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二十九話

 丘の上の木の根元に花守りの姿を見つけて、冬子は大きく手をふった。

「おーい、花守りさーん。友だちが来たよー」

 冬子の声に気がついたのだろう。飛ぶようにして立ちあがった花守りは、トーカの姿を目にしていそいそとやってきた。

「久しいな。遠いところ来てもらって、申し訳ない」

 心持ち身をかがめて少年に声をかける花守り。

「こちらこそ、なかなか足を運ばずにいたことを謝罪する」

 一方で、応える少年は胸をはって背すじをぴしりとのばし、その小ささをあまり感じさせない。

 トーカの肩に浮く火の玉が二人の間をふわふわと行き来するのを眺めながら、冬子はそれぞれの対応がおおむね予想どおりであったなと思った。

 そのまましばらく久しぶりのあいさつを交わすさまを見守っていると、火の玉がトーカの元を離れてふわりと浮かぶ。

 どうしたのだろう、と冬子が目で追うとその先には大きな木。神さまの木までたどり着いた火の玉は、そこからさらに上へと進む。太い幹が枝分かれする箇所まで行くと、そのあたりをゆるりゆるりと行ったり来たり。

 何かあるのだろうか、と眺めていた冬子は、ぱちりとまばたきした目を大きく見開いた。

 一瞬のうちに、木のわかれ目に女性が顔を出していた。

 枝分かれしてなお太いその枝にちょこんと手を置いて、幹に隠れながらもちらちらとこちらを伺う女性。

 彼女の周りを火の玉がぐるりと飛ぶと、長い墨色の髪を揺らしてそちらを見ている。けぶるようなまつ毛の麗しい女性だ。

 冬子が思わず見惚れていると、花守りとトーカが気がついて冬子の視線を追う。

「花っ! 」

 女性に気がつくが早いか、花守りは上衣をひるがえして木に駆け寄った。

「花、どうされた。あなたは姿を見せてくれず、つぼみは待てども開かない。どこか具合が悪いのか。何か問題があったか」

 矢継ぎ早に問いかける花守りに、しかし彼女は口を開かない。伏し目がちに花守りを見るその視線がうろうろとさまよって、そっと悲しげに目を閉じた。

 なにやら気になる動きだなと冬子が見ていると、女性はすっと左手を上げる。手首の玉飾りを揺らしながら優しく火の玉をなで、しゅるりと幹の上を泳ぐように一周すると、彼女はとぷんと木の陰に姿を消した。

 慌てた花守りがどたばたと木の裏にまわるも、もう姿はなかったようで肩を落としている。

 花守はしょげ、トーカは首をかしげていたが、そんな二人を放って冬子は一人で感動していた。

「ほんものの人魚、はじめて見た……」

 女性が姿を消す前、ちらりと全身が見えたのだ。木の上を泳ぐようにして移動した彼女の腰から下は、うす紅色のうろこに覆われていた。その先にはひらりと広がる花びらが、魚の尾びれのようにゆらめいていたのだった。

「あれは確かに、花の神さまだわ……」

 今しがた目にした花の美しさを思い出しながら、冬子はつぶやく。

 美しい女性が姿を消す間ぎわ、ひらめいた花びらはたおやかであり艶やかであった。

 桜によく似たやわらかいうす桃色の花が、この巨木いっぱいに咲いたならばそれは見事だろう。この街じゅうの木に咲いたならば、それはそれは素晴らしい光景だろう。

 冬子がまだ見ぬ景色に思いを馳せていると、そんなことにはかまわない少年が口を開く。

「花の神が花の神であることは、確固たる事実。フユコがなにを喜んでいるやら皆目検討もつかない。しかし、今はそれよりも先に考えねばならない事案がある」

 そう言ったトーカの視線の先には、未練がましく木を見上げながらうろついている花守りがいた。

 少年と冬子が自分を見ていることに気がついた花守りは、しょんぼりしながらも少しだけ明るい声を出す。

「やはりあなたたちに来てもらって良かった。花が姿を見せてくれた」

 木の上から降りてきた火の玉を両手ですくい持った花守りは、トーカの肩にそっと火を乗せた。

「しかし、また姿を消してしまった。トーカ、花はあなたになにか伝えなかっただろうか」

 悲しげに問いかけた花守りは、少年の肩で揺れる灯し火を見つめている。火の玉はふわふわと動くばかりでなにも語らない。少なくとも冬子の耳には聞こえなかったが、トーカにはそれで伝わるものがあったらしい。

