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ココロカケル

作者: 川犬

この小説は2015年6月に学園祭にて配布したものに修正加筆をしたものです。

 僕はどうしても彼に心を伝えたかったのかもしれない。


 二〇XX年。僕達の日常は姿こそ変わっているものの、本質は何も変わっていなかった。

 街の中を人が行き交い、車が行き交う日常。そんな日常の中で人は生活している。表面上は特に変わったところは無いが、内面は百年前のそれとはだいぶ違っていた。二十年前に登場したアンドロイドによって日常の定義は大きく変化したのだ。

 某社が開発したアンドロイド「ヒュトム(HUMAN TYPE MACHINE)」は世界に大きな衝撃を与え、爆発的なヒットを果たした。

 ここで、急速に浸透したヒュトムについて説明しよう。ヒュトムとは、人の姿をしたロボットだ。だが、普通のロボットじゃない。人間の脳内の情報を全てデータ化し、それに送ることで人間を擬似的にロボットとして生まれ変わらせることができるといった代物だ。脳内の情報を移行する際に、仕様上人間の脳内の方の情報は全消去する必要が有るため、怖いからヒュトムになりたくないといった人も僅かにいるが、ヒュトムになれば半永久的な生命を獲得することができる。だから、支持者は絶えることなくそれはヒットした、と学校の授業で習った。

 中学二年生の僕もヒュトムには興味津々だった。それで、どうにか親に頼んでヒュトムになるための手術をしたいと思った。

 両親も僕が一歳の時に既にヒュトムになっていて、その手術には親も賛成してくれた。でも、一人だけ僕を止める者がいた。姉の心音だ。

 心音にもヒュトムになりたいと話した時、心音は大反対した。

「絶対にやめて! お母さんとお父さんみたいにはなって欲しくないから」

 反対するときは決まってそう言っていた。そこで、僕がどうして? と聞くと、

「だって、お母さんとお父さん……ヒュトムになってから変わっちゃったのよ。ヒュトムになってからのお母さんとお父さんからは愛情を感じられなくなったの」

 と返答してきた。

 愛情を感じられなくなった。僕はその言葉にいまいちピンと来なかった。

 人間だった頃の両親はどんな感じだったのかは全然覚えてないが、少なくとも今の両親からは普通に愛情を感じている。

 相談にもちゃんと乗ってくれるし、毎日おはようって言い合ったり、おやすみって言い合ったり、ごはんを作ってくれたり、洗濯物をしてくれたり、怪我をしたら手当だってしてくれる。これらは、愛情があるからこその行為だと思っている。

 心音は十七歳の時に大学を卒業しており、十九歳の現在、ヒュトムの研究者の一人として活躍している。心音は小さい頃から天才的な学習能力を発揮し、神童と呼ばれていた。そして、中学、高校は飛び級をうまく利用し、十六歳の頃には既に大学生だった。

 そんな僕の姉が言うのだから、それは正しいのかもしれない。でも僕は、ヒュトムの誘惑から逃れることは出来なかった。

 ヒュトムになると半永久的な生命を獲得することが出来るし、身体は老いないし、人間の身体能力を遥かに上回ることが出来る。その他にも、異常なまでの記憶力、理解力も獲得し、インストールを行うことによって、出来なかったこと、下手だったことが出来るようになるのだ。

 僕は心音とは違って普通の人だ。特に秀でている分野を持っているわけではなく、周りからは小さい頃からずっと心音と比べられてきた。だから、僕はヒュトムになりたいと思ったのだ。この気持ちは心音には到底理解できないことだろう。心音自身が天才であるがゆえに、凡才の僕の気持ちが分からないのだ。

「絶対にヒュトムになりたい」

 僕は心音に言い続けてきた。何度も何度も説得を試みた。そんなある日、条件付きで心音は許してくれた。

「私の研究施設で、その手術をするのなら許可するわ」

 その言葉を聞いた時、僕は思わず跳ね上がった。両親も良かったねと言ってくれて僕はうれしかった。


 ――完成されていたパズルはバラバラになる。そして、ピースの内の幾つかが欠ける。

 …………。

 僕が覚えているのはそこまでだ。そこからの記憶は全く無い。



 ツンと鼻に強烈な臭いが襲ってきた。僕は思わず鼻を抑え、目を見開く。

 しかし、そこには暗黒世界が広がっていて、自分がどこにいるのか知覚することが出来なかった。唯一、どこかに背をもたれていたということだけが分かった。

 ここはどこ? よりも僕の中では、この臭いは何? という疑問が先に思い浮かぶ。

 卵が腐ったような臭い。所謂、腐卵臭というやつだ。吐き気がする臭いだ。

 僕は辺りを手で探ってみる。

 地面に触れてみると硬い感触が伝わってくる。そのまま地面を探り続けると何かに触れた。べちょっという音が聞こえてきた。

 それをもう少し触ってみる。それは硬くてサラサラしていたり、湿り気を帯びていたり、プルプルしていたりした。それを触った手の臭いを嗅いでみると、強烈な悪臭が鼻腔を駆け抜けた。

