お嬢様と俺
信じられないくらい、俺は圧倒さられていた。
「広すぎるだろっ!」
華宮の屋敷を目にして思わずそう叫ぶと、お嬢様のお付きの者に咳払いをされ、気恥ずかしくなりながら黙り込む。
「お気に召しましたか?」
馬車の向かいに座っているお嬢様が、心地の良い声音で笑いかける。
俺は今、春真っ盛りだ。
ただし、必ずくる嵐の付属付きの…。
勿論、最初は俺もいい顔はしなかった。
唐突すぎるお嬢様の宣言にその場の一同は、俺も含めて訳がわからないと言う顔をしていた。
夢ではあるまいかと頬をつねる者もいた。
そしてその膠着した状態から先陣を切ったのは、他でもない華宮殿だった。
「…友恵、何を言い出すかと思えば」
静かにそう口にして黒い縁の眼鏡を外すと、華宮殿はカッと目を見開き、拳を振りかざして叫んだ。
「よくぞ言ったっー!流石は我が娘!」
……は?
俺の思考は暫く停止していた。
その間も華宮殿は熱く、燃え盛る火の如く語り続ける。
「その並外れた決断力、迷いのなさっ!それでこそ我が華宮家の女じゃっ!」
どこまでも熱く語り、燃え上がっていく華宮殿に周囲の人間が若干引いている。
噂には聞いたことはあるが、これが俗に言う親バカと言う奴だろうか。
「お父様、では今日はお開きと言う事でよろしいですね?」
お嬢様が吸い込まれそうな瞳でそう問いかけると、華宮殿はさっきまでの暑苦しさを放り投げて愛娘に微笑みかけた。
「あぁ、良い良い。後は好きにすると良い」
娘に甘いなこの人。
率直な感想が頭を過るほどその対応はあっさりしていて拍子抜けだった。
しかし思っていた通り、それに待ったをかける声が彼方此方から発せられた。
「お待ちください華宮殿!こんな何処の馬の骨ともわからん奴に大事なお嬢様を取られてよろしいのですか!?」
「第一、これでは私たちの面目はどうなるのです!!」
黙れ金持ち、どう見ても俺はここの馬の骨だ。
口には出さないがこれまた直ぐに素直な感想が頭を通り過ぎた。
華宮殿は少しばかり唸りながら考えた末に、俺を指差しながら軽く答えた。
「じゃあ先ほど娘か言った通りこの人と勝負すると良い。わしはチッとばかし想像と違ったが、婿さえ決まれば安心じゃ」
いや待て待て、今この人とんでも無いこと言ったぞ。
今にも目の前の野郎どもが襲いかかって来そうで、俺は身の危険を感じ咄嗟に深々と金杭ノ神にした様に頭を下げた。
「この度は大事な席の茶を濁してしまい誠に申し訳御座いません。ですが私はしがない旅館の長男坊に過ぎません。どの様な勝負ごとも皆々様には到底歯が立たないでしょう。ですから…」
此度の件は無かった事に。
そう続けようとした時、お嬢様の白い手に手を重ねられ話を計らずしも遮られる。
「私はからもお願い致します。私達は野蛮人ではなく紳士淑女なのですから、勝負は正々堂々、公平でなければなりません。まずは1人ずつ勝負する内容を事前にお知らせ頂き、いま一度猶予を頂きたく存じます」
お…お嬢様?
