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第3話 神託と、剣聖の舞

 西新宿の空は、久しぶりに雲一つない突き抜けるような青空が広がっていた。だが、その晴れやかな空気を吸い込む余裕もなく、佐藤結菜さとう ゆいなの心は、これから始まる未知なる挑戦への、確かな緊張感に支配されていた。

 彼女は今、人生で初めて、本物のダンジョンの前に立っていた。

 F級ダンジョン【ゴブリンの巣】。

 その、あまりにもゲーム的な、そしてどこか陳腐ですらある名前。だが、その入り口に渦巻く空間の歪みは、紛れもない本物の魔力を放ち、彼女の肌をピリピリと刺激する。


「……」


 彼女は、ごくりと喉を鳴らした。

 隣では、同じようにダンジョンデビューを飾ろうとする冒険者学校の生徒たちが、仲間と肩を叩き合い、期待に満ちた声を上げている。彼らのその眩しい姿が、結菜の孤独を一層際立たせていた。

(本当に、やるんだ…)

 昨夜、勢いでギルドの鑑定予約を入れてからというもの、彼女の心は期待と不安の間で、振り子のように揺れ動き続けていた。VTuberとして成功するために。応援してくれる、あの5人のファンのために。そう自分に言い聞かせてきたが、いざこの場に立つと、足がすくむ。


 彼女は、お守りのように握りしめていたスマートフォンを取り出し、自らの配信アプリを起動した。ARコンタクトレンズと連動し、彼女の視界の隅に、見慣れた配信画面のUIが浮かび上がる。

 同時接続者数:0。

 彼女は、一つ大きく深呼吸をした。そして、震える指で「配信開始」のボタンをタップする。


「こ、こんにちはー…。か、神楽坂しずくです…」


 絞り出した第一声は、自分でも驚くほど上ずっていた。

 画面に表示された同時接続者数は、すぐに「5」になった。いつもの、5人だ。チャット欄に、温かいコメントが流れ始める。


 常連A: しずくちゃん、こんにちは!

 MofuMofuLover: きたー!待ってました!

 しずくちゃん推し: え!?ここ、もしかしてダンジョンの入り口!?

 常連B: マジだ!ついにダンジョン配信するんですね!無理しないでくださいね!

 常連C: 応援してます!


 その、あまりにも温かい言葉。それに、結菜の心に灯っていた不安の炎が、少しだけ和らいだ。

 そうだ。私は、一人じゃない。

 この5人が、見ていてくれる。


「は、はい…!」

 彼女の声に、少しだけ力が戻った。

「今日は、私の、初めてのダンジョンデビュー配信です!それで、皆さんに、ご報告があります!」

 彼女は、そう言うと、昨日ギルドで発行されたばかりの、真新しい探索者ライセンスのARウィンドウを、配信画面に共有した。そして、その隣に、もう一つのウィンドウを表示させる。

 それは、彼女の魂の証明。彼女だけの、奇跡の形だった。


「昨日、ギルドで、私のユニークスキルを鑑定してもらいました!これが、私の…スキルです!」


 彼女がそう宣言した瞬間、チャット欄の空気が変わった。

 5人の常連たちは、息を呑んだ。

 画面に大写しにされたのは、古びた木製の賽銭箱のアイコンと、その横に記された、あまりにも荘厳な、三つの文字。


 ――等級:SSS


 しずくちゃん推し: は!?!?!?!?!?!?!?

 常連A: SSS!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?

 MofuMofuLover: ちょ、待って、え、え、え、え、え、え!?

 常連B: 嘘だろ!?!?

 常連C: SSS級ユニークスキル!?しずくちゃんが!?!?


 チャット欄が、これまでにないほどの速度と熱量で、爆発した。5人しかいないとは思えないほどの、情報の洪水。

 結菜は、その熱狂に少しだけ戸惑いながらも、どこか誇らしげに、続けた。

「はい!私も、すごくびっくりしました!それで、このスキル、名前を【神託(しんたく)賽銭箱(さいせんばこ)】って言うんです!なんだか、私の巫女アバターと、ぴったりだなって…」

 彼女が、そうはにかんだ、まさにその時だった。

 彼女は、その新たな力を、世界に、そして何よりも自分自身に示すために、その言葉を口にした。


「じゃあ、初めてユニークスキル、使ってみますね!見ててください!」

 彼女は、一度目を閉じ、そして自らの魂に、強く、そして確かに念じた。

「――出ろ!賽銭箱!」


 その言葉を合図にしたかのように。

 彼女の目の前の、何もない空間が、陽炎のように歪み始めた。

 黄金の光の粒子が、まるで蛍のように集まり、一つの確かな輪郭を形作っていく。ふわりと、古い木と、清らかなお香の匂いがした。

 そして、光が収まった時。

 そこには、一つの古びた、しかしどこか神聖な気配を漂わせる木製の賽銭箱が、音もなく、静かに鎮座していた。


 常連A: うおおおおおおおお!本当に出てきた!