「ウッ……」

 僕は思わず咳き込む。

 この場にこれ以上留まりたくない。真っ暗で何も見えないけど、とりあえずこの場から離れることだけを考えよう。このままずっとここに居たら、頭がどうにかなってしまいそうだ。

 僕は足場に注意を払いながら、ゆっくりと壁伝いに進んだ。そのまま進んでいくと、壁に不自然なくぼみが見つかった。そこに指を入れてみる。

 奥まで手が届いたと思った瞬間、パッと部屋全体が明るくなる。

 最初は眩しくて反射的に目を閉じていたが明るさに徐々に慣れ、周りの景色が目に入ってくる。

 そこには最悪の光景が広がっていた。

プリンが崩れて散らばっているように、赤黒い何かが散らばっている。それは完全な人型のモノもあったり、そうでもないモノもあったりしている。そうでないモノは金属製の骨格があらわになっている。そう、まるでここはヒュトムの墓場のようだった。

声を上げることすら出来なかった。その場で、ただただ震えて座り込むことしかできなかった。血の気が引いていくのが手に取るように分かった。

 どうして僕はこんなところにいるのだろうか。必死に思い出そうとしても思い出せなかった。それも頭の中に最初からなかったように全く思い出せなかった。空っぽの器の中に記憶のピースがいくつか欠けた状態で散らばっている感じだ。

「……」

 さっき押したのは点灯スイッチだったらしい。そして、そのスイッチの隣には一つの扉があった。

 僕は何とか立ち上がり、そちらへのっそのっそと歩みを進める。

 その扉にはドアノブが付いており、僕はそのドアノブを赤く染まった手で回した。

 そして、ゆっくりと扉の外側の様子を伺う。外は通路になっていた。

 白い壁に、うっすらとした薬品の臭い、灰色の床。如何にも研究施設といったような通路だった。

 その通路には誰もいなかった。それを確認した僕は、通路側に移動し、出てきた扉を見る。

 廃棄室。

 その扉の上部にはそのように書かれていた。ということはさっきのアレは廃棄されたモノってことになる。

「うぅ……」

 再び僕の脳裏にさっきの映像がフラッシュバックし、僕の胃から口へ胃酸が込み上げてくる。口の中が酸っぱくなった。

 胃酸を何とか飲み込み、僕はここを出たい一心で一方向に向かって歩みを進めた。

 歩いている最中、左右にある扉を見ると(研究室12)と書かれていたり(研究室23)と書かれていたりしていた。この場所に見覚えがないか僕は必死に思い出そうとするが、やはり思い出すことは出来なかった。

