第14話 ひだまりの奇跡と、氷の女王の微笑み
楽園諸島の空に浮かぶ二つの太陽が、その光を黄金色に変え、長い影を白い砂浜に落とし始める頃。第一回『VTuberパラダイス・ビーチバレーボール大会』は、ついにそのクライマックスを迎えていた。
センターコートを埋め尽くす数十万の観客の熱狂は、もはや最高潮に達していた。SeekerNetの公式配信は、同時接続者数が800万人を突破。世界の、あらゆる場所で、あらゆる人々が、この歴史的な決勝戦の行方を、固唾を飲んで見守っていた。
コートの片側に立つのは、今大会最大のダークホースにして、奇跡のシンデレラガール、『ひだまりサンクチュアリ』。
炎のドレスから、この日のために「レンタル」した淡い青色のワンピース水着に着替えた神楽坂しずくは、緊張で震える膝を必死に抑えていた。その隣では、パートナーであるシスター・リリィが、相変わらずの眠たげな表情で、しかしその手は確かにしずくの手を固く握りしめていた。
そして、その対面。
ネットを挟んで立つのは、絶対王者、『ヴァルキリー・ドライブ』。
日米の天才コンビ、氷川刹那とホリー・ミラー。
刹那は、その氷のように冷たい蒼い瞳で、静かに、しかしどこまでも鋭く、目の前の挑戦者たちを見据えている。ホリーもまた、その人懐っこい笑顔の裏に、このテーブルの全てを読み切ったかのような、冷徹な戦略家の顔を隠していた。
あまりにも対照的な、二つのチーム。
奇跡と応援の巫女と聖女。
才能と努力の剣士と戦略家。
その、どちらが頂点に立つのか。世界の全てが、その答えを待っていた。
試合は、序盤から一方的な展開となった。
それは、もはや試合ではなかった。
ただの、公開処刑だった。
「――刹那、A-7!」
ホリーの、その短い、しかし的確な指示が飛ぶ。
その言葉を合図に、刹那の、そのしなやかな体が、まるで弾丸のように躍動した。
彼女が放つサーブは、もはやただのボールではない。
一つの、回避不能な砲弾だった。
しずくが、必死にそのボールへと飛びつく。だが、その腕を、ボールはまるで嘲笑うかのように弾き飛ばした。
「くっ…!」
なすすべもなく、ポイントを奪われる。
刹那のスパイクは、さらに苛烈を極めた。ホリーが上げる、完璧なトス。それを、刹那が、目で追うことのできないほどの神速で、コートへと叩き込む。
しずくとリリィは、そのあまりにも圧倒的な暴力の前に、ただ翻弄されることしかできなかった。
スコアは、見る見るうちに開いていく。
5-15。
10-20。
そして、ついに24-10。
ヴァルキリー・ドライブの、チャンピオンシップポイント。
終わったな…ああ…格が、違いすぎる…でも、よく頑張ったよ、しずくちゃん!
コメント欄が、健闘を讃える、温かい、しかしどこか諦めに満ちた言葉で埋め尽くされる。
結菜の心もまた、折れかけていた。
(…強い)
(これが、本物の天才…)
彼女の瞳から、悔しさの涙が、こぼれ落ちそうになった。
だが、その瞬間だった。
彼女の耳に、一つの、どこまでも穏やかで、そしてどこまでも力強い声が、響き渡った。
「…しずくさん」
リリィの声だった。
彼女は、その眠たげだった瞳を、カッと見開き、そのパートナーの、その潤んだ瞳を、真っ直ぐに見つめていた。
「…まだ、終わってませんよ」
「でも…!」
「あなたは、一人じゃありません」
リリィは、そう言うと、しずくの手を、その小さな、しかしどこまでも温かい手で、強く、強く握りしめた。
「私たちが、います」
彼女の、その視線の先。
そこには、800万人の、温かい光の海が広がっていた。
しずくちゃん、頑張れ!負けるな!リリィ様、起きた!WE LOVE YOU, SHIZUKU!!!!
