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――どこともしれぬ場所
闇の中、俺は走っていた。
石造りと思しき建物の、廃墟の中。
足元に転がる瓦礫に蹴つまずいてよろめきつつも、必死に走る。
「ゼェ……な……何だよ、コレ……どうなってんだよ!」
喘ぎつつ、毒付く。
そして、背後から迫る足音。
ゆっくりと、しかし着実に“何か”が迫ってくる。
「クソッ……」
俺は背後に視線をやった。
石柱の陰に見え隠れする、黒い巨大な“影”。
“ヤツ”だ。
それが獣の如き唸りを上げ、俺を負う。
「チッ……振り切れねぇ!」
スピードを上げるにも、もう足が限界だ。
それなりに足には自信があるつもりだったが、足場の悪い瓦礫の中では勝手が違いすぎる。
このままじゃ追いつかれて……
!
って、目の前は壁だ。
マズい。
慌てて右に方向転換。
しかし……
「なっ⁉︎
目の前に、“ヤツ”がいた。
回り込まれたのだ。
「くそっ……」
これまでか。
こんな訳の分からん場所で、訳の分からんヤツに殺されるとは……
俺は絶望と怒りがないまぜになった顔で、ヤツを睨みつけた。
――おそらくは数時間前、6限目
「ふぁ……」
俺――渡彰人――はあくびをしかけ、あわててそれを噛み殺した。
いかん。まだ授業中だ。
一つ頭を振って眠気を振り払うと、授業に集中。ここさえ乗り切れば、今日の授業は終わりだ。
……って、どこ読んでたっけ?
「なぁ、今どこだ?」
隣に座る友人の高柳に声をかけ……
「渡君。では、今のところを読んでください」
国語の教師で担任の八洲先生の声。
げっ……よりによって。
俺は思わず天を仰いだ。
――授業終了後
「ああ……やってしまった」
俺は思わず机に突っ伏した。
呼び出しまで食らってしまったのだ。
「ご愁傷様〜。にしても、どうしたんだよ。最近、いつも眠そうだぜ」
高柳の声。
「ああ、実はな。ついついゲームに夢中になっちまってな。いつものアレだが」
俺が最近ハマっているスマホのゲーム……。それは、『アストラン大陸戦記』という名のゲームだ。アストランという異世界の大陸を舞台にした、ファンタジーRPG。少々レトロなコンピューターRPG風で、勇者が仲間とともに魔王に挑むというよくある筋書きだ。フリーのアプリなので内容はまぁそれなりだが、熱心なファンもいるようだ。
「おいおい、あのゲームかよ! 正直、そこまで夢中になれる要素なんてない気もするんだがな〜」
「ほっといてくれ。人の好みだ。が、自制せんといかんよなぁ……」
俺は頭を抱えた。
ついでに言えば、最近妙な夢もよく見るようになった。
日本ではない、どこか遠い国のような場所。そして時代ががった衣装を着た人々。
そして、栗色の髪の、美しい女。
う〜む……詳しいことは覚えていないが、その女と随分親しくしていたような気がする。そして、夢の中の世界は、どことなく例のゲーム中の世界観に酷似していた。
……う〜む。
そんな夢を見るまでとはな。やっぱりゲームに入れ込みすぎか……
――職員室
「……最近、渡君の授業態度はあまりよろしくはないわね」
八洲先生が俺をじっと見つめる。
「はい……すいません。自覚は、しています」
俺は頭を下げた。
ここしばらく、寝不足のせいで集中力を欠いているのは確かだ。このままでは、成績に影響があるのは間違いない。
「そう……。何かあったの?」
「えっと……実は……」
隠しても仕方がない。俺はゲームのことについて正直に話すことにした。
「そう……」
先生は大きなため息をつくと、その艶やかな黒髪をかきあげた。いい匂いがする。って、そんなこと気にしてる場合じゃないな。
「最近多いのよ、そういう子が。少し気にはなっていたのだけれど……」
多いのか……そういうのが。
そして彼女は俺の顔をじっと見る。
「気をつけなさいね。あなたの場合は特に、ね」
「うっ……」
確かにそうだ。俺は、学費の補助を受けてこの学校に通っている。だから、成績を落とすわけにはいかない。
「そうですね。勉強に差し障りが無いようにします」
「……きちんと出来るの?」
「はい」
きっぱりと言い切る。
そうでもしないと、まだずるずるとゲームをやってしまいそうだ。
「……そうね。信じます。頑張りなさいね」
「わかりました」
そうして俺は、解放された。
――昇降口
職員室を辞し、寮への帰途につく。
友人達は部活へ行ったか既に帰宅してしまった為、今日は一人だ。
ふぅ……しばらくゲームはお預けだな。とりあえず、次のテストでは今の順位は維持しないとな。
大きくため息をついた。
果たして今から挽回できるだろうか? いや、やらなきゃいけない。
そうしなければ、ばあちゃんや俺の世話をしてくれた人達にも迷惑がかかってしまうしな。
「……」
いや、今落ち込んでも仕方がない。気分転換でもするか。
いつもと違った道を通って帰るのも、いいかもしれん。そうだ、たまには裏山の方を通って帰ってみよう。
……などと余計なことを考えてしまったのが運の尽きだった。
学校の裏手には、小さな山があった。
いや、丘とでも言うべきか?
