6
神殿に降臨した、咲川先生、あるいは使徒アゼルと思しき人物。
彼女は周囲を見回し、一つため息をついた。
そして俺を見て、一つうなずく。
「間に合った様ね」
「さ、咲川先生……ですよね?」
思わず声をかける。よく似た別人だったらどうしよう……
「渡君よね? 隣のクラスの……」
「そうです! 渡です」
良かった、咲川先生だ。
「あの時、裏山で姿を見たけど……まさかこんな事になってるなんてね」
「何が起きてるんです? 俺には、何が何やら……」
「ここは、貴方のいた世界とは少し違う世界よ。私がここに戻るときに、巻き込まれてしまったのね」
やはりあれは、夢ではなかったか。
それにしても、この只者ではない雰囲気。
「……先生は一体何者なんです?」
「そうね……」
そう言って、彼女はチラと女騎士を見る。視線を向けられ、彼女は肩を震わせた。
「彼女たちの宗派からは、アゼルと呼ばれているわ。この世界を作った造物主の使徒の一人よ」
「……!」
俺は彼女と壁画の女神を見比べた。
突拍子も無い話である。だがどういうわけか、俺には彼女の言葉が真実であると感じていた。
「それにしても、あなたを巻き込んでしまうなんて……私のミスね」
彼女は肩をすくめた。
「裏山の道を通って帰る途中、何か……“聴こえた”気がして、そっちに行ってみたんです。そしてら先生がいて……」
「そう……貴方なら、仕方ないわね。もっと気をつけていれば良かった」
俺の説明を聞き、彼女は困った顔をした。
ン? 貴方なら?
「……どういうことです?」
「あなたには、そうしたモノを感じる“力”があるのよ。それは分かってたのだけど、油断してたわ」
「“力”? ……なぜです?」
この世界に来て以来、何か妙な“力”を発揮するようになった。俺の身体は一体どうなってしまったのか?
「あなたの魂が、この世界の“波長”に合っていたのよ。今言えるのは、それだけね」
それだけ、か。
俺の中に浮かび上がるおぼろげな記憶。
間違いなく、俺はこの世界に関わるものなのだろう。
それを知りたいところではあるが……
おそらく女神である彼女は理由を知っているのだろう。いずれ話してくれると信じたいところだ。
おっと……そういえば、聞かねばならないことがある。
「先生……いや、アゼリア様。この世界は一体何なんです? 何か……俺のやってるスマホゲームの世界に似てるんですけど」
「ゲーム?」
「ええ。……あれ? 鞄は……」
しまった。スマホの入った鞄はどこかでに放り出したままだった。無事ならいいけど……。
「そこにあるのじゃないの?」
彼女の示した先には、俺の鞄が転がっていた。どうやら騎士達が俺と一緒に回収して持ってきたのだろう。
そして中からスマホを取り出す。
良かった……壊れてなかった。圏外なのは、やはり異世界だからか?
そしてゲームアプリを立ち上げた。
「これです」
先生は画面を覗き込み……こめかみを押さえた。
「あっ……これは、あの宿ろ……あの方の仕業ね」
「あの方?」
「この世界から貴方のいた世界に転生した人がいたのよ。その人が、前世の記憶をもとに作ったゲームがこれ。ちなみにここは大陸中央部、セルキア神殿よ。そのゲームに出てるかわからないけど……」
セルキア神殿。ゲーム中ではちょっとしたイベントがある場所だったか。にしても、転生か……。そんなことが実際にあったのか。
「そ、そうなんですか? もしかして、情報が古いのは……」
「転生によるタイムラグね。17,8年って所かしら?」
つまり、作者は俺と同世代という事か……。
「どんな人なんです?」
俺は何気なく聞いてみた。それが、いかなる結果をもたらすかも知らずに。
「そうね、彼は……」
彼女は少し考え込むように顎に手を当てた。
が……
彼女の表情がこわばり、眉間にしわがよる。
「え? あの……」
今俺、何かまずいこと言った?
「……大体何で私が……」
ん? 小声で何やらぶつぶつ言っている。
「……最近ちっとも構ってくれないし……」
様子がおかしい。何か空気が重苦しくなっていく。
「……大体、ぽっと出の小娘なんかに……」
……これはいかん。
聞いちゃいけないことだ。聞いてしまったことは、墓場まで持っていくしかない。
耳を押さえようとし……
心臓を直接つかまれたかのような、とてつもないプレッシャーを感じる。飢えた猛獣を目の前にしたときのような絶望感。背中を冷や汗が流れ、鳥肌が立つ。
彼女の髪は、その感情を表すようにざわめき、逆立つようだ。
そして彼女の周囲に、闇色のオーラが見えた。あれは……渦巻く瘴気。肌がチリチリと灼けるようだ。
空を見上げれば、いつのまにか頭上の雲が巨大化している。まるで積乱雲のように。そして、雲間で時折閃く雷光と雷鳴。やがては地上へと雷霆を撃ち下ろすであろう。
このままでは、俺も、あの女騎士も……。
「あ……あぁ……」
女騎士の声。
へたり込んだ彼女は、まるで小動物のように震え、怯えている。涙を流し、顔面は蒼白になっていた。股のあたりには、小さな水たまり。失禁してしまったのか。
自分が崇拝する神の使徒が暗黒面に飲まれていく姿を見れば、そうなるのも仕方がないか。
だがこのまま放置すれば、インド神話の女神……カーリーだっけ? みたいな血と殺戮の女神になりそうだな。
……俺がやるしかないか。いらんこと言ったのは俺だしね。……また死にかけるかもしれんがな。
「先生!」
意を決して呼びかける。
「……あの人は昔っから……」
あれ? ダメだ。
「先生! 聞いいてくださいよ!」
強引に瘴気の中に踏み込んだ。
「ぐぅっ!」
伸ばした腕が灼けるように痛む。それでも構わずに肩を掴んだ。
「先生! どうしたんですか!」
「え? ああ、渡君?」
彼女は我に返った。直後、プレッシャーや瘴気は霧散する。何事もなかったかのように。
このことは忘れたほうがいい……。
「渡君、じゃないですよ……。どうしたんですか、いきなり。彼女、怯えちゃってますよ」
「あ……ごめんなさい。ちょっと嫌な事を思い出してしまって……」
俺と女騎士の様子を見、彼女は肩を落とした。
「そ、そうですか」
どんなことかと聞くのは自殺行為だな。それこそ髪の一筋どころか原子一個すら残らないだろう……。