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――とある場所 過去
それは、かつて荘厳な神殿だったのだろう。
破壊の跡も生々しい、石造りの建造物が佇んでいた。
焼け焦げ、粉砕された祭具が転がり、石畳の床に敷かれていたはずの絨毯は千切れ、吹き飛ばされていた。
あたかもここで何かが爆発したかのようだ。
そして所々にある黒い染みは、焦げ跡か……それとも血の跡か。
その無残な遺跡の中に、一人の少女の姿があった。
高貴そうな身なりをした、セピア色の髪の少女だ。
「ヴァルス様をお護りください」
彼女は女神アゼリアの姿が描かれた壁画を前に、一心に祈りを捧げていた。
そして祈り疲れ、くずおれた少女は、力なく女神を見上げる。
その瞳に宿るのは、無力感と、悲しみ。
しかし、その瞳が見開かれる。
「……!」
空気が、震えた。
少女の祈りが通じたのだろうか。少女の眼前の空間が、さざ波のように揺らいだ。
「まさか……」
少女はわななくように口を開く。
そして、光が弾けた。
「あ……ああ……」
呆然とする少女。
光の中より少女の眼前に歩み出る一つの影が、あった。
――翌朝
カーテン越しに、柔らかな朝の光が部屋を照らしだしている。
俺はベッドのぬくもりの中で、一つ大きな伸びをした。
「ん〜〜、よく寝た」
何気なく、上を見る。
「ン? ここは……」
電灯などはない、板張りの天井だ。俺の部屋ではない。
あれ? なんでこんな所に?
そうだ。ここは……
周囲を見回そうと身じろぎ。
「きゃっ⁉︎」
と、ベッド脇で小さな悲鳴が上がる。
ん? なんだ? 俺の隣に、誰が……
ふと横を見ると、白い背中が目に入った。上半身裸の、栗色の髪の女だ。
ああそうだ、思い出した。彼女は……姫巫女エルリア。俺の旅の連れ合いだ。そしてここは、城塞都市カデスの宿。
「あっ、ごめんなさい! すぐに着替えてしまいますから……」
「こちらこそ、ごめん!」
俺も慌てて後ろを向いた。
その直前に見た彼女の背中には、やはり幾つもの傷跡があった……。
そういえば、何か夢をみたな。
アレはたしか、セルキア神殿。俺がこの世界に転移してきた場所だ。
昨日の時点では祭具や絨毯、血の染みなんかはなかったから、あれは過去の姿か。
祈りを捧げていた少女は誰だろう? どことなく女神アゼリアやエルリアに似た顔立ちだった。
そういえば勇者ヴァルスの名を口にしていたな。もしかしたら当時の姫巫女エルマーヤかもしれん。
……そうだ。アレは夢じゃない。
俺がこの世界に転移してきたときにかいま見た“映像”だ。すっかり忘れていたが……。
だとすればアレは、異界の剣士が現れた時の映像ということか?
確かに現れた影は、“五人目”のデフォルト状態の姿に似ていたが……
「着替え終わりました」
彼女の声で、思考を中断する。
振り向くと、昨日のワンピースを着た彼女がいた。
俺も着替えないと……って、アイタタタ……
身を起こそうとした途端、肩が、脇腹が、ふとももが、脛が悲鳴をあげる。俺は情けない姿で悶絶した。
「ど、どうしたんですか⁉︎ 昨日、どこか怪我でもしていたんですか?」
「い……いや、そうじゃなくて……」
「?」
「ゴメン、筋肉痛……」
情けない話である。
――しばしのち
彼女に治癒呪文を使ってもらい、なんとか痛みは治まった。
そして着替え終え、ちょっと遅めの朝食を食べに……といったところで、カバンの中でメロディーが鳴る。
「な……何ですか⁉︎」
いきなり剣を抜こうとしないでください、エルリアさん。
「大丈夫、これさ」
スマホを取り出してみせる。
何気なく時計を見ると、朝六時半過ぎだった。ここだと九時か十時ってところかな? 少々寝過ごしてしまったか。
それにしても……着信⁉︎ って、咲川って名前が出てる。番号なんて登録した覚えなんてないんだがなー。
というかそもそも、電池の消耗を抑えるためにずっと機内モードにしてあるから、着信なんてできるわけないはずだが……。
ん? 翡翠色のストラップが光ってるな。もしかしたらこれのせいか?
