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緋色

「む!?流星の,もう怪我は良いのか!?」

「あぁ。もう大丈夫だ」

シャルルがひとりで夕食の為に食堂へ現れたとき,居合わせたメンバーは一様に目を丸くした。

「いやいやそれオカシイだろ?体に穴開けられてたった二日で治るかよ!」

「これ以上…自業自得でエリィを心配させるワケにはいかないからな…気合いで治した」

「…あー…そういう事か…」

ぼりぼりと頭をかくノエル。治っているふりをしていると誤解しているのは間違いないが,そのあたりは巧く折り合いを付けることにする。

「エリィは?」

「…疲れて寝ているよ。さすがに運べなかったんで,俺の部屋だが…」

さすがに睡眠不足はこたえたらしい。またどこかへ出かけるとかでノーブルが部屋を出ていった後,満腹と安堵も手伝ってエリィは気を失ってしまった。

「もう食べちゃっても大丈夫なの?」

「体力勝負だからな。やってみないと分からんが,食えるなら極力食っておきたいと思ったのさ」

ノエルの隣,空いている椅子に座り,並べられた料理に手を伸ばす。

「…途中で離脱して悪かったが…あの後どうなったんだ?」

ここにこうして無事で居るだけで後はどうでもいいような気もするが,多少の後ろめたさも手伝って念のために聞いておく。

「儂らは…あれでお役御免じゃったな。とりあえずフレイアの魔法でお主の出血を抑えて,治癒術士を大急ぎで呼びに行き。応急処置をして運んで,それで終わりじゃ」

「…すまなかった。余計な手間をかけさせて…」

「まぁ気にすんなって。命があれば挽回もできるんだ。この分の貸しはこれから返してもらうさ…もちろん,しっかり体治してからな?」

「…ありがとう,ノエル」

軽口のなかにささやかな,しかし確かな気遣いを感じて礼を言う。

「…そう思うんなら,気をつけろよ?」

「…何を?」

「お嬢ちゃんを泣かすようなマネだけはするな,ってこった。お前を助けたのも半分はお嬢ちゃんの為だし,しっかり返すのだってお嬢ちゃんに,だからな?」

「…あぁ,そうだな。気をつける」

「…」

そこでノエルが,ちょっと意外そうな表情になる。

「…?ど,どうしたんだ?」

「…いや…まさかそんな事はありえねぇ。思い過ごしだな」

「いくらなんでも,さすがに無理だよ」

肩をすくめるノエルに,フレイアがごく自然に同調する。

「な…何が?」

「…いくら何でも,病んだままお嬢ちゃんと何かやらかすのは無理だろ,って話だよ」

あやうく,口に含んだ水を全て吹き出しそうになる。

「ちょ…っ,何でそうなる?」

「自分じゃ気づいてないのか?妙に吹っ切れてるんだよお前。覚悟決めましたー,みたいな」

「え…」

「そーそー」

「…自分では良く分からないが…」

エリィが起きたら気をつけるように言っておいた方がいいのかも知れない。それにしても,ちょっとした行動や言葉の雰囲気から変化を感じ取るこの感覚の鋭さは,戦場で培われたものなのだろうか。

(…そういえば…)

そこで思い出す。リザードマンに不覚をとった原因となりうる,もう一つの可能性。だがそれは後でもゆっくり考えられる。今は今できることをしておこう,と思い直す。

「と…ところで…。正面の方はどうなっていたんだ?あれがうまく機能したのか?」

「うむ,割と評判は良かったぞい。とはいえ,勝てたのはもう一つの幸運も大きかったがの」

「幸運?…それは?」

「援軍が現れたのよ。聞いていると思うけど…四部衆のひとつで,攻撃力では最強と称されている”火”がね」

「へぇ…」

「お…噂をすればお出ましだぜ…」

入り口を見ると,大柄な集団が入ってくるところだ。兵たちから口々に賞賛の言葉を浴びせられている。

「そうか…味方が強くなるのはありがたい事だな」

”火”はそれなりに離れた卓に腰を下ろすが,その中の一人がこちらに気づき,立ち上がって近寄ってくる。

「よう,”風”じゃねぇか。久しぶりだな。元気だったか?」

ノエルと同年代だろうか。健康的に日焼けした精悍な顔に悪戯っぽい笑みを浮かべて,よく通る声で話しかけてくる。

「そっちは…特にお前は殺しても死ななそうだな,相変わらずで何よりだ。…で?女漁りに来たのか?」

ノエルが皮肉交じりに返す。

「ハッ!相変わらずの口達者だな,ノエル。お前じゃあるまいし,漁らなくても向こうから来るぜ?」

「なんだ,しばらく会わんうちに嘘だけは上手くなったじゃないか。ははぁ…ばらまく金を稼ぎに来たのか」

「そりゃお前だろ。勝てねぇばくちに金ばらまいて破産したって聞いたぜ?」

「言ってろよ,俺の慈愛の心はがっつくしか能のないお前にゃ一生分からんさ」

(はー…これはなかなか…)

