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転落 その二

「私、生理来ないんだ」

 ベッドの中で、凡太郎の恋人である香奈はおずおずと切り出した。

「産婦人科で調べてもらったら陽性だった」

 そう告げられたとき、真っ先に頭に浮かんだのがマー老師の奇妙な忠告のことだった。

……今年は結婚の年、早く彼女と結婚しろ

 その頃の法律では、親の許可があれば女は十六歳、男は十八歳になったら結婚できた。

 凡太郎の親の許可は大丈夫だろう。母親は、息子が平凡な人生を歩むことを望んでいる。家庭を持つことはその第一歩だった。

 問題は、香奈の父親だった。頑固者の大学教授。世間体の権化。

……ここは当たって砕けろだ!

 凡太郎は香奈にキスしてから言った。

「結婚しよう」

「うわーっ、ありがとー!」

 香奈は心底、うれしそうだった。

……香奈の誕生日はまだ先だったが、その前に結納だけでもすませておこう。結婚式は、知り合いの芸能人も呼んで盛大にしよう。予算は一千万もあれば大丈夫だろう。新婚旅行は海外だな。

 夢が膨らんだ。


 大学の夏休みが始まったある日、凡太郎は香奈の家に挨拶に行くことにした。

 そこは、高級住宅街にある広い屋敷で、前庭はミニゴルフ場のような芝生に覆われていた。

 スーツでびしっと決めた凡太郎は、手土産に有名和菓子店の羊羹を下げると、緊張して屋敷に入った。

「あらあら、いらっしゃい。香奈の母の……」

 人当たりのよさそうなおばさんが出迎えてくれた。

 玄関脇の応接間に通される。

 レンガ製の暖炉のある、ドラマのセットのような応接室だった。

 香奈は父親を呼びに行った。

 そんなに怖そうな感じはしない、と思ったのも束の間、木刀を下げた頑固そうな初老の男が現れた。殺気が刺すように感じられる。

「貴様か! 娘に手を出したのは!」

 真っ赤になってふるふると震えている。

「父親を連れてこい、て言ったのはお父さんじゃない。凡太郎さんは誠実な方です。私と結婚しようと言ってくれたの」

「黙れ! 高校生に手を出すような男が、誠実なはずがあるものか!」

 そして、凡太郎に木刀を振り上げてきた。

 応接室はリングとはちがって動きにくい。そして、出口は一ヶ所、そこは木刀を持った怒れる親父が防いでいる。

 とっさに木刀を左腕で受ける。それがまずかった。

 木が折れるようないやな音がした。

 それでも、凡太郎は木刀を巻き込むようにして奪い取ると、奥の床に投げ捨てた。

 香奈と母親が親父を羽交い締めにする。

 三人は絡まったまま床に転がった。

「逃げて!」

 凡太郎は、香奈の言葉に素直に従った。

 テーブルを踏み越えて出口へとジャンプする。

「逃げるか、卑怯者!」

……どっちが卑怯だ! こちとら素手なんだぞ。

 その言葉を呑み込んで、庭へと飛び出した。

「おのれ! ボクサーだかなんだか知らんが、この腰抜け! 臆病者! わしに勝てないような男に、娘をやれるか!」

 その言葉に、凡太郎の足が止まった。

「そうですか。あなたに勝てば、娘さんとの結婚を許して下さると言うのですね」

「いかにも。武士に二言はない!」

「では、正々堂々と勝負しましょう」

 そう言っている間にも、凡太郎の左前腕部はポンポンに膨らみつつあった。


 特設リングは青い芝生というわけだ。

 香奈の父親は若い頃に空手をやっていたようだった。動きは(さま)になっている。

 が、二十歳になりたての現役ボクサーにかなうはずもない。

 それに加えて、元喧嘩番長の凡太郎だ、

 蹴りへの対処法も十分に心得ていた。

 鋭い蹴りだったが、斜めにかわしてやり過ごす。

 右ストレートが教授の顎にヒットした。

 ゴキリッ

 またしてもいやな音が響いた。

「これでおあいこですよ」

「何をっ! まだまだ」

 今度は膝に一撃を入れてから腹に一発。

 ボキッ

 肋骨が折れたようだった。

「もうわかったでしょう。これでゴングと行きましょうや」

「う、うむ」

 そして、凡太郎は目眩に襲われ、崩れ落ちた。

「あなた!」

「凡ちゃん!」

 二人の女性の悲鳴が響いた。


 二人は救急病院に運ばれた。

 香奈の母親の懇願で、二人は別の病院に入れられた。

 凡太郎が気がつくと、処置はすべておわっていた。

 単純骨折。

 橈骨と尺骨の二本の骨のうち、尺骨が折れていた。

 それを針金を使って元の位置に戻し、ギプスで固定する。

 入院期間は一週間。

 意外なほど軽い怪我だった。

 ジムのはからいで個室に入った凡太郎だったが、ニュースで取り上げられていたのには困惑した。

「東洋チャンピオン、大学教授と乱闘!」

 音声のない、防犯カメラの映像が繰り返し流された。

 それは、教授の狡猾な罠だった。

 警備会社の映像が、外部に流出する――あってはならないことだ。だが、教授自身が指示していたらそれは別だ。テレビでは繰り返しその事を強調していた。

 そして、次の週には教授自身も割に合わない犠牲を払っていたことがわかる。

 面会謝絶の重体。

 鷹の凡太郎の一撃は、的確に相手を仕留めていた。


 

 

 

 

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