ま、いいや。とりあえず、出るか。
「もしもし、渡です」
『ゆうべはおたのしみでしたね』
「……」
俺は無言で通話を切った。
数分後、再び電話が鳴る。
「はい、渡です」
『もう……いきなり切ることないじゃない。冗談よ、冗談』
アハハとか笑ってやがるが、さっきの発言は仮にも教育者としていかがなものだろうか? まぁここは異世界だし、それを言っても仕方がないかもしれんが。
「いや……昨晩ちょっとですね……」
俺は昨夜の有様を伝える。
『ゴメン、それはお気の毒に……』
バツの悪そうな声。
そういえば、何か声が聞こえる。……って、朝の情報番組かよ。そうか、今地球にいるんだな。
それより、現状報告をせねば。
「とりあえず現状なんですけど、今はカデスにいます」
『カデス? もう少し先に行ってるかと思ったけど……何かあったの?』
「ええ。昼食食べて次の街行こうと思っていたところに上位悪魔が現れて……」
『まさか、そんな……』
彼女にも予測できなかった事態なのか。
とりあえず、その辺りの事は話しておく。
そーいえば、気になる事もあったな。
「ところで先生、イムザって名前に覚えがあります?」
『イムザ? 知らないわね。どうかしたの?』
「ええ、実は……」
俺は昨日の悪魔の言葉について話した。
『それは……』
「それは、何です?」
『ごめんなさい、まだ話せないわ。確信がなくて……。そうだ、エルリアに代わってもらえるかしら?』
そりゃ構わないけど、もう少し説明してくれてもよそそうなモンだけどね。
「エルリア、ちょっといいかい?」
「え? ……何です?」
相当警戒されてる件。
「あの……アゼリア様がさ、エルリアと話したいって……」
「そっ、そうなんですか⁉︎」
「うん。だからこれを。そう。耳元につけて……」
何とか説得し、スマホを渡す。それを受け取ったエルリアは、ぎこちない仕草で耳に当てた。
『えっ!? 声? どこから?』
周囲を見回す彼女。
「その機械からだよ。しゃべっているのはアゼリア様さ」
「あ……アゼリア様!? ご無礼を! 申し訳ありません!」
どちらに向かって謝るか迷っているようだ。とりあえず、可愛いので見守ろう。
「はい、わかりました。……ええ、はい。……大丈夫です。私の命に代えましても……」
どうやら先生が何やら指示しているようだ。
緊張して周囲が目に入らなくなっているエルリアのそばにより、聞き耳をたてる。
大体はエルズミスに向かう道の指示らしいが、何やら途中から『押しの一手』とか『既成事実』なる言葉が聞こえてきたような気がするんだが……。
うん。これは問い詰めるべきだな。
「話が済んだら代わってもらえるかな?」
「……はい。アキト様が代わって欲しいとおっしゃってますが……どうします? ……はい、わかりました。そう伝えます」
「え? ちょっと……」
「申し訳ありません。出掛けるからまた後でと伝えてくれとのことでした。アキト様にはよろしくと」
「……」
俺は思わずこめかみを押さえた。そこだけはなんとかして欲しかったんだよね。出勤時間にしちゃ早いしさー。
が、彼女に申し訳なさそうな顔をされると、それ以上何も言えない。
「いいよ。また連絡あるだろうしね」
俺は苦笑しつつ、腰を上げた。
さ、朝飯だ。




