二十七話
丘の頂上を覆うように枝をのばした木は、近くで見ると圧巻であった。
周囲に遮るもののない丘の頂きは、明るい陽光に包まれている。柔らかい陽射しのなかに佇む幹は暗い色をしているが、どこか暖かさを感じさせる。
どっしりと地に根をおろしている幹は太く、その力強さとは裏腹にそこから伸びる枝はたおやかで、その枝先は丘の下の街を包み込むように広げられていた。
その力強い優しさに、冬子はしばし見惚れる。
「見事であろう」
大木を見上げていると突然、誰かに声をかけられた。
もしやこの木の神さまかと冬子が声のしたほうに視線を向けると、いつの間に現れたのか、そこには木に背を預けて立つ一人の男の姿がある。
男は幹の暗さに映える白い羽織を着ていた。たてがみのような髪はかつらだろうか、派手な朱色をしており、背の中ほどまでの長さがあるようだ。こんな奇抜な格好をした神はどんな派手な顔をしているのか、隈取りでもしているのでは、と見てみるも、鼻まで覆う面に隠れてその顔は伺えない。
「あの、この木の神さま、ですか? 」
やはりこの木には神がいたのだと思いながら、冬子は恐る恐る声をかける。
すると、男は面に描かれた大きな一つ目を冬子に向けて首を横に振った。
「俺はただの花守り。この木に惹かれ、この木の神を守っているだけの者」
その言葉に、こんなに派手な格好をしていながら神ではないのかと冬子は驚く。
「なんだお兄さん、人だったのか。そんな派手な格好してるから、神さまかと思っちゃったよ」
神さま相手にどんな態度をとるべきなのかと緊張していた冬子は、一気に肩の力が抜ける。以前、ドウソに話しかけたときは神とは知らずに気安くし過ぎたと反省していたため、気負っていたのだ。
「花守りさんは、ここで何してるの」
面の下に見えている口元と声から若い男性だろうと判断し、冬子の態度が気安くなる。
「木につぼみがついたのだが、なかなか咲かんのでな。見物客も大勢集まってきているというのに、どうしたことかと悩んでいる。花の具合が悪いのかと心配なのだが、姿を見せてくれんからそれもわからん。知人に知恵を授けてもらおうと呼んだのだが、そちらもまだ着かんしな……」
言いながら、花守りは木を見上げる。
顔の見えない面のせいでそうは見えないが、悲しげに息を吐く様から彼が本当に困っているのがわかった。
「花っていうのは、この木の神さま? 」
まだ固そうなつぼみを見上げて冬子が聞くと、花守りは頷く。
「ああ、このつぼみが一気に花開く様は、それはもう見事なものだ。おかげでこの花を見るために人が集まり、この国も大きくなった」
言いながら、花守りは丘の下に広がる街に顔を向ける。面で見えないのだが、冬子は彼の顔が嬉しそうに綻んでいるような気がした。
「だったら、わたしもなんか手伝うよ。花が咲いたとこ見てみたいし」
まだ野営地には戻りたくないし、という思いを少し込めて、冬子はもうしばらくこの丘の国に関わっていようと決めたのだった。
「それで、花守りさんは原因に心あたり、まったく無し? 」
冬子の問いに花守りが沈黙する。しばしの後、朱色のたてがみを揺らして、かぶりを振った。
「つぼみがつくまではいつも通りであった。むしろ、機嫌も良いと思っていたのだが」
言いながら、花守りは肩を落として沈んだ様子を見せる。
顔が見えないわりに表情豊かな人だな、と冬子はみょうな関心をする。
「この木の神さまっていつもはしょっちゅう、人型になるの? なのに最近、出てこない」
確認するように問うと、花守りは頷く。
「んー。元気なさそうには見えないよなあ。つぼみも閉じてはいるけど、たくさんついてるし。枯れてるようにも見えないし」
木を見上げながら冬子は首をかしげる。下から見える部分は元気そうであるし、そもそも木が弱っていれば花守りが気がつくだろう。
枝からこぼれた暖かい日差しに目を細めながら、冬子はうなった。
「やっぱ花守りさん、なんかしたんじゃないの」
原因など考えつかなくて、枝を眺めながら何気なく言ってみれば視界のすみで慌てる花守りが見えた。
見た目は派手派手しくて近寄り難いのに、どうにも反応が面白くてからかいたくなる。
なんだか動きがカノちゃんに似てる、と頭に浮かんだことを冬子は慌てて振り払った。今はまだ、カノと彼にまつわる事を考えたくない。
「冗談だよ。だけど、機嫌が良さそうだったってのに急に出てこなくなって花も咲かない、となると、その出てこなくなる寸前が怪しいよね」
そう言った冬子に、花守りは首をかしげた。
「だが、確かに機嫌が良かった。微笑みながらうす紅の宝玉を授けてくださるほどであったのだから」
聞きなれない単語に、今度は冬子が首をひねる。
「ほーぎょくって、なんか宝石みたいなやつでしょ。それって、ご機嫌だとよくくれるものなの」
ゲームでなんたらの宝玉って見たことあったような気がする、という程度の感想しか浮かばない冬子は、今ひとつ実物を想像できないまま聞いてみる。
「いや、はじめて授かった。それほどに機嫌が良いのだと喜んで飾り、戻ったら姿を見せてくれなくなってしまった……」
しょんぼりと言う花守りはたてがみもへたれて見えたが、彼に付き合っていたらぐずぐずと話が進まないと冬子は判断した。
「じゃあ、とりあえずその宝玉ってやつを見てみようかな」
冬子が言うと、花守りはうつむいていた面をあげる。
「ならば、家の集まる中に広場がある。その中央に浮かぶ灯し火に宝玉を飾ったから、すぐにわかるだろう」
花守りはすっと指を伸ばして、広場があるだろう箇所を示した。その姿は風格すら感じさせる。
「花守りさんは一緒に……」
冬子が誘ってみるも、皆まで言う前に首を振られた。ちらりと木を見上げ、花守りはきりっとした口調で答える。
「俺は花についていたいから」
つくづく見た目との差が激しい人だなと思いながら、冬子は呆れたようにいい加減な返事をして、広場を目指すのだった。