3年目のセフレ
セフレ。とは身体だけの関係とわりきって付き合っている状態のことをいう、らしい。
この定義どおりのセフレがどれだけいるのだろうか。一方がそう思っていても、もう片方は違うという場合も多いんじゃないか?
例えば、好きだとか。本当は付き合いたいと思っているとか。
付き合いたいけれど、それは無理そうだからその関係でいるとかね。世の中のセフレって大体このパターンなんじゃないのと思う。私を含め。
私、新田杏はセフレ歴3年目に突入してしまった。相手はセフレとしてよくあるパターンの元彼。
別れたあと、ズルズルと身体の関係が続いてしまいやすいらしい、元彼とか元カノって。
私も似たようなもので、引きずっていた高校時代の彼に偶然再会し、テンションがあがりお酒の力もあり、ベットイン。そしてそのままずるずると続いてしまっているといったような感じ。
まぁ、まさかそれが3年も続くとは思っていなかったけれど。
買い物袋を手に彼の家に向かう。彼の家に向かうのに定着しているこのパターン。家政婦かよ、と思わなくもない。
でも放っておくとコンビニ弁当か外食ばっかりしてるし、と思うこの思考が都合の良い女なのか。うぅむ、悔しい。
薄暗い道を歩き彼のアパートに辿り着く。着いたよ、とラインを送り部屋までの階段を登る。コツンというヒールの音がよく響く。
ブブっとバイブの振動が手に伝わる。スマホを見ると、鍵開いてるから入ってという文字。彼の部屋を目の前に、言葉通りガチャリと部屋に入る。
「翔ーきたよー」
「おー。あっまたなんか作ってくれんの? いやぁ悪いね、助かるよ」
声をかけるとリビングからフラッと彼が現れる。よれっとしたジャージに寝癖。休みだからって一日中だらだらしてたなこいつ。
大人しく待ってなさいと彼をリビングに戻す。くしゃりとした笑顔や寝癖に、ついにやける顔は見られちゃいないと思う。あーもう可愛いな、おい。
もっともっとどうしようもない男だったら簡単に切れるのに。早く飯作れよ。とか偉そうに言ったりだとかさ。
お金を抜き取るとか、家に行ったら他の女とあはんうふんしてるとか、DVとか。そういう男だったらセフレなんて関係やめてるのになー、あー!!!
むしゃっとした感情がわきあがり、買ってきた野菜のビニールを乱暴に破く。コロンと袋から転がるナスを掴み、バシャバシャと水で洗う。
水に濡れてもいいお茄子とか、その綺麗な紫色の中身みちまいてぇなぁとかアホなことを考えながらも料理を作っていく。手際は悪くはないと思う。
こんな関係になる前は料理なんて滅多にしなかった。家にいればお母さんが美味しいもの出してくれるし。私、ずぼらだし。
喜んでもらえるのが嬉しくて、美味しいって言う言葉が心地よくて、このアパートに来るごとに料理の腕は上達していった。今では、たいてい何を作っても美味しくできる。といっても手のこんだ料理より彼が好きなものばかりつくっているけれど。
出来上がった料理、豚の生姜焼きと茄子と豆腐の揚げ出しをテーブルに並べる。ご飯と箸を用意し、一緒にいただきます。すると待ってました! と言わんばかりの勢いで豚を口に運ぶ彼。
そんなに勢いよく肉にかぶりつかなくてもお肉は逃げないよ、と思いながらも、その食べっぷりに顔がゆるむ。
一口食べて美味しい、二言目にうまぁと漏らし、ターゲットを茄子と豆腐に変え、再びうまっ、こんなんで顔がゆるまないわけないでしょ。にやけるでしょ。
また作りたくなるじゃない。本当にずるいよこの男はさー!
