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18/31

準備

エリティア。四王家のうちでは最も若いこの国は,国土が小さく人口が少ないという背景的なものも手伝って国民皆兵の制度を持つ。ひとたび亡国の危機ともなれば国民全員が一丸となって事にあたることもでき,冒険者や傭兵にも理解がある国だ。

現在この国を治めているのはクリム王であるが,尚武の気風の強いこの国と国民にとって体の弱い彼は今一つ物足りない存在である。そのため四国全ての総力戦とも言える対帝国戦では,王族として国王の名代として妹のクリミアが出征しており,ルトリア奪還戦で主だった将を失った後は唯一の佐官へと昇進して指揮をとり続けている。

「さて…いよいよ後がなくなっちまったな…」

ノエルがスープをすすりながら言う。撤退を完了した連合軍は,エリティア第三の城塞都市トルサへ駐屯していた。今は防衛体制の構築のため協議が行われている。大活躍をした”風”は差し当たって次の契約まで近くに留まって欲しいと請われ,今は宿舎の食堂で遅い朝飯である。

「そうね…んぐ,ていふぉくは…むぐ,いよいよふぉうせいを…」

「フレイア,食べるかしゃべるかどっちかにしてよ。何言ってるか分からないわよ?」

エリィに注意されたフレイアは,ごくりと喉を鳴らして食物を胃に落とし込むとぺろりと舌を出す。

「へへ…ごめん。でも魔法ってお腹減るからさ。不測の事態には備えておかないと…」

「儂らはどうなるかのぅ?」

「順当にいきゃあここの防衛じゃないか?おそらくここが一番の激戦地になるからな」

アリシアが国土の周囲を山々に囲まれているため,必然的にエリティアとの国境も大部分は山地である。アリシアからエリティアへ侵攻する場合,妥当なルートは二つ。山道を通ってエリティア第二の城塞都市マヒロを落とすか,海沿いを通ってここトルサを落とすかのどちらかとなる。

