三十二話
「おはよう、カノちゃん。ちゃんと来たでしょ」
目を開けるなり、冬子は明るく言った。
すぐ前には嬉しげなカノがいる。彼は、にこにこと笑いながら冬子の手をとり握る。
「おはよう。来てくれてありがとう、ふゆちゃん」
冬子とカノがあいさつをして笑い合っていると、ばさばさと布扉を押しのけてルゴールが入ってきた。
彼は冬子に気が付いていないのだろう。なにやら忙しそうに本の山を突きくずし紙束を雪崩させている。
「おはようございまーす」
このままだと気づかれずに去られてしまう、と冬子が遠慮がちに声をかけると、ルゴールはやはり気が付いていなかったのだろう。怪訝そうな顔をして冬子とカノがいる片隅に目を向けた。
「なんじゃ、カノ。また呼んだのか。今日はそいつに用事はないから、呼ばなくていいと言ったじゃろ。返して来い」
のら猫を拾った子どもに言うようなルゴールのもの言いに、せっかくやる気を出して来た冬子は抗議の声を上げる。
「えー。せっかく来たんだから、なにか仕事ないんですか。力仕事でもやりますよ」
最強補正のおかげで、人並外れた力があるのだ。活用しない手はないと売り込むも、ルゴールの関心は引けない。
「力仕事って言うてもなあ。ジュツとウメクが暴れたのは訓練場やらがある広場のほうじゃったから、天幕に被害はなかったし。怪我人こそ多いが、お前さんのおかげで死人はおらんからなあ」
そうぼやきながらも手を休めないルゴールは、発掘した紙を片手に何やら書き物をしているようだ。聞けば、近場の国にいる知人にあてて手当に必要な道具類を安く譲ってくれるように手紙を書いているらしい。
それは邪魔してはいけない、と冬子はカノを連れて立ち上がる。
ぶらぶらしてきます、と二人が出口に手をかけたところで、ルゴールが顔を上げずに声をかけた。
「もうおらんとは思うが、魔獣に気をつけろ。念のためドウソ神のおる道を通って、行くなら畑だけにしとくんじゃ。あそこなら今、隊士がおるからな」
お前さんらも知っとるやつじゃ、と付け足したルゴールに、わかりましたー。行ってきまーすとそれぞれに返事をしてテントを出た冬子とカノは、とりあえず言われた通りにドウソのいる道に向かうことにした。
「まだヒツジいるかな?」
期待しているのだろう、カノが目を輝かせて聞いてくる。ふわもこのさわり心地を思い出して口角をゆるめながら、冬子もわくわくしてきた。
「いるといいね。わたしたちが知ってる隊士がいるって言ってたけど、イーラかな。ネスクかな。二人ともいるかも」
どちらか片方でも居たなら、戦い方について指南してくれるかも、と期待しながら冬子はカノと並んで歩いて行った。
「……知ってる隊士って、あんたか……」
うなるように言って、冬子はしぶい顔をする。
冬子の横にいたはずのカノは、いつの間にか冬子の背中に隠れていた。
「なんだ、お前らか」
爽やかな見た目に似合わないにやっとした笑みを浮かべたのは、ウコットだ。確かに面識があり名前も知っている隊士ではあるが、いっそ初対面の人のほうが良かったと冬子は思う。
「誰でもいいから人手が欲しいとは言ったけど、ぼくが欲しいのは手伝いができる人員なんだよね。こんな半端なやつらを寄越されても、ここは遊び場じゃないから困るんだよね」
ウコットは座って作業をする手も休めないまま、ため息をつかんばかりに言い放った。その言い草に腹を立て、構わないでおこうと思ったのも忘れて冬子は口を開く。
「わたしたちはあんたの手伝いのために来たわけじゃありません。勘違いして勝手なこと言わないでよね」
鼻息も荒く冬子が言うと、ウコットが手を止めて立ち上がる。その顔に楽しげなにやにやとした笑いが浮かんでいるのを見て、冬子は嫌な予感がした。
後ろにくっついているカノの手を取って畑に背を向けようとするが、それよりウコットが口を開くほうが早い。
「ああ、まあそうだよね。いくら簡単な仕事とは言っても、欠陥品の召喚獣とそれを呼んだちびっ子勇者にできることではないよね。悪かったよ、勘違いして。あんまりにも人手がないから、うっかり間違えちゃったよ。いやだいやだ、恥ずかしい。ああ、どうぞ。お前らはユウに乗って散歩に行くなり、木の実を摘んで時間をつぶすなり好きに遊んできなよ」
なめらかにけなされて思わず振り向いた冬子に、ウコットはひらひらと手を振って行くように促す。
その明らかに馬鹿にした態度に、冬子はついつい腹を立てる。
「あんたの手伝いなんて簡単すぎて誰もやらないんでしょ。そんなのわたしには役不足だろうけど、ちゃちゃっと片付けてやるから、なにをするのか教えなさいよ!」
そしてうっかりそう言ってから、カノに服を引かれて我に返った。
困ったように眉を下げたカノに見つめられて、冬子は自分の口から出た言葉を振り返る。そしてぴしりと固まるが、もう遅い。
目の前ではウコットがにんまりと笑っている。
「手伝ってくれるの? いやあ、悪いね。正直なところ、手があるならウメクでもいいやと思ってたんだよね。だから、お前らでもじゅうぶん有効に使ってあげるよ」
鼻唄でも歌いそうな調子で言うウコットに、冬子はがっくりとうなだれるのであった。