突出
再び敵軍が現れたとの報告がもたらされたのは,その翌日の事であった。本体が到着したのか,その規模は倍になっているという。
「まぁこっちも増えてるし,部隊の編成もそれなりにできてるからね。上手くやれば大丈夫かな」
とフレイア。平野部で開けているため伏兵には向かず,極論すれば籠城するか正面きって野戦をするかのどちらかとなる。籠城はいよいよ他に手がなくなった時の最後の手段であるから,結局余裕のあるうちは野戦をすることになり,その余裕をなるべく温存するために彼らはまた突撃する手筈となっていた。
「問題は…敵さんに学習能力があるかだな。結局正面からのぶつかり合いで兵力差をひっくり返すにゃこれしかないから,その対策をとってくるかどうか…」
「じゃのぅ」
そこへ騎乗のクリミアがやってきた。
「”風”の皆さん,今回もよろしくお願いします。敵の規模は確かに大きくなっていますが,こちらも部隊を編成し指示を出せるようになる時間を得られました。敵も何らかの変化を見せてくるかも知れませんが,皆さんが好機を得られるよう最善を尽くします」
「さすが姫さんだね,しっかり分かってらっしゃる」
ノエルに微笑を返し,クリミアはシャルルに向き直る。
「”紅き流星”の活躍は聞き及んでおります。負担を強いるわけではありませんが,期待させて下さい」
「ん?…あぁ…」
曖昧な返事を返す。シャルルにとってみればエリィの安全さえ確保できればそれでいいわけで,個人だろうが”風”だろうが戦果を期待されてはむしろ困るのだ。
だがこうして面と向かって言われてしまうと,周囲で聞いている一般の兵の手前きっぱり断るわけにもいかない。
「姫さん,あんたほんとに,下手に出ながらプレッシャーかけてくるの巧いよな」
「…私もそれほど自信家ではありませんしね。楽に越したことはありません。圧倒的な技量を誇るエースには頼りたくなってしまいますよ」
クリミアはそう言って苦笑すると,敬礼して帰っていった。あんな無様な内容でエース呼ばわりされるのもいかがなものかとシャルルは自嘲する。
「…はじまったか」
ザアッ,という音とともに無数の矢が飛んでいく。
「特訓の成果,たっぷり見せてもらうぜ」
にやにやしながら,ガシャン,とシャルルの鎧を拳で軽く叩くノエル。
「見せる場が来ないのが一番いいんだけどな…」
「ハハッ,違いない」
軽口を叩きあいながら矢をはじき,走り出す。前衛がぶつかり合い,戦線の押し合いが始まる。
特訓の成果は現れているようだった。エリィが特訓した型に限定して戦っているためでもあるが,動きが完全に把握できる。シャルルは彼女の死角をカバーするように動いた。その動きを邪魔しないように立ち回ることによってエリィは持てる力をすべて前面に傾けることができ,その分だけ突破力が上がる。
「面白い分担だな。完全に裏方か」
ノエルが口笛を鳴らして言う。
「この方が,”風”のらしさが出るんじゃないかと思ってな」
「…なんだ,俺が馬の骨呼ばわりしたのをまだ気にしてるのか?」
「…いや,別にそういうわけじゃないが…」
「心配すんなよ。お前はもう立派な”風”のメンバーなんだ。自信もって自分のカラーを出していけばいいし,それが新しい”風”になる」
その言葉にシャルルはひっかかる。それで,いいのだろうか。自分はこのまま”風”の一員としてやっていくのだろうか。自問する。結局は今のこれも,ノーブルが居ない間エリィを頼まれたというだけの一時的なしがらみに過ぎない。ノーブルが戻ってくればお役御免,いや,そもそもブレーキ役の代わりなど誰でも務まるはずだ。
「…これのことか?」
苦笑交じりに,流星のデザインの入った紅の鎧を指さす。
「…どちらかというと”火”だなそれは」
そう言ってノエルが笑う。
(結局,俺はどうしたいんだろうな…)
絶望感と虚無感。自分にあるのはそれだけで,記憶の無い自分にはその理由も分からない。だがそれが幸せの記憶と結びつくものでないのは間違いないだろう。
正直,今は思い出さないほうがよいのではないかという気持ちのほうが強い。だが,何かのきっかけでそれが蘇ってしまうこともあるのではないだろうか。既にあったという事しか思い出せない先日のアレが,ただの夢だったのかは分からない。
しかしもし,引っ込みのつかないしがらみができてしまった後に取り返しのつかない何かを思い出してしまったら…。
「お,姫さんがんばってるなー。中央が開いた」
