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【アップ✨】2026年3月22日主日公同礼拝/讃美歌とMynoteもあります☕️

初めまして、天川裕司です。

ここではシリーズでやってます『夢時代』と『思記』の原稿を投稿して居ります。

また、YouTubeドラマ用に仕上げたシナリオ等も別枠で投稿して行きます。

どうぞよろしくお願い致します。

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


【アメーバブログ】

https://blog.ameba.jp/ucs/top.do


【男山教会ホームページ】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【YouTube】(星のカケラ)

https://www.youtube.com/@%E6%98%9F%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%B1%E3%83%A9-v5x/videos


【ノート】

https://note.com/unique_panda3782



【YouTubeドラマにつきまして】

無課金でやっておりますので、これで精一杯…と言うところもあり、

お見苦しい点はすみません。 なので音声も無しです(BGMのみ)。

基本的に【ライトノベル感覚のイメージストーリー】です。

創造力・空想力・独創力を思いっきり働かせて見て頂けると嬉しいです(^^♪

出来れば心の声で聴いて頂けると幸いです♬

でもこの条件から出来るだけ面白く工夫してみようと思ってますので、

どうぞよろしくお願いします(^^♪



【本日のメッセージ】

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=cyKzOQ1KJBY



聖書


『ペテロの第一の手紙』(第一章一〜二節)

『詩篇』(第八九篇二〜一九節)



讃美歌〜♫


讃美歌24番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=E_siYoiEOsI&pp=ygUS6K6D576O5q2M77yS77yU55Wq


讃美歌515番

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=TQWALhbZ62I&pp=ygUV6K6D576O5q2M77yV77yR77yV55Wq



2026年3月22日 礼拝説教 聖書箇所 


あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、“霊”によって聖なるものとされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。

ペトロの手紙一 1章1節


「わたしが選んだ者とわたしは契約を結び わたしの僕ダビデに誓った。あなたの子孫をとこしえに立て あなたの王座を代々に備える、と。」

詩編89編4節


はじめに

主の受難を覚え、ただ、神とキリストの栄光をたたえる、祈りと従順の道を求めたい。

「あなたがたは・・選ばれた」とは、人の思い(選民思想)から出たものではなく、「選ばれた尊いかなめ石」(2章6節)となられたイエス・キリストの内に示された、真の神の慈愛に基づくもの。キリストは選びの鏡であり、わたしたちの信仰はこの御方において正しく写し出される。わたしたちのささげる礼拝は、キリストの栄光をたたえるもの。その根拠は、ただ、神の選びによるところの召命にある。ここにある御名は、父と子と聖霊の三位一体の神の御名。わたしたちは、この御方において奉仕をささげ(4章11節)、キリストの受難の証人とされて、永遠の栄光への召命を告白する(5章10節)。主イエスは、「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい」「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」と命じられ、「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」と宣言され、祈りと召命を与えられた(ヨハネ15章9,12,16節)。「選んだ」とは、主がご自身の栄光のために呼び出されたということ。主に召されたペトロは、福音の奉仕者として生涯をささげた(ヨハネ1章42節、マタイ4章19節、ヨハネ21章18,19節)。

「父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて(別訳:前から知っておられること(予知)に従って)」とは、堕落した全人類の救いは、ただ、御子を遣わされた御父の御意志による選びにあることを明らかにする。最高法院で説教したステファノは、アブラハムの召命と契約を思い起こしながら、モーセの召命を説き明かし、神よりも神殿により頼む不信仰を明らかにした(使徒7章)。神の選びによる召命を受け入れるとは、人の思いによらない、まことの信仰を告白すること。じつに、“霊”(聖霊)は、絶えず、神とキリストの栄光を指し示す御方。この御方によって「聖なるものとされる」とは、人と人を区別するものではなく、かえって、聖なる神の御前に、皆等しく聖とされること。聖化の道は、聖とされた者たちの絶えざる従順の道であって、地上においてはあくまでも完全を目指すもの。神のかたちにかたどって造られた人間本来の霊的な在り方(義と命)に向かって“霊”によって、罪に死につつ、「「内なる人」は日々新にされて」(コリント二4章16節)いく。

「イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために」とは、わたしたちに与えられた契約の確かさを明らかにする。主である神が、イスラエルの民に十戒を与えられた時、モーセは、契約の書(主のすべての言葉とすべての法)を読み聞かせた。そのとき、「民は皆、声を一つにして答え、『わたしたちは、主が語られた言葉をすべて行います』と言」い、契約が締結された。このとき、モーセは、和解の献げ物の「血の半分を取って鉢に入れて、残りの半分を祭壇に振りかけ」て言った。「見よ、これは主がこれらの言葉に基づいてあなたたちと結ばれた契約の血である」(出エジプト24章1~8節)。主イエスが、十字架にかけられる前、弟子たちと最後の食事(過ぎ越しの食事)をされて、聖餐を制定された時、ご自身の血をもって「契約の血」とされた理由は、ただ、十字架の血が、神との和解をもたらす唯一の犠牲である故。わたしたちのささげる礼拝は、ただ、イエス・キリストの贖いの犠牲ゆえに、神に近づくもの。「恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように」との祝福は、ただ、罪の赦しの豊かさを宣言する。

おわりに

主の僕ダビデと結ばれた契約は、永遠の御子イエス・キリストの到来において実現した。今日、わたしたちは永遠の大祭司であり、まことの王でいますキリストの栄光をたたえる。



(Mynote)


二〇二六年三月二二日(日曜日)、今日も兄弟姉妹共に礼拝を守れる事を神様に感謝する。

(子供メッセージ)

「第一の戒めでは、何が述べられて居ますか」

「神様を愛し、畏れ敬い、どんな一番のものよりも神様を信じ、その思いに相応しく、人々の前で神様を告白する事です」

ある時、自分で自分を正しい人だと思い込んで居る人達(パリサイ派と取税人)がそれぞれ居り、パリサイ人は自分で自分を高く上げる祈りをしたが、取税人は自分の罪深さを語り、許される様に祈った。イエス様は「取税人の方が本当の祈りをした」と教えた。どんな善人・高位の人でも、神様に敵う者は居らず、神様の前に立てば同じ罪人である事を教えた。謙りの心と祈りは、自分の罪深さを思い知る事から始まる。

(公同礼拝)

『ペテロの第一の手紙』(第一章一〜二節)

『詩篇』(第八九篇二〜一九節)

信仰の生活とは、或る意味、イエス様の十字架を背負う事、自分の罪深さを思い知る事から始まる為、ノンクリスチャン(信仰を気にしない人達)の生き方からすると、非常に損で、苦しく、不安で時に恐怖を呼び、大変な生活になる。だから「僕は・私はクリスチャンにはならない。ただでさえ生きるのが辛いのに、なんでこれ以上罪なんてものを思い起こす様に背負い込み、更なる苦しみ・不安・恐怖を背負わねばならないのか?」と、その心の根底から疑問に思い、絶対に嫌だ!とその信仰生活から遠ざかる。

全ての人は、罪から生まれて居る事についても、自分は認めた覚えが無いのに、何故そんな事になってるのか?自分の預かり知れない処で勝手に「罪人だ!」と決め付けられて、何故そこから人生が始まるのか!?と怒りに似た疑問を覚えるものだ。人間とは、そもそも罪の生き物だった。これがアダムとエバの時から証明された。しかし神様はイエス様を通して、その罪人である今日まで生かされるこの人間を愛され、自分の側に立ち戻る試練を与え、その事を祝福と恵みとした。人間はこの点でも、信仰の完璧を目指そうとする。信仰を完璧に守れる者など永遠に無い。この事を先ず覚えねばならない。その信仰は人間ではなく、神様が審判し、成長させて下さり、その人罪の淵よりを救う。この救いこそ、人間が自分で測れるものに無く、全ての人はただ神様とイエス様に教えられた御言葉を守る努力を続け、十戒の教えに聴き従い続ける努力をし、ただその時々の有りの侭の姿(内実)を以て、神様の前に立つしか無い。それで良いのである。