 MofuMofuLover: なんだこれ…!すごい…!


 その、あまりにも幻想的な光景。

 だが、奇跡はまだ、終わりではなかった。

 賽銭箱の、その蓋の上。

 ぽん、という軽い音と共に、白い煙が立ち上る。

 そして、その煙の中から、一つの小さな影が、まるで伸びでもするかのように、その姿を現した。

 それは、神社の入り口でよく見かける、狛犬の子供だった。大きさは、子犬くらい。石でできているはずなのに、その毛並みはふさふさとして見え、その大きな瞳は、まるで生きているかのように、好奇心に満ちて輝いていた。


「くあー…よく眠ったわい」

 その狛犬は、大きな欠伸をすると、その小さな前足で、眠たげな目をこすった。

 そして、そのつぶらな瞳で、目の前で呆然と立ち尽くす結菜の姿を、値踏みするように、じろりと見つめた。


「――おお!この世界にも、やっと神託(しんたく)賽銭箱(さいせんばこ)使いが現れたか!」

 その、あまりにも尊大で、そしてどこまでも古風な声。

 それに、結菜ははっと我に返った。

「え…?えーと…貴方は、一体…?」

「ん?」

 狛犬は、その問いに、心底不思議そうに首を傾げた。

 そして、数秒後。全てを理解したかのように、ぽん、と前足を叩いた。

「ああ、そうか。主は、まだ何も知らぬのであったな」

 彼は、その小さな胸を、これ以上ないほど誇らしげに張った。

「我が名は、コマさん!この【神託(しんたく)賽銭箱(さいせんばこ)】のナビゲーションシステムにして、主を導く神の使いである!以後、よしなに頼むぞ、主よ!」


 その、あまりにも衝撃的な、そしてどこまでも尊大な自己紹介。

神託(しんたく)賽銭箱(さいせんばこ)】は凄いスキルだからね、制御にナビゲーションが必要なんだ、とコマさんは続けた。

 そして彼は、そのつぶらな瞳を、結菜の視界の隅で明滅する、配信画面のコメント欄へと向けた。

「そして、そこにいる人間どもも、我が主をしっかりと応援するのだぞ!よろしくね、視聴者さん達!」


 その、あまりにも唐突な、視聴者へのファンサービス(?)。

 それに、5人しかいなかったはずのコメント欄が、爆発した。


 常連A: すげースキルが喋るのって前代未聞じゃね?

 MofuMofuLover: なんだこの可愛い生き物は!

 しずくちゃん推し: コマさん!コマさんじゃないか!


 そして、その熱狂は、もはやその小さなコミュニティの中だけには、収まらなかった。

 誰かが、そのあまりにも異質な配信の光景を、切り抜き、SeekerNetの総合雑談スレへと投下したのだ。

『【速報】SSS級スキル持ちの新人VTuber、スキルから喋るマスコットを召喚』

 その、あまりにもキャッチーなスレッドタイトル。

 それが、引き金となった。

 結菜の配信の、同時接続者数を示すカウンター。

 その数字が、まるで壊れたスロットマシンのように、凄まじい勢いで回転を始めたのだ。

 5、50、100、150…。

 あっという間に、200人を超えていた。

 コメント欄には、これまで見たこともない、様々な言語の、そして様々な感情の言葉が、洪水のように流れ込み始めた。


 NewViewer_1: なんだこの配信は!?スキルが喋るのか!?

 通りすがり2: 君可愛いねSSS級ユニークスキル凄いな羨ましい

 US_Fan_Bob: (自動翻訳) Is this real? A talking familiar? This is insane!


