2
――食堂
席には空きが目立っていた。
ほとんどの宿泊客は、すでに朝食を食べ終えてチェックアウトしているのだろう。ここにいる客の大半は、茶などを飲んでくつろいでいる連中ばかりだ。
寝坊したのは、夕べ眠れなかった俺達だけ……ではなかった。
もう一組いた。若夫婦らしい。まさか、あの隣室の……。
ふと視線をやると、旦那の方と目があった。ヤツは意味ありげにニヤリと笑う。「ゆうべは〜」とか言いたげだ。
ちげーよ。無視だ、無視!
エルリアも目礼するのはやめなさい。
気を取り直して……とりあえず、飯だ。
運ばれてきたのはナンのようなパンと、肉や豆、香草が入ったスープなどだ。
ハーブの匂いが鼻をくすぐる。
ナンには橙色の果実の甘酸っぱいジャムを塗って食べる。中のモチっとした食感がたまらない。スープはスパイスが効いていてなかなか美味だ。じっくり煮込んであって、肉も柔らかく味がしっかりとしみ込んでいる。
いずれ日本食が恋しくなるかもしれんが、しばらくはこの世界の料理を楽しめそうだ。
腹が膨れたら、出発の準備だ。部屋に戻って荷物をまとめ、旅装束に着替える。
俺はさっさと着替え終え、後ろを向いて、彼女の着替え終わりを待つ。
ん? さっきから衣擦れの音が止まっているが……
「アキト様」
彼女の声。鎧を着るというのにやけに早いな。
俺はついうっかり振り向いてしまい……
「あっ、ごめん!」
彼女は上半身裸であった。胸元をマントで隠しているだけだ。
「さっき……背中の傷、見ましたよね」
「ごめん。見た」
さっきだけじゃないけどね。
「これは……私が騎士団に入るときにつけられたものです。常世の穢れを祓うためと称して、鞭打たれた……」
「……」
彼女は俺に背を向ける。白い肌に赤黒い傷痕がいく条も走る。見ているだけで、痛々しい。
俺は何と言っていいかわからず、黙りこくった。
そういえば、ゲームの裏設定だと、アルセス教派にはそういう教義があると書かれていたな。ゲームの攻略wikiによると、ロシアかどっかのキリスト教の宗派に『鞭身派』ってのがあったそうだ。その中ではアルセス教派とは、恐らくはそれに似た宗派ではないかと推定されていたっけか。その急進派である騎士団は、力を求めるあまり歪んでしまったのか。
「騎士団は、歪んだ邪教徒なのです。アキト様に会い、アゼリア様からお言葉を賜った今、それが良く分かります」
「なぜ、それを俺に……」
「私もまた、邪教徒だったからです。新たな仲間を鞭打ち、そして貴方を手にかけようとした……」
「エルリア、それは……」
俺は気にしていない、と言おうと思ったが、彼女自身が許せないことなのだろう。
「にもかかわらず、私は罰も受けずここにいます。姫巫女としても、その稟質を欠くにも関わらず……」
「いや……そうは思えないけど」
「私は……神の声が聞こえぬ巫女なのです」
「聞こえない!?」
「ええ。確かに幼い頃は聞こえました。しかし、ある日を境にアゼリア様の声は全く聞こえなくなってしまったのです。その為、私は“穢れた”巫女として、価値は無いものと見なされていました」
「……」
「私には、身に覚えがありません。ですが、口さがない者には……」
彼女の目に涙があふれた。色々酷いことを言われたのだろう。
「大丈夫だよ。“声”が聞こえなくなったのは、先生……いやアゼリア様が俺達の世界に転移してたからじゃないかな?」
少なくとも、今回の魔王戦役後の世界は、これまでの一万年とは“何か”が違うのは確かだな。たとえ姫巫女に落ち度がなくてもそういう事態が起きうるのかもしれん。
「そう……でしょうか?」
「俺を信じろ! ……なんて偉そうなことは言えないけど、少なくともアゼリア様が直接紋章を与えた巫女だろう? 少なくとも、俺の記憶の中にはそんなのはそうたくさんいないぜ?」
“記憶”? つい、そんな言葉が口から出てしまったが……。ゲームじゃそこまでの情報は語られていないんだよな。何故そんなことを言ってしまったのだろう?
「ありがとうございます。少し、自信が湧いてきました。アキト様、私はあなたのそばにいても良いのでしょうか?」
「もちろんだよ。エルリアにいてもらわないと困る。だから、もうしばらくの間はよろしく頼むよ」
振り向き、俺を見つめる彼女。
「こちらこそ、宜しくお願いします!」
彼女は片足を引き、膝を折り曲げ優雅な礼をする。フィギュアスケートなんかで見る仕草だ。
何か感動するな。
その時にチラリと見えた双丘の先端も含めて。
――白狼亭 1F
俺達は、宿のチェックアウトを済ませた。
さて、店を出よう。
食堂を横切り外へと向かい……
ん? 外で物音がするな。
何やら争うような音だ。怒号も聞こえる。
どうやらあの悪魔がまたやってきたわけではないだろうが、モメごとはゴメンだ。しばらく店の中で様子を見よう。
そう思った途端、店の入り口の扉を破って“何か”が飛び込んできた。
この街の衛兵だ。
「うっ……クソッ!」
衛兵はふらつきながらも立ち上がろうとし……くずおれる。脳震盪でも起こしたのか。
店内は騒然となった。
と、扉の残骸を蹴り倒して数人の男が現れた。
板金鎧を身につけた男達。どこかの騎士なのだろうか?
いや、あの鎧には見覚えがあった。
「!」
思わず息を飲む。
「まさか……」
横目で見たエルリアの表情もこわばっている。
いや、俺達だけじゃない。店内の客や従業員達も、顔を引きつらせて騎士達を見ていた。
「あの連中が、なぜ……」
アルセス聖堂騎士団。
この辺りはあの騎士団の活動範囲から離れているはずだが……
目的はやはり、俺なのか?
見つかったらマズい。
できる限り目立たないように身を小さくする。
しかし……その願いもむなしく、彼らの視線が俺たちを捉えた。




