第7話「……まおうさま、とは呼ばない方が良いですよね、お姉さん」
「――でもさ、私、男ではないんだよね」
勇者様の姿が変わった。
解除する瞬間まで気づかなかった幻惑の魔法が消え去ることで。
……バカな、この俺でさえ気づかない幻惑だなんて。
こんなものを用意できるのか、宣教局は。
首元、おそらくは首に巻かれたチョーカーが魔道具だ。
勇者自身が魔法の使い手というよりも造られたものを使っている。
直感的にそんな気がする。確証はないけど。
俺はともかくレイチェルさえ騙し切っていたのか?
自分の身体を好きに拷問しろと色仕掛けをしていたときだ。
あの時にレイチェルは、女が相手だと知っていたのか。
できることなら今すぐ問いただしたい。だが、それはダメだ。
「驚かせちゃったかな、このことは秘密にしてね?」
優しくこちらの小指に自分の小指を絡めてくる勇者様。
……あ、これ確か人間の国の風習だったな。
指切りとかいうやつだ。
「人間流の約束ですね――」
「悪魔のやり方、教えてくれる?」
人間流の約束なんて、悪魔のボクには聞く義理がありませんってニュアンスを感じ取ったのか、勇者様は目線を合わせてから優しく微笑みにかけてくる。
な、なんなんだ、急にお姉さんらしくなりやがって……!!
「……別に人間流の約束だってボクは守りますけど」
「ううん。ジェフリーくんのやり方を知りたいんだ、ダメかな?」
幻惑が解けて長くなった金髪が揺れる。首を傾げたのに合わせて。
そして甘い香りが漂ってくる。抱えられていた時にも感じたあの匂いだ。
……勇者が女の子ってだけでも頭がおかしくなりそうなのに、息を吐く間もなく容赦のない追撃が襲ってくる。情緒が、情緒が壊れる。
「拳を握ってください。グーの手です」
「こうかな?」
「はい。じゃあ、ボクに合わせて」
勇者様と拳をぶつけ合う。
この柔らかくて滑らかな感触に、華奢な身体と感じたことを納得させられる。
細い腕、華奢な身体、甘くて良い香り。答えが分かればってやつだ。
「親指を……そうです。これがボクたちの約束です」
拳をぶつけ合い親指を合わせる。
由来は知らないが、俺の知る約束のジェスチャーはこれだ。
勇者様はニコニコと微笑んでいて、ただの年頃の少女にしか見えない。
というより今の身体に引っ張られてか”綺麗なお姉さん”にしか。
「君と私の約束だね、ジェフリーくん」
クスっと微笑む勇者様。
街に向かって歩き出した彼女に手を引かれ、歩いていく。
……男としての姿と大きく違うかと言われればそうではない。
髪の色も眼の色も同じではある。
けれど、男らしかった短髪が自然な長髪に変わり、衣服も一度見たら忘れられないような派手な白から、地味な灰色のものへ変わっている。ズボンがミニスカートに変わるみたいなことはないし、幻惑前後でも同じと言われれば同じようにも見えるのだが、色合いや細部が違って全くの別物に見える。
パリッとした教会の勇者から地味な町娘に変わったって感じだ。
……これほどの変装力を見せつけられれば理解できる。
北方領の将軍を暗殺した直後、忽然と姿を消したことが。
それから姿を捉えられることもなく、俺の目の前に現れたことも。
勇者が送り込まれると知っていたから準備できていただけで、不意打ちなら奇襲は成功していただろう。なにせ俺の寝室まで辿り着いていたのだから。
木の枝でさえ刃に変える異常な戦闘力と、この圧倒的な変装力。
これほど単独潜入に向いている人材もそうはいない。
「……まおうさま、とは呼ばない方が良いですよね、お姉さん」
「うん。そのために変装を解いたからね。あ、そうだ」
スッと適当なローブを取り出し、俺に掛けてくれる勇者様。
行動を阻害しないくらいには小さい鞄なのに、よく入っていたものだ。
「これであいつらが追って来てもすぐ気付かれるってことはない」
「……なるほど、たしかに言われてみれば」
銀髪に合わせて白系統の目立つ服を着ていたからな。
勇者様がバレなくても、俺がそのままだと目星をつけられてしまう。
まぁ、それをいうと8歳の子供が深夜に歩いているだけで危ういけど。
「あのお姉さん……」
「どうしたの? ジェフリーくん」
「……お名前、聞いても大丈夫ですか?」
相手は宣教局のエージェントだ。
名前を聞くのも少し気後れしてしまうが、聞いておきたかった。
勇者を示すコードネーム、ヴェン・ライトニング。
それを女と分かって使えるものか。
「いいよ。エステル、それが私の名前だ」
「――本名?」
「ジェフリーくんはどう思う? 物知りな君は」
偽名一択だろ、こんなん。
誰が敵国で本名を名乗るもんか。
たとえ、それが無害そうに見える悪魔の子であろうと。
「……ほんとでもウソでも、ボクにとってはエステルお姉さんです」
「あはは、渋い回答だね。絵物語が好きだったりする? スパイのやつとか」
「たしなむくらいです。エステルさんは?」
かけてくれたローブをしっかりと着込みつつ、彼女の手を握って歩く。
エステル……なるほど、エステルか。
勇者やヴェン・ライトニングよりはしっくりくる。
「そこそこ。暇つぶしにね」
「本職のお姉さんには刺激が足りないんじゃないですか」
「かもしれない。特に最近はそう思うよ、本業がヤバすぎてね」
継承戦から新魔王になってからは特にって感じか。
まぁ、たしかにあり得ない体験だものな。
半分は俺のせいなんだけど。
「けれど、君みたいな子と歩いていると予習しておいて良かったかなって」
「ハハ、それボクが女の子じゃないとダメなんじゃないですか?」
スパイ小説にお約束な現地ヒロインの話じゃないか。
そこそことか言ってるけど、結構な数を読んでそうだな。
「良いんだよ。そこはそう、私がお姉さんなんだから――」
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