落馬
ジリジリと鳴る目覚ましを止め、たま仰向けに横になりながら、明るくなった部屋の天上を見上げた。
夜が明けちまったか…。
片腕腕で顔を覆い、ため息をついた。
今日、ついに約束の果し合いが行われる。
数十分後、言われていた通り華宮の屋敷に向かうと、何処から情報が漏れたのか既に人だかりが出来てしまっていた。
視線が痛い…。
俺が来た途端道を開けてくれるのはいいけど、ヒソヒソ何かを話すのは止めて欲しいところだ。
何来てくりゃいいかわっかんねーからとりあえず学生服着てきたけど、ダメだ目立つ。
何なんだよこの金持ちと庶民の差…!
済みの方で応援に来てくれた旅館や街の人たちだけが唯一見ていて安心出来る。
そんな俺を、吉乃さんが出迎えてくれると、顎て差しながら踵を返して言った。
「こっちだよ、皆さんお待ちかねだ」
それを聞き、俺も気を引きしめてその後に続いた。
勝負の内容は乗馬。
特定の一本道を先に走り切った方の勝ちと言う、分かりやすいものだった。
その単純な勝負内容にも驚かされたが、本当に衝撃的だったのはその挑戦者の方だった。
「フン…お前みたいな貧乏人、ケチョンケチョンにしてやるんだからなっ!」
「…はっ、はぁ」
左様でございますか…。
そう思いながら俺は、力んでくる相手に、困り果て引きつった苦笑で返答した。
渡達志。
一通目の果たし状が届いた時、ヘッタクソな字だとは思ったが…まさか子供だったとは。
本当に、これはこれでやり難くてしょうがない。
どうせなら鼻持ちならない二枚目気取りの御曹司が来てくれた方が、容赦なく叩きのめしてやれたと言うのに。
しかし吉乃さんとお嬢さんは、何度も油断しない様に言っていた。
一ヶ月前、やっと果し合いの内容がわかってとりあえず何だかわからない修行から解放されたのも束の間。
俺はあの鬼婆に昼夜問わず乗馬の猛特訓をさせられた。
つまりはみっちりしごかれた。
「何だいだらしがないね!そんなんでお嬢さんの力になれると思うのかい!」
何故か薙刀を手に、馬から降りて転がる俺に怒鳴る吉乃さん。
チクショー!この鬼婆め!
答える気力が無いので心の中でのみ悪態をつきながら、再び身を起こす。
そこへ何かが顔を覆ったかと思うと、白いタオルの先でお嬢さんが微笑んでいた。
「根を詰め過ぎても良いことはありません、少し休んで下さい」
良いですね吉乃。
それだけお嬢さんが微笑んで言うと、吉乃さんも肩を落として従う。
そしてまた俺に向き直り笑いかけるお嬢さん。
そんな姿を見ていて思う。
果たしてお嬢さんは今、何を思っているのか。
自分の身の振り方が勝負事一つで変わってしまって、恐ろしくは無いのかと。
馬に跨りハッと我に帰ると、ギャラリーを掻き分けてお嬢さんが走り寄って来た。
「どうしました?」
膝に手をつき息を整えるお嬢さんに向き直り声をかけると、お嬢さんはまたあの笑顔で言う。
「…すみません、これから試合という時に」
そう言いながら袖に手を伸ばすと、随分と古い懐中時計を取り出して渡して来た。
「幸運のお守りです、お持ちください」
「………。」
懐中時計を腰に括ると、帽子のつばを掴み一つ頭を下げた。
そんな俺にお嬢さんも手を軽く下に添えて頭を下げた。
「…ご武運を、お祈りしています」
お嬢さんを一人残し、俺は渡達志の隣へ馬を進ませた。
「絶対まけないからなぁ!」
更にそう意気込んで言う子供に、俺もお嬢さんと同じように笑って言う。
「悪いな、俺も負けられないんだ」
それを聞いて渡達志はポカンとした顔をすると、またブスッとした顔をした後、俺を睨みつけた。
審判の笛の音がビービー響くと、乾いた鉄砲玉が弾ける音を合図に試合が始まった。
とりあえず相手の後ろに食いつくように走れと吉乃さんに言われた通り、離されないように馬を走らせる。
出だしは上々だ。
あれだけ鍛えられればそりゃーこれくらい俺にも出来るよな…。
鬼婆め、いつか見返してやるからな。
しかし、ギャラリーを抜け崖際に差し掛かったところで、渡達志が駆け抜けた後直ぐに銃声が轟く。
「………っ!?」
物凄い唸り声を上げて立ち上がり競走馬。
「…おい!?止めろ落ち着け!!」
暴れる馬の手綱を引きながらしがみつこうとした時…。
手綱の紐が紙のように、いとも簡単に引き千切れた。
騒然とするギャラリーが一瞬見えた。
俺はそのまま体制を崩すと、崖の底へと引きずられるように落ちて行った。