第4話 巫女の神託と、世界の理
F級ダンジョン【ゴブリンの巣】。
そのひんやりとした湿った空気は、今や一人の少女が奏でる、あまりにも優雅な剣の舞と、それに熱狂する数多の魂のざわめきによって、完全に上書きされていた。
「――そこですっ!」
神楽坂しずく――もとい、佐藤結菜の声が、洞窟の広間に可憐に響き渡る。
彼女の体は、もはや彼女自身の意志ではなく、その魂に宿った【剣聖の剣術】という名の理によって、舞うように動いていた。
一体のゴブリンが、錆びついたナイフを振りかぶり、死角から襲いかかる。数分前の彼女であれば、悲鳴を上げていたかもしれない。だが、今の彼女は違う。
彼女は、振り返ることすらない。ただ、その手に握られた安物の長剣を、背後へと流れるように一閃させるだけ。
キィン、という甲高い金属音。
完璧な、パリィ。
ゴブリンのナイフは、その軌道を大きく逸らされ、主の手から弾き飛ばされる。そして、そのがら空きになった胴体へと、しずくの、流れるような返し刃が、寸分の狂いもなく吸い込まれていった。
ゴブリンは、驚愕の表情を浮かべる間もなく、光の粒子となって消滅する。
その、あまりにも美しく、そしてどこまでも圧倒的な光景。
それを、彼女の配信を見守る千を超える観客たちは、熱狂と共に見守っていた。
Viewer258: うおおおおおお!今の見えたか!?ノールックパリィからのカウンター!
Gamer_Tetsu: 動きが人間じゃねえ…。これが「剣聖」か…
しずくちゃん推し: しずくちゃん、かっこいい…!
戦闘を重ねるごとに、結菜の動きからぎこちなさは消え、代わりに確かな自信と、そして何よりも「楽しむ」という余裕が生まれ始めていた。
最初は、ただの「業務」だったはずの、このダンジョン探索。
それが今や、彼女にとって最高のエンターテイメントへと、その姿を変えようとしていた。
「ふふっ…」
彼女の口元に、自然と笑みが浮かぶ。
「皆さん、見てくれましたか?なんだか、身体が勝手に動いてくれるみたいで…。すごく、不思議な感じです」
彼女は、ARカメラの向こうの観客たちへと、はにかむように語りかけた。
その、あまりにも初々しい、そしてどこまでも素直な反応。
それに、コメント欄は、さらに温かい声援で溢れかえった。
常連A: 良いぞしずくちゃん!その調子だ!
MofuMofuLover: 楽しそうで何よりです!
彼女は、その声援に背中を押されるように、さらに奥へと進んでいく。
ゴブリンの小さな集落を発見する。
五体、六体と、数が少しだけ増える。
だが、今の彼女にとっては、もはや何の違いもなかった。
彼女は、その群れの中心へと、ためらうことなく躍り込んだ。
そして、その小さな体は、まるで紅蓮の嵐のように、その戦場を舞い踊った。
剣が閃くたびに、一体、また一体と、ゴブリンたちが光の粒子へと還っていく。
それは、もはや戦闘ではなかった。
ただ、一人の剣聖が、そのあまりにも美しい型を、披露しているだけの、演武のようだった。
そして、その舞が終わった時。
彼女の全身を、再び黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP! Lv.3 → Lv.4】
「あっ、またレベルが上がりました!皆さんのおかげです!」
彼女は、自分のことのように嬉しそうに、その成長を報告した。
そして、彼女はふと、自らの原点を思い出したかのように、言った。
「あの、もし、今日の配信が面白いなって思ってくれた方がいたら…」
彼女の声が、少しだけ、照れくさそうに上ずる。
「私、普段は歌枠とか、雑談枠とか、ゲーム枠(FPSやマイクラなど)もやってるんですよ。なので、その…よ、よかったら、チャンネル登録、お願いしますね…!」
その、あまりにも健気な、そしてどこまでも商魂たくましい(?)宣伝。
それに、コメント欄が、爆笑と、そして温かい賞賛の嵐に、完全に飲み込まれた。
Viewer555: wwwwwwwwwww
Gamer_Tetsu: この状況で宣伝挟んでくるの、大物すぎるだろwww
US_Fan_Bob: (自動翻訳) Subscribed! Of course!
MofuMofuLover: もちろんです!一生ついて行きます!
