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大人になり切れない人

これは小説習作です。とある本を開き、ランダムに3ワード指差して、三題噺してみました。

随時更新して行きます。

【お断り】「野原、知性、問題」の三題噺です。


(以下、本文)


私は子どもみたいだと、よく言われる。確かに思いやりなんて目クソほども無い。

子どもみたいな事を言ったりやったりする人間なのだ、私と言う奴は。


スピッツはキライだ。ワンワンほえてコワい。

スピッツに限らず、犬は私を見下すからイヤだ。


毎度の事だがネギと玉ネギには失望するばかりだ。

あのシャキッとしたビジュアルが、煮た焼いたで、どうしてああもグロテスクなゲル状になってしまうんだろう。


ピーマンも退色こそしないが、やはりクタッとする点が、もう一つ足りない。


その点、ニンジンはパーフェクトだ。

煮ても焼いても鮮やかなオレンジレッドのビジュアルも、カリッコリッとした歯ごたえも失わない、正にド根性系食材だ。

私はニンジンを嫌う奴の気がしれない。


伊達巻には裏切られた。

見た目の見事さはエリート級なのに、口にしたとたん口の中に広がるマズさは何とした事だろう。


納豆などはビジュアル面で最初から弾いていたが、人に薦められて口にしたら、一気に天国まで昇ったような美味だった。


私のなかで、なにかが、かわった。


食べ物を見た目で判断しちゃいけないと思った。

これを納豆革命と呼ばずして何と呼ぼう。


裸が好きだ。自由が好きだ。

「風邪を引くからやめろ」と言うので、だったら布団かぶって裸でいたら、「それも不適切だ」と言う。

ワケが分からん。


記憶とはただの作り事。幻想なんじゃなかろうか。

楽しい日、退屈な日、悲しい事があった日、いい事があった日が、ぜんぶ同じだなんて、おかしいじゃないか。しかも、それが順番に並んでるだなんて。


この間、従姉妹のユミちゃんが来て楽しく遊んだので、その事は良く覚えている。

今の私にとっては、それが全てだ。

一年前に行った遊園地の話をされてもねえ。

昔の事は忘れた。明日の事は分からない。


テレビの銭形平次は面白い。よく分からんが面白いのは、毎回パターンが同じだから、慣れで見てるんだろう。

ホームドラマはよく分からん。「誰と誰が、つき合ってる」と言うと、みんなビックリした顔をするが、そんな大した事かぁ?


私の周りにいるのは正直者ばかりだ。

いい奴は無分別にいい事をしようとするし、悪い奴はTPOも相手の顔色も読まずに悪い事をする。

泣きたければ泣き、その30秒後に笑う。

みんな、ありのままに生きてるんだ。それのどこが悪いんだろう。


文字とは紙に印刷されたインクの染みの事じゃないか。

新聞を赤く塗れ。黒く塗れ。

本を切り裂け。飽きたら捨てよ。


火遊びだけは、するもんじゃない。

あの炎の色は私の心の奥底で今も燃えている。

ふいに思い出して私を苦しめる。


あの楽しくて不愉快な野原のピクニックの事を、私は一生忘れないだろう。

あの青空。あの坂道。あの枯れススキの一本一本に至るまで。


ただ、一緒にいた「体操のお兄さん」と「体操のお姉さん」が、私の事を「まだ子どもだ」と、いわれなく侮辱するので甚だしく不愉快だった。

これも忘れようがない。


*****


以上が三歳の私の世界認識。

濁り無き目に映った存在と時間である。


当たり前の事だが、長男坊の私は四歳下の妹が生まれるまでは「一人っ子」だった。

上の文中にある「体操のお兄さん」「体操のお姉さん」とは、言うまでもないが私の父母の事である。

子どもも子どもだが、親の方も、まだ親になり切っていなかったのだ。


妹が生まれた瞬間から、私は「お兄ちゃん」を演じ続け、61歳になった今でも、それに呪縛されているのである。

本当の私は記憶の井戸の底に沈められ、たとえ私が兎平家最後の一人になったとしても「誰それのお兄ちゃん」である事から自由にはなれないのだ。


それと、もう一つ。

三歳児の私は知性のアポリア(解決困難な問題)とは無縁だった。

ひらがな五十音の読み書きが出来るようになって以降、なるほど私は物知りにはなったが、読解力の伸長と反比例するかのようにして、私は私の「有史以前」の情緒的優位性を失ってしまった。

知性と分別と常識に束縛されない「有史以前」の私の方が、今の私より遥かに人間だったのである。

ジャン=ジャック・ルソーの受け売りをしている積もりは無いが。


いわば、あの頃が私の黄金時代。

今の私が置かれているのは鉛の時代である。


私は古代ギリシャ人じゃないから、「一番良いのは生まれない事だ。次に良いのはすぐ死ぬ事だ」とまでは言わないが。

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