誰かのデジャヴ
【第4回フリーワンライ】深夜の真剣文字書き60分一本勝負 参加作品です。
「灯台?」
「いや……違うみたいだ」
黒のミニクーパーはおもむろに進路を変え、砂利道を滑り出した。
「え、行くの?」
「なんだろう……。行ってみよう」
不安げな歌恋の声に応えることなく、玲は慎重にアクセルを踏み込んだ。
おかしい。歌恋はそう思い、玲の横顔を見つめた。普段は穏やかな玲の瞳は、黒縁眼鏡のレンズを貫いて、まるで欲しかった玩具が見つかった子供のように、あの搭を見つめていた。陽気なドライブは、バックミラーの彼方に過ぎ去り、気付けば雲行きも妖しくなってきた。今、玲であって、玲でない誰かが、運転席に居る。
歌恋は息を呑み、意味も無くシートベルトを握った。道は徐々に細くなり、小石が爆ぜる振動が二人を包み込む。車窓の横を、不気味な紫陽花が通り過ぎていく。歌恋は大きく眼を見開いた。
「ねえ、戻ろう!」
咄嗟に大声が出た。
「え、何、どうしたの」
玲はそう云い、車を止めた。
「怖い、の?」
少しおどけたふうなその問いに、歌恋はしばらく逡巡し、
「うん」
そう答えた。
「ねえ」
今度は歌恋が言葉を紡いだ。
「私、変なこと云っていい?」
「どうぞ?」
「実はね。夢で視たの」
「え」
「あの搭……時計塔を」
云うと、玲の表情が一瞬翳り、そして真剣な顔つきになった。
「本当に?」
応える代わりに、歌恋は小さく頷いた。飛沫か小雨か分からない水滴がフロントガラスを叩き、静寂を埋めた。
「実は、僕も視たよ。あの搭」
「ねえ、冗談はやめて。早く帰ろう」
「その夢、どんな夢だったの?」
「分からない! 分からないよ。夢なんて覚えてないもの。でも、あの搭があった。紫陽花もこんなふうに咲いていた。ね、帰ろう」
「うーん、ここ、前に来たことあったのかな……」
玲は顎に指をあてて考え込んだ。
「そんなはずない……。はじめての場所よ……」
消え入りそうな声で不平を口にする歌恋。歌恋は玲と出かけた場所を思い出の手帳に記録しており、この地方に来たのははじめでてあることに間違いはなかった。
「なんだろう……。とにかく、もう少しだけ行ってみようよ」
「え」
あまりに無慈悲な回答に、歌恋は絶望した。
「わ、私、なんだか気持ち悪いよ」
「じゃあ、すぐそこ。そこまで行って、あの搭がなんだか確かめよう。そうしたら帰ろう」
云いながら、玲は再びアクセルを踏み込んでいく。不快な加速度が歌恋を包んだ。歌恋は必死で夢の続きを思い出そうとしたが、うまく結像しなかった。
搭はじっくりと大きくなり、視界を埋め尽くすに至った。
「少し開けるよ」
云うが早いか、玲は窓を開け、顔を飛び出させて塔を見上げた。同時に、生暖かい潮風が歌恋の頬をなぶった。歌恋は塔から逃れるように顔を逸らした。
「本当だ……。驚いた。本当に時計搭だよ。珍しい」
歌恋は驚き、運転席側に身を乗り出して同じように上空を見上げた。鉛色の空を背景に、重そうな長身と短針が午後六時を刻んでいた。
「ねえ、もういいでしょう。お願いだから」
「いや、もう少しだけ」
止めようがなかった。玲はするりと歌恋の躰をかわし、迅速な手つきでサイドブレーキをかけると、雑草を踏みつけて塔のふもとに立った。
嘘でしょう。
歌恋は混乱した。一体何が彼を支配しているのか。普段は本ばかり読んで、部屋から出たがらないくらいなのに。
「待って」
歌恋はシートベルトをはずし、玲を追った。玲は入口のチェーンを軽くまたいで階段を上がり、時計搭の上へと進んでいった。
今、玲を行かせてはまずい。直観的に歌恋はそう判断し、恐怖を押し殺して階段を駆け上がった。
「待って! 玲」
無我夢中で階段を昇っていると、壁が唐突に途切れた。立ち止まっている玲の背中を視て、そこがゴールだと分かった。
「ほら、歌恋、見てごらん。すごい景色だよ!」
玲は朗らかな笑顔を海の彼方へと向け、そう叫んだ。歌恋はふらふらと玲に近づき、背中に抱きついた。
「本当に凄い景色だ。こんな場所、日本にあったなんて」
玲は興味深そうに塔や景色を観察している。息切れしているため、歌恋は何も云わずに、ただ玲の言葉を聴いていた。
「今書いている推理小説の舞台にそっくりだ!」
その言葉の瞬間、耳を塞ぎたくなるほど大きな鐘の音が二人に降り注いだ。おもわず瞑った瞼を再び開くと、雲の裂け目から零れた荘厳な光が、貧乏小説家を照らしているのが視えた。こうして、歌恋の遭遇した事件は終わった。
END
お読みいただき有難うございました。1時間で書いたので誤字等あるかもしれません。中身もぎりっぎりでした。きつい。