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荘厳な神殿の中、祈りの声が響く。
神殿に詰めかけた者達は、一心に祈りを捧げていた。
いや……違う。これは、むしろ呪いに近い“気”を帯びていた。
神殿の中に漂うのは、血の臭い。
女神が描かれた壁画前にある祭壇に捧げられた杯に満たされたのは、人間の生き血。
祈りを捧げる者達は皆、暗灰色のローブを身にまとっている。
そしてその下にある石の台には、ききらびやかな宝石をちりばめた、下着同然の服をまとった少女が寝かされていた。
いや、拘束されていると言っても良い。
四肢は縛られ、大の字になって台にくくりつけられていたのだ。
彼女は青ざめつつも、唇を引き結んでた。彼女なりの、矜持か。
その前に佇むのは、仮面の男。
禍々しい装飾が施された儀礼用の短剣を掲げ、怪しげな呪文を唱える。
それを、暗灰色のローブをまとう者達が唱和していた。
そして、男は祭壇の杯をとり、少女の腹のあたりに血を垂らすと、その臭いが充満した。同時に呪文の斉唱は最高潮を迎える。
「……」
それを嫌ってか、少女はかすかに顔を歪めた。
「ハハ……いよいよだ……」
仮面の男はつぶやくと、少女の衣服を強引に剥ぎ取った。
「! 嫌……」
少女は初めて怯えた声を上げる。
「これより交合の儀を始める」
仮面の男は少女の上に覆いかぶさろうとし……
「助けて……誰か……誰か!」
悲嘆に満ちた、少女の声。もはや矜持もなく、恐怖に打ち震える。
しかし、答えるものはいない。
……否。
それに応じた様に、ゆらり、と祭壇の前の空間が揺れた。
そして光が弾ける。
「な……何が……」
仮面の男は少女を穢さんとする姿勢のまま、呆然としていた。
ローブ姿の者たちの間にも、さざ波の様に動揺が広がっていく。
そして……光の中から一人の男が現れた。
それは、緩やかな白い衣をまとった銀髪の美丈夫。その姿は、神殿の宗教画から抜け出した様な神気を纏っていた。
「……ここで何をしている、貴様達」
男は冷徹さの中に、激しい怒りがこもった声で、問う。
「何者……だ?」
仮面の男は少女から離れ、身構える。だが、銀髪の男の視線に射すくめられた様に動けなくなった。
「姫巫女を拐かした上に、アゼリアを奉る神殿で何をしている、と聞いておるのだ」
銀髪の男は再び問うた。
「わ……我らは魔王を倒す勇者を呼び出す儀式を……」
仮面の男は震える声で答える。
「ふむ、勇者ならいるではないか。ガンディールの大将軍イルムザールとその息子……女神アゼリアに選ばれたヴァルスラーナが」
「あ……あの二人では、女神が定めし天則には逆らえぬ。魔王を倒すことなど不可能だ。だから……」
「新たな勇者が必要、か。だが……貴様達が天則に逆らう目的は何だ?」
「それは……光の時代を永遠のものに……」
「邪な儀式を行っておきながら、詭弁を聾するか。天則が乱れれば、世は戦乱に飲まれ、世界の崩壊を招きかねん。それが分かっていながら貴様達は儀式を行うつもりなのか?」
「天則の下での安寧など、所詮偽りの平和に過ぎぬ。光と闇の戦いを巻き起こす天則こそ全ての元凶! 光と闇、法と混沌の天秤を叩き壊し、いまこそ太平の世を築くのだ!」
「……出来ると思うか? かつて神々ですら成し得なかった事を成す覚悟はあるのか?」
「今は人の世……神など前時代の遺物に過ぎぬ! 最早神々は死した! 人々を導く力は無い!」
「ふむ。余、アルジェダートの前でもそう言い切れるのか?」
「ア……アルジェダート⁉︎」
仮面越しにも男の動揺が見て取れる。
創世神話の初期にのみ登場する天空神アルジェダート。その名に暗灰色のローブの者達も、驚愕に目を見開く。
そして、その口から裁断を宣告された。
「そうだ。余直々に貴様達を裁いてくれよう。天則を壊す覚悟。そして責を負う信念……貴様達にそれはあるのか? 今、その魂にかけて答えてみるがいい」
「ア……アルジェダートがこのような場所に現れる筈がない! 此奴は……此奴は偽物だ!」
しかし、仮面の男は抵抗を試みた。儀式用の短剣を構え、ローブの者達を扇動する。
ローブの男達は戸惑いの表情を浮かべつつ、めいめいに武器をかまえた。そしてアルジェダートににじり寄る。
「偽物、か。ふむ、今の余ならあながち外れでもないか。ならば……余のもう一つの姿を見せてくれよう。こちらの姿の方が、貴様達には馴染みが深いであろうからな」
アルジェダートがパチンと指を鳴らす。と、何処からともなく現れた闇がアルジェダートを包む。そして闇は渦巻き、凝固して白い衣を包んで漆黒の鎧となった。
その姿は、まさしく……
「ま……魔王ユーリル⁉︎」
「然り。貴様は余を倒して太平の世を手に入れたいのであろう? ならば、今この場で決着をつけてやろうではないか」
魔王へと姿を変えたアルジェダートは右手を天にかざす。上空より降り注ぐ、眩い光。光が収束し、巨大な剣の形を成した。
仮面の男は、その姿を絶望的な目で見つめた。