隣に座っている少女が何を考えているのか分からず、俺は困惑する。
てっきりこの場を凌ぐ為の指名だと思っていたが、違うのだろうか…。
その日はお嬢様の言うことならばと、皆渋々と帰っていった。
そして翌日…俺の旅館は大変なことになっていた。
「なっ、なっ、何じゃこりゃー!?」
思わずそう叫ばずにはいられない程の、屋敷を埋め尽くさんばかりの贈物や祝いの品。
どれもこれも聞いたことのない人物からのものばかりで、一体何が起こったのかと大騒ぎであった。
「若旦那、華宮の家に婿に行くんだって?これやるよ」
「旦那ー!いつ華宮のお嬢さんと知りあったんだよこの色男!」
外に出れば道行く通行人にまでこう話しかけられる始末だ。
一体どこで皆んなそんな情報を仕入れるのかと、この時ばかりは恐ろしくなった。
そして、今まで浮いた話もなく働いてきた俺が何故急にこんなことになっているのか。
どう考えても一連の騒動の裏には、間違いなくあの金杭ノ神がいるに違いない。
そうでも無ければあり得ないことが余りにも多すぎた。
「よし、と…」
何時ものように、またあの細い石畳を登りきって一息ついた。
そして俺が暴れた為、ちょっとツギハギが目立つようになった社に、花と饅頭と茶をお供えして手を合わせる。
「金をクレ金をクレ金をクレ金を…」
やはりどんな時でも日課は変わらない。
いや、こんな時だからこそいつも通りが一番なのかもしれない。
「なんとか言えよ神様、全部あんたの仕業なんだろ?」
そう問いかけてみたが、辺りはしんと静まり返ったまま、物音一つしなかった。
ここに来れば何か収穫があると思っていた俺は、当てが外れてトボトボと石畳を下り、大きな歯車の自転車に飛び乗る。
だが、突如現れた馬車に驚き、俺はそのまま転倒した。
「ご機嫌よう、横山殿」
「おっ、お嬢様!?」
俺は上から降ってきた声に、自転車を起こしながら慌てて起き上がる。
「お家の方にこちらだと伺って来たのですが、ご迷惑でしたか?」
「いやいや、滅相も無い!!」
正直のところ、相手が金持ちだと利用されそうであまり関わりたくはない。
これは俺の両親と祖父母の姿から、自然と頭に刷り込まれた教訓だ。
しかしこう爽やかに微笑みかけられると、どうも出鼻を挫かれて調子が狂う。
「宜しければ乗りませんか?ご迷惑でなければ少し時間を頂きたいのですが…」
そしてこうなった…。
ずるずる流されるに流され、どうしてこうなると思いながらも、何故か華宮の家に出向く事になってしまった。
けど、思えばお嬢さんと顔を付き合わせて話すのはこれが初めてだ。
そろそろ流れを自分に持って行こう。
これを機に気になっている事を全て聞き出せればいい収穫になるはずだ。
「お嬢さんっ!一つ二つお聞きしたいことがあるのですが!!」
意気込んでそう切り出せば、お嬢さんを取り巻く空気も少し変化する。
そしてゆっくりと窓枠に軽く着いていた手を膝に置くと俺に向き直った。
どうでもいいが、見合いの席の艶やかな着物より今の山吹と紅い袴の方が好みだ。
「そうですね。私からも幾つかご相談したいことが御座います」
お嬢さんは神妙な面持ちでそう告げると、馬車のヒズメの音がやたらと大きく中に響いた。
「何故席の最後に、あんな事を仰ったんのですか?」
「その事については、誠に申し訳ないと思っておりす。まずは私の身勝手な行いで貴方を巻き込んでしまったことを謝罪します」
いきなり深々と頭を下げたお嬢さんに俺はギョッとし、慌てて頭を上げさせた。
「よして下さいお嬢さん!俺はそんなつもりじゃ…!」
「そうですか…?」
取り敢えずあたまを上げてくれた事にホッと一息をつく。
何だろう、まだ話は始まったばかりなのにドッと疲れた気がする。
「では、次は私からも質問してよろしいでしょうか」
「…はい、構いませんが」
フーと一息つきながら嫌な汗を拭う。
そんな俺にハンカチを差し出しながら、お嬢さんは控えめな笑みで言った。
「あっどうも…」
「横山殿、率直に伺ます。私に雇われる気は御座いませんか?」
その言葉に、俺は思わず受け取ったハンカチを落としてしまった。
しかしお嬢さんは、そんな些細なことは全く気にもとめず、真剣な目で俺を見ていた。