彼女の、そのあまりにも人間的な魅力。
それが、視聴者たちの心を、さらに強く掴んで離さなかった。
そして、その温かい空気の中で。
一つの、これまでにないほどの、まばゆい光が、彼女の配信画面を彩った。
虹色の、スーパーチャット。
金額は、『10,000円』。
「――えっ!?」
結菜の、その大きな瞳が、信じられないというように、大きく見開かれた。
1万円。
彼女の、半年間のVTuber人生の中で、一度も見たことのない、天文学的な数字。
彼女は、そのあまりにも大きな「応援」に、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
「え、え、え、え、え…!?い、一万円!?ほ、本当ですか!?ありがとうございます…!」
彼女は、深々と、何度も何度も頭を下げた。その声は、感動で震えていた。
その、あまりにも初々しい反応。
それに、コメント欄は、さらに温かい笑いに包まれた。
そして、その彼女の隣で。
賽銭箱の上でふんぞり返っていたコマさんが、満足げに、そしてどこまでも尊大に、頷いた。
「うむ。良き『信仰』である。主よ、この者の名は、覚えておいてやるといい」
その、あまりにも上から目線な一言。
それに、結菜ははっと我に返った。
そして、彼女は一つの、あまりにも大きな疑問に、気づいた。
「そういえば…」
彼女は、その隣に浮かぶ、小さな神の使いへと、問いかけた。
「コマさんのクリップを見たんですけど…『この世界にも、やっと』って、言ってましたよね?それって、どういうことなんですか?もしかして、異世界とかって、あるんですか?」
彼女の、そのあまりにも純粋な、そして世界の根幹に関わる問いかけ。
それに、コマさんは、そのつぶらな瞳を、わずかに細めた。
そして、その場の全ての空気が、変わった。
それまでの、賑やかなお祭りのような雰囲気ではない。
一つの、神話が語られる前の、静謐な、そしてどこまでも荘厳な空気。
「…うーん」
コマさんは、その小さな顎に、前足を当てた。
「その質問に、答えても良いものか…」
「えー、お願いです!教えてください!」
結菜の、その純粋な懇願。
それに、コマさんは、深く、そして重いため息をついた。
「…うむ。まあ、良いだろう」
彼は、観念したように言った。
「主の問いに、答えてやろう。そして、そこにいる人間どもも、よく聞くが良い。これは、お主らがまだ知らぬ、この世界の、本当の『理』の話であるからのう」
その、あまりにも意味深な前口上。
それに、コメント欄が、一瞬にして静まり返った。
2000人を超える視聴者たちが、固唾を飲んで、その小さな神の使いの、次の一言を待っていた。
そして、コマさんは語り始めた。
その声は、もはやただの可愛らしいマスコットではない。
一つの、世界の真理を語る、賢者のそれだった。
「まず、結論から言おう。異世界は、存在する」
その、あまりにもあっさりとした、しかしどこまでも重い一言。
それに、コメント欄が、どよめいた。
マジかよ…!
やっぱり、あったのか…!
「うむ」
コマさんは、頷いた。
「お主達が生きるこの世界は、無数に存在する並行世界の一つに過ぎん。そして、お主達が『ダンジョン』と呼ぶもの。あれはな、特異点を除き、ほぼ全ての並行世界に共通して存在する、世界の理そのものなのだ」
その、あまりにも壮大な、そしてどこまでも世界の常識を覆す、神の御言葉。
それに、結菜はただ、呆然とするしかなかった。
だが、コマさんの神託は、まだ終わらない。
「そして、それらの世界は、完全に断絶しているわけではない。ダンジョンの、その最も深い部分で、あるいは神々の気まぐれによって、時折、その境界は曖昧になる。だから、わりと簡単につながるから、物ぐらいはこの世界にもあるかもな」
彼は、そう言って、ニヤリと笑った。
「お主らが、時折手にする、あの奇妙なユニークアイテム。あれが、どこから来たのか。少しは、想像がついたのではないかな?」
静寂。
数秒間の、絶対的な沈黙。
そして、爆発。
うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!
なんだよ、それ!とんでもねえ情報じゃねえか!
いや、ダンジョンがある以上、異世界の存在は示唆されてるし、明らかに意図があるから、まあそうだよなとは思ってたけど!
でも、全並行世界にある世界の理!?ビッグニュースじゃねーか!
コメント欄は、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化した。
世界の、全てのビルド考察家、全ての情報屋、そして全ての好事家たちが、そのあまりにも巨大な情報の奔流に、その魂を震わせていた。
世界の理が、今、この瞬間、たった一人の新人VTuberの、その配信の中で、書き換えられたのだ。
その、あまりにも壮大で、そしてどこまでも熱狂的な、視聴者たちの反応。
その中心で、当事者である佐藤結菜は。
ただ、きょとんとした顔で、そのコメント欄を眺めていた。
「うーん…」
彼女は、その小さな頭を、こてんと傾げた。
「よく分からないけど、みんなが楽しいそうなら、それで良いかな」
その、あまりにもマイペースな、そしてどこまでも彼女らしい一言。
その、彼女が呟いた、まさにその瞬間だった。
彼女の全身を、再び黄金の光が包み込んだ。
【LEVEL UP! Lv.4 → Lv.5】
「あっ、またレベル上がった」
その、あまりにも日常的な、そしてどこまでも常軌を逸した光景。
それに、コメント欄は、もはや言葉を失っていた。
ただ、そのあまりにも巨大な「理不尽」の前に、ひれ伏すしかなかった。
彼女は、そのあまりにも大きな成長に、心の底から嬉しそうに、歓声を上げた。
そして、その新たな力を、その身に感じながら、最高の笑顔で、宣言した。
その声は、新たな伝説の始まりを告げる、ファンファーレだった。