第8話「聡明な君なら分かるんじゃないかな、仕事が社会を回してる」
「――部屋は空いてるよ、ただ入るのが遅くでも出てくのは同じ時間だ」
ヤギの角を揺らしながら受付の獣人が笑う。
ソドム中心街で高過ぎもせず安過ぎもしない絶妙なホテルを選んだ。
エステルのセンスが光っている。
ここより高ければあの刺客たちの情報網に引っかかる恐れがある。
逆に安かったら女と子供だけでは普通に危ない。
「昼前でしょ? 流石にその時間には出てくよ」
「あ……ちょっと待って。君たちサキュバスだったりする?」
「ふーん、ボクが”女の子”に見えるんですかぁ?」
ホテルに入る前に角を生やす変装をした。
人間が悪魔に化けるとしたら何パターンかあるけれど、角をつけておけば淫魔か竜人っぽくはなる。竜人は数が少ないから淫魔のふりをするのが安全だ。
「……え、弟さんなの?」
「どうしてお姉ちゃんに聞くんです? ボクを見てくださいよぉ」
ヤギの瞳を見つめて魅了の魔法を使う。
レイチェルのチャームを見様見真似でやってみる。
「いやいや……女の子だろ? こんなにかわいいんだから」
「えーっ、やっぱりボクってかわいいですかぁ♪」
チャームを掛けたところで大した意味はないが掛けられただろう。
ふふふ、良い気分だ。やっぱこの身体と顔はかわいいんだ。
「――残念ながら弟です。
で、私たちが淫魔だったらなんなんです?」
エステルの声色にトゲを感じる。
俺という少年の前では一度も出したことのない声色だ。
まぁ、不躾に種族を聞かれたのだ。怒っても良いタイミングではあるが。
「いいや、不躾なことを聞いてすまない。2人は国葬に?」
「弟がどうしてもって聞かなくて」
「そうか。良い弟さんだね――」
フッと笑みを漏らしたヤギの獣人が、壁面に飾られた絵画に視線を送る。
……俺が描かれている。これは何十年前だったろうか。
ソドムに滞在した時に色々な場所に顔を出した。
自らの魔王ジェイクとしての人気を分け与えるように。
「――俺も本当は参列したかったんだけど、こんな仕事だろ?
陛下は1人でも多くの国民に見送られるべきだ」
残念そうに呟く彼を前に何か言葉をかけてやりたかった。
魔王ジェイクとしてかけるべき言葉を。
けれど、今の8歳の子供として紡げる言葉はどうしても思いつかない。
「……アンタがここで仕事をしているおかげで私たちは眠ることができる。
今日はそんな客がごまんと来ているんでしょう?」
「ああ、普段は使わない部屋も開けさせたんだ。
陛下を見送った連中に風邪をひかせるわけにはいかない」
ヤギの答えを聞いて笑みを浮かべるエステル。
「じゃあ、陛下だって分かってくれるよ。仕事の重さは知っている王様だ」
……言いたいことを全部言ってくれたな、エステルは。
そうだ。今日、自分自身が国葬の一般参列に並んで理解した。
首に巻くこのマフラーを貸してくれた警備兵だけでない。
ココアを売ってくれた猫の姉ちゃんやホットドッグを売っていた屋台。
国葬のために集まった国民という需要を見越して展開される商売。
そのひとつひとつが、参列者を支えている。
そして参列者の支払った対価が、ソドムの街に落ちて循環していく。
社会とはこうして回っていくものなのだ。
「“仕事の重さ”ですか。良い言葉ですね、姉さん」
ヤギの獣人から受け取った鍵を手に廊下を歩くエステル。
その背中に声をかけてしまう。
本当なら『俺の代わりにありがとう』と言いたいところだがそうもいかない。
「そう? 聡明な君なら分かるんじゃないかな、仕事が社会を回してる。
安直な表現ではあるけれど、それが真理でもある。
私が先代と接した時間は短いけど、好きだと思うんだよね、ああいう人が」
エステルは、見透かしたような笑みを浮かべる。
よく分かっているじゃないか。ああいう真っ当な奴は好きだ。
ほんの一度ばかり刃を交えただけで、よく分かるものだな。
いったいこの娘は何歳なのだろう。
見た目だけで言えば成人はしているはずだ。
15歳は超えているとして、20歳に届いているだろうか。
振る舞いや言動からすればもっと上とも思えるが、見た目はそうではない。
「ボクはまだ働いたことないから分からないかな。
でも、陛下はたぶん好きだと思います。ああいう人のこと」
「気が合うね、君もそう読むか」
なんて会話をしているうちに部屋について、中に入る。
入った瞬間、エステルは鍵を閉めて、室内を検めた。
徹底しているな、流石は宣教局のエージェントだ。
「……大丈夫そうだ。ごめんね、驚かせちゃった?」
「いえ、流石は勇者様だって」
「そう言うってことは”宣教局の勇者”って意味、分かってるんだね」
エステルからの問いに頷く。
まぁ、スパイ小説を読んでいるって答えているからな。
8歳にしては早熟な気もするが、別に知っていておかしい話ではない。
「人間の国、その教会が持つ対悪魔への諜報機関ですよね?」
教会の教えは人間の全てに届いている。
基本的に”人間の国”は単一宗教だ。では、宣教が必要な相手とは誰か。
かつて亜人と呼ばれた悪魔たち。”人間以外”へと神の教えを広める。
そのための宣教局だ。それが時代と共に悪魔に対する諜報機関へと変化した。
「流石にスパイにお詳しいだけあって、現実のそれも知ってるか」
「ええ。勇者様が勇者様と呼ばれるようになって、もう30年経っていることも」
月明りが差し込む密室、青い瞳が静かに微笑んだ。
「――じゃあ、今の私は何歳に見えるかな? ジェフリーくん」
ブックマーク・評価【★★★★★】等で応援していただけると嬉しいです!