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「それはそうと……俺は、元の世界に戻れるんでしょうか?」
話題を変えよう。胃に穴が開く。
「すぐには無理ね。造物主に見つかってしまう」
「造物主に、ですか……」
この世界の創造主、ってことか。
「造物主は異世界人を嫌っているの。世界を壊す者として。だから、私達には見つけ次第抹殺するように命令されているの」
「! じゃあ、俺も……」
「それだったら最初から助けないわよ。私達は……もうそういう事は止めたの」
私“達”か……。つまり他にいるってコトだが、それは一体誰なのだろう? いや、聞くのはよそう。危険な香りがする。
「無理やり異世界人一人を通すゲートを作ると、どうしても目立ってしまうの。この世界と貴方のいた世界を繋ぐ時空のトンネルが使えるようになるのは、おそらく六日後ぐらいね。それまで待つ必要があるわ」
「六日間、ですか……」
ガーゴイルみたいな怪物やあんな騎士団がいる世界で六日間生き延びねばならないのか……。
「それに……もう一つ厄介な事があるわ。あなたの身体はこの世界の縁から拒絶されている。しかしその魂は、この世界に近しきもの。あなたの魂には、この世界を織り成す運命の糸が絡みついている。それを解かなければ、転移したとしても帰還することも叶わず、時空の狭間を永遠にさまよう羽目になるわ」
あの“つながった”感覚ってのは、まさか……
「げっ……なんとかならないんですか?」
どっちもごめんだ。なんとかする方法はないのか。
「今は分からない。でも遠からず、あなたの前にそれを解く“鍵”が現れるはず。それを探す必要があるわ」
「鍵、ですか……」
正直、雲をつかむような話だ。この世界の神様でさえ分からないモノを探せというのか。
俺は途方にくれた。
そんな俺を見、先生は一つため息をついた。
「そうね……これを渡しておくわ。この世界にしばらくとどまる以上、そのスマホゲームの情報も頼りになるはず」
彼女は一瞬念を込めたように空中をにらみ……そこから何かを取り出すと、俺に渡した。
彼女が渡してくれたのは、スマホ用の予備バッテリーだ。大容量のものが二個。
「これなら足りるかしら? フルに充電はしてあるわ。ケーブルは持ってたわよね?」
ありがたいことだ。これで俺はあと六日間戦える……かもしれない。が、異世界に来て、そこの女神から受け取る最初のアイテムがモバイルバッテリーってどうなんだ? 何かシールやらいろいろ貼ってあるし。
とはいえ、だ。
「あ、ありがたくお借りします」
見てくれはどうあれ、この世界の女神様の厚意を無にするわけにもいかん。俺はそれを鞄に入れた。
「あと、これをスマホにつけておきなさい」
渡されたのは、ストラップのようなもの。鎖の先端に、翡翠色に光る角錐状のものが付いている。10面ダイスを縦に伸ばしたような形状だ。
「何です? これ……」
「ちょっとしたお守りよ」
お守りか。どんな効果があるのかわからんけど、ありがたく受け取っておこう。
そして俺は、その“お守り”を祖母からもらった五円玉のお守りの隣につけようと……
「それ、お守り? ちょっと貸してくれる?」
「ええ。いいっすよ」
俺は五円玉のお守りを彼女に渡した。
どうするんだろう?
彼女はそれを見つめ、口中で何やら呟く。
と、五円玉が一瞬まばゆい輝きを発した。
「何をしたんです?」
何らかの魔法を使ったのだろうか?
「少し、これに“力”を与えておいたわ。私の“運命を操る力”を少しね。魔除けにはなると思うわ」
「そうですか。ありがとうございます」
それを受け取り、またスマホにつけ直した。
そういえば女神アゼリアは、運命を操る女神だったな。そして、五円……ご縁、か。
まさか、シャレのつもりとか? いや、まさか……
などと、思いを巡らす。
しかし彼女はそんな俺にはお構いなく、倒れた騎士の方を指差した。
「武器も必要ね。……そうだ、丁度いい。その剣を持って行きなさい」
彼女が示したのは、リーダーの腰にある剣だ。
「いいんですか?」
「ええ。これは私の僕となる騎士に与えられる剣の一つ。本来であれば、私が神託を下して与える相手を指名するの。ここ暫くは留守がちだったので、神殿が選抜を代行していたようね。今回は、私が直接指名したのだから、何の問題もないわ。それに……あなたにはその資格がある」
「そ、そうなんですか? ……じゃあ、ありがたく頂戴します」
資格がある、と言われてもな。
……ま、いいや。とりあえず、もらっておこう。
「……ごめん」
俺はリーダーの腰から鞘とベルトごと剣を外した。
その時、女騎士がかすかな声を上げた。だが、それ以上は何もしないようだ。
ま、いいか。
それにしても、女神様直々に剣を剥奪されるのか、このおっさんは。ちょっとかわいそう……とは思わんが。殺されかけたし。
「じゃあ、ベルトと鞘を身につけたらちょっと剣を貸しなさい。そこに跪いて。……とりあえず、形式的だけど」