ノエルの声。味方軍は左右に展開して包み込むように攻勢をかけていた。それに対応しようとした敵軍が両側に開くことで中央が手薄になっている。だがどちらかと言えばこちらが寡兵である。結果として友軍の中央も手薄になっている。自軍の本陣を晒すリスクはかなり大きい。
先ほどのクリミアの言葉を思い出して少なからず居心地の悪さを感じ,ラルス大尉が頑張ってくれるさ,と無意味に反発してみる。
「んじゃいっくよー」
フレイアが精霊魔法の詠唱をはじめる。
〔誇り高き戦乙女,輝かしき命の担い手,麗しき風の乙女,集い来たりてその力我が朋輩に分け与え…〕
(これも…何かが違うということなんだろう,な…)
精霊が溶け込んでくる感覚に耐えながら思う。ちらりと聞いた限りでは,種族的に近縁であるか専門の訓練を受けた者でもない限り,精霊の存在を感じる,まして視認することは極めてまれだという。そんな精霊と共感ならばいざ知らず,交信するための言葉が理解できるなどということは絶対にありえないのだ。なぜ自分にそれができるのかは分からないが,どの道尋常でない何かがあるのは間違いない。
(我ながら支離滅裂だ…)
ふっと自嘲する。記憶を取り戻すのは怖いくせに,自分がどの程度尋常でないかを知りたがって魔法の手ほどきを受けようとしている。それが記憶の扉を叩く危険をじゅうぶん承知しているのに,だ。
「何だ?後方の様子がおかしいぞ…」
ノエルの声で意識が現実に引き戻される。そちらを見ると,たしかに得体の知れないざわめきが感じられる。フレイアが精霊と話し,顔を青ざめさせた。
「リザードマンよ!後方にリザードマンが現れたわ」
「何!?」
ラルスが叫ぶ。
「まずい…最後尾はアリシアの第三軍だ,とても防ぎきれん。砦へ向かわれれば守備兵は僅かだ」
「何だと…?ちっ…やってくれる!エリィ,突撃だ!敵の大将を倒す!」
「えっ?でも…」
うろたえるエリィ。
「俺らが今後ろへ回ったところで面全体を支えきるのは無理だ!かといって前面の兵を割けば押し負けて袋のネズミ!砦に籠られればいよいよ逃げ道も無くなるぞ!」
「!」
「現状を打開するには本隊を撤退させるしか無いんだ!迷ってる暇は無い!時間との勝負なんだ!」
「ノエル殿の言うとおりだ。被害を少なくするにはそれしか無い。大丈夫だ。少佐なら持ちこたえる!」
ラルスが浮足立った部下たちを鼓舞する。
「分かったわ!”風”,参ります!」
走り出す。どの顔にも焦りが色濃く浮かぶ。しかしその中にあってノエルとシャルルは比較的冷静だった。極端な話,連合軍そのものに対する義理の感覚が最も薄い二人。”風”やエリィの無事を最優先すればいいという,最低限の目標が明確だからこその落ち着きである。
「ノエル…他にも何か仕掛けてくると思うか?」
ゴブリンの剣を弾いてシャルルが尋ねる。
「もう要らないな。数は向こうが上なんだ。このまま押し込めば,いや消耗戦にさえすれば勝てる」
アラウドの脇の下から小剣を滑り込ませてオークのわき腹を突くノエル。
「あとは…それをひっくり返させさえしなければいい」
「となると…」
「さっきも言った通り,俺たちをどうにかして止めるだけで十分だ」
(結局,そうなるか…)
厄介な,とシャルルは思う。敵がどんな方法を使ってくるかは分からないが,こちらの足を止められれば焦りが生まれる。そうなれば真っ先に無茶をしそうなのがエリィなのだ。
「!あれは…」
そのエリィの声で意識を現実に戻し,そちらを見やる。本陣と思しき一団を護るように展開している十体ほどの妖魔。狼の頭を持ちながら直立歩行している。
「ワーウルフ!」
「…最悪だな」
フレイアが叫び,ノエルが毒づく。
「…強いのか?」
「狼並みに素早くて,破壊力のある一撃を繰り出してくる厄介な相手よ。タフさもある」
「…天敵ってわけか」
素早い相手にはハーディやアラウドの攻撃はまず当たるまい。防ぐのも苦労するはずだ。一方フレイアやノエルの攻撃では致命的なダメージを与えられない上,向こうの攻撃を受け損なえば致命傷になりかねない。もちろん腰を据えてかかれば負けないのだろうが,足止め部隊としてはまたとない選択だ。
「来るぞ!」
ノエルが叫ぶ。一方の本陣は後退を始めている。迷っている暇はなかった。
「ハーディ!アラウド!俺が奴らの足を止める!止まった奴らの始末を頼む!」
「流星の?…わ,分かったぞい」
「…承知」
「エリィとノエルはハーディ達のサポートに回ってくれ!フレイア!対抗魔法は任せたぞ!」
「えっ?」
「分かった!」
「任せてー」
(やるしか…ない!)
