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第5話 神託のビルド会議と、炎を纏う覚悟

 F級ダンジョン【ゴブリンの巣】。

 そのひんやりとした湿った空気は、今や一人の少女が巻き起こした熱狂の余韻と、夥しい数の光の粒子が消えていく残滓で満たされていた。

 佐藤結菜――VTuber「神楽坂しずく」としての彼女は、ダンジョンデビュー配信という人生の大きな一歩を、想像しうる限り最高の形で終えようとしていた。


「はぁ…はぁ…」


 最後のゴブリンを、もはや芸術の域に達した剣閃で切り伏せた結菜は、軽く肩で息をしていた。剣聖(けんせい)剣術(けんじゅつ)という神業を一時的に授かった彼女の肉体は、不思議と疲労を感じていない。だが、精神は、このあまりにも濃密な数時間に、心地よい興奮と疲労で満たされていた。

 彼女の視線の先、ARウィンドウに表示された同時接続者数は、未だに3000人を超えている。数時間前まで、たった5人だったことが、まるで遠い昔の夢のようだ。コメント欄は、彼女の偉業を讃える祝福の言葉で、滝のように流れ続けていた。


 Gamer_Tetsu: GG!お疲れ様でした!

 MofuMofuLover: 初めてのダンジョン、無事クリアおめでとうございます!

 しずくちゃん推し: レベルも 엄청上がったし、最高のデビュー配信だった!

 US_Fan_Bob: (自動翻訳) That was the best debut stream I've ever seen! So cool, Shizuku-chan!(今まで見た中で一番最高のデビュー配信だった!雫ちゃん、最高!)


「み、皆さん…ありがとうございます…!」


 結菜は、その温かい言葉の奔流に、胸がいっぱいになりながら、深々と頭を下げた。アバターの巫女もまた、優雅に一礼する。

「今日のダンジョン探索は、この辺にして、一度お家に帰ろうと思います。でも、配信はまだ続きますので、よかったら、この後も付き合ってくれると嬉しいです…!」


 彼女がそう宣言すると、コメント欄は「もちろん!」「待ってる!」という肯定の言葉で埋め尽くされた。

 彼女は、インベントリから一枚の、古びた羊皮紙を取り出した。ポータルスクロール。テレビや配信で何度も見たことのある、しかし実際に使うのは初めての、魔法の道具。

 彼女が、そのスクロールを破り捨てた瞬間。目の前の空間がぐにゃりと歪み、西新宿の自室の、見慣れた天井へと繋がる、温かい光の渦が生まれた。

「では、また後で!」

 彼女は、カメラの向こうの3000人のファンに手を振ると、その光の中へと、その身を投じた。


 ◇


 数秒の浮遊感の後、彼女の足が触れたのは、冷たい石の床ではなく、柔らかい絨毯の感触だった。

 自室だ。

 窓の外には、宝石箱をひっくり返したような東京の夜景が広がっている。

 その、あまりにも大きな落差に、彼女は一瞬だけ眩暈を覚えた。


「――ふぅ」


 彼女は、ベッドに腰掛けると、深く息を吐き出した。

 その肩の上で、いつの間にか実体化していたコマさんが、満足げに頷いていた。

「うむ。初陣としては、上出来であったな、主よ」

「コマさんのおかげだよ。ありがとう」

「ふふん。当然である!」


 その、どこか微笑ましいやり取り。

 それを、3000人の視聴者が見守っていた。

 結菜は、少しだけ休憩した後、カメラに向き直った。

 その表情は、ダンジョンにいた時よりも、少しだけ、いつもの「佐藤結菜」に戻っていた。


「えーと、皆さん、ただいま戻りました!神楽坂しずくです」

 彼女は、少しだけ照れくさそうに、はにかんだ。

「ダンジョン、すごく…楽しかったです。それで、ですね。これから、私の、これからの戦い方…ビルドっていうのを、皆さんと一緒に決めていきたいなって、思ってて…」

 彼女は、そこで一度言葉を切ると、その大きな瞳で、真っ直ぐにカメラの向こうを見つめた。

「コマさんと、視聴者のみんな…しずファンのみんな。何か、案はある?」


 その、あまりにも真摯な、そしてどこまでもファンに寄り添った問いかけ。

 それが、この夜の、本当の祭りの始まりを告げる、合図となった。

 コメント欄が、爆発した。


 Gamer_Tetsu: ビルド会議!最高じゃねえか!

 MofuMofuLover: 待ってました!しずくちゃんには、やっぱり癒やし系のヒーラーになってほしい!

 常連A: いや、あの剣術を見た後だと、近接職も捨てがたい!

 しずくちゃん推し: 歌姫なんだから、バードとかどうですか!?