彼はご飯のおかわりを3回ほどした。ほんとに良い食べっぷり。食べ終わった食器を運んでいると、いいよ、俺洗うからとか言っときながらも彼はテレビを見ながらぐだぐだ。洗う気配なんてものはない。しょうのない男だよ、まったくなんて思いながらも食器を洗っている私もしょうのない都合の良い女。
彼がお風呂に入っている間、テレビをぼーと眺める。ゲストである新婚芸能人の惚気を聞き、いいなぁ、なんて思う。
毎日のメールのやりとりとか、いってらっしゃいのキスとか好きとか愛してるって言葉とか。いいなぁ……
そう年の変わらない画面の向こうの子が、なんだかとっても羨ましかった。結婚なんてすごく遠い夢のような話のように感じていたから。
そんな焦るような年でもないけれど、それでも私はどこか結婚なんていう夢のようなことは諦めていた。
男性の方が多い職場、それも若い男の人。職場の人に誘われてご飯をご一緒することもたくさんあったけれど、どこかときめかない。たぶん顔も収入も悪くない。性格だって悪くはない。でも失礼なことに私は彼と比べてしまう。あれが違うこれが違うって。こんななのだから、他の人を好きになれるわけがない。
女の人の幸せというものをつかめる気がしない。一生独り身なんじゃないのかな私なんて。結婚適齢期にこの関係さえも切られて、翔は綺麗な女の人と結婚して私はそれを惨めに見届けて、独り寂しく生きていくんだ、そうに違いない、うぅ。
ほろりとこぼれでそうになる涙をくっと止める。するとタイミングが良いのか悪いのか、ちょうど良く彼はお風呂から上がった。
「いい湯だよ、ふふふーん」
なんて鼻歌を歌いながら気分良さげに脱衣場から出る彼が、なんだかとっても憎い!くそぅ!
とってもムカついたので背中を頭突きしておいた。「いてっなに? 俺何かした!?」なんて声を背に脱衣場のドアをガラガラと閉める。
脱いだ下着とタイツはカバンの中に入っているビニールに入れ、カバンから化粧落としと洗顔料を取り出し、お風呂場にごー。
一通り身体を洗い、湯船にちゃぷんと浸かる。身体の芯までじんわりと温まりとても気持ちが良い。ささくれだった心も穏やかになるものだ。
しょうがないよね、私はセフレなんだし。納得してこういう関係を続けているんだから。この悲しさを分かってもらいたいだなんて、立場上ずうずうしいにもほどがある。
しかと今一度心に刻むのだ杏。自ら定めたセフレ5箇条を!
ひとーつ。好きということなかれ。好きでもない女に好きと言われても困るだけなり、別れが嫌なら言うな。
ひとーつ。私物を部屋に置くことなかれ。独占欲を見せるな立場をわきまえよ。
ひとーつ。まるでカップルみたいなんて思うでない。ただのセフレがずうずうしい。
ひとーつ。家事得意になれ。喜んでもらえることは、なによりの幸せ。
ひとーつ。床上手になれ。セフレなんぞそこで頑張らねばいる意味なし。
頭の中でそれらを反芻しふうとひと息。たまにこれらを思い出さないと色々と望んでしまう。近づけば近づくほど多くを望んでしまう生き物なんだ人間なんて。それを分かっているから、それが別れの原因になるからおさえなきゃいけないよね。
お風呂からあがり髪を乾かしリビングに行くと、ぼーとテレビを見る彼の姿があった。
「あのさぁ、浮気ってどう思う?」
彼女でもできたのか? なんてひやっとした気持ちが心をよぎる。嫌だ捨てないで、と胸がキリキリと痛い。
「いいんじゃない、相手にばれなければ」
最低だ。なにくわぬ顔で、浮気を推奨するセフレ。いや、浮気相手か? にあぁそうだよなとぽんぽんの頭を撫でる彼。縋るようにキスをし、私だけを見てと言わんばかりに、溺れるくらい彼を愛した。
♦♦♦
あと1分。お昼までの時間に頭をいっぱいにしながら作業を一時中断する。12時になり、最近お気に入りの定食屋に同期の佐々木幸人とともに入る。ここの親子丼は最高に美味しい。
運ばれてきた親子丼に顔がゆるむ、一口食べるとその美味しさに思わず笑顔に。
「美味しそうにたべるよな」
と笑う佐々木。彼とは、こうやってたびたびランチしたり、飲みにいったりするほどには仲が良い。同期の中で一番気が合う。
「いやぁ、ここの親子丼最高においしい」なんて言いながらふと窓の外を見ると、翔がいた。ばっちりと目が合う。びっくりして思わず固まると、ふっと彼は目を逸らし隣を歩いていた女の人に笑顔で話しかけていた。満面の笑みとはあのことを言うのだろう。どくどくと心臓の音がうるさい。
綺麗な人。ボブカットの艶々とした髪がなんだか眩しく感じる。胸大きい色っぽい。完全なる負け。彼女なのか好きな人なのか翔のその人を見る目がすごく優しげに見えた。
あぁーと思わず声を出し項垂れる私を佐々木が不審なものを見る目で見る。やめて、そんな目で見ないで!