「花の神は悲しんでいたようである。詳細は……輪、対、守り……。ふむ、なにを意図しているかわからぬ」

 言いながら首をかしげる少年を見て、あの火は神さまとやりとりするための道具だろうかと、冬子は考えていた。

 冬子が他人ごとのように思考をよそに飛ばしていると、今にも泣きそうな気配を漂わせた花守りが声をうろたえさせる。

「どうしたのだろう、花はなにを悲しむのか」

 どうしよう、どうしたらいいと花守りは取り乱し、トーカは火の玉を見つめてしきりに首をかしげている。

 花の神を見て原因に予想がついた冬子は、火の玉の助言を受けて確信した。それなのにこの二人はまだわかっていないようで、冬子は男たちにあきれてしまう。

「あんたらには最大級の謎ときなのかねえ」

 ため息まじりにつぶやくと、すぐさま花守りが食いついた。

「なにかわかったのか! なぜ花は姿を消すのだ、なにを悲しんでいる? 教えてくれっ」

 飛びつくようにしてそばに寄ってくる花守り。

 待てをさせられた犬のようにこちらを凝視してくるひとつ目の面を相手に説明するのが面倒くさくて、冬子は手をひらひらさせて花守りを追い払う。

「説明してあげるからさ、とりあえず神さまがくれた宝玉を取って来なよ」

 冬子が言うが早いか姿を消した花守りは、瞬きする間に再び目の前に現れた。この人、人ではなかったのかと、驚くよりも納得をしながら冬子は思う。

 その手にしっかりと捧げ持たれた宝玉が輪を作って揺らめくのを見て、冬子はついついため息をこぼす。

「そうやって持てば、手首に絡まないのね。それもあって気づいてないのかな」

 つぶやきながらとりあえず腕輪の状態にしてもらおうと、冬子は身ぶりで花守りに伝えた。

 すなおに従った彼の手首には、うす紅の宝玉でできた腕輪がはまる。

 つぎはなにをしたらいい、と向けられたひとつ目の面を手まねきし、冬子は小声で彼の言うべき台詞を教えてやった。

 そうして背中を押してやれば、花守りは戸惑いながらも木に向かう。腕輪のはまった右手をかかげて、彼は自信なさげに仕込まれた台詞を言った。

「腕輪をありがとう。似合うだろうか、花」

 花守りが木を見上げたまま沈黙すること少し。暗い色をした木肌に、白魚のような指がそっと添えられる。続いて幹の陰から顔を出したのは、花の神。

 ちょこんと鼻のあたりまでをのぞかせてた彼女は、花守りの腕にはまるうす紅を目にして、顔を輝かせた。

 幹をするんと泳ぎ越し、花守りの前に舞い降りた花の神は、瞳をうるませほほをばら色に染めている。

 こぼれ落ちんばかりの喜びを浮かべ花の神に手をとられ、花守りは緊張のあまり固まっているようだ。面の端に覗く花守りの耳は、真っ赤に染まっている。

 言葉もなく幸せそうな二人を眺め、少年は首をかしげる。

「何がなにやら、皆目見当もつかん。説明を聞きたく思う」

 そう言って見上げてくるトーカに、冬子は呆れて答えた。

「あの宝玉の腕輪は、花の神さまが花守りさんにあげたやつなわけよ。だから、つけてもらえなくて神さまは拗ねてたってこと」

 わかった? と冬子が少年を見れば、まだ彼は首をかしげている。まだわからないか、と思いかけた冬子は、いやいやちびっ子には難しい話だから仕方ないか、と思いなおす。

「あー。そうだ、花の神さまの左腕にある腕輪、見える? あれがね、花守りさんが貰ったのと同じなのよ」

 トーカは言われて見て、はじめて気がついたらしい。おお、まさに、などと無表情ながらに感嘆の声をあげている。

「それで、おそろいの腕輪を贈ったのに着けてもらえないどころか、個人への贈りものだって気づいてもらえなくて、花の神さまはしょんぼりしてた。けど、さっき花守さんがお礼を言ったからご機嫌なおして出てきたってこと」

 これならばわかるだろう、と噛み砕いた説明をすれば、少年はようやくふむふむと頷いた。

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