 覚えていることは自分のことと心音がヒュトムになることを許可してくれたよりも以前のことだ。

 この場所はその記憶の断片の中には一ミリメートルも含まれていなかった。僕はここへ来たことがあるのかどうかそれすらも分からないということになる。

 人間というのは分からないモノに恐怖を抱く。僕の手は震えていた。

「――よし、上手く隠蔽できそうだな」

 僕は突然の声に歩みを止めた。少し離れているけど人の声がする。それもこちらへ近づいているようだった。

 この施設の人に見つかったら良いことは無いだろう、と本能が訴えてきた。

 慌てて近くを見渡して扉が無いか探すと、運良くすぐ近くにそれはあった。僕はすがる思いでそちらに向かい、扉の中に入る。

 僕は扉をゆっくりと閉めて、大きな溜息をついた。

「……ふぅ」

 それから扉に耳を当てる。

 コツコツコツコツコツ……。

 足音は徐々に離れていったのを聴いて僕はほっと胸をなでおろした。

 さっきの惨状を見てしまったせいで、ここの人を信用できなくなっていた。

「ねえねえ」

 突如、その声が聞こえて僕はビクッとする。

 この部屋に誰かいるということにも驚いたが、その誰かの声が僕の声にそっくりだということに一番驚いた。

 僕はゆっくりと声のする方を向く。

「何しているの? 君」

 そこには椅子に座ってこちらを見ている僕がいた。まるで鏡が目の前にあるようだった。そいつの横にはテーブル、他の椅子がある。

 頭の中が真っ白になって思考が強制的に停止する。

 そいつは僕から返答がないのを見て、首をかしげる。

「答えてよ」

 僕は震えながら口を開ける。

「し、知らないよ……気が付いたときにはここにいたんだ」

「ふうん」

 そいつは僕をジロジロと見てくる。

 僕は小声で「なんだよ……」と言ったが、そいつはそれに反応しなかった。

 しばらくジロジロ僕を見た後でそいつはニッコリ笑いながらこう言った。

「なるほど、君は僕だね」

 僕はその言葉を否定できなかった。なぜならば、そいつは僕と外見がまるで一緒だったからだ。

 目、鼻、口、眉毛、髪型、体格。その全てが知り得る限りの僕自身だった。

 でも、一つだけ違うことがある。

 その声には感情が籠っていないのだ。僕のしゃべり方と随分違っていた。いや、厳密にはしゃべり方が違っていたではなく、声のトーンがほぼ一定で棒読みに聞こえるといった感じだ。

「とりあえずこっち来なよ」

 感情の籠っていない声でそう諭してくる。

 僕は動けないでいた。

「来ないの?」

「……」

 そいつを警戒しつつ立ち上がり、ゆっくりと近づいていく。本来ならこういう時、僕は近づかないのだが、そいつに敵意が無さそうと感じたので指示に従った。

 僕はそいつから一メートル離れたところで歩みを止めた。

「そこに座ったら?」

 そいつは僕に空いている椅子を指してきた。

 僕はそれに従い、椅子に腰かけた。座った椅子の位置はそいつからテーブルを挟んで正反対の位置だ。

 そいつはこちらに向き直って肘をテーブルに乗せ、手を口元で組む。

「それじゃあ僕の質問に答えてもらおうかな。大丈夫、君からの質問も承っているから。あ、いや、君という表現はなんか違うな。僕自身、とでもいうべきかな。まあややこしいから君のままでいいや」

 そいつは少し笑う演技をする。

「じゃあ、質問するよ――君はどうやってここまで来たの?」

 その演技に嫌悪感を覚える。

「目が覚めたら……ヒュトムの廃棄室にいて、怖くなってここから出ようと思ったら、足音が聞こえてきたからあわてて近くの扉に逃げ込んだら、この部屋だった」

 僕は正直に答えた。そいつの眼が僕の全てを見透かしているようで嘘をつけなかった。

「その前の記憶ってある?」

「その前は……」

 記憶を探る。思い出せた記憶は断片的なものでしかなく、やはりこの施設に関する記憶を思い出すことは出来なかった。

 そのことを正直に伝えると、そいつはニヤリと笑う演技をした。

「やっぱり君は僕だ!」

「なんで、そう言えるの?」

「簡単なことだよ。君の知らないことを僕が知っていて、僕の知らないことを君が知っている。それだけなら、君は僕だっていう一つの解には至らない。でも、君の話を聞く限り、僕の記憶と君の記憶は繋がっている」

