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七話

 泣きじゃくる小学生への対処法を今すぐ検索したい、と冬子は思う。

 携帯電話を探して無意識にさぐったズボンのポケットは空っぽだった。何もつかめなかった指先が、着ごこちの楽さから選んだ寝巻き代わりの短パンの安っぽさだけを伝えてくる。

 冬子は、またしても夢の中でカノに会っていた。

 深い眠りについていた意識がふわりと上昇してきて、あ、またこの夢だ、と気がついた。

 そして目を開けると同時に、カノが飛び込んできたのだ。

 泣きじゃくる子どもの言葉は意味をなさず、なぜ泣いているのかわからない。とにかく泣き止ませるのが先か、と抱きしめて頭をなでる。

「カノちゃん、カノちゃん。大丈夫だよ、ここにいるよ」

 何が大丈夫なのかわからないが、冬子は他にかけるべき言葉を思いつけず、ただそれだけを繰り返す。

 どれくらいそうしていただろう。カノの泣き声が、いつの間にやらひぐひぐとしゃくりあげる音に変わっていた。

 力強くしがみついてくる子どもの熱さを感じながらぼんやりと頭をなで続けていた冬子は、小さな音で顔をあげる。

 かたり、と机を鳴らしたのは、湯気を立てるコップだった。

 木をくりぬいて作ったのだろうコップは椀のように丸く、何となく優しい形をしているなあ、と思いながら冬子は眺める。そのまま見るともなく見ていると、コップを置いた無骨な手が視界に入る。

 その時になってようやく、自分たちのいる場所が室内で、同じ部屋の中にルゴール隊長もいることに冬子は気がついた。

「……」

 もうひとつのコップに茶を注ぐ隊長の俯いた顔を見た冬子は、何か言わなければならない気がして口を開く。けれど言葉が浮かんでこなくて、何も言えずに口を閉じた。

 ふたり分の茶をいれた隊長は黙って部屋の隅に腰を下ろし、冬子たちに背を向けて書き物をはじめた。

 部屋には、紙のこすれるかすかな音だけが響く。

 隊長が並べた二つのコップから、すっかり湯気が消えるころ。

 冬子の腕の中に、カノが身じろいだ。

「……冬子ちゃん」

 カノな顔をあげないまま、ぼそぼそと喋る。

「あのね、ぼく家に帰れないんだって」

 冬子が返事をするべきか悩んでいるうちに、カノが続けて話しだす。

「ぼく、家に帰りたいって言ったの。お母さんが心配しちゃうから。そしたらね、帰れないんだって」

 冬子は知らず、眉をひそめる。

「約束したこと、済ませないと帰れないんだって」

 ふと冬子が隊長を見ると、筆を置き黙って座っている背中が見えた。

「ぼく、約束なんて知らないのに。ぼく、家に帰りたいだけなのに」

 カノがまたしゃくり上げる。

「冬子ちゃん、ぼくを連れて帰ってよ。ぼくを助けてよ! 」

 涙にまみれた顔で言われて、冬子は胸が苦しくなる。

「家に帰してよぉ……」

 冬子はその顔を見ていられなくて、腕の中にぎゅっと抱きしめた。カノの悲しみに触れて苦しくなる胸のうちに、これは本当に夢なのか、と疑う気持ちが湧き上がっていた。

「帰れないって、どういうことですか」

 カノを抱きしめたまま、冬子は問いかけた。

 老人のように丸められた背中がのそりと動き、冬子たちに顔を向けた隊長が長く息をはく。

「カノの召喚は、召喚時の契約が満たされるまで終わらん。それまで帰れんということじゃ」

 言っている意味がわからず、冬子は黙って続きを待つ。

「召喚には種類があってな。お前さんの召喚は、カノが喚んでお前さんが応えた。それだけのこと。カノがお前さんのことを意識から外すか、お前さんが意識を失えば、元の場所に戻る」

