”紅き流星”以上と言っているように聞こえるが?」

(ちょ…)

大きくなる不安。この場に居ては何かとんでもない厄介ごとに巻き込まれそうな気配。

「当たり前だろうがっ!」

「…よかろう,ならばチャンスをやる」

「…何?」

「どの道,明日になれば嫌でも対峙することになる。おそらく証拠を見せたくらいでは納得せんだろうから,”紅き流星”と一騎討ちで雌雄を決しようと思っていたところだ」

(なん…だと!?)

恐れていたことが実現する。

「それほどの自信なら,どうだ?その前に一勝負。お前が勝てばアリシアは全てくれてやる。だが私が勝っても”紅き流星”との勝負になるだけだ。悪い条件ではあるまい?」

「…いいだろう。その時になってほえ面かくなよ?」

「待て…俺は別に一騎討ちなど…」

やっとのことでそれだけを絞り出す。ランツがふん,と鼻で笑って言う。

「てめぇの出番はねぇよ。俺が決めてやる」

「…そうか。それは楽しみだな。では明日」

ヴァニティはそう言って立ち去ろうとしたが,立ち止まって口を開く。

「”紅き流星”…世界よりも大事と言うなら,世界を敵に回すくらいの覚悟はしておくのだな」

「…!」

「な…あなたに言われる筋合いは…!」

その言葉には答えず,ヴァニティはまた闇に溶け込むように消えた。

「…く…」

急に脱力しがっくりと膝をつく。体中から嫌な汗が吹き出し,荒い息をつく。

「シャルル!」

「け…っ,情けねぇ野郎だぜ。まぁ心配すんな。明日は俺がきっちり片を付けてやる。どっちが真の赤に相応しいかもそん時に分かるだろうぜ」

ランツはそう言うと嘲るような笑いを残して立ち去った。

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