パリサイ人は、既に自分で自分を審判し、自分はその上で神様に近い高位の人であると自分を評価し、隣(後ろ)に居た取税人を「自分より更に罪の淵に在る罪人だ!」と暗黙に裁き、自分とその取税人を天秤に掛け、神様の立場に自分が立って自分を上げた。この様なパリサイ人の祈りは、驕り昂りからしか出ない。謙りの心から出る事は無く、この点を神様は全てご存知であり、その点を嗜めた。

人は誰でも他人を裁く時、気付かぬ内に自分で自分を棚上げしてその勢いで高位に立たせ、その独裁のもとで他人を既に裁いて居る。全ての人は、無意識の内にも他人を裁きたがる癖がある。これも罪人だからである。

人の命、人生は、限られたものになって居る。この点にも神様に心の中で密かに文句を言い、「何故こんな事になって居るのか?本当に愛されて人間(生き物)を創ったのなら、寿命を定め、それまでに不安や恐怖や苦しみで煩悶する者の姿など、見たくないのが普通ではないか!?」となるのだろうが、神様の御計画は人知を越えて居り、信仰に依り、その神様の懐に入り、神様の側に立つ事で、本当の救いを得ねばならないのである。この本当の救いが欲深い人には程遠く、だからその恵みが罪・欲と言う人の感情が先走り覆って見えなくなり、迷う。この迷いから永遠に脱する勢いで、先ず神様の側、信仰に立ち返る事が必要となる。この事・信仰の成長は、上記した通り、神様が成して下さる。人は信じる事、信じて行動する努力をし続ける事が定めとなり試練となり、神様に依る救いを得る為に、その事に徹して努めるしか無い。人は神様から生まれ、自分創られた真のしゅ、神様の事を、細胞レベルで知って居る為、この世で機会を得た時、また窮地に在る時、感謝の恵みの内に在る時に、必ず神様を思い出し、その信仰の方向へ心の歩を向けるのである。この事を忘れては成らない。

人の思いの宗教と、神様が初めから人に与えた教えとは、時に敵対を催し、仲違いさせる。キリストに依る神様の教えに分・恐怖・苦しみを覚える事もあり、それ故に遠ざかる事がある。人の作り上げた宗教は人間テイストに仕上げて居る為、人に優しく、心当たりが良く、本当の救いに見える為。キリストの神様に依る教えは罪人にとって余りにも一方的で、罪人である自分の預かり知れる処に無く、都合も悪く、信じるに余りあるからである。だからこそ全ての人は、クリスチャン・ノンクリスチャン問わず、先ず罪から救われる必要がある。罪がそうさせるのである。罪とは、悪魔が為す業だからだ。自分の中の悪魔を殺す勢いで罪から離れ続けようと努める事。信仰に救われると、聖霊の働きに依り、その事が喜びに変わると信じる。喜びに思えないその度合いにより、自分がどれぐらい罪深い者であるかを思い知る。この事は全ての人に問われる。ノンクリスチャン・クリスチャンの差は無い。


【日本キリスト改革派 男山教会】

https://otokoyamakyoukai.jimdofree.com/


【最寄りの教会検索用】

https://www.rcj.gr.jp/



Table Café~


榎本保郎牧師 ミニ説教1 「まず第一にしなければならないこと」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=q0lc_w0zV-I&t=9s


「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、あなたを愛された。」

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=ZCHD8AliT0Y


ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

https://www.youtube.com/@HarvestTimeMin?app=desktop


ユメノ記

https://www.youtube.com/@%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%A6%E3%83%A1-v5x/videos

少しでも楽しんで頂き、読んだ方の心の糧になれば幸いです。

サクッと読める幻想小説です(^^♪

お暇な時にでもぜひどうぞ♬


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