「でしょうね。距離的に見ても地勢的にみても,より強く大きな兵力を動員できるのはここです。戦闘意欲を削ぐという意味でも,ここを落とすことの価値は大きい」

相変わらず仮面をつけっぱなしのノーブルが言う。彼もかなりのペースで食物を胃に送り込んでいる。

「となれば,やはりこちら側は自分たちで守りたいと思うでしょうね。おそらくマヒロの方をアリシアに任せて,ここへ総力をつぎ込むかと…」

「さすがは”仮面の賢者”ノーブル殿だ。ご賢察です」

そこへラルスが入ってくる。

「…なんですその怪しいネーミングは?」

食事を切り上げて口を拭いながらノーブルが尋ねる。

「昨夜の始終を見た兵士たちがそう言っているのですよ。月光に照り映える,千の魔法を操る涼やかな仮面の賢者…とね」

「どっちかっつぅと”仮面の変人”だと思うんだがなぁ…」

「いけませんね…あとで記憶を消しておきましょう…」

「あ,と,ところでラルス大尉?どんな御用ですか?」

慌ててエリィが話題を変える。

「先ほど決まったのですが,アリシア軍の方々にはマヒロを防衛していただくことになりました。おそらくアリシアからの将兵の流入もそちらからになりそうですしね」

「なるほど…」

「我々はこちらに注力しますので,あなた方にも是非こちらに留まって力を貸して欲しい,との中佐からの依頼です」

「…中佐?」

ノエルが聞きとがめる。

「昇進なさったのですよ。対帝国戦の総司令官という立場ですからね」

「じゃあ,あんたも昇進したのか?」

「あ,す,すみません!大尉なんて言っちゃって…」

うろたえるエリィ。

「あ,いえ小官は辞退いたしましたので…問題はありません」

「…ちょっと待て。ってことは…相変わらず佐官は姫さん一人,ってことか?」

途端に機嫌を損ねるノエル。

「エリティアってのはよっぽど人材不足なんだな。誰も姫さんの負担を軽くしてやれる奴が居ないって事か?あんたもそれでいいのかよ?」

「…まぁ…主だった将はルトリア奪還戦で悉く殉職してしまいましたからな…」

「…じゃぁますますあんたが…!」

「…佐官に上がってしまうと,別部隊の指揮をとらねばならなくなってしまいますからな。お側付きで護衛をするためには尉官の方が都合が良いのですよ」

「そ…そういう事か…悪かった」

ぼりぼりと頭をかきながら謝るノエル。そこでラルスはにやり,と笑う。

「まぁ…ある条件さえ通していただければ,昇進もやぶさかではないとは具申したのですよ?あるお方を特務尉官として臨時任官して頂ければ,と…ねぇ?ノエル殿?」

「うぐ…」

「あらー…こりゃいよいよ待ったなし?ノエルどの?」

「というか,自分で逃げ道を塞いだ格好じゃのぅ?ノエルどの?」

にやにやと笑う二人。

「ラルス,あまりノエル殿を困らせてはいけませんよ?」

と,クリミアの声。途端に直立し敬礼するラルス。

「おぉ…」

入ってきたクリミアを見て思わずハーディが感嘆の声を漏らす。儀礼用の凝った意匠が施された純白の板金鎧をまとい,くしけずった白銀色の髪と深紅のマントをなびかせる。

「さすがはお姫様じゃのぅ…芸術品並みじゃ」

「あ,ありがとうございます…。略式ですが,先ほど昇進の儀がありまして…。その…日焼けもしてますし,あまり見栄えはよくないですが…」

恥ずかしそうに言うクリミア。

「…いや,綺麗だぜ,姫さん…」

フレイアにつつかれて,ノエルが言う。その様子はどこか夢見心地の様でもあり,どこか感傷的でもある。

「え?あ,あの…」

すっかり赤面してしまうクリミア。しかしオホン,とわざとらしい咳をするラルスに,ハッと我に返る。

「あ,す,すみません…。依頼の件で来たのです。…”風”の皆さんはここトルサに滞在頂き,独立遊撃隊として対帝国戦に助力を願いたいと…」

「…じゃ,細かいところは頼んだぜ。俺はちょいとその辺ぶらぶらしてくるわ」

「え?ちょっとノエル…?」

ノエルは口を拭って立ち上がると,ひらひらと手を振りながら食堂を出て行った。

「あの…何かお気に障るようなことでも…?」

「なぁに,姫さんがあんまり綺麗すぎて,今までの無礼を反省したんじゃろ」

「軍法会議ものだったからねー。やりすぎた,って思ってるのかも」

「…」

心配そうに出口の方を見やるクリミア。

「あ,じゃ,じゃぁノーブル,細かいところの協議お願いできるかしら」

「承知しました」

「…それでは,これで…」

どことなく申し訳なさそうな表情を浮かべながらクリミアは出ていき,それにラルスとノーブルが続く。するとエリィが長い溜息を一つ。

「…凄くきれいだったな…」

「あら?エリィ?どうした風の吹きまわしかしら?」

「え?な,何?」

「ちょっと前までのあなたなら全く気にもとめなかったじゃない。どうしたのよ?」

「そうかな…でも,何となく,見ているこっちも優しい気持ちになるみたいな…そういえば変だよね,鎧を着てるのに…」

自分の感覚にとまどうエリィ。

「嬢ちゃん。それは…恋!じゃよ」

大真面目な顔でハーディが言う。途端に笑い出すフレイア。

「む?何もおかしい事ではないぞい?恋の女神は美を司る女神でもあるからのぅ。恋する乙女は,ある意味芸術とも言える美しさを醸し出すものじゃ。芸術品と言ったのもそれでじゃよ」