俺は彼女に剣を渡し、足元にひざまずく。ゲームのイベントであったな、そういえば。主人公が女神アゼリアから勇者と認められるシーンだった。あの時は、神殿の姫巫女に降臨した女神から聖剣を受け取るんだっけ。今回は直接本人から受け取るのか。
俺は彼女からうやうやしく剣を受け取る。剣がやけに重く感じた。やや事務的な感じではあったが、ゲームの主人公がやったのと同じことをやるのは、妙な気分だ。
そして、俺がささげ持った剣の刀身に先生が指で触れた。
その指先にかすかな光が宿る。
そして刀身に何か文字か模様のようなものを描く。それは一瞬強い光を放つと、刀身に吸い込まれるように消えていった。
剣自体にも、変化が現れる。刀身と柄の境界部分に翡翠色の宝石が現れていた。さっきのストラップについていたのと似たような質感だ。
「剣に祝福を与えたわ。少し振ってみなさい」
「はい」
俺は彼女に言われた通り、何度か剣を振り回す。武道の授業でやった剣道の構えで数度振り下ろしてみる。
そうするうちに、手が剣の柄になじんできた。まるで長年愛用した剣のように。
ちなみに俺は、剣道は不得手であった。どういうわけか相手の防具のないところを攻撃しそうになったりという有様で、ほとんど勝ったことはない。
ま、この世界で戦うときは剣道のルールは関係ないか。
「良さそうね。剣を収めてこちらに来なさい」
先生は満足げにうなずくと、俺を手招いた。
彼女は、目の前に立った俺の胸に手を当てた。
直後、光が弾ける。
「……なんです? 今の……」
「ちょっとしたプレゼントよ。あなたの制服の上着を少し強化したの。ガーゴイルの爪程度なら十分防げるわ」
「へぇ……すごいな。ありがとうございます」
俺は自分の身体を見下ろす。上着のブレザーは今まで着ていたものと、外観上はほとんど変わりはない。
いや……あった。
ガーゴイルの爪や先刻の稲妻でボロボロになっていたんだった。それが今や、新品同様。防御力の方も、きっと彼女の言う通りなのだろう。ブレザー+2ってところか?
ところで……この流れ。
「もしかしたらこの先六日間、俺一人で生きていかねばならないんでしょうか」
疑問を口にする。
「ごめんなさいね。本当は私も付いていてあげたいんだけど、他にもやらねばならない事があるの」
……そりゃそうか。使徒にして女神様だもんな。あとついでに学校の教師だし。
思わず肩を落とす。
「心配しないで。大丈夫よ」
そんな俺に苦笑した彼女は、女騎士に向き直った。
女騎士の顔は、青を通り越して白くなっている。本当の恐怖を味わうと、こうなるって聞いたことがあるけど……
その姿を見て、先生は苦笑を浮かべた。
「エルズミスの姫巫女エルリアーナ」
先生は、騎士たちの話していた言葉で呼びかける。
「は……はい!」
その声に、女騎士が居住まいを正した。
エルズミスの姫巫女か……。確かゲームだと、中盤あたりまでエルズミスにある女神アゼリアの神殿にいて、主人公に色々アドバイスをくれる人だっけ。剣のイベントもその人だ。アルセス聖堂騎士団みたいなのとは無縁の存在だと思ってたけど……。
……そういえばこの姫巫女は、ガンディール王国などいくつかの国の王侯貴族の未婚の娘から選ばれたはず。そしてゲームの時点で姫巫女が選ばれる家は、ガンディール王家とその傍系の家系が残るのみだった。
もしかしたら、彼女は……
「貴女は帰還の準備が整うまで、渡君を護りなさい」
「あ、アゼリア様……」
女騎士――エルリアーナって呼ばれてたっけ?――は呆然と先生を見る。もしかしたら、叱責を受けると思っていたのかもしれない。
「返事は?」
「はい! このエルリアーナ、身命を賭してワタリ様をお護りいたします!」
彼女は先生の前にひざまずき、臣下の礼をとる。その声は、歓喜に打ち震えていた。
「よろしい」
先生はエルリアーナの返答に満足げにうなずいた。
「良いわね? 渡くん」
「ええ、もちろん」
彼女が案内人になってくれるなら、心強い。
「分かったわ。それでは……」
先生は向き直ると、エルリアーナの胸甲に手を当てる。
次の瞬間、再び光が弾けた。
「!」
光が収まると……
エルリアーナの鎧の形が変わっていた。全体的なシルエットはそのままだが、材質や仕上げなどが一段階ランクアップしたようにも見える。そしてなにより、一番の相違点は……。
「この印は……」
胸元を見、エルリアーナが呆然とつぶやく。
あれは、女神アゼリアを表す紋章。
「これで、貴女は私直属の騎士になったわ。この鎧がその証」
「ありがとうございます。でも、私などで……」
「いいえ。貴女でなければならない。私の力不足故、姫巫女である貴女に苦難の道を歩ませてしまった私の、せめてもの罪滅ぼし」
「そんな……勿体無いお言葉」
苦難の道、か。そういえば、ゲーム中でも姫巫女は薄幸だったな。勇者に剣を与えた巫女は後半魔王にさらわれてしまうし、元姫巫女だった主人公の母親も、若くして死んでしまったという設定だった。
「でもこれは……少々貴女にとっては酷な事になるかもしれない」
先生は、悲しげな声で呟くと、エルリアーナの肩を抱く。
「いえ、それでも……私はやり遂げます。初めて私を必要としてくれる人がいるのですから」
彼女の言葉に、迷いはなかった。