「まぁ、なんだ。嫁に行き遅れたらもらってやるよ」
苦笑いしながらそういう佐々木。そうですか。やっぱり他人の目から見ても行き遅れるの確定ですか。もらう気なんてないくせに、中途半端な励ましなのは私にそういう気がないと分かっているからなんだろうけど。なんだか悔しい。キィーー。
あの彼女らしき人と翔が歩いてる姿を見かけてから早4日。今日は土曜日。翔の部屋に行く日。決めているわけではないけれど、暗黙の了解となっている気がする。土曜に予定が入るとお互い連絡するしね。
ほぼ毎週通っている翔のアパートに、今日ほど行くか迷った日はない。彼女らしい人の姿を思い出し、もやもやする。でもここで行かなかったら関係が切れてしまうんじゃないかなんて思う。彼女くらい、なんだ。それぐらい覚悟してたじゃないか。覚悟してのセフレじゃないか。傷つくことじゃない。
大きく深呼吸をし、いつも通りドアをガチャリと開ける。
「翔来たよー」
そしていつも通りそう声をかけると、ヨロっといつも通りリビングから彼が現れる。すると彼は私の手を引きリビングへ。そしてベットに押し倒した。
いつもと違う貪るようなキスに、思わず身体は反応し声が漏れ出た。
「あ、ん。ねぇ、お風呂入ってないよ」
「知ってる」
構わないといったように体中にキスを落とされる。彼女がさせてくれなくてたまってるのか? なんて考えたら、なんだかその様子が可愛く感じてくすりと笑ってしまう。するとなにを思ったのか、そのほんの少しの余裕さえなくなるくらいに、体中せめたてられた。
いつもは穏やかに行為をするのにその日はなんだかとても激しかった。
♦♦♦
スマホと睨み合いをして約30分。私、捨てられるのかな……なんてことを真剣に悩む。私をこんなにも悩ませているのは滅多に来ない彼からのライン。滅多に来ない貴重なライン、そしてその内容に。
『次の土曜はデートしよう。7時に駅で』
アバウトすぎ……分かるけどさ。了解と返しながらもその文字を見つめ続ける。どういう風の吹き回し? デートという文字に嬉しい気持ちが湧き上がるが、別れを告げられるのではという気持ちに鎮静される。
「百面相かよ! 捨てられてもいいように迎えいってやろーかー?」
そう言い私をおちょくる佐々木にむっとするが、いやおちょくりたくもなるかと言葉を飲み込む。私から飲みに誘ったのにこの女スマホに夢中なんだもの。
「あ、これ本気で言ってるからね」
その言葉に思わずスマホを見やる。スマホの内容なんて見えていないはずなのに、やたらと感の鋭いこの男。
「遠慮しなくていいぞー?」
「じゃあ、お願いします」
死にそうな私の声にはいはいと言い、彼は微笑んだ。私を見るその眼差しが優しくて、つい目を背けた。気づかないふりをするのは、得意。
その日はよく行くデート場所の話で盛り上がった。佐々木おすすめの場所に行くのもいいかもしれない。
約束の土曜日、久しぶりのデートで心は浮つく。いつもより、入念に化粧をし、彼が好きそうな服を選んだ。
そわそわと彼を待つ姿は不審じゃないだろうか。浮かれすぎだ、私。ニヤけた顔を戻そうと手でぐにぐにしていると後ろから声がかかる。
「ごめん、待たせた?」
「いや全然」
声をかけられた瞬間にニヤけた顔はもとに戻した。あまりにやにやしてるとアホの子みたいじゃない。セフレ歴3年目の私にはこれくらい余裕。と思ったがその余裕は急に暖かくなった右手により崩された。思わず顔面崩壊。
こういう関係になってから2人ででかけたことがないわけではない。だけど手は繋いだことはない。
セフレになってから翔と初めて出かけた日、手を繋ごうとしたら拒否された。「こういう関係だし、誰が見てるか分からないから」という言葉は、私にセフレの覚悟を教えてくれた。確かにその通りだと思った。なのに、え?
