1-EX エルリアの回想 1
――夜半
夜の帳がおり、カデスの街は静寂に包まれている。
先刻まではお盛んだった隣の部屋の若夫婦も、すでに寝入ってしまった様だ。
しかし私は未だ眠ることができずにいる。
その原因は、私の隣にいた。
私と共に旅することになった少年。彼は、アゼリア様によって直接選ばれた“勇者”。
“勇者”、か……。
天空神アルジェダートの代理人とされる存在。大神殿に伝わる伝承では、災厄が訪れる時に女神によって指名される聖戦士であるという。彼らは姫巫女と共に災厄と立ち向かうべく宿命づけられた存在なのだ。
そう。姫巫女たる私と、対となる存在。
しかも、異世界においてアゼリア様に直接選ばれるとは……よほど特別な存在なのだろうか?
「アキト様……」
少年の耳元で囁いてみる。
返事はない。
代わりに、健やかな寝息が聞こえてくる。
……すでに、彼は寝てしまったようだ。
私は起こさぬよう、その寝顔を眺める。
「やはり、似ている……」
その目鼻、そして口元……
月明かりに浮かぶその貌には、かすかに“あの方”の面影があった。
“あの方”……先代勇者イルムザール様だ。
しかし私は、彼に会った事は無い。肖像画でしかその姿を知らないのだ。
彼は私が生まれて間もなく、魔王戦役において命を落としている。そして、魔王を倒したのは、その嫡子であるヴァルスラーナ様一行だった。
とはいえ私にとって一番の勇者はあの方だ。幼い頃から両親、そして叔父から聞かされてきた英雄譚。その主人公が彼なのだ。
私はずっと彼に憧れ、そんな勇者を支える姫巫女になりたいと思っていた。
今の私は、そういう存在になれているのだろうか……。
――昨晩 アルタワール ネヴィラーム神殿
ここは、交易都市アルタワールの中心部に存在する、由緒ある神殿だ。そして、アルセス聖堂騎士団の駐屯地としても使わせてもらっている。
『使わせてもらっている』とはいうものの、その経緯はあまり褒められたものではなかったというが……
私がいるのは、伽藍の奥にある僧院。騎士団院の宿舎となっている場所だ。
就寝前の礼拝を終えた私は、寝間着に着替えてベッドに潜り込んだ。
しかし、一向に眠気は訪れない。
理由はわかっている。
最近、妙な夢をよく見るのだ。
それは……かつての英雄、イルムザール様の夢。
特に最近、夢にあの方がよく現れるのだ。
旅の途中、はぐれものの兵士に襲われて窮地に陥った私を救うべく、颯爽と現れたあの方。
陣頭に立ち、ならず者達を掃討するあの方。
あの方は、望まぬ婚姻を強いられた私を救い、そして……
駄目だ。
私は妄想であの方を穢してしまっているのではないか?