 もう一人の僕はパズルのピースが組み合わさるように全てが繋がったという。

 だが、一つの壁を突破しても新たな壁が立ちふさがる。

「全てが繋がったとしても僕にはどうしても理解できないことが出てきたよ」

 もう一人の僕ははぁ……と息を吐いた。

「心音姉ちゃんはどうして僕がヒュトムになることに反対したのだろうね? 僕がヒュトムになるのが心配だったから? 心配って何?」

 スッと脳内に心配の意味が思い浮かんだ。なんで簡単に頭の中に思い浮かんだのか疑問に思ったが、そんなことは気にしないでそのまま口にする。

「心配って、他の人のことが気になって悩むことだよ」

「じゃあ、その悩むって何?」

 悩むという意味も簡単に思い浮かんだ。

「心を痛めるってことだよ」

「心が分からない」

 その発言を聞いて、ある可能性に気づく。もう一人の僕には心がないのかもしれない。存在しないものは分かるはずもない。だから、心がない。

 僕はだんだんと落ち着きを取り戻し始めていた。同時にもう一人の僕ともっと対話をしてみたいと思った。理由は分からないのだが。

 さて、今度は僕の番だ。

「ねえ、僕も質問していい?」

「ん? 構わないよ」

「僕が唐突にワァッ! って脅かしたら君はどんな気持ちになる?」

「んー……特に気持ちの変化はないと思うなあ」

「びっくりしない? 瞬間的な恐怖を感じない?」

「しないしない」

「じゃあ心音姉ちゃんから誕生日プレゼントをもらったらうれしい?」

「うれしい、のかな。分からない」

「……大事な人が死んだら、どう思う?」

「分からない」

 心が無いことを確信すると共に、別のあることを確信する。

 彼には大切なものが欠けている。それは感情だ。心がないために、何事に対しても何の感情も抱かないのだ。

 僕はゆっくりとこう言った。

「それじゃあ、君は僕じゃない」

 もう一人の僕は首をかしげる。

「どうしてそう言えるの? どこからどう見ても君は僕なのに」

「君が持っていなくて僕が持っているものが一つだけあるんだよ」

「え、何?」

「心だよ。君はヒュトムだから心がない。でも僕は人間だから心がある」

 心音が反対していた理由が分かった。

 ヒュトムになると心を失ってしまうというのが反対理由だろう。僕の目線では両親は愛情をもって僕に接してくれているように見えるけれど、それは僕が物心つく前に両親がヒュトムになってしまったせいで成長した僕には両親に心がないことに気づけなかった。でも、心音は物心ついた後だったからそのことに気付くことが出来た。

 彼は依然として首をかしげたままだ。

「おかしいな」

 そう、一言だけ呟いてそれ以降黙り込んでいた。

 心が無いということを信じたくないのだろうか。それとも別の理由があっておかしいと発言して未だに納得出来ていないのか。

 僕は彼が何か発言をするまで何も言わないようにした。彼の思考を邪魔したくないからだ。

 そして、数分が経過したのち、ついに彼は重く閉ざしていた口を開いた。


「やっぱりおかしい。だってヒュトムは君だもの」


「……え?」

 思わず聞き返してしまった。

 ヒュトムが僕であるという発言は予想外だった。

 数分前まで彼の方がヒュトムだと確信していた僕の考えが一気に崩れ落ちていった。

「君に無くて僕にあるもの。その中の一つはヒュトム化する直前の記憶、それとヒュトムになっている間の記憶、そしてその後の記憶なんだ」

「うん、その記憶について詳しく教えて」

 僕は焦っていた。僕が人間でない可能性。そんな可能性考えたこともなかった。

 彼はその記憶について語りだす。



 ――タクシーに乗っている間、心音は辛そうな表情をしていた。

 これから僕はヒュトム化の手術をしに行く。今までヒュトム化することに反対していた心音はそのことをやっと許してくれたけれど、その表情を見るにやはりどこか反対したい気持ちが残っているのだろう。

 僕はその表情を見て、少しだけ後悔していた。

 そんな二人を乗せて、無人タクシーは目的地へ向かって走り続ける。

 しばらく走っていると、研究施設が見えてきた。

「あそこ?」

「そうよ」

 タクシーはその研究施設の前で停まり、自動でドアが開いた。

 心音が降りて、僕は彼女に続いてタクシーから降りる。

「……」

 これからヒュトム化の手術を受けるのに、僕の心にわくわくは無く、どんよりとした雲が覆っていた。


 研究施設の中に入ると、既に手術の準備は整えられていた。

 研究員らしき人が心音に耳打ちし、心音は頷いた。

 それから場面は切り替わる。

 手術室に僕は心音、研究員と居た。

 そこにあったのは、窪みがある機械、モニター、その隣に僕によく似たモノがコードに繋げられて横たわっていた。

 研究員に背中を軽く押される。

「さあ、坊主。この機械に頭を乗せて横になってくれ」

 頭がすっぽり収まりそうな窪みがある機械の上に、隣の僕のようなモノと一緒に横になればいいのだろう。

 僕のようなモノ。これはまだモノだ。でも手術後、それはモノではなくなり、新しい僕として目を覚ます。

 そんなことを思いつつも、言われるがまま、その窪みに頭をはめて横たわる。

「後は目を閉じて、リラックスしていればいい。目を覚ます頃には手術は完了している」

 目を閉じた。

 すると、カチッと音が聞こえてくると共に機械が作動した。細かな振動と不思議な音に包まれて僕の意識は徐々に薄くなっていく。

 意識が薄くなっていくと同時に、頭の中が徐々に空っぽになっていくのが分かった。

 さよなら、人間の僕。

 それが人間としての最後の僕の想いになるはずだった。


 ファンファンファンファンッ!!