「そ,そういうものなの?」

「まぁ…ハーディの言ってることはともかくとしても,相手がうちの恋泥棒ってのは間違いないわね」

そこでフレイアはにやにやと笑う。

「ところでぇ~?うちのお嬢さんも,つ・い・に,ああいうのが羨ましくなったのかしら?」

「え!?ち,違うわよ!だ,だいいち,私にあんなの似合わないし…!私は…ねぇ?シャルルもそう思うでしょ?」

慌てて否定するエリィは,話半分で全く別の事を熱心に考えていたシャルルに同意を求める。

「ん?…んー…まぁあれが合うかと言われれば,実用性には欠けるんじゃないか?」

全くの真顔で冷静に分析する。

「ちょっと流星君?そういうことを聞いているんじゃなくてね…」

「だが…ものさえよければ似合うと思うが?」

「えっ?」

「君なら…こんな形でこんな色調で,いやあれもいいかな…このへんに装飾を入れて,ああなってこうなって…」

「えっ?えっ?」

エリィの全身を眺めまわしながら,想像を巡らせ,結論する。

「うん。いいんじゃないか?しっかり専用に作られたものを身に付けたら,きっと似合うと思う」

「…」

「もし時間に余裕ができたら,是非ためしてみよう」

「!」

顔を真っ赤にして,バタバタと駆け出ていくエリィ。

「…?どうしたんだ?」

「…ヤレヤレね…」

フレイアは苦笑すると,エリィを追いかけて出ていく。

「…鎧の話,じゃないのか?」

「恋!の話じゃよ」

「恋?」

「お主…さては話を聞いておらんかったな?」

呆れたようにハーディが言う。

「あ,ああ…すまん」

「謝る相手が違うじゃろ。嬢ちゃんが傷つくぞい?プレゼントの一つも送って機嫌を直しておくんじゃぞ?」

「いや,それはほんとによく分からんのだが…」

「そもそも一体何を考えておったんじゃ…」

「武器や鎧を俺も作れないかと考えていたんだ。できればそれで,エリィ用のも作れないものかと…」

「…どこまで本気なのか冗談なのか…まぁいいわい。どうせしばらくは空くじゃろうから,つきあってやるとしよう」

「本当か?助かる」

「…ヤレヤレじゃのぅ…」

ハーディは溜息をついた。

「それでは,魔法について簡単に説明します」

翌日。シャルルはノーブルの部屋を訪ねた。目的はもちろん,魔法のことを詳しく聞くためである。探る様な様子を見せるノーブルであったが,エリィを少しでも安全にするためにできることをやるだけだ,と言うると快く引き受けてくれた。

「上位古代語を使う魔法は大きく分けて二種類です。言葉そのものの力を使う古代語魔法か,その言葉を使って神々と契約をする魔法かの違いですね。後者は得る効果が正か負かによって神聖魔法と暗黒魔法に分類されます。」

「ふむ…」

「古代語は,それ自体を発するだけで精神を消費します。ですので学院では古代語自体も学びますが,なるべく消費を抑えるための効果的な契約や文言も学んでいきます」

ノーブルはさらさらと紙に書く。

「先日の音の魔法ならだいたいこんな感じですね。詠唱の時点で指先で触れている物体の結びつきを緩くします。それが次に何かに触れた場合,結びつきが壊れて一度に飛び散ります。その際に触れた物体を大きく振動させる,という命令をしています」

「それを古代語で言ったのがアレ…だったのか?」

そんなわけはあるまい,と分かった上で尋ねる。いえ,とノーブルも分かり切った答えを返す。

「いちいちすべて言っていたのでは時間もかかりますし,緊急時ではつい間違えるということもよく起こります。そこで詠唱にかかる時間を短縮し間違いを減らすために,あらかじめそれを魔法書に書き込んでおいて一定の操作で呼び出せるようにしているのですよ」

「そうなのか…」

「いちいち書き直す面倒さはありますが自由に書ける巻物(スクロールタイプと,何度でも繰り返し使えますが一度書くと書き直しの効かない辞典ブックタイプがあります。巻物はそのへんの何かに書きつけておくだけでも使え,逆に辞典はまずそれを作る必要があります」

(ということは,エリィの鎧に書いたアレは一種の巻物タイプと考えることができるわけか…)

「巻物はともかく,辞典はどうやって作るんだ?」

「頭の中に作ります。まぁこれも長い歴史の中で開発された一種の魔法なのですが…名前を付けることでイメージを実体化させることになります」

「名前?」

「辞典には自由に名前を付けられます。これがそこに書き込まれたスペルを呼び出す際の鍵のひとつになります。これも…やり直しが効かないので慎重に付けないと泣きを見ます」

そこで溜息をつくノーブル。

「泣きを見る?それは?いったい?」

「私は子供の頃に,超絶魔道書と名付けてしまったのですよ…分かる人にしか分からないとはいえ,呼び出すたびに若さ故の過ちを恥じることになるわけです…」

(あー…それで超絶魔導書なのか…)

「名前は…是非吟味した方がよろしいですよ…」

「…忠告,痛み入る」

しばし遠い目をしてハッと我に返り,コホン,と咳ばらいをしてノーブルは続ける。

「さ,さて…辞典のページはその人の魔法の素養によって最大頁が決まっています。訓練によって使用可能頁を最大頁に近づけていくことになるのですが,どこで限界が来るかは分からないので,何を書き込むには十分な覚悟が必要です」

その最大ページ数が学院で職業分けする時の最大の根拠になります,と付け加える。

「特に神聖魔法と暗黒魔法は,契約する神々毎の制約もありますが方向性も逆ですので…よほどの優れた素質でも持っていない限りは,両方入れてしまうと使用可能頁が減ってしまうこともあります。ですので特に心して選ぶ必要があります」

「なるほど…」

「書き込んだら,それにも名前を付けることになります。呼び出す際には,魔導書の名前と頁数,スペルの名前の組み合わせが発動の条件となるわけです」

そこでまた溜息をつくノーブル。

「私の場合…子供の頃に遊び感覚で入れてしまったものが結構ありまして…先日のアレも若さ故の過ちです…」

(あー…それで子供じみたネーミングだったのか…)

「参考までに…どんな?」

「超絶魔導書…の,第五頁…を展開して,【びっくり音響弾】…というスペルを発動するわけですね…」

「そ,そうか…」

「口に出さずに頭の中でなぞるだけで発動することもできますが,その場合はさまざまな制約や反作用が出てしまうこともあります。一説によると神々や古龍など,言葉そのものの力を使える者達はその制約がないようですね。過去の龍戦士の中にもその素養を持った人物が居たようです」

実にうらやましいですが…とノーブルは心底残念そうに付け加える。

「その…辞典というのは,誰でも作れるのか?もしすぐできるようなら,作ってみたいのだが…」

「素養次第ですね。全く作れない者もいます。学院に入学する条件としては,最低三〇頁ですね。卒業最低条件となるスペルが三〇なので,それに満たない者は入学もできません」

「…厳しいんだな」

「当たり前です。有象無象を世に輩出したとあっては,学院の価値そのものがなくなってしまいますから…」

ちなみに全卒業生の平均は五五ですよ,と付け加える。

「まぁ,とにかくやるだけやってみるさ。どうすればいい?」

「まず名前を考えましょう。古代語で言う必要があるので,教えて下さい」

そうだな…としばらく考えて結局浮かばず,鎧の色にちなんだ紅の章に決める。

「それはこう書きますね。字の形を正確に覚えて下さい」

確認するまでもないのだが,何度か指でなぞって確認するふりをする。

「ではまず目を閉じて…頭の中に大きな辞典をイメージして下さい。なるべく詳しく…色や形,材質,手触り…」

紅の章なら,色は文句なしに紅だな。形はでかくて分厚いもの。材質と手触りは…少しざらついた感じのほうがいいな。裏表紙には紋章でも付けて…と考えて,意外に楽しい事に気づく。自分にはこういうのが向いているのだろうか。

「イメージが固まったら,それに名前を付けます。表紙のところに,名前を加えて下さい。そしたら最後に〈承認〉と唱えます」

〈…承認〉

一瞬辞典が光り,そして消える。

「…消えたぞ?」

「成功です。後は名前を呼べば出てきますよ。古代語では〈紅の章〉ですね…ちなみに,何頁ありますか?」

(七…ひゃく!?)

名前を呼び開いてみて驚く。そして瞬時に,これは明かしてはならないと判断する。

「七…」

「七〇ですか?凄いですね,一流の素質ですよ」

「いや…七…頁…」

「え…」

思わず絶句するノーブル。しかし彼はすぐ気を取り直す。

「そ…そうですか。まぁ流星殿はどちらかというと戦士タイプですからね。…使用可能頁は?」

「三…」

実際は三〇〇だがこれも隠す。だが仮に使えるとしても,それだけ魔法を覚えるなどとは到底考えられない。入れたっきりどこに何があるか忘れ去られてしまうものもあるのだろうか,などと他人の心配をしてみる。

「では…慎重に吟味して大事に使うと良いのではないでしょうか?古代語や神々の知識を学んでいくと使用可能頁は増えますので,じっくり学んで最大まで増やしてから決めると良いでしょう」

「そうだな…だが,どうやって学ぶのだ?それと,辞典への書き込み方は?」

「近いうちに学院で使っているテキストと,古代語の辞典を調達してきますね。それを見て学ぶとよいでしょう」

「助かる」

占領下のアリシアでどうやって調達するのだろうかとも思ったが,きっとこの男ならどうにかするのだろう,と深く考えるのはやめにした。

ノーブルの部屋を出た後,今度はハーディの部屋を訪れる。もう来おったか,行動が早いのぅ…と言いつつ迎え入れるハーディ。

「早速だが…その特殊な製法というのは今も再現できるのか?古代語はともかくとして」

「うむ。というか,今もごく普通に行われておるからのぅ」

「?それは…」

「ほれ,この間のおまじないじゃよ。言葉の力は失われてしもうたが,おまじないの言葉として刻み込むこと自体は今も行われておる。刻んでおけば汗や摩擦で消える心配もないからのぅ。決まり文句を刻み込んで売る鍛冶屋もおれば,オーダーする時に好みの文句を依頼する者もおる」

「そうなのか…例えばそれを,自分で刻みたいと言ったりする者は居るのか?」

尋ねると,ハーディはにやりと笑う。

「そう来るか。お主もなかなか隅に置けんのぅ…」

「?…何が?」

「いやいやこちらの話じゃ。もちろんおるぞ?おまじないゆえ,心を込めて刻むことで少しでも幸運を,と願う者は多い。戦闘用の装備に限らず,儀礼用装備などを贈る際にも心を込めて刻むのぅ」

「そうか…だいたい,どのくらい刻むんだ?」

「そうじゃな…このやり方ではあまり大きな文字やあまりたくさんの文字は刻めん。あまり大きな文字をたくさん刻みすぎると,武具そのものの強度が落ちてしまう。心が込められておっても,肝心の武具が壊れてしまっては元も子もない」

「確かにな…」

「そこで…多少値は張るが,刻んだ部分に別の金属を流し込んで強度を維持する方法がある。入手,加工の面で最も手軽なのは銀じゃな」

「銀…?確か聞いた限りでは,今は戦時で希少なものだと…」

それで装備を買い戻したことを思い出す。

「それでも,じゃよ。昔から強度と魔法伝導効果が重視されておったわけじゃが,銀以外で強度,効果ともに要求を満たすものは宝石なのじゃ。そんじょそこらの装飾品用のではダメじゃぞ?ある程度の大きさ,硬度,純度が揃っておらねばならん」

「宝石か…」

「宝石には高い魔力増幅効果があると言われておる。宝石の内部に古代語を封じ込める業もあったと聞くが…まぁ今ではそもそも入手からして難しいじゃろうな。掘り出しでもせんかぎりはケタ違いの値がついておる。いかに銀が希少になったとて,それでもやはり宝石よりは廉価じゃよ」

「…」

「それに…まぁ剣でも鎧でも良いがの?そういう宝石に見合ったものを作るのならば,やはりそれなりの材料とそれなりの腕は必要になるじゃろうな」

「分かった,礼を言う…。自分でもいろいろ試してみるよ。もし作りたいもののイメージが固まったらその時は頼む」

「うむ。任せておけぃ」

ハーディの部屋を出ると,シャルルはその足で街へ向かった。防具屋へ入り,手足の甲を一対ずつ注文する。

「紅に染めてくれ。それと…左手と右足に,これを刻んでくれるか?」

紙に文字を書く。実に奇妙な注文に店主は内心で首をひねったが,対価を支払われれば要望には応えるのが矜持と,表には出さずに引き受ける。出来上がりを待つ間に工房で彫刻用の鑿とハンマーを買い求めると,シャルルは甲を受け取って宿舎に戻った。

「…ノーブル…仕事が早いな…」

扉の前には書物が数冊置かれていた。それを持って部屋へ入ると,まずはパラパラと辞典をめくる。

「やはり…読めるな…」

何となく分かってはいたものの,自分が少なくとも古代語を日常的に使っていたのは間違いないようだ。辞典がところどころおかしく感じられるのは,おそらくこれが解読によって作られたものだからだろう。

(となると…下手なことはしないほうがよさそうだな…)

自分から見ればかなり簡単な言葉しか載っていない。考えられる原因としては,この辞典が初歩的なものであるか,あるいは解読されていない部分が多いか,消滅して存在さえ知られていないかだ。初歩的なものかどうかはこれから調べるとしても,載っていない言葉や文字を大っぴらに使ってしまうのはかなりまずいだろう。

もし自分が神々や古龍並みの古代語を操れるのならば,制約なしという話を信じて無詠唱で使うのがもっとも賢いやり方だ。ノーブルはおそらく超一流の魔法使いだろうから,ちょっとしたミスが命取りになる危険も高いだろう。

(まぁ…差し当たっては初歩的なところから,効果を確認していくのが良さそうだな…)

手に入れた鑿とハンマーを取り出し,シャルルは文字を刻みはじめた。

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