その、国境を越えた、あまりにも温かい、そしてどこまでも力強い声援。
それが、奇跡の引き金となった。
結菜の魂に宿る【神託の賽銭箱】が、まばゆい光を放つ。彼女のミラクルポイントが、絶体絶命のピンチに陥ったことで、爆発的に増大していく。
「主よ!」
コマさんが、叫んだ。
「今こそ、神託の時である!有り金、いや、有り応援全てを叩き込むのだ!」
「…うん!」
結菜は、頷いた。
彼女は、その増大したMPの全てを対価に、一つの、あまりにも無謀で、そしてどこまでも美しい「奇跡」を、レンタルした。
刹那の、その勝利を確信したサーブが、放たれる。
だが、そのボールが、しずくのコートに到達する、そのコンマ数秒前。
彼女の体が、淡い光に包まれた。
【未来視の断片】。
【風神の加護】。
彼女は、動いた。
ボールが、どこに落ちるのか。
その、数秒先の未来を、彼女は確かに「見て」いた。
そして、彼女の体は、風のように、その場所へと、滑り込んでいた。
絶対王者、刹那の、その完璧だったはずのサーブが、いともたやすく、打ち返されたのだ。
「なっ…!?」
刹那の、その氷の仮面のような表情が、初めて、純粋な驚愕に歪んだ。
そして、その奇跡は、もう一人の聖女にも、伝播した。
リリィの、【怠惰なる福音】が、その真の力を、解放した。
コートに、突如として、強い風が吹く。
刹那が、体勢を崩しながらも打ち返したボールが、その風に煽られ、大きく軌道を変え、コートの外へと落ちていった。
そこから、始まったのは、もはやただの逆転劇ではなかった。
一つの、完璧な「奇跡」の物語だった。
しずくが、その未来視と神速で、全てのボールを拾い。
そして、リリィが、その絶対的な幸運で、全てのボールを、相手コートの、最もいやらしい場所へと、落としていく。
スコアは、一点、また一点と、縮まっていく。
24-20。
24-24。
デュース。
そして、ついにその時は来た。
25-24。
ひだまりサンクチュアリの、チャンピオンシップポイント。
刹那が、その最後の力を振り絞り、渾身のスパイクを、叩き込む。
しずくが、それを、完璧なレシーブで、拾う。
ボールが、高く、高く、ネット際へと、上がる。
誰もが、しずくが、その最後の一撃を放つのだと、確信した。
だが、彼女は、打たなかった。
彼女は、そのボールを、ただ優しく、その隣に立つ、小さな聖女へと、トスしたのだ。
リリィが、その眠たげな瞳を、カッと見開く。
そして、彼女は、その全ての魂を込めて、跳んだ。
彼女の、その小さな掌から放たれた、あまりにも優しい、しかしどこまでも完璧なフェイント。
それが、絶対王者の、そのコートの、ただ一点の空白へと、吸い込まれるように、落ちていった。
静寂。
そして、審判の、ホイッスル。
その音が、この歴史的な一戦の、終わりを告げた。
勝者は、ひだまりサンクチュアリ。
◇
その日の夜。
Xのタイムラインは、たった一つのハッシュタグで、完全に埋め尽くされていた。#ひだまりサンクチュアリ優勝おめでとう
その、あまりにも温かい、祝福の嵐の中で。
一つの、あまりにも短い、しかしどこまでも重いツイートが、投下された。
氷川刹那 @Setsuna_Hikawa
「…運が良かっただけだ。だが…今日のところは、お前の勝ちだ、神楽坂しずく」
その、あまりにもツンデレな、そしてどこまでも気高い、敗北宣言。
それに、世界中が、涙した。
そして、そのツイートに、一つの、どこまでも穏やかで、そしてどこまでも温かいリプライが、添えられた。
神楽坂しずく @Shizuku_Kagurazaka
@Setsuna_Hikawa
「はい!また、ぜひ、一緒に遊んでくださいね、刹那さん!」
二人の、あまりにも奇妙で、そしてどこまでも美しい、物語の始まり。
それを、世界の、全ての人間が、ただ固唾を飲んで、見守っていた。