小気味の良い皮肉の応酬に感心する。これもいつものお約束なのだろう。どこまで続くのかは分からないが,別に止める必要もあるまいと判断する。

「…ところで,そいつは?」

「新しい仲間のシャルルだ」

「ほー,そいつが最近名前を上げてる”紅き流星”か…どんな奴かと思えば…パッとしねぇな」

「…どうも」

挑発的な視線を向けてくるがそれには付き合わず,ぺこりと頭を下げて,次の食物に手を伸ばす。

「おい…」

その手を掴み,男は凄む。

「話はまだ終わってねぇんだ。分かるか?」

「…それは悪かった。で,何か?」

「お前…”風”なのに,赤い装備だって言うじゃねぇか。そいつは俺たち”火”の色なんだよ」

「…そうなのか?」

「…なんだと?」

「いや…赤くない炎もあるからな。火じゃない赤も決しておかしくないと思うが?…血の色とか…」

そういや随分血を吐いたな,と自虐的に苦笑する。

「…そうかよ。じゃぁこうしようぜ。どっちが赤に相応しいか,次の戦いで勝負する。勝った方が真の赤ってワケだ」

にやり,と笑ってくる。

「よく分からないが…そっちが真の赤でいいぞ?強そうだし」

「な…」

驚愕,そして呆れと侮蔑の顔に変わり,肩をすくめる。

「…やれやれ,噂が独り歩きしちまったらしいな。こんなつまらん奴だとは…」

「すまんね」

「…」

次の瞬間,男は掴んでいた手を離すと間髪入れず顔面へ向けて裏拳を放ってくる。目の前で寸止めされたその拳に,シャルルは小さな文字が彫り込まれているのを見つけた。

(古代語…?なるほど,これで力を増しているのか…)

武具に彫り込まれた文字は装備しなければ効果が無い。しかしこうやっておけば,望むときにすぐ力が使えるということになる。

「…ちっ,この程度とはな…」

男は全く興味を失ったように,拳を引いてくるりと後ろを向く。

「あ…すまんが」

「…何だ?」

「せっかくだ,名前を教えてくれないか?」

「…ちっ。俺の事も知らんってか。失礼な奴だ」

「悪いな。まだこっちに来てから日も浅いんだ」

「ランツ。”あけの明星”ランツ=シャルクだ。覚えとけ」

「心強い味方ができて嬉しいよ,ランツ。よろしく頼む」

「…あぁよろしくな」

肩をすくめて呆れたように言うと,ランツは戻っていった。そこで後頭部に衝撃。

「!?」

「お前な…好きにやられっぱなしじゃねぇか。何やってんだよ」

ノエルに殴られたらしい。そして,先の可能性が確証を得る。

「…病み上がりだからな」

どうとでもとれるようにちょっと胸を押さえるような素振りを見せつつ言う。

「…あぁそうだったか…まぁそれにしたってもうちょっと…」

「やられ方もみっともなかったし,あんなもんだよ。それに…あそこで争ってもメリットがあるわけでもないしな」

「…」

そこでまた意外そうな顔をするノエル。

「お前やっぱりおかしいぞ…やっぱりお嬢ちゃんと何かあったんじゃないのか?」

「…いや別に何も…」

「明らかにおかしいだろ?何だその妙な落ち着きは…」

「まぁ…あるとすればこれからだよ」

「なに?」

「正直,今回の件で自分の未熟さを痛感したからな…エリィに頼んで本格的に稽古をつけてもらおうかとも思っている」

それはある意味で偽らざる本心。我知らず表情が厳しくなる。

「…」

「さて,と。食うものも食ったし,これで休ませてもらうよ」

狐につままれたような顔をする一同を残し,シャルルは食堂を後にした。

部屋に戻ってきてみると,エリィはまだすやすやと眠っていた。ごく自然に口元がほころぶ。まだ時間は早いし起こすのも気の毒だ,もうしばらくそっとしておくことにしよう。静かに椅子に座って,先ほどの理由について思いをめぐらす。

(意外といえば,意外な弱点だったな…)

リザードマンに不覚を取った理由。それは,意識が向いていないとアレが起こらないという事。さっきのランツの裏拳は,かわせなかったのではない。拳に刻まれた文字を見る余裕もあったし,寸止めされなければそうと分かってから避けても間に合うと判断して放っておいたに過ぎない。だからあの槍も,突然アレが起こらなくなったから食らった,というワケではなかろう。逆にノエルの拳は,全く意識していない背後であったために食らってしまうまで全く分からなかった。

