表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女王様うさぎジョセフィーヌの鹿鳴館事件簿【高貴なうさぎが、人間の嘘を暴く。異色のうさぎミステリー】  作者: 月森 いと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/6

第四話 鳴り止まないオルゴールと、眠れない住人

 この館では、ときどき不可解なことが起きる。


 夜中に鳴るはずのない呼び鈴。

 誰もいない廊下を横切る気配。

 閉めたはずの扉が、朝にはわずかに開いている。


 けれど、それらは決して幽霊の仕業ではない。


 鹿鳴館に残るのは、行き場を失った感情の偏り。


 言えなかった言葉。

 渡せなかった想い。

 途中で途切れた、誰かの「未完了」。


 もっとも、この館には秩序を重んじる管理者がいる。


 白く、気高く、そして、驚くほどわがままな女王陛下。

 名を、ジョセフィーヌ。


「ジョセ〜。おやつだよー」


「愚か者。“フィーヌ”までが私よ。そこに私の気品と、お前の無能を隔てる深い溝がある」


 ……と、このような女王陛下と、だいたい役に立たない管理人、佐伯。


 これは鹿鳴館で起きる、感情の名残と、ささやかな物理トラブルの記録である。


鹿鳴館の夜は、沈黙でできているわけではない。


 建物の骨組みが軋む音、遠い配管を流れる水の音、そして――届くはずのない、過去の残響。


(今夜も、始まったわね)


 ジョセフィーヌはケージの中で耳を垂直に立てた。


 干し草を一口くわえたまま、ぴたりと動きを止める。


 キィ、キィ、と、錆びついたゼンマイが回るような、不快な高音が二階から降りてくる。


 もぐ。


 干し草を飲み込むのは、音が途切れてからにした。



 翌朝。


 管理人室のドアを激しく叩いたのは、先月越してきたばかりの若い女、瀬戸だった。


「佐伯さん! もう限界です! 夜中にオルゴールが鳴り止まないんです!」


 目の下に色濃い隈を作った瀬戸は、震える手で小さな木箱をカウンターに置いた。


「オルゴール? うち、楽器禁止ですよ」


 佐伯は寝癖のついた頭をかきながら、無造作にその箱を手に取る。


「違うんです! これ、リサイクルショップで『動かないジャンク品』として買ったインテリアなのに、夜になると勝手に鳴り出すんです。でも、隣の部屋の人には聞こえないって……」


 佐伯は蓋を開け、指で円筒を回そうとしたが、びくともしない。


「壊れてますね。ネジも巻けないし、音なんて鳴りようがない。気のせいじゃないですか?」


(この男の脳細胞は、きっと綿飴でできているのだわ)


 ジョセフィーヌは鼻を鳴らし、瀬戸の足元へ近寄った。


(……香る。これは、焦燥の匂い)


 ついでに、昨夜のインスタントラーメンの匂いもする。


 瀬戸の体からは、不眠による疲労だけでなく、何かを「追いかけなければならない」という強迫観念のような、ひりついた気配が漂っていた。



 その日の深夜。


 佐伯は管理人室のソファで、口を開けて爆睡している。


 机の上に置かれた、あの動かないはずのオルゴール。


 月光がその木箱を照らした瞬間。


 ――ポーン。


 一音。水滴が落ちるような音が、静寂を裂いた。


 続いて、狂ったようなテンポで、不協和音が溢れ出す。


(重いわね)


 ジョセフィーヌは一度、前足をすぼめた。夜は冷える。


 オルゴールの周囲の空気が、じっとりと澱んでいるのがわかる。


 古い木材と、乾いた金属の匂い。


 それに混じって――微かに、人の匂いがした。


 長く、横たわっていた者の匂い。


 眠りを拒み続けた者の、浅い呼吸の残り香。


 ジョセフィーヌは、今朝、瀬戸の足元で嗅いだ匂いを思い出す。


(……似ている)


 眠りたい者と、眠るのが怖い者。


 そのどちらもが、この箱の前で、同じ夜を過ごしたのかもしれない。


(人間は、ときどき)


(“終わったあと”のほうが、長く居座る)


 ジョセフィーヌは、眠りこける佐伯の足元を力いっぱい蹴飛ばした。


「痛っ!? なんだよジョセ、地震か?」


(起きなさい、この木偶の坊。仕事よ)


 ジョセフィーヌは、オルゴールの箱の底にある、小さな亀裂を前足で示した。


「……ん? あぁ、ここ、何かが挟まってるな」


 佐伯がピンセットで引き抜いたのは、一枚の古びた、丸まった紙屑だった。


 そこには、震える文字でこう記されていた。


『もう、いい。おやすみなさい』


 その紙が抜かれた瞬間、オルゴールの不快な音は、嘘のように止まった。



 翌日、瀬戸はすっきりとした顔でオルゴールを佐伯に預け、去っていった。


「モノに想いが宿る、か。鹿鳴館自体が、そういうのを集めちゃう性質なのかもな」


 佐伯は珍しく神妙な面持ちで、棚の奥にそのオルゴールを片付けた。


「でもまあ、ゆっくり眠れるようになったなら、それでいいか」


 佐伯は鼻歌まじりに、ご褒美の「極太の乾燥チモシー」をジョセフィーヌに差し出す。


(……太いわね)


 一瞬ためらったが、三秒後には忘れた。


(ふん、場所だけじゃない。モノも、人も、この館の一部というわけね)


 ジョセフィーヌはチモシーを咀嚼しながら、棚の奥を見つめた。


 管理人室の棚に置かれた、あのオルゴール。


 蓋は閉じられ、ゼンマイも巻かれていない。


 だが。


 ほんの一瞬。


 ジョセフィーヌの耳にだけ、音にならない震えが届いた。


 それはまるで、床下のどこかで誰かが静かに寝返りを打ったような――


 館そのものが、わずかに重くなった音だった。


 佐伯は、気づかない。


 ――だが女王は、確かに聞いた。


 鹿鳴館の意思が、また一つ、深まったことを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