「誰が見てるか分からないよ? 恋人とか……」
その言葉に彼は眉を顰める。いや、最初にそう言ったのあなたですし……
「今日くらいさ」
そうポツリと呟いた彼の言葉に、ああ私やっぱり今日振られるんだなと悟り、浮ついていた心は急に沈みこむ。そうか、今日が最後か。じゃあ、楽しまなきゃ。
彼の左手を手に取り「どこいく?」なんて言う。今日くらい恋人のように振る舞ったっていいでしょ。
「予約してあるんだ」
そう言い微笑む彼にきゅんと胸が反応する。ただでさえ今日はパリっとしたスーツを着ていて、いつもとのギャップにやられているのに予約だと!?
最後だからだとは思うけれど、恋人のような扱いをしてもらえて、今この瞬間の私は日本中の誰よりも幸せに違いない。
高いビルの上の階。恋人達がクリスマスとかの特別な日に来そうなお洒落なレストラン? に連れてこられた私。
気合をいれてちょっと高いワンピースを着てきて良かったと心から思う。こんな高そうなお店に来るなら言ってくれれば準備できたのに。いやまぁ翔だからそんなことすっかり頭から抜けていたに違いない。
運ばれてくるコース料理に舌鼓を打ちながら美味しいね、なんて会話をする。彼は緊張しているのか、お、おうとそっけない。
口をもごもごとさせ、何か言いたそう……ピンときた私は、「言いたいことは後でね」と釘を指す。こんなお洒落な場所で別れ話なんて嫌に決まっている。
すると彼の緊張はとけたのか、いつものように1口食べては旨いと満足そうにしていた。
ビルから出ると夜のヒヤリとした風に思わずブルリと体が震える。すると後ろからぎゅっと暖かさに包まれて一気に体温が上がった。
「あれ、中川さん?」
鈴のなるような綺麗な声に思わずキョロキョロと周りを見渡すと、左からどこぞで見たボブカットの色気むんむんの美女が現れた。
あれ、これって修羅場なのでは? 殴られるかななんてことを思いながらも、2人の様子を伺っていると、とりとめのない話をし、なんでもないように会話を終わらせていた。
あれ、付き合ってない? もしかして翔の片想い?
いやもしかしたらこれが彼らの恋の終わり方なのか?
色々と謎だ。もし、これで彼らの恋が終わろうとしているのなら、私は彼女に適当な言い訳をして消えるべきなんだと思う。
でも……そんなの無理。今日じゃなかったらできたかもしれない。でも今日は、こんなに恋人みたいな特別なことをしてもらって、独占欲の塊でできているような私。欲が出てぎゅっと彼にしがみつく、ただの嫌な女でしかなかった。
ポンポンと頭に手の暖かさを感じ、見上げると彼の顔は真っ赤になっていた。ごめんね、怒ってるよね。再び辺り見渡すと彼女の姿はなかった。
手を繋ぎ、佐々木おすすめのデパートを歩く。ただそれだけなのに、すごく楽しい。嫌な女を発動したおかげで、もしかしたら今日が最後じゃなくなるかもしれない。
へへと浮かれていると、彼の足が止まり、必然的に手を繋いでいた私の足も止まる。どうしたんだろうと顔を見ると顔が青ざめている。えぇ? どうした?