 その、あまりにも大きな、そしてどこまでも突然の注目。

 それに、結菜はただ、おろおろとするばかりだった。

「え、え、え、え、え…?」

「うむ。ようやく、我が主の偉大さに気づく愚民どもが集まってきたようだな」

 コマさんは、その光景に満足げに頷いていた。


「えーでは、ゴブリンを倒しに行きましょう!」

 結菜は、その混乱を振り払うかのように、そう宣言した。

 だが、その彼女を、コマさんが制した。

「待つのだ、主よ」

「え?」

「せっかく、これだけの『信仰』が集まっておるのだ。その力を、試してみぬ手はないであろう?」

 コマさんは、ニヤリと笑った。

「その前にミラクルポイント使ってみない?」

「うーん、そうですね…。何か、オススメあります?」

 結菜の、その素直な問い。

 それに、コマさんは待っていましたとばかりに、その小さな胸を張った。

「うむ!我がオススメは、これである!」

 彼の目の前に、ARウィンドウが展開され、二つのスキルアイコンが、神々しい光を放って表示された。

「【剣聖の剣術】と、【経験値増加100%】!どちらも、今の主にはピッタリの、便利な力であるぞ!」

「じゃあ、それで!」

 結菜は、迷いなく頷いた。

 その瞬間、彼女の視界の隅に表示された、まだ空っぽだったはずのミラクルポイントのゲージが、わずかに輝き、そして消費された。

 彼女の魂に、二つの、あまりにも巨大な力が、流れ込んでくる。

「1日限定だから気を付けて」とコマさんは付け加えた。

「じゃあ、行きましょう!」

 結菜は、その新たな力を、その身に感じながら、ダンジョンの、その最初の広間へと、その一歩を踏み出した。


 そこでは、すでに何組かのパーティが、ゴブリンの群れと戦闘を繰り広げていた。

 結菜は、その喧騒の中から、一体だけはぐれたゴブリンを発見する。

「じゃあ、あいつを倒しましょう!」

 彼女は、そう言うと、ギルドショップで買ったばかりの、安物の長剣を構え、そのゴブリンへと向かっていく。

 ゴブリンは、その侵入者に気づくと、その手に持つ錆びついたナイフを振りかぶり、襲いかかってきた。

 その、あまりにも単調で、そしてどこまでも遅い攻撃。

 それに、結菜は、これまでであれば恐怖で目を閉じてしまっていたかもしれない。

 だが、今の彼女は、違った。

 彼女の体は、思考よりも早く、反応していた。

 剣聖の剣術。

 その、あまりにも膨大な戦闘知識が、彼女の魂に、直接流れ込んでくる。

 彼女は、そのゴブリンのナイフを、まるで子供の遊びでも相手にするかのように、その長剣で、全て、華麗に受け止めた。

 カン、カン、キンッ!

 甲高い、金属音の連続。

 その、あまりにも美しく、そしてどこまでも神がかった剣技。

 それに、コメント欄が、爆発した。


 常連A: おー凄い!

 NewViewer_5: なんだ、今の動き!?本当に、初心者かよ!


「なるほど…。なんか、身体が反応してくれるみたいですね」

 結菜は、その自らの体の、あまりにも大きな変化に、驚きながらも、どこか楽しそうに言った。

 そして、彼女は反撃に移った。

「じゃあ、攻撃してみます!」

 彼女の長剣が、美しい円を描く。

 その一閃が、ゴブリンの、その無防備な胴体を、寸分の狂いもなく、捉えた。

 ゴブリンは、一刀両断され、光になって消える。

 そして、その直後。

 彼女の全身を、黄金の光が包み込んだ。


【LEVEL UP!】

【LEVEL UP!】


 祝福のウィンドウが、彼女の視界に、立て続けに二度ポップアップする。

 たった一体のゴブリン。

 それだけで、彼女のレベルは、1から3へと、一気に上昇したのだ。


「レベル上がりましたー!」

 結菜は、そのあまりにも大きな成長に、心の底から嬉しそうに、歓声を上げた。

 その、あまりにも純粋な喜びの声。

 それが、彼女の配信の、同時接続者数を、さらに次のステージへと引き上げる、引き金となった。

 1000人。

 その、彼女にとっては天文学的な数字が、モニターに表示されていた。

 コメント欄は、もはや制御不能の熱狂の坩堝と化していた。


 なんだこのVチューバー剣術が神がかってる!

 そういうスキルらしい

 コマさんが剣聖の剣術と経験値増加100%付与してくれたんだよね

 ハァ?なんだそのチート!


 その、あまりにも当然な、そしてどこまでも熱狂的な反応。

 その中心で、佐藤結菜は、もはやただの底辺VTuberではなかった。

 世界の理そのものを、その指先一つで捻じ曲げる、神の代行者。

 そして、その力の、本当の恐ろしさを、まだ何も知らない、無垢な少女。

 彼女は、その新たな力を、その身に感じながら、最高の笑顔で、宣言した。

 その声は、新たな伝説の始まりを告げる、ファンファーレだった。


「――じゃあ、どんどんゴブリン倒して行きましょう!」

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