 大きな音が耳を貫き、脳にまで達する。さっきまで気を失いそうになっていた僕の意識は再び鮮明になった。

「何があったの!?」

 心音の声が聞こえてきた。その言葉を聞いて僕はこれが異常事態だという確信を得た。

 目を開けて周りの状況を確認したいが目を開けることが出来なかった。それどころか、身体をピクリとも動かせない。まるで僕の身体じゃないみたいだ。

 そんな中でも時間は過ぎていく。不思議と不安な気持ちにはならなかった。

「データを転送している途中で深刻なエラーが発生したみたいだ!」

「今すぐ止めて!」

「でも、止めていいのか? ……最悪、バレて殺されるぞ」

「それでも構わない! 止めて!」

「分かった。俺も覚悟を決めよう」

 再びカチッという音が聞こえてくる。

 機械は動きを止め、急に静かになった。体は動くようになっていた。

「とおる!」

 名前を呼ばれ、そっと目を開けた。

 目に映ったのは、涙を流している心音とその隣で沈黙している研究員だ。

 なぜ、心音は涙を流しているのだろう。

 僕が目を開けたのに心音は気が付いたのか、へたり込んで「良かった……」と言いながら、相変わらず泣いていた。

「坊主。……残念ながら手術は失敗した」

「そうなんですか」

「何かおかしなところは無いか?」

 明らかにおかしなところがあった。それは僕の記憶がところどころ無いことだ。そのことを伝える。

「それだけか? 記憶以外で何かおかしなところは無いか?」

 僕は無いと答えた。幾ら考えても記憶以外でおかしなところは思い至らなかった。

 研究員はハァと息を吐く。

「良かった……」

 心音が震えた声でそう言った。

 僕はとりあえず身体を起こす。僕の隣に居る僕になるはずだったモノがどうなったのか気になった。

 それは手術前に見た時と全く同じ状態でそこにあった。眉毛一つピクリともしていない。

 研究員が小声でそのヒュトムは破棄した方がいいなと呟いたのが僕の耳に届いた。

「とおる、ごめんね。ほんとにごめんね……」

 なぜ心音は涙を流しながら謝ってくるのだろう。僕には心音が何を考えているのか分からなかった。

 そういえば、手術前までヒュトムになりたいという強い意志と本当にヒュトムになっていいのかという弱い意志があったのに、両方とも今は無くなっていた。

 今の僕には分からないことだらけのように思える。特に皆の考えていることが以前よりも分からない。

「大丈夫だよ。心音姉ちゃん」

 とりあえず、僕は笑顔を作ってそう言っておいた――



「といった感じだよ」

「……」

 人間の僕の話を聞き終えて、ほとんどを理解した。

 なんで廃棄室で目が覚めたのかも、なんで僕が心を持っているのかも、なんでなんでなんで。

 自身がヒュトムであることをどうあがいても認める以外の選択肢が無いことに気付いてしまった。

「そういうわけだから僕はおかしいと思ったんだ。僕は正真正銘の人間で君は正真正銘のヒュトムだ」

「そう、だね」

「で、だよ。廃棄室に運び込まれるまで全く機能していなかった君がどうして今になって機能しているんだい?」

 そんなことはどうでも良い。

 僕の視界がぼやけだした。

 こんな不完全な状態でヒュトムとして目覚めるくらいならヒュトムになりたいだなんて思わなきゃよかった。なんであの時手術が失敗したのだろう。成功していれば目の前の僕はこの僕の中にいるはずだったのに。それで、楽しい毎日を送ることが出来るはずだったのに。