このままではいけない。
私は隣のベッドで寝ている侍女のエスティを起こさぬよう、そっと身を起こした。
そして月明かりの中、私は剣を手に寝間着のまま宿舎の裏庭に出る。そして、井戸から水をくみ上げると、頭から被った。
「……!」
その冷たさに、身が震える。
同時に頭の芯がすっきりと冴えてきた気がする。
そして、もう一度。
「ヘヘッ、ずいぶん精が出るねェ」
酩酊した男の声。
ふと視線を向けると、肌もあらわな女の肩を抱いた兵士が、千鳥足でこちらへやって来る。相当飲んでいるな、アレは。
「独り寝が寂しいんだろ? なら、一緒に可愛がってやるよ」
ヘラヘラと笑いながら、私にいやらしい視線を向けた。
薄手の寝間着は水に濡れて肌に張り付き、私の身体の線を浮き立たせている。おそらくは肌着が透けて見えてしまっているだろうが、幸い月明かり程度では、そこまでは見られまい。とはいえ、不快なのには変わらないが。
「……」
私は無言で兵士に剣を突きつける。刀身が月光を浴び、ギラリと光った。
「おオおイ……」
「ヒッ……」
男は怯んで後退し。女は短い悲鳴を上げてへたり込む。
「い……いや待ってくれ。冗談だよ、ジョーダン」
「……叔父上には黙っておく。だが、二度と私にその様な口を聴くな」
「わッ、わかったよ、わかった! じゃ、じゃあな!」
兵士は女を急かし、宿舎の方へと消えた。
と、
「……ケッ、お高くとまりやがって! とうの昔にダレかにヤられちまってんだろ? エヴノのヤロウが失脚したら、真っ先に俺がヤってやるよ」
風に乗り、毒づいた音葉が聞こえてきた。
私は思わずため息をつく。
禁欲を旨とする騎士団であるが、ああいった輩は後を絶たない。
いや……妄想に胸を焦がしてしまう私よりも健全なのかもしれないが。
――駐屯地内 礼拝堂
私はいったん部屋へと戻って着替えると、宿舎の脇にある、小さな礼拝堂へと向かった。
その奥にある使徒アゼル像――古くからの信仰では、女神アゼリアとも呼ばれる――の前で、私は祈りを捧げる。
女神アゼリア。
姫巫女である私にとっては守護神ともいうべき存在。
私は、彼女によって選ばれた姫巫女。女神の代理人として、彼女の声を伝える存在だ。
しかし、今の私は……その資格は無いのであろう。
何故なら私は、女神の声を聞く事が出来ないのだ。
確かに選ばれた当初は、彼女の気配を身近に感じていた。しかしある日を境にその気配は急速に遠のき、やがて声を聞く事が出来なくなってしまった。
それが何故かは分からない。
一旦は姫巫女として認められていても、不浄な存在に触れてしまった者、邪法に身を委ねた者、そして純潔を失った者などは、女神の声を聞くことができなくなると古くなから言い伝えられてきた。
一千年前の魔王戦役時にも、そうして姫巫女の資格を失ってしまった者もいたと聞いている。
しかし、私にはそういった心当たりはない。
だが、現に私は……
「……ッ!」
もしかしたら、私の心が穢れているのだろうか?
その穢れゆえに、アゼリア様は私を見捨て……
涙が溢れる。
もはや、私には存在意義がないのではなかろうか? ただ政の道具として利用され、捨てられてしまうのではなかろうか?
現に、私ととある貴族との縁談がまとまりつつあると叔父上が話していた。
一度も会ったことのない相手との婚姻、か。
恋も知らぬ私にとっては望まぬ契り……
だが、血を残すのが姫巫女の役目。
しかし、せめて一度は、一度だけは……
と、その時、
私の脳裏に響く“声”。
名を呼ばれた気がした。
この気配は……まさか、アゼリア様⁉︎
いや……気のせいか? あるいは別の“何か”……懐かしい気配のする“何か”か?
もしかしたら、まだ私にも“声”を聴く資格があるのかもしれない。
と、その時、像の頭上に飾られた翠の宝珠に一瞬、輝きが宿った。
「これ、は……」
思い当たることが一つ。
「まさか、“門”が開いた⁉︎」
異界へとつながる転移門。その門が開く時、異界よりの来訪者が現れる。彼らはこの世界に数々の災厄をもたらしてきたといわれている。それが開いたという事は……
確かめなければ。
私はすぐに自室へと戻ると鎧を着込む。
誰かを起こして……いや、一人で行こう。
書き置きを用意し、エスティの枕元に置く。
これを、叔父上――この駐屯地で隊長を務めるエヴノ――に渡す様にメモも添えて。
あの“声”。
もしかしたら、私は呼ばれているのかもしれない。
また、アゼリア様の“声”を聴くための試練なのか?
行こう。いや、行かなばならない。
私は姫巫女なのだから……




