おわり
僕はがむしゃらに勉強をした
寝る間も惜しみ、両親に呆れられるほど、時間の大半をこれに費やした
そして、勉強に費やす時間が大きければ大きいほど、僕の中の彼女に対する恋慕が大きくなっていくことが分かる
いけないと思っていながらも、僕は毎日、彼女と肩を並べているキャンパスの風景を想像した
『努力は報われる』、そんな陳腐な考えを当時の僕は本気で信じていたが、現実は真反対に進んだ
…勉強をすればするほど、成績が落ちてゆくのだ
最初の頃は、彼女も『ドンマイ』と労いの言葉を掛けてくれたが、それが数十回も続くと呆れを通り越し、疑念の表情を浮かべた
『彼は、私の約束を容易に破る人間だ』…と
僕は訴えた。『勉強は欠かさず、真面目にやっている』と
だが、その僕の言動と、手元にある成績表の大幅な乖離は、彼女の疑念を深まらせるだけの効果しか無かった
この強烈なギャップは、自分自身を苦しませ、頭を掻きむしるたびに、そこに生えている繊維がパラパラと落ちてゆく
僕は呪った。『なぜ、こんな力を持っているのか。捨ててしまいたい!』
………
……
…
そんな僕の苦悩をよそに、彼女の成績は彼女が想像している以上にみるみると伸びていった
傍目からそれを眺めていた僕は、チクリと胸の痛みを感じた
恋人に、決して表象してはいけない悪感情。『嫉妬』であった
自分の悪感情を自覚すると、沸騰した鍋のように、無理やり押さえ込んでいた感情が溢れていく
『羨ましい…』
『なぜ彼女だけ…』
『こんな女…』
嫉妬は僻みに変わり、僻みは殺意に変わった
だが、そんな僕の思考とは裏腹に、彼女は躍進を続け、遂には日本の最高峰学部ですら容易に合格するだろうと結論付けられた
もはや、数ヶ月前に誓いあった僕達の痕跡はどこにも見当たらない
ただあるのは、落ちぶれた哀れな男と、躍進と栄光を手に掴んだ女であった
だが、地を這うそんな僕に、彼女は屈託なく言った
『大丈夫?』と
僕は恥じた
彼女は、全てを呪おうとした張本人に対して、あまりにも無警戒で、善意のある言葉を投げかけたのだ
そして、最後まで彼女は彼女であろうとしたのだった
僕はいたたまれなくって学校を飛び出した
職員室に、退学届を叩きつけることも忘れずに
………
……
…
高校中退後
僕は両親の反対を押し切って、独り暮らしを始めた
工場でアルバイトも始めた
毎日淡々とライン作業を行い、帰ってくると酒を舐め、何もせず寝る
これの繰り返しだった
『人への執着は、いずれ感情を抱かせることになり、僕の心をかき乱す』と中学で結論つけられていたのにも関わらず、僕は望みを抱いてしまった
だから、それを避けるために、人との関わりを徹底的に避け、あえて毎日雑務に没頭した
思考は悪である
何も考えず、ただ身を任せることが正しい生き方だと信じて疑わなかった
そんな工場帰りのある日
終電近いガラガラの電車で、備え付けられたスクリーンにニュースが流れていることに気づく
どうやら、とある東欧の2国が戦争を始めたらしい
それを見て僕はつい、こう呟いてしまった
「戦争なんて、終わる訳ないのに」
その数分後、同じスクリーンから速報の文字が流れる
『戦争終結』のテロップであった
僕はこの結果を受けて、一つの結論に辿り着いた
適当なコンビニに駆け込み、今日の朝刊を舐めるように眺める
『少子化』『貧困化』『資源問題』『戦争』etc…
不謹慎な言葉の羅列が多く並んでいたが、僕はそれで構わなかった
息を落ち着かせ、諦念という名の感情を爆発させた
………
……
…
数日後。世界は僕の想像を絶するほどに再構築された
世界中で戦争・飢餓は無くなり、所得格差も是正され、大幅な軍縮が断行された
そう、僕が出した結論とは、己の人間、世間への諦念と無関心さが世界を救うのだ…と
自分が苦しむことで、その他大勢の幸福が保証されるのだ
『功利主義の歯車』に僕は知らずのうちになっていた
ここまでの人生はそれを僕に自覚させるためのプレリュードに過ぎなかったのだ
たが、そんな状況でも僕は不思議と悪い気はしなかった
むしろ、得も言えない多幸感に包まれる
どうしようもなかったこのクソッタレなこの力でも、役に立つことがあるのだと
この神の如き力で、人類を導くことが出来るのだ…と
『不気味なほどの幸せな世界に、ただ一人の不幸な自分』
そんな選民的な思考はこの結論を補強するのに十分な言い回しであった
僕は夢見心地のまま、街へ繰り出す
そして、いつかと同じように、僕は図らずも歩道から飛び出してしまった
背後から迫る車が、僕にライトとけたたましいクラクションを浴びせてくる
この多幸感に当てられて、僕は慢心した
『まさか、死ぬことは無いだろう』と
だから、僕は死んだ
そこで始めて…ようやく、理解したことがある
僕には、この力を使いこなすほどの成熟した情緒が無かった
そして、僕が想像するよりも、現実は明るくも、暗くも無かった
折り合いを付けられなかったのは自分だったのだ
end