まっ、どうでもいいか。
学校の裏側から、その中を抜けていく細い道が続いている。
昇降口を出、体育館やプールの脇を抜けて裏門へと向かう。
と、裏門を抜けようとする一つの影が目に入った。
あれは……
目を凝らす。
見覚えがある……というか、よく知っている人物だ。
この学校で一番の美人といえば八洲先生などとともに名を挙げられるであろう人物の一人。
隣のクラスの担任、咲川先生だ。
彼女について知りたがるのは、生徒教師問わず多い。しかし、そのプライベートについては全く分かっていないのだ。
それが今、すぐそこにいる。
……もしかして。
ささやかな期待。
彼女とちょっとぐらいは話す機会があるかもしれない。
そう思い、そのまま歩いて行くことにした。
――数分後。
ま、下心丸出しじゃ、そんなに上手くいくわけないわな。
裏門を出てしばらく歩いたところで、あっさりと彼女を見失ってしまった。
仕方ない。このまま寮に帰るか。
肩を落とし、再び歩き始める。
しかし、その時。
「……!」
微かに何かが“聴こえ”た。
鈴が転がるような微かな音色。そして、空気の震え。
この近くで何かが起きている。
方角は……確かあっちだ。
それは、道をやや外れた藪の中。
興味をひかれた俺は、その方向へ歩き始めた。
「えっと、確か……」
しばしのち、潅木をかき分けた先に、光が見えた。
「何だ?」
音を立てないように、慎重に歩を進める。
そして、現れた光景は……
「!」
一瞬声を上げかけ、何とかこらえた。
そこには、一人たたずむ咲川先生の姿があった。
そしてその足元に浮かぶ、直径3メートル程の光の輪のようなもの。
幻想的な光景ではあった。
しかし、あの光は何だ? 一体何が起きているんだ?
潅木の影に身をひそめる。
息をのみ見守る俺の前で、彼女は右手を天に掲げた。
直後、その手の先に足元のものとほぼ同じ大きさの光の輪が現れた。
彼女は何をしたんだ? 俺は夢でも見ているのか。
ちょうど、彼女が二つの光の輪に挟まれた格好だ。
そして二つの輪は回転を始める。上下の回転方向は反転しているようだ。
そして彼女は二つの輪と共に浮かび上がった。
人が宙に? そんなバカな!
思わず立ち上がってしまった。
「“転移”」
直後、微かに聞こえた“声”。
上下の輪は次第に接近していき、その中に彼女の姿は消えていく。
そしてついに上下の輪は一つに重なり合い、彼女の姿は消えてしまった。その輪も光の粒子をまき散らし、霧散した。
後に残されたは、呆然と立ちすくむ俺だけだった。
彼女が消える直前、俺の方を見て驚きに目を見開いたようだったが、気のせいかもしれない。
「何なんだよ、一体……」
しばしの忘我の後、我に帰った俺は彼女の消えたあたりに近づいた。
目の前で繰り広げられた光景ではあったが、なんの現実感も無い。
「確かにここに先生が……」
日没前の薄暗がりの中、地面に目を落とす。
低木や下生えの草が茂っているぐらいの、何の変哲も無い場所だ。
……これは夢だ。
いや、幻覚か?
まぁいい。忘れたほうが良い光景だろう。
あの光景を誰かに言った所で信じてはもらえまい。いや、それどころか変人呼ばわりだろう。あるいはゲームのやりすぎで、頭がおかしくなったと思われるか、だ。
……さて、帰るか。
そう思った瞬間だった。
「!」
俺の足元に、あの光の輪が現れたのだ。
これは……。
いや、ただの輪じゃない。よく見ると、多重円状になっている。そして幾つかの直線と、文字らしきもの……。
まさか、魔法陣⁉︎ でも、何で、俺の所に?
そう思った直後……。
俺は光に包まれていた。