 さっきの人間の僕の話の中で心音が殺されるって会話をしていた。それってどういうことなの。なんで殺されなきゃいけないの。

 ヒュトムってなんなの。

 僕の中の疑問は徐々に膨らんでいった。

「今になって機能している理由なんてどうでもいいよ。そんなことよりも心音姉ちゃんは今どうしてるの!?」

 人間の僕は即答する。

「多分、もうここには居ないよ」

「ここって!? ここってこの研究施設のこと!?」

「そうじゃなくてさ」

 心の準備なんて全然できていなかった。

「もうこの世には居ないんじゃないかって」

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」

 なんでそんな平気で自分の姉がもう既にこの世に居ないだなんて言えるの。意味が分からないよ。心を持っている僕には辛い。辛すぎる。

「びっくりしたなあ。どうしたの。急に」

 全然びっくりしてないくせに。何も感じてないくせに。

 僕は泣いた。とにかく泣きじゃくった。人間らしくない僕はどうしていいのかわからないのか、そのまま座っているだけで何かしてくるという様子はなかった。


 そしてそれは唐突に訪れた。


「ウ……ア……ア」

 全身から力が抜けていく。視界が暗転していく。

 僕は椅子から転げ落ちた。

 僕はもうダメみたいだ。そう思った瞬間、さっきまでのことなんてどうでも良く思えてきた。それよりも、もっと大事なことがある。

「あれ、バッテリー切れたのかな。いや、そもそも、もう限界なのか」

 何とか意識を保とうと必死に足掻いた。

 心を持っている僕が居なくなったら、心を持っていない僕はどうなる。絶対に悪い方向に話が進んでいく。そんなのは嫌だ。

 昔テレビである映画を見た。それは心を持たないロボットに心を持たせるという話だった。

 せめて。せめて、心が無いのなら心を作り出すきっかけを与えたい。感情が無いのなら感情を芽生えさせるきっかけを与えたい。

 映画とは立場が逆でもそんなのはどうだっていい。

「……ロニツ……シラ……」

「え? なんだって?」

 僕はなんとか気合で起き上がった。ロボットなのに気合で起き上がるって表現もおかしいような気がするのだけれども。

「ココロニツイテシラベテ」

「心について?」

 疑問に思う人間の僕の肩を思いっきり掴む。

「ゼッタイニシラベテ。ココロヲシッテ」

 お願いだから。一生のお願いだから。

 プツン。

 人間の僕の反応を見るより前に僕の意識は途絶えた。

それ以降、人間の僕がどうなったのかは、ガラクタになった僕には知る由もない。



 私は小さい頃に両親を亡くしている。正確にいうとヒュトムとして生きているのだが、私はヒュトムを決して認めない。

 私にとってヒュトムと人間はまったくの別物だからだ。ヒュトムと人間の区別なんて一瞬で出来てしまう。なぜならば、私は天才だからだ。

 凡人である私の弟、とおるはヒュトムになった両親をおかしいとも思わず、幸せそうに過ごしていたが私は幸せになれなかった。ヒュトムとなった両親がどう見ても人間だった頃の両親に見えなくて、彼らの行動全てがロボットのそれと変わりなかった。

 両親がヒュトムになると言ったときに止めればよかったと後悔した。でも、後悔しているだけじゃいつまで経っても前へ進むことは出来ない。そこで、私は涙を拭い、将来ヒュトムの研究者になって私と同じような苦しみを受けている人々を助けると誓った。

 ヒュトムには少数の反対派がいる。反対理由の一つとして、ロボットにしか見えないから嫌だというものがあるのだ。それはつまり私と同じ状況なわけで。

 そんな人々を助ける具体的な方法としては、ヒュトムをより人間的な行動をするように研究し、それを形にするという方法がある。ヒュトムの普及自体を打ち止めるといった方法も考えたが、それは現実味がないので候補から外した。

 私はその夢を叶えるために、猛勉強した。成績は常にトップで、飛び級制度をうまく使って十七歳には大学を卒業するまでに至った。

 それからこの世で一番入社するのが難しいとされるヒュトム開発をしている会社、HTM社の面接と入社試験を受けに行った。

 結果は見事合格。正直、余裕だった。

「すごいわね!」「大したもんだ」

 両親からそう褒められたが、私の心にまでその言葉が響くことは無かった。ロボットに褒められても何も嬉しくない。

 HTM社の入社式は最高レベルのセキュリティーの施設で行われた。その理由はすぐに分かった。

「君たちは選ばれし者だ。だから、全てを知る権利がある」

 そう社長に言われて、とある紙を渡される。そこにはショッキングなことが書かれていた。幾つか抜粋するとこうだ。


・ヒュトムには生前の人間の記憶こそあるものの感情はない。感情があるように見えるのは全て演技である。

・ヒュトムの正体は世界を征服するためのアイテムの一つである。

・ヒュトムにはWDプログラム(World domination)が組み込まれている。このWDプログラムが発動するとすべてのヒュトムが演技をやめ、人間の殺戮を開始する。

