第17話「俺は、お前のものにはならないよ」
――最初の一撃で決着をつけるつもりだった。
フィーデルとかいう吸血鬼を殺した時のように。
ドクを殺されたのだ。情けを掛けるつもりはない。
たとえ相手が血よりも濃い絆で繋がっている幼馴染であろうとも。
肉親のいない俺にとっての兄弟であろうとