説教
勝利をつかみ,砦へと戻ってきた連合軍。解散となり,着替えた”風”のメンバーは食事のために集まっていた。時間が早く,他にほとんど客はいない。
いや,正確にはエリィを除く全員が,と言った方がいいだろう。彼女は後で,と言って部屋の中から出てこなかった。
「第三軍はかなり深刻な被害を受けたようだな」
情報を集めてきたノエルが言う。すぐ背後の川からリザードマンの襲撃を受けた第三軍は大混乱に陥ったらしい。報を受けたクリミアが自らの危険も顧みず近衛部隊を回したが,秩序だった作戦行動がとれたわけでもなく事態の収束は困難な状態だったようだ。あと少し敵本隊の後退が遅れていたら,逆に味方本陣が落とされていたかもしれない。
「結果として,ノエルの判断が正解だったって事ね」
フレイアが言う。
「…あれは半分ハッタリだけどな。結局どうあがいたところで,俺たちは俺たちの仕事をするしかないんだよ。あそこで後ろに回っても,命令違反でコレになるさ」
チョン,と自分の首を斬る仕草をする。
「ハッタリにしては,なかなか堂に入っておったのぅ。さすがはハッタリ大王」
「おいおい,なんだよその妙なネーミングは。頼むから広めないでくれよ?ただでさえあんたはその場の気分とワケ分からん趣味で呼ぶんだから」
「でも,最後のアレで軍法会議じゃなかったっけ?」
「バ!だから縁起でもないことを言うなと…」
「しかし…」
とシャルルが疑問を口にする。
「なぜ今回に限って背後から?前回は単なる様子見だったのか?」
「そいつは難しい質問だな。敵さんの事情は分からん」
そう前置きして,ノエルは続ける。
「だが,このへんの地形的には本来ありえないはずなんだ。姫さんもそこは織り込み済みで布陣してるだろう」
「ありえない?」
「あぁ。この川は,アリシアとルトリアの国境を隔てる山脈…少なくとも,リザードマンみたいな半水棲の連中には無茶だろってくらいの山脈地帯をぬうように流れてきてるんだ。平野部に来てからなら潜り込んでもおかしくはないが,そこはそもそもリザードマンでなくても渡河して回り込めるわけだから,見張りを立てて監視していなきゃ話にならん」
「…なるほど。報告がなかったからこそ,あんな布陣ができたと」
「そういう事だ。敵の奇策をなし得た原因は…見張りが怠けていたのか,あるいは余程上手く始末されたのか…常識的にはこの辺で,おそらく今状況を確認しているはずだ。だがもし何もなかったとすれば…型破りな何かがあったってことになる」
ノエルはそこで肩をすくめてみせる。
「まぁどの道現場の指揮官にはどうにもならん状況さ。よく持ちこたえたよ…もう少し姫さんの対応が遅れていたか,もう少し敵が多かったか,あるいは第三軍がもう少し早く逃げ出していたら,結果は変わっていただろうな」
そこでチッ,と不機嫌そうに舌打ちするノエル。
「どうしたんじゃ?」
「あいつ,頑張りすぎやがって…」
「まさか…こないだの彼?」
「…瀕死だとよ。五分五分らしい」
ギルバートは第三軍の中ではもっとも前線に近いところに居た。つまり奇襲を最も遠い位置で迎えたわけだが,混乱した味方を支えるために自ら矢面に立って奮戦したようだ。重苦しい雰囲気が場を支配する。
「…俺の言う事なんざ鼻で笑って無視してりゃ良かったんだよ。融通きかない奴ほど早死にするんだからよ」
ノエルはそこでまた肩をすくめ,ことさらに軽い口調で言う。
「まっ,しょうがねぇっちゃしょうがねぇけどな。それが…」
言葉を途中で飲み込む。視線の先を見やると,クリミアとラルスがこちらへ向かってくるところだった。
「軍法会議かのぅ…」
「深刻な雰囲気よね…」
ぼそぼそと言い合う二人。舌打ちして頭をぼりぼりとかくノエル。
「…”風”の皆さん」
敬礼してクリミアは口を開く。気丈に振る舞っているが心身共にかなりの疲労があるようだ。
「どうしても今日のうちにお礼を言っておきたくて来ました。今日の勝利を呼び込めたのも,皆さんのおかげです」
深々と頭を下げる。
「儂らは儂らの仕事をしただけじゃよ。そうかしこまらんでくれぃ」
「そうそう。はじめからそういう作戦だったしね」
「…いえ。ラルスから報告を受けています。特にシャルル殿には謝らねばと…」
「謝る?何を?」
「聞けば,難敵のワーウルフの部隊に単身で特攻して血路を切り開いたとか…すみません,私があんなことを言ってしまったばかりに…」
「…あー…いや…」
なるほどエース呼ばわりでプレッシャーをかけた事を後悔しているのか。大したことないと言えば自分の首を絞めそうで何とも返答しづらい。隣でノエルが小さく,しかし確かにまた舌打ちする。
(待てよ…)
もしかして,エリィが妙に不機嫌だった理由もこれがらみか?だとすればそちらも実に厄介だ。ともかく当たり障りないことを言ってこの場を取り繕おう。そう考えをまとめて口を開く。
「命令とかそういうのは関係ない。あの時はとにかく自分にできる最善を尽くそうとしただけだ。上手くいってくれて助かったよ」
「今回は本当に,シャルル殿の武勇とノエル殿の戦術眼に救われました。わが身の未熟さを…」
「おい。お前」
そこでノエルが遮る。声には明らかな怒りの響き。
「本気で言ってるのか?だとすれば未熟を通り越しておめでたいぞ」
「えっ…」
「お前はこの戦の大将だろうが!いちいち下っ端に謝るな!」
「…」
「…あー…しょうがねぇな…」
すっかり消え入りそうなクリミアを見てノエルはぼりぼりと頭をかく。ちらりと周囲を見回し,近くに誰も居ないことを確認して言葉を続ける。
「姫さん,あんた…全軍の指揮はこれが初めてだな?他所の国軍の命を預かるのも初めてだろう?今その権限を持つ地位に居るのも自分だけ,そうだろ?」
ひとつひとつクリミアが頷くのを確認しながら言う。
「…よく分かるのぅ」
「…分からん方がおかしいよ。顔に『不安です,怖いです』って書いてあるんだからな。むしろ今まで良く隠していたさ」
感心するハーディに苦笑交じりに答える。
「まぁ俺も悪いんだけどな…。こないだあんなこと言っちまったし」
「いえ,あれは…」
「ほれ,それだそれ」
言いかけたクリミアをちょいちょいと指さす。
「あんた,まじめ過ぎるんだよ。こないだのアレはな,簡単に言うと劇薬なんだ。少々殴ったくらいじゃかゆいとも思わんような,面の皮の厚い連中向けの言い方さ。アイツにも言ったが,あんたらみたいな
タイプにゃもともとほとんどあてはまらないんだ。ところが逆にそういう奴ほどストレートに受け止め過ぎて,反対方向に自分を追い詰めちまう」
そこで肩をすくめて,おどけてみせる。
「つまりな,相手を見て話を選ばなかった俺が悪かったってことで,今責任を感じてるんだよ」
「す,すみま…っ!」
「だから,それだって言ってんだろ」
謝りかけた唇をちょい,とつつく。びくりとして口を押さえるクリミア。
「まったくだ,くらい言えって。俺たちみたいな変わり者ばっかりじゃないんだ,いちいち耳を傾けていたら体も心ももたなくなるぞ」
それにな,とつついた指を左右に振りながら付け加える。
「これだってかなり無礼なんだ。偉そうに振る舞う必要はないが,しっかり一線は引いておけよ。戦場でもそうだぜ?大将といち兵士じゃ責任が違うんだ。極論,兵士なんざ一人二人やられたところで戦局に影響はねぇ。だが大将がやられちまったら,それをひっくり返すのは並大抵じゃないんだ」
「…」
「それからもうひとつ。あんまり不必要に譲りすぎると…」
それでも今一つ反応の薄いクリミアに溜息をつくと,その両肩に手を置いて顔を寄せ,囁くように言う。
「責任取れって言われて,お持ち帰りされちまうぞ」
「…!」
硬直するクリミア。ふっ,と笑ってノエルはラルスを指さす。
「ほれ,あれが正しい反応だ」
特に取り乱すふうもなく自然体であるが,その手は剣の柄にかけられていた。
「あ…」
ラルスとノエルを交互に見るクリミア。
「ほんとは,あんたが真っ先に自分でやらないといけないんだぞ?平手打ちの一発も,打ってみろって」
自分の頬を掌でピタピタと叩きながらノエルは言う。それ以上の展開は無いとみて,ラルスは剣から手を放すとあからさまに視線を逸らす。
「…姫さん。そこがあんたの魅力,ってのも否定しないがな?少なくとも将軍をやるときは毅然としていろ。あんた自身を心配してくれてる奴らも居るんだ。本国にだって居るんだろ?そんな奴。そいつらの気持ちこそ真っ先に大事にしてやれ」
そう言ってスッと離れると,またおどけた調子に戻す。
「さーて,軍法会議にかけられちゃ割に合わんから,この程度でやめておくか」
「というか,手遅れじゃないかのぅ?」
「だよねぇ…そもそも原因を作ったのもノエルでしょ?」
「いやいやいや。見てみろよ。姫さんの様子を。怒ってないだろ?ぎりぎりのところで止まってるぜ。そこがそんじょそこらのポッと出のシロートさんと,このノエル様の違いさ」
「うさんくさー」
「…インチキ王子じゃの」
「まぁ…公式にはここまでだが,この先を聞きたきゃ,俺の部屋の鍵は開けておくから個人的に来な」
「え…?あ…はい…」
にやにやと笑いながらそう言っておしまいにしようとしたノエルだったが。しかしクリミアの返答にこめかみを押さえる。
「いやそういうことじゃなくてな?…あーもういい。ここでいくら言ってもらちがあかん。この話はこれで終わりだ」
「はい…」
「いいか?来るなら覚悟決めて来いよ?朝まで寝かさんからな」
「はい。では…」
「…」
クリミアは敬礼し,去って行った。姿が見えなくなるとずるずると崩れ,ノエルはぼりぼりと頭をかく。
「あー,何だかなぁ…」
「なかなか面白かったわ」
「面白いもんか…重圧でああなったのか元々ああなのか知らんが,かなりやばいぞあれは…」
「やばさはよく分からんが,今壊れられては困るのぅ…頼むぞぃ,ノエルどの?」
「…は?ちょっと待て,話が見えんぞ」
「見えぬも何も,お主が自分で言ったじゃろうが。朝までつきっきりで面倒見てやるんじゃろ?」
「バ!…来るわけねぇよ。まずあの大尉が止めるだろうが。そのためにわざわざあそこで念押ししてるんだ」
「止めなかったら?それとも,こっそり来たら?」
「…そんなことになったら,誰もあいつを支えてやれてないって証明だ。いよいよ人出不足で,いよいよ劣悪な環境ってことだ。…逃げちまえ,って言ってやるさ…」
「ていうかさー」
フレイアがにやにやしながら言う。
「あなたに支えて欲しいんじゃないの?彼女。まんざらでもない雰囲気だったけど?ねぇ?プレイボーイのノエルさん?」
「バ!…人聞きの悪い事言うなよ。それじゃ俺が誰彼構わずの無節操で,あいつをたぶらかしたみたいに聞こえるじゃないか。俺にだってルールもマナーもあるんだぜ?」
「あらそう…じゃぁプレイボーイは引っ込めるけどさ。そしたらあなた,いよいよ変な人じゃない。軍法会議覚悟でお説教なんて,どんな風の吹き回しよ?」
「う…」
「まあ自称もしてるし実際変な人だしいいけどね。あれ,彼女には絶対いい人に見えてるし,頼りがいのある人にも見えてると思うよ?」
「…そこが壊れてるっつうんだよ…あいつは王族。下々の,特に俺みたいな無責任な奴のその場限りの言葉にそんな感情を持つこと自体間違ってるし,それだけ自分が揺らいでるって事だろ…」
「あれれノエルどの?あなたは高貴な血筋につながるお方じゃなかったかしら?」
「自称ということを除けばさして問題はないのではないのかのぅ?ノエルどの?」
「バ!…そこでそれ持ってくるのヤメロ!いよいよ洒落にならん」
「でもさ,そこまでいかなくても…たとえばエリティア軍に入ってくれとか,この戦いの間だけでも支えてくれって言われたらどうするの?そのくらいなら言われても不思議は無いわよ?」
「確かにのぅ…実際,あの仕切りっぷりはなかなかじゃった。お主の言うように人出不足が深刻なら,それこそ猫の手も借りたいところじゃろうて」
「…ヘッ…まっぴら御免だね。だいたい,自分のケツすら拭ききれてないような奴が,人の生き死にを左右するなんざお門違いもいいところだぜ」
「!」
話題が自分から逸れたのをこれ幸いと,黙って話を聞き流していたシャルルだったが,ノエルのその言葉にハッと我に返る。
「俺はそういうしがらみが御免だからここに居る。これまでもそうだったし,これからもそうやって生きていくだけだ。責任ある立場?割に合わんよ」
(そうか…)
このところノエルに感じていた気安さのようなものは,ここが原因だったのかも知れない。いや,それはおそらく”風”に対して感じている気安さなのだろう。あの件さえ除けば,特に何かを強制されているわけでもない。何かを期待されているわけでもない。それをしたいならやればいい,したくないならやらなければいい。そんなルールで動いている集団。
(まぁ…あれも,俺が勝手に義理立てしているだけなのかも知れないが…)
「おい,笑ってる場合じゃねぇぞシャルル」
我知らず苦笑してしまったようだ。慌てて意識を現実に戻す。
「あ…すまん,聞いていなかった。いったい何の話だ?」
「ウチのお姫様の話だよ。ありゃ完全にお前が原因だからな?」
「俺が?何か…まずいことでも?」
「…あのなぁ…お前,少しは自覚しろよ?もうかなり深くお嬢ちゃんの人生に踏み込んじまってるからな?あれこれ言うつもりは無いが,壊すなよ?そこだけは何とかしておけよ?」
呆れたようにノエルは言った。