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最終話「……君が恋しい」

 ――軽く触れた彼女の唇、その熱さが無ければ足を進められなかった。

 それだけ離れたくないと思ってしまった。

 エステルという新たな魔王を前にしてなお、まだ傍に居たいと。


 ……列車の窓からは2人の姿は見えない。

 せっかくならもう少し良い席を予約しておくべきだった。

 いや、席のグレードとしてはこれ以上ない個室の特等席だけど。


 レイチェルの奴が気を遣ってくれた。

 ここからじゃ2人が見えないことなんて事前に分かるはずもない。


 エステルの奴は怒っているだろうか、不意打ちのようにキスしたことを。

 自分でもなんであんな真似をしてしまったのか。

 最後なのだと思うと我慢できなかったというほかない。


 悪魔の国を、いいや、人間の国を含めたこの大陸を旅立つための一歩。

 それを踏み出すための勇気が欲しかった。


 ――摩天楼が、この世の全てだと思っていた。

 そこから始まった俺の人生が長い時を経て、新たな身体で始まろうとしている。

 けれど、最後に過ごした、しがらみのない時間が余りにも幸福すぎて。


 レイチェルを連れ出して、82年と10か月の成果を見て回った。

 俺たちが統治してきた魔王都を。

 そんな街を、あの夜、エステルに案内したのだ。デートとして。


 ミノやボルドー、親衛隊の奴らとも別れを兼ねて色々と遊び回った。

 そうして、ただの一国民として魔王都を歩いていて思った。

 ただただ素朴に”良い街だな”と。


 失ったものは多くて、どうしようもない穴が開いている。

 アーサー、ドク、アシュリー、本当は何も失いたくなかった。

 どうしようもない痛みが今でも残っている。


 ……あの場所に居たら、それも癒せる気がした。

 俺たちが作り上げた国に留まっていれば。

 しかし、それはできない。王が2人居てはならないから。


『先代の言いつけを守る忠犬っぷりを讃えてあげれば満足かい?』


 いつぞやか、ドクに言われたことを思い出す。

 フェリス陛下の言いつけを律儀に守り続ける俺に向かって言ったのだ。

 あいつは本当に小生意気で、だからこそ。


「……君が恋しい」


 冷えた唇から言葉が零れてしまう。

 それは誰に届くこともなく、汽車の音に掻き消されていく。

 いよいよ、出発時間が近づいている。


 強引に唇を奪ったのだ、エステルの奴が殴りに来るかと思っていたが。

 もし、彼女が来てくれたとしてどうするつもりか。

 強引に連れて行くなんてことをできるはずもないし――


 ――なんて、何気なく個室の扉を見つめていた時だった。

 ドアノブが降りるのが見えて。


「えっ……」


 いったい何が起きたのか分からなくて一瞬ばかり硬直してしまう。

 そんな俺を見て、彼女は笑う。


「知らない女の子が入って来ちゃいけません。なんて言わないでくれよ?」


 小生意気な笑顔を見せつけられて全てが繋がる。

 今の俺と同じ8歳くらいの身体、元々を幼くしたような顔立ち。

 そうだ、同じだ、今の俺と同じなんだ。


「――ドク?」


 こちらの言葉に頷き、胸に手を当てるドク。


「ご明察。ごめんね、君のことまで騙してしまって」

「……いや、思い至らなかった俺の方が」

「ううん、君の表情で分かるよ。本当に辛い想いをさせてしまった」


 珍しく真剣に謝罪してくる彼女を見て、背中から力が抜ける。

 ……ああ、どうして俺は考えていなかったのだろう。

 彼女自身が新しい身体を用意している可能性を、微塵も考えていなかった。


「そう真面目に謝られると、調子狂うな……」

「いいや、こればかりは真剣に受け取ってもらう。

 これからボクと君が過ごす時間は長いんだ。互いの信頼に関わる」


 椅子に座るこちらの目の前で跪き、彼女は視線を合わせてくる。

 その瞳に引き込まれてしまう。美しい瞳に。


「――ボクは、君を騙してまで自分の安全を図った。

 許して欲しい。すまなかった、ジェイク」


 その言葉に頷く。まずは謝罪を受け止める。


「うん。本当に……無事で良かった、ドク」


 こちらの言葉を聞いたドクは、向かい側の椅子に腰を降ろす。

 1人旅には広すぎると思っていた特等席が埋まってしまうなんて。


「――エリーは良い女に育ったね、君の眼に狂いはなかった」


 彼女の言葉を聞いて、12年前のことを思い出す。

 あの狂気の村でドクと出会い、エステルをアーサーに託した日を。


「そういえば君の妹だったか、マリー」

「ふふっ、久しぶりに名前で呼ばれると照れるな」


 珍しく照れくさそうにしているドクが愛らしくて仕方ない。


「そうボクの妹だ。血縁があるってわけじゃ、ないんだろうけど」

「血の繋がりだけが家族じゃないさ。俺の勇者があの娘を育ててくれたように」

「うん……本当に良い女になった」


 ドクが視線を送る先、こちらに歩いてくる2人が見える。

 エステルとレイチェル、新魔王とその副官、俺の愛しい女たち。


「――君の好みだろう? 責任感が強くて正義感がある。

 君の語る賢帝フェリスのように、君の優秀な副官のように」

「っ……考えたこともなかった」


 2人がフェリス陛下に似ている、か。

 今、ドクが語った理由だけで言えばそうなのかもしれない。

 いや、フェリスのことを良く知る俺は似てない所を無限に知っているが。


「あの2人のうち、どちらかがここに座るのなら身を退こうと思った。

 ボクは君を騙したから。けれど、流石だね、そうはならなかった」

「ふっ、そんなことを考えるお前だって責任感強いじゃないか」


 ”騙されたと思って、怒ってなんていないよ”と言葉を続ける。

 彼女が本当の身体を失った時には伏せていなければいけない理由は分かる。

 謝罪は受け止めたけれど、別に最初から怒っちゃいない。


「……真面目に褒められると照れる。さぁ、2人が見送ってくれているよ」


 ドクに促されるまま、窓ガラス越しに手を振る。

 レイチェルとの別れは、まるでまた明日も顔を合わせるような気軽さがあって。

 あの日からずっと一緒にいた君と離れるのは、本当に辛い。

 けれど、きっと支えてくれるだろう。隣に立つ新たな魔王のことを。


 窓ガラスの向こう側、エステルが振っていた手を止める。

 そして、拳を突き出してくる。

 距離こそ開いているが、なるほど、そういうことか。


 ――悪魔流の約束というわけだ。

 さっきのは俺がキスしたせいで途中だったからな。

 すまない、エステル。何もかも君に託すことになってしまうが。


 でも、君なら俺よりも先に進めると信じている。

 あの王位決定戦で、俺とは違う判断を下すことができた君ならば。

 本心から、君の未来を祈っている。


「さようなら、エステル――」


最終話までのご愛読、本当にありがとうございました。

ショタ魔王転生、これにて完結です。

最後まで読んでくれたあなたへ、感謝の心を。


また、最後のお願いになりますが当作品ネット小説大賞に応募中です。

ブックマーク・評価【★★★★★】等で応援してください。

何卒よろしくお願いします。

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