六話
「うわー、また盛大に寝すぎたなあ」
起き抜けに時計を確認して、冬子はつい独り言をこぼす。
携帯電話の画面に表示された時刻は正午過ぎ。またしても貴重な日曜日が浪費されている。
とはいえ、気楽な大学生の一人暮らしである。寝すぎただけで、問題というほどのことではない。
冬子は布団を畳みながら、さっきまで見ていた夢を振り返る。
今回の夢もカノが出てきて懐かしくはあったが、空を飛んだり戦ったりということはなく、前回ほどの爽快感は味わえなかった。
「まあ、武器を振り回すのは悪くなかったな」
目覚める寸前まで武器を握っていた感触が残っている手の平を開いたり閉じたりしてみる。
今回は、続きものの夢に新キャラが登場して名前を聞いた。イーラ、ルゴール隊長、ネスクそして王子さまとその護衛。
イーラは少し長めの茶髪にゆるくウェーブがかかり、色素の薄い瞳とあいまってチャラそうに見えた。大学で群れて騒いでいるオシャレ系の男子に分類される見た目から、冬子の苦手なタイプかと思ったが、話してみたら真面目で善良な青年で、意外と話やすかった。背が高く、細身の体で颯爽と歩くさまはイケメン臭が漂っていた。
現実のオシャレ男子たちもあんな風に話しやすいならば良いのに、と思う。
ルゴール隊長はほとんど会話をしていないが、なんとなく嫌いではなかった。どことなくモグラを思わせるずんぐりした体型と面倒臭さを隠さない言動が、高校のときの壮年教師を思い出させるためかもしれない。
もう一人の青年、ネスクは一番気安く話しやすいタイプだった。人との垣根が低く、誰とでも仲良くできるなのだろう。ああいう人は人生も明るく楽しそうで、うらやましく思う。
人となりが全くわからないのが、王子さまとその護衛だ。護衛に関しては声すら聞いていないため、風景と大差ない。王子さまも話しているのを見ただけで会話はしていないため、どんな人かはわからない。ただ、なんとなくとっつきにくそうだと感じた。
「剣道とか始めたら、意外な適性があったりして」
パジャマから着替えながら、ひとりごちる。
新キャラが登場した夢の中でカノと別れた後、イーラとネスクの武器を借りて振り回していたのだ。
戦いに関して聞かれてもただの女子大学生である冬子に答えられることはなく。大した情報が得られないとわかった青年たちの提案により、実際に武器を触ってみることにしたのだった。
夢の中とは便利なもので、重たそうな長剣は軽々振り回せたし、扱いが難しそうなネスクの圏は軽く振るだけで風切り音を立てていた。
調子良く振り回している最中に突然、夢から覚めたため、気持ちはまだ武器を手にしたままになっている。
「まあ、程よい気分転換になりましたね、っと」
洗濯機に衣類を放り込んで、冬子は立ち上がった。
いつまでも夢を振り返ってはいられない。明日はまた憂うつな月曜日なのだから。
機嫌良く家事を済ませた冬子は、明るい気持ちで週明けを迎える。
その週は何ごともなく、楽しく過ごせた。昼は学食で狙っていたおかずを食べられたし、講義の後には同じ学部の女の子たちからアイスクリームショップに誘われた。
初めて行ったその店で冬子は想像以上の甘さに慄いたが、女の子たちはおいしいと口々に言っていた。同世代の女の子たちと過ごす時間は賑やかで楽しかったが、次は遠慮したい。
一週間の間にオシャレ系男子たちと言葉をかわすことはなかったが、そのほうが冬子としてもありがたかった。
夢の中の人物、イーラやネスクと同じように、彼らが実は話しやすい人だという確率は低い。
それに冬子は、変に冒険してまで異性の友人を作りたいわけではないのだ。
彼らのほうでもオシャレでもない、可愛げもない女に構っている時間などもったいないと思っているだろう。
冬子としても彼らとの距離感は風景の一部のままでありたいので、現状に満足していた。
そうして、まあまあ悪くない平日を終えて迎えた土曜日。
今日はなんとなく、パートのおばちゃんも機嫌が良いんじゃないかな、などと根拠もなく期待してバイトに向かう。
はたして、バイト先のロッカールームで出迎えてくれたのは、いつも通り眉間にしわを寄せたおばちゃんだった。
淡い期待が霧散して、冬子は思わずため息をつきそうになる。
「おはようございます」
ため息の代わりに貼り付けた笑顔で挨拶をすれば、冬子のかわりにおばちゃんの口からため息が出た。
「こんな時間に来て、おはようございますだって? こっちは本当に早くから働いてるんだよ」
今朝も忙しくって大変だった、と肩を回すおばちゃんに、冬子は黙って自分のロッカーに向かう。
努めて無表情を保っているが胸の内では、ここでの挨拶は時間に関わらず、いつでも「おはようございます」だって教えたのは、あんたでしょうが、と腹を立てていた、
しかし、何を言ったところで彼女の気にくわないのはわかっているので、反論は心の中だけに留める。
すると、何も言わない冬子に調子に乗ったのか、おばちゃんはさらにぶつくさ言いだした。
「人手が足りなくて忙しいってのに、週一しかシフトに入らないなんて、近ごろの若い人は自分中心にしか物事を考えないんだから」
忙しい忙しい、と言いながら、おばちゃんはロッカールームから出て行った。
室内には冬子だけが残される。
一人きりになると取り繕うことをやめると、私が週一シフトなのは最初の契約から決まってることだし、自分中心なのはあんたでしょ、と理不尽な発言にむかむかしてきた。
苛だちまぎれに閉じたロッカーの扉が、ガツンと大きな音をたてる。
そもそも忙しいと言うのなら、ロッカールームで油売ってるなと言いたい。
腹を立てながらも身支度を終えた冬子は仕事に向かいながら、今夜もカノに会えそうだ、と思うのだった。