・このことを外部へ漏えいする行為、反対する行為は規約違反である。

・規則違反者は周囲にいるヒュトムが殺す。


 ヒュトムに感情がないことは最初から知っていた。だが、それ以外のことについては天才の私でも全くの想定外であり、誰かに相談することも出来ず、どうしようもないものだった。

 周りの私以外の新入社員も驚きを隠せないでいるようだった。

 その中の一人が大声で「ふざけるなッ」と叫ぶと同時に轟音が鳴り響いた。その人は首より上が消し飛んでいた。

 一気に静かになった。

「規約違反者だ」

 社長はニコリと笑う。

 逆らうものは誰もいなくなった。


 その後、チームを組んで各々のチームでヒュトムをより高性能にするための研究を行うことになった。

 その時にチームメイトとなったのが義彦だった。何度か会話をして打ち解けていくと、彼も私と同じ境遇を経て、この状況に陥っているということを話してくれた。

 そこで、彼に一つの提案をした。

 ヒュトムに心を持たせたい。そして、WDプログラムを解除したい。一緒に秘密裏でその研究をしないか、と。

 彼は快く承諾してくれた。

 それからすぐさま研究が始まり、新ヒュトムのプロトタイプが出来上がった頃だ。とおるがヒュトムになりたいと言い出した。私は両親がヒュトムになると言った時を思い出し、猛反対した。しかし、とおるは諦めてくれる様子は無かった。

 規約書にはこう書いてある。


・ヒュトム化願望者を速やかにヒュトムにしない行為は規則違反である。


 私が反対しているのが両親にバレると規則違反が知られてしまい、殺される。

 それならば次の一手だ。

 今私たちが研究している新ヒュトムのプロトタイプを使えばヒュトム化してもとおるはとおるのままでいてくれる可能性が高くなる。だから、それを実行するという手だ。

 私はとおるに私の研究施設で手術を行うのであればヒュトム化を許可してもいいと言った。

 とおるは少し疑問に思っていたようだが嬉しそうに了承してくれた。


 手術日がやってきた。

 とおると一緒に無人タクシーで研究施設へ向かう。

 本当にこれで良かったのか。最善手はこれなのか。

 天才の私でも最善手が他にあるとは思えなかった。というよりも思いつかなかったと言った方が正しい。

「あそこ?」

 とおるが人差し指で研究施設を指す。

 私は「そうよ」と答えた。

 ついにここまで来てしまった。もう後戻りはできない。

 研究施設に着くと私はすぐにタクシーから降り、続いてとおるも降りた。施設の中で義彦が手術の準備をしてくれていて、すぐにでも手術ができるといった状態だった。

 義彦が近づいて耳打ちしてきた。

「もう準備は整っているが、心の準備は大丈夫か?」

 私は無言で頷いた。

 本当は全然大丈夫じゃないのに、強がって見栄を張って頷いちゃって。

 でもどちらにしてももう後戻りはできないからこれで良かったのだと自分に言い聞かせた。

 義彦ととおると私は手術を行う部屋の中に入った。

「さあ、坊主。この機械に頭を乗せて横になってくれ」

 義彦がとおるを誘導している間、私は機械の最終チェックを行っていた。問題は何もないように思えた。

「後は目を閉じて、リラックスしていればいい。目を覚ます頃には手術は完了している」

 そんな義彦の声が聞こえ、顔を上げる。とおるは既に目を閉じていた。

 義彦が機械を起動してくれとアイサインしてくる。私はスイッチに指を触れた。

 ああ、このスイッチを押してしまえば今までの研究の成果を実感することが出来る。この新ヒュトムはプロトタイプとは言え、理論は完璧で完全で完結しており、私の中では完成している。だから、とおるは世界で初めての心を持ったヒュトムとして生まれ変わるのだ。正直、人間のままでいてくれた方が良かったが、ヒュトムになりたいというのなら一番救われる道はこれしかない。

 私はスイッチを押した。手はほんのりと汗で湿っていた。

 カチッと音が鳴ったのを確認してスイッチから手を離す。

 機械は静かに振動し始めた。後はとおるを見守っているだけだ。

 見守っているだけのはずだった。

 

 ファンファンファンファンッ!!


 大きな音が私の耳を貫いた。心臓の鼓動が跳ね上がり、頭が真っ白になる。

「何があったの!?」

 機械の近くに設置されているモニターに目を向ける。

 そこには赤文字でこう表示されていた。


 THE SERIOUS ERROR OCCURRED.