シャルルは大地を蹴って先頭に躍り出る。突撃の速度を落とさず,エリィを矢面に立たせない方法。それは自分が先頭に立つことだ。自分によけきれない攻撃が来るとは思わないし,そんな攻撃はエリィにだって受けられない。魔法は前回で懲りたが,よほどの無茶をしないかぎりほとんどはかわせるはずだ。いくつか食らう程度ならフレイアが何とかしてくれるだろう。
何をやっているんだろうな自分,とふっと自嘲してすぐさまそれを頭から振り払い,長剣を構えてワーウルフ達に向かって走る。
先頭の奴が繰り出した右腕の一撃を上体をひねってかわし,戻す動きに合わせてすれ違いざまに大腿を剣で斬る。筋肉の鎧に覆われた足を切り離す程の技量は無いが,最低限腱を切ってしまいさえすれば動きは止まるのだ。続けて来る奴の攻撃を身を沈めてかわしながら足を払って転ばせ,膝の裏へ剣を突き刺す。
(大丈夫だ,いける…)
攻撃の速さ自体はエリィのそれとほぼ同等であるが,所詮は単発で,フェイントや変化があるわけでもない。重さはこちらが上そうだが,当たりさえしなければどうという事もない。正面から受け止めてしまえば向こうの狙い通り速さを殺されてしまうだろうが,ここ数日のエリィとの特訓で受け流す型をやってきた成果は出ている。
次の奴の勢いを殺さず利用して,ピンポイントのカウンターで膝関節を蹴り砕く。こちらの狙いに気づかれてしまえばおしまいであるが,幸いなことにそこまでの判断力はないようだ。剣と蹴りの役割を交代させながら,上段への攻撃をフェイントにして次々と足を破壊する。
「詠唱してる!気を付けて!」
フレイアの声。ちらりと視界の隅に,ダークエルフの姿が見える。案の定突出した自分に集中しているらしい。ワーウルフだけならエリィも遅れは取らないだろうが,さすがにこれは分が悪いだろう。
地面から伸びてきた手に次の奴の足を払って掴ませ,バランスを崩した身体を支えようとする逆の足に剣を突き込む。現れた火トカゲに次の奴の頭を蹴ってぶつけ,動きが止まったところで膝を砕く。
ふと見ると,自分の周りに乙女の姿をした何かが現れ,襲い掛かってくる火トカゲにつぎつぎと抱きついてともに消滅していく。
「対抗魔法か…ありがたい!」
残り数体のワーウルフに集中して確実に足を殺す。全ての足を止めて周囲を見やると,術者と思しきダークエルフのほとんどが苦しみにもがいている。
「お前だけにいいカッコはさせないぜ」
残る術者を確実に詠唱不能へ追い込みながらノエルが追い付いてくる。
「足の止まったワーウルフごときにてこずる儂らではないわい」
続けてハーディ,アラウド,フレイアの順に追い付いてくる。エリィが最後に追い付いてきた。
「よし,あと一息だ!いくぞ」
ノエルの言葉を合図に本陣へ向けて突撃を再開する。ほどなくして指揮官を倒すことに成功し,帝国軍はふたたび敗走をはじめた。
「追うな!こちらも立て直す!走れる余力があるなら後方の援護に回れ!それ以外の者は留まって警戒だ!」
ノエルが凛とした声を張り上げる。
「あ…やべ…」
そして,ハッと我に返ると恐る恐るラルスを見る。
「ノエル殿,ここの指揮はお任せします。…我らは少佐のところまで戻るぞ!」
ラルスはにやりと笑うと,すぐに厳しい表情に戻って部下ともども走り去る。
「あー…まじぃな,やっちまった…」
ぼりぼりと頭をかくノエル。
「軍法会議じゃのぅ」
「ちょ!ハーディ,それは慰めになってねぇ」
「ほ?何じゃ,慰めて欲しかったのか?」
「短い間だったけど楽しかったよ,ノエル」
袖で目頭を押さえながらフレイアが言う。
「シャレになんねぇよ!」
そのやりとりに,集まってきていた傭兵たちからも笑い声が起こる。
後方の混乱も徐々に落ち着いてきているようだ。おそらくは別動隊も撤退をはじめたのだろう。シャルルはそこでようやく,ふぅっと一つ息をついて緊張を解く。
(…なんとか今回も守りきったか…)
次からは籠城が妥当なのかもしれない。結局のところ頭を潰して退かせているだけで,向こうの兵力はそれほど減っていないのだ。逆に今回の挟撃でこちらの被害は増えているだろう。
敵が兵力を小出しにするとは考えられない。あとどれほどの兵力が振り向けられるのかは分からないが,今回より厳しい戦いになるのは間違いない。
「おーい,エース!もう大丈夫だぜ。少しは応えてやれよ」
「?」
ノエルの声に振り返ると,集まってきていた傭兵たちから歓声が上がる。
「!?」
「何驚いてんのよ,今回もあなたの大活躍でしょ?」
側までやってきたフレイアに肘で小突かれる。傭兵たちも寄ってきて,口々に称賛や感謝の言葉を言って握手を求めてくる。
(しまったな…)
拒否するわけにもいかず握手を受けながらシャルルはうんざりする。エリィの安全を確保するためとはいえ,少々やりすぎたかもしれない。これでは却って自分や”風”に期待が集まってしまい,断るに断れない無理難題をつきつけられてしまうかも知れない。
いざとなったらエリィを抱えて離脱…などと考えてもいたが,それも難しくなってきたかも知れない。
(…)
しかしシャルルはそれよりも,当のエリィがずっと不機嫌そうな表情で黙りこくっているのが気になっていた。