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――そして、現在
廃墟の中を、何度も蹴つまずき、転びそうになりながら俺はもひたすら走る。
そして、何とか奴を引き離した……はずだった。
が、気がつけばヤツは目の前。
絶体絶命だ。
これはきっと夢だ。たとえ今殺されたとしても、きっと学校の裏山かどこかで目が覚める……などという考えは捨てるべきだろうな。
そうであれば、すでに目覚めているはずだ。
気がつけば、ほおにかすかな痛みがある。柱か何かにぶつかりそうになったときに付いた傷だろう。そっと手をやると、鉄のにおいがする、ぬるりとした液体が指に付いた。
血だ。
やはりこれは、現実だ。紛れもない……。
このままであれば、間違いなく俺は死ぬ。いや、殺される。
俺は……まだこんなところで死にたくない。
死ぬわけには、いかない。
ならば、せめて抵抗しよう。
とはいえ、……どうする?
ヤツと対峙しつつ、必死に思考を巡らせる。
現状、武器になるものは鞄ぐらいしかないか。教科書やノートが入っているのでそれなりに重量はあるが、相手は石像だ。
……ダメだな。
だが、このまま殺されるのはごめんだ。何か手はないか? 何か……。
血のついた手を、きつく握りしめる。
間違い無く、絶望的な状況だ。
だが、不思議と絶望感はない。代わりに、心の奥底からふつふつと湧き上がってくるものがあった。
怒りと、そして闘志。
それらが、マグマのように俺の心の奥底で渦巻いていた。
俺の中に、これほどのモノがあったのかと自分でも驚くほどの……。
『ここで死んでいいのか? こんな相手に殺されていいのか? 俺は……だったのだ。まだ、ここで死ぬわけにはいかない』
心の奥で、誰かが囁いた。
その時、やけに明瞭に心臓の鼓動が聞こえた。
同時に身体の奥、ヘソの下あたりに灼熱の熱を帯びた“何か”があらわれた。
何だ、これは?
……分からない。だが、とてつもない“力”を感じた。
それは、おそらく今俺が欲しているもの。
……いける、か?
分からない。だが、一か八だ。
体当たりでヤツを転ばす。その隙に逃げるしかない。
上背は俺と同じか少々小さいぐらい。重さは俺の二倍から三倍ぐらいか? だが、考えているヒマは……ない。
ヤツが両腕の爪を振りかざして襲いかかってきたのだ。
クソッ……
覚悟を決めるどころじゃない。
その一撃は、頭をすくめて必死に回避。
そして、
「うりゃー!」
同時に俺は地を蹴り、突っ込んだ。
体を丸め、肩からヤツの胸元へ体当たりをかける。
カウンター、になればいいが……。
「ぐおっ!?」
鈍い衝撃。
俺は軽く弾き飛ばされる。
だが、体当たりした肩以外には痛みはない。ヤツの爪は、上手いぐあいに回避できたようだ。
すぐさま立ち上がり、視線を巡らす。
ヤツは⁉︎
その姿を確認。数メートル先で倒れ、あがいている。
……俺がやった、のか?
あんな石の塊を遠くまで弾き飛ばすなんて、とてもじゃないが出来るわけがない。今までの俺ならば、だが。
……この“力”は何だ?
身体の奥底から一瞬湧き出た“力”。まるで吹き上げるマグマのような……。
火事場のなんとやら、みたいなものか?
……どうする? この“力”に頼ってヤツとやり合うか? それとも逃げるべきか。
とまどう俺の前で、ヤツが身を起こした。
……しまった!
痛恨のタイムロス。
すぐに逃げるか追撃をかけるかすべきだった。
仕方ない。
俺はヤツと戦う覚悟を決めた。
もう逃げることはできないだろう。
生き延びる道は、コイツを倒す事だけだ。鞄を地面に放り出す。
そして……
「ハッ!」
先手必勝。
立ち上がったばかりのヤツに掌底を一発。
「チッ……」
しかし、軽く跳ね返される。
あの“力”は発揮されない。
さっきのあれは偶然か? しかし、確かにあれは俺自身の奥底から湧き出たもの。
どうすればいい? どうすればまたあの“力”を引き出せる?
焦りながらも、ヤツの大振りな一撃を掌で跳ね上げて回避。
小学生の頃、爺さんからみっちり仕込まれた拳法の動きは、まだ身体が覚えていたようだ。
「フン!」
前蹴りをヤツの腹に当て、反動で距離をとる。
だが、
「何⁉︎」
ヤツの腕が大きく前に振られ、ラリアートのように俺をなぎ倒した。
そうだった。ヤツは上背の割に腕が長かった……。
慌ててヘッドスプリングで立ち上がり……そこまでだった。
「!」
ヤツの腕が、俺を捉えた。
「クッ……離しやがれ!」
脚でヤツの体を蹴り上げる。が、当然のごとく効果はない。
身体を捩って逃れようにも、万力のごとき力で押さえつけられてしまっている。
掴まれた肩や上腕に爪が食い込み、骨がきしみを上げる。
「ッ!」
ヤツの、大きく裂けた口が開いた。
鋭い牙が、月光に輝く。
これで、終わりか……
俺はただそれを見つめるしかなかった。
しかし、その時。
「“光槍”!」
どこかで声がした。
……“光槍”⁉︎
その声は、微かに脳裏にも響いた。そして、何故かその“言葉”にも覚えがあった。
確か、これは……
記憶を掘り起こそうとする間もあらばこそ、
「!」
俺をつかんだガーゴイルの背中に、輝く棒状の“何か”が突き立った。
光の矢? いや……槍だ!
直後、ヤツの動きが止まった。
そして着弾箇所を中心に、その身体に無数のヒビが入る。
『…………!』
声なき断末魔。
そしてヤツの上半身は、微塵に砕け散った。
「助かっ……た」
俺は安堵の声を漏らし、そして意識が闇に飲まれていくのを感じた。