言葉にならない声を発しながら彼は前方を指差した。その方向を見るとそこには佐々木。別にモンスターとか宇宙人はいない。ちょっと不機嫌そうな佐々木がいるだけ。
「俺、いらなそう?」
佐々木のその言葉に送りをお願いしていたことを思い出す。うん、大丈夫と言葉を返そうとすると「ちょっとこいつ借りる」と翔の腕を掴んでどこかへと移動する佐々木。
いやどこ行くの、という声が届いているかさえ分からないぐらい、彼らはすでに遠くへ移動していた。しかたがないから適当に時間を潰すことにする。
ショップを見て回るがどこか気が乗らない。頭の中は翔のことでいっぱいでそれどころじゃないからだ。なに話してんだろ、あの2人。知り合いだったなんて気づかなかった。あの様子だと仲は良くなさそうだけど、大丈夫か?
なんて考えているとポンポンと肩を叩かれ、後ろを振り返る。するとそこにはめっちゃ笑顔の佐々木と頬が真っ赤に膨れ上がった翔。
「ちょっと大丈夫?」
「よ、余裕」
あきらかに大丈夫じゃなさそうなその様子に佐々木をきっと睨むと奴は怯む。
「いや、まぁあれだ、お前らちゃんと話し合ったほうがいいぞ」
そう言い、逃げるようにその場を後にする佐々木。いや、なんなの意味わからん。
とりあえず、赤く頬の腫れた翔を連れてデートを続けるほど鬼畜ではないので、翔のアパートに向かうことに。
アパートに向かう道中は無言。たまにぽつりとごめんと漏らす翔。本当にいったい何したの佐々木ー!!
アパートにつき、ガチャリと扉を開ける。リビングのベットに彼を座らせ、冷凍庫から氷を出しビニールにいくつか入れる。それをタオルで包み翔の頬に当てた。
「ありがと」
「うん」
なにか話したそうなのに、何も話さない彼。その時間はたった数分なのに、なぜだかとても長く感じた。彼はベットから降りると床に正座。釣られて私も正座。もごもごとしていた口からついに言葉が紡がれた。
「俺、本当どうしようもない男で」
「うん、知ってた」
「ずっとこの関係やめなきゃとは思ってたんだけど無理で」
「私もずっとそう思ってた」
「どうせなら思いきってしまえと思ったら恋人に見られちゃうし」
あぁ、やっぱりあの人恋人だったのか。あんなあっさりとした別れ方嫌だろうな、ごめん。
ごめんと言いかけると、まだ言わないでと泣きそうな目でこちらを見る彼。普段見せない弱気な態度に、ついついきゅんとしてしまう。
「だからさ、もうこんな最低なことしないぐらいこっぴどく俺を振って。あ、でもちょっと待って」
きゅんとしたのもつかの間、予想していた言葉とは違うものが彼の口から飛び出る。は? っという声が思わず漏れ出る。そこは別れてくださいじゃないの。ひと呼吸おくと、彼は私の目をじっと見つめた。
「俺と、結婚してください」
彼の口から紡がれた予想だにしない言葉に、衝撃によるものなのか、嬉しさによるものなのか、よく分からないけど思わずぽろぽろと涙が溢れる。信じられない! でも言い間違いじゃなさそう。だって彼の手には指輪がきらきらと輝いている。彼は私だけを見ている。
「はい。喜んで」
震えた声で返事をし、彼を見つめ返すと、ポカンとした間抜けな顔。そして膨れ上がった頬。いつものアパート。ムードもへったくれもない。でもたぶんこの瞬間私は世界中の誰よりも幸せ。言い間違いでも、人違いでも、もう離さない。セフレ5箇条なんてもう知らない。
「翔、大好き」
私は大好きな人の胸に飛び込んだ。婚約者らしく、遠慮なく。