 深刻なエラーが発生した。深刻なエラーが発生した。深刻なエラーが発生した。深刻なエラーが発生した。深刻なエラーが発生した。

 ぐわんぐわんと同じ文章が脳内を流れていく。

 問題なんて無かったのに。何もおかしいところなんてなかったのに。

 どうして。

「データを転送している途中で深刻なエラーが発生したみたいだ!」

 義彦の焦るような大声が聞こえてきて、私は反射的に反応した。

「今すぐ止めて!」

 私はエラーを吐いている時の機械の止め方を知らなかった。この部分を制作したのは義彦だからだ。だから、この場合において変に私が機械を操作するよりも義彦に任せた方が安全に止められると判断した。

「でも、止めていいのか? ……最悪、バレて殺されるぞ」

「それでも構わない! 止めて!」

 私が殺されることなんてどうでも良かった。そんなことよりも今すぐ機械を停止させてとおるを救い出すことの方がずっと大事だ。

「分かった。俺も覚悟を決めよう」

 義彦の声は震えていた。相当な覚悟を決めたのだろう。

 義彦はモニター前に用意されているキーボードにコマンドを入力し、スイッチをカチッと押した。

 すると、機械は徐々に振動を弱めていき、モニターに表示されていた文字が消え、画面が真っ暗になった。

 とおるは目を閉じたままだった。

「とおる!」

 思いっきり弟の名前を呼ぶ。

 こんなことになるんだったら、とおるのお願いなんて聞かなければ良かった。そのことがヒュトムに知られて私が殺されることになっても、犠牲になるのは私一人だけだから。私が居なくなったことで、研究はそこでストップしてしまうかもしれないけれど、大切な人が居なくなるよりはマシだ。

 お願いだから無事でいて欲しい。一生のお願いだから。

 そんな私の想いが通じたのかとおるはゆっくりと目を開けた。

 視界が涙で歪み、身体全身の力が抜けて座り込んでしまった。

 義彦ととおるが二言三言会話を交わしているようだったが、私の耳には一切入ってこなかった。

 私はひたすらごめんねと言い続けた。謝っても、謝っても、とおるは許してくれないだろう。それでも私が謝りたいから謝り続ける。

「大丈夫だよ。心音姉ちゃん」

 その言葉に私は救われた。

 さっきまで何の音も耳に入ってこなかったのに、その言葉だけはっきりと私の耳に届いた。



 さっきまで僕と一緒にいたもう一人の僕は電池が切れたおもちゃのように動かなくなった。

「うーん、これどうしよう」

 僕がどうするべきか考えている時だった。

 ガチャリと扉が開き、誰かが入ってきた。

 入ってきたのは心音だった。

「あれ、心音姉ちゃん。生きてたんだ」

「何よその言い方。何とか隠蔽に成功したのよ……というか、どうしてあなたのヒュトムがそこに転がっているの?」

 心音は僕を見てくる。僕の回答待ちのようだった。

 僕は今までのことをそのまま伝え始めた。

 それを聞いている途中の心音の表情はみるみる変わっていった。なぜ変わっていったのか分からなかったが、僕は構わず話を続けた。

 そして、長い時が過ぎ僕は話を終える。

 その話が終わった後、視界が真っ暗になり温かい何かが僕を包み込んだ。心音が僕を抱きしめているようだった。

 ほんの少しだけ苦しかった。

「きっとね、とおるに伝えたいことがあったのよ」

「僕に伝えたいこと?」

「とおるに心とは何かということを伝えたかったんじゃないかな」

「それはどうして?」

 心ってそんなに大事なものなのか。無くてはいけないものなのか。

「それはね、心が無きゃ一人前の人じゃないから」

 一人前には一人という文字が含まれる。つまり、心が無くては一人じゃないということになる。一人未満なのだ。心音が言いたいことはそういうことだろう。

「一人前の人になるためには心を持たなきゃいけないの?」

「うん」

 この瞬間、僕は心をもっと知ってみたいという衝動に駆られた。胸の辺りが熱くなるのが分かった。僕の記憶上では初めての現象だ。

 僕は心音から離れた。

「ねえじゃあ教えて。心って何?」

 心音は少し微笑んで、僕の頭を撫でた。

「時間をかけてゆっくり教えてあげる」

 心音は心について語りだす。僕はそれをずっと聴いている。なんだか僕は懐かしいものを感じていた。そんな記憶が僕の中に存在するはずもないのに。

 その時の僕は好奇心でいっぱいだったのだと思う。



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