 その、あまりにも多様な、そしてどこまでも愛情に満ちた提案の嵐。

 その中心で、コマさんが、一つの、あまりにも重要な情報を、こともなげに投下した。

「ふむ。主よ、案ずることはない。好きなビルドを選べば良いぞ」

 彼の、その尊大な声が、配信に乗る。

「我が【神託(しんたく)賽銭箱(さいせんばこ)】の奇跡効果で、主のビルドリセットは格安で行えるからのう。他の人間のように、何千万もする転生(てんせい)林檎(りんご)などという面倒なものはいらん。ミラクルポイントを少量捧げるだけで、主の魂の形は、何度でも生まれ変われるのだ!」


 うわー便利機能揃いすぎだろ

 なんだそのチート機能は!?

 つまり、しずくちゃんは、気分でクラスチェンジできるってことかよ!


 その、あまりにも理不尽な、そしてどこまでも魅力的な新事実。

 それに、コメント欄は、畏敬と、そして純粋な興奮に、支配された。

 しずファン達は、その無限の可能性を前にして、様々なビルドがあるからと、さらに議論を白熱させていく。


「それなら、やっぱり攻撃魔法が見たい!」

「いや、召喚士で、可愛いペットをたくさん従えるしずくちゃんが見たい!」

「タンクになって、俺たちを守ってくれ!」


 その、あまりにもカオスな、そしてどこまでも楽しそうな議論の渦。

 その中で、一つの、奇妙な文字列が、結菜の目に留まった。

 最初は、ほんの数コメントだった。

 だが、それはまるで伝染するかのように、少しずつ、しかし確実に、その勢力を増していく。


 ライチェスファイアー!

 RF!RF!RF!

 男なら、黙ってRF!

 ライチェスファイアー!ライチェスファイアー!


「…あの」

 結菜は、その奇妙な熱狂に、戸惑いながら尋ねた。

「ライチェスファイアーって、何、ですか…?」


 その、あまりにも素朴な問いかけ。

 それに、待っていましたとばかりに、一人の「しずファン」が、その重い口を開いた。

 そのハンドルネームは、『炎の求道者』。


 炎の求道者: 待っていたぞ、その言葉を!いいか、お嬢ちゃん!ライチェスファイアー(Righteous Fire)とは、この世界に存在するビルドの中で、最も気高く、そして最も自虐的な、究極の生き様だ!


 彼の、そのあまりにも熱狂的な書き出し。

 それに、結菜はゴクリと喉を鳴らした。


 炎の求道者: ライチェスファイアーはな、自分自身が常に炎ダメージを受け続け、その身を焦がす痛みと引き換えに、周囲の敵全てを、聖なる炎で焼き尽くすビルドだよ!常にHPが減り続けるから、生半可な覚悟じゃ使えない!だが、一度その道を極めれば、ダンジョンを歩くだけで、全ての敵が灰燼に帰す!最高の殲滅力を手に入れられるんだ!

 炎の求道者: ライチェスファイアー、凄い強いよ!オススメだ!


 その、あまりにも男らしく、そしてどこまでもロマンに満ちた、プレゼンテーション。

 それに、結菜はただ、呆然としていた。

(自分も、ダメージを受ける…?)

 だが、そのあまりにも危険な響きは、逆に、彼女の好奇心を、強く刺激していた。

「うーん…オススメなのね…。コマさん、どう思う?」


 彼女が、その隣に浮かぶ小さな神の使いへと、問いかける。

 コマさんは、その小さな顎に前足を当て、数秒間、沈黙した。

 そして、彼はそのつぶらな瞳を、キラリと光らせた。

「…うーん、良いんじゃないか?」

 彼の、そのあまりにも軽い肯定。それに、結菜は驚いた。

「えっ!?でも、危なくないですか?」

「ふん。主よ、我が力を、見くびるでない」

 コマさんは、その小さな胸を張った。

「今のミラクルポイントなら、数日間だけではあるが、主の火耐性を上限まで引き上げ、さらに、不死鳥(ふしちょう)の如きHP自動回復を付与することも可能であるぞ?それだけあれば、あの程度の自傷ダメージなど、そよ風のようなものよ」


 その、あまりにも力強い、そしてどこまでも頼もしい、神の御言葉。

 それが、彼女の、最後の迷いを、断ち切った。


「…じゃあ」

 彼女は、その大きな瞳に、新たな、そしてどこまでも力強い決意の光を宿した。

「それ、やってみようかな」


 その一言が、彼女の、そしてこの世界のメタゲームの、新たな時代の幕開けを告げる、ゴングとなった。

 コメント欄は、『うおおおおお!』という、この日一番の、そしてどこまでも純粋な、歓喜の絶叫で、完全に埋め尽くされていた。

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