 用が済むか力尽きれば帰るとは、まさしくゲームの召喚獣と同じだと、冬子は自分の立場を認識する。

「カノの召喚は、対象を喚んだ後の依頼によって成されているはずじゃ。その依頼を喚ばれた者が了承することで契約が完了し、契約器によってカノの身はその地に結ばれる」

 仕事の契約を結んだようなものか、と冬子は思う。契約器とは、契約書のようなものだろうか。

「面倒なことに、カノの契約はこの国を魔獣から助けるという曖昧なもの。魔獣の完全排除は不可能に近いから、依頼主がもう良いと認めるまでこの地におることになる」

「依頼主って、だれ」

 感情を押し殺した声で冬子が問えば、ちらりと視線を向けて隊長が答える。

「召喚のときにおったのはマイス王子、その護衛、参謀の三人らしい。その中で可能性のあるのは王子か、参謀のどちらかじゃろ」

 ならば、と冬子が拳をにぎれば、隊長が釘をさす。

「召喚器を壊そうなんか、考えるなよ」

 まさに考えていたことに駄目出しされて、冬子は隊長をにらむ。

「なぜ」

 カノがすがりついていなければ、今すぐ飛び出そうとしている冬子の様子に、隊長はひとつ息を吐き答える。

「契約器はカノをこの地に結びつけるだけじゃなく、元の地と結ぶ役割もしとる。糸の切れた凧がどこに行くかわからんのと同じじゃ。契約を終えず無理に器を壊せば、カノをつなぐ糸が切れてどこに行くやらわからん」

 腹の底が熱くて、な冬子はぎりぎりと歯を噛みしめる。解放されたくて暴れる怒りをねじ伏せて問う。

「なら、私はどうすればいい」

 這うような声にこもる怒りを向けられた隊長は、首を傾げた。

「わからん」

「……はあぁぁ!? 」

 冬子は素っ頓狂な声をあげた。

 突然の大声に、冬子の腹に顔を押し当てていたカノがびくりと震えるのにも気づかず声を荒げる。

「ここまで説明しておいて、肝心なところでわからんって! 役に立たない! なめてるんですか!! 」

 冬子が牙をむいて吠えても、隊長はどこ吹く風。先ほどまでの神妙な態度すら、どこかへ行ってしまったようだ。

「だって知らんものは知らんもん。わしがやったわけじゃないし」

 悪びれた様子もなくそっぽを向く隊長に、冬子の怒りは臨界突破目前だ。

 しかし隊長は気にした風もなく、気軽に火に油を注ぐ。

「同じ国の者が起こしたことじゃから、申し訳ないなーと思って説明してやったんじゃ。カノもそんなに泣かんで、ちょっと親元を離れて冒険に来たと思えば良かろ。二度と帰れんと決まったわけじゃなし」

 無責任に言葉を紡ぐその姿に、冬子は怒りで声を震わせる。

「帰るための方法がわからないなら、帰れないも同じでしょうが! 」

 泣いていたカノがおどおどしながらもそっと距離をとるほどの剣幕であったが、隊長は肩をすくめただけで受け流す。

「そりゃあ短慮にすぎるな。確かに、依頼の内容が曖昧すぎて完遂するために何をしたらいいかはわからん。だが、帰れんわけじゃない」

「何を言って……」

 眉をしかめた冬子に構わず、隊長は続けた。

「お前さんが魔獣をどうにかして依頼を達成すればいいだけじゃ」

 堂々と言われた言葉があまりに曖昧で、冬子は怒りを忘れて脱力する。

 辺りに振りまかれていた怒気が霧散して、カノがこっそりと安堵の息をついた。

「魔獣をどうしたらいいか、肝心なところがわからないんだから困ってるんでしょう」

 呆れた様子を隠そうともせずに冬子が言えば、カノがぱっと表情を明るくする。

「あ! ぼくを召喚した人に聞いたら、教えてくれないかな」

 良いことを思いついたと顔に書いてあるカノの純粋さに胸を打たれた冬子は、その頭をよしよしとなでてやる。

 あたりにほんわかした空気が漂いだしたとき、空気を読まない隊長の声がした。

「聞かれて、正直に言うわけなかろう。お前さんらは使い勝手のいい駒なんじゃ。最低でもこの国が落ち着くまでは、解放されんぞ」

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