(今思えば,気づくチャンスはいくつもあったんだがな…)

苦笑する。ノエルに殴られたのはこれで何度目だったか。ハーディにも殴られた。しかしそのことごとくが,殴られるまで気づけなかった攻撃だ。敵意や殺意がないから,という仮定はエリィとの訓練によっても崩されている。現状はごくごく単純に,見えていないものは意識できないので防ぐことができない,ということだろう。エリィの蹴りはともかくとして,もしあの蟹の鋏が直撃コースだったら。いやそれ以前に,アラウドの投げたあの大剣が少し逸れていたら。もっと早くにこうなっていたかも知れない。

(やれやれ,情けない龍戦士も居たものだ…)

溜息をつく。これではノーブルががっかりしたのも無理ないし,それに心を痛めたエリィにも申し訳ない。

(やはり,対策を講じるべきだよな…)

後ろを見せなければいい,という話ではあるかも知れないが,それでは後退ができない。前進制圧あるのみというのも性に合わなそうだし,何よりそれは大きな力を必要とする。どの程度が使いすぎなのかは分からないが,ハイアムのシャルルのような状況にだけはなりたくないものだ。

(しかし…)

対策を講じるといっても,現実問題それは難しい。危険を察知する直感などというものは,長い経験の中で研ぎ澄ませていくものだろう。一朝一夕に身につくものではありえない。さっきはああ言ったし本来的にはそれが一番の方法であるとも分かってはいるのだが,たとえばエリィとの特訓が実を結ぶにもそれなりの期間は必要となるはずだ。それを待つだけの余裕が戦局にあるのか…。

(となれば…)

やはり力に頼らざるを得ないか。たとえば古代語魔法を使って,死角からの攻撃は自動で防御するような方策を考える。

(だが…)

それは突き詰めれば龍戦士の力を際限なく使ってしまう事につながる。自分の力が足りなければ足りないほど多くの力が必要となるのだ。アリシアに現れた龍戦士達がすべて戦闘力の面で恵まれていたとも思えない。もしかすると,力に頼りすぎた者ほどこの世界から弾かれてしまうのではないだろうか。

「ん…?」

ふと意識を現実に戻して,エリィの控えめな視線が向けられていることに気づく。

「あー…起こしてしまったか?すまない」

「ううん…すごく深刻な顔をしていたから声をかけられなくて…」

「疲れているのだろう?もう少し横になっているといい」

起き上がろうとするエリィを制する。

「…ほんとうに,あれで良かったの…?」

「…んー…。力不足ってとこだけは大いに問題だな」

苦笑しながら言う。

「ね…お願いがあるんだけど…」

「どんな?」

「手…握っててくれる?」

掛布の端からちらりとのぞく指。

「…分かった」

隙間に手を差し込んで,エリィのそれの上に乗せる。温かく柔らかい感触。

「なんか…とっても落ち着く…」

「…そうか」

俺もだ,と口に出しかけて何となく憚られ,代わりに曖昧な笑みを浮かべる。それを見て気恥ずかしくなったのか,エリィはもう片方の手で掛布を引き上げ顔を隠す。

(たとえ弾かれても構うものか…俺は…エリィだけは護ってみせる…全てを引き換えにしても)

決意を固める。

「んっ…」

短いエリィの声。握った手からぴくり,という反応が返ってくる。

「あ…す,すまん。痛かったか?」

気合いを入れ過ぎたせいで,我知らず手にも力が入ったらしい。慌てて謝る。

「ううん…大丈夫」

(ん…?)

前にもこんなことがあったような,と思った瞬間。

「流星のっ!」

ちょっと開けていた扉を猛烈な勢いで開き,仁王立ちするハーディ。

「ちょ…」

「おま…」

その後ろにはこそこそとかがんだフレイアとノエル。

「み…みんな!?」

驚いてがばと跳ね起きるエリィ。

「えーと…?みなさんお揃いで,一体何を?」

呆れながら言う。要はまた覗かれていたという事か。余計な事を言っていなくて良かった。

「あー…せっかくのいい雰囲気を邪魔して悪かったよ」

ぼりぼりと頭をかきながら立ち上がるノエル。

「これからはじまるお楽しみ~,みたいなことを流星君が言ってたから,温かく見守ってあげようとしただけなのよ?この唐変木が邪魔さえしなければ…」

口元をおさえておほほ,と笑いながらフレイアも立ち上がる。

「もー!みんないい加減にしてよ!」

(…今はこれでいいのかもな…)

赤くなって抗議するエリィを見ながら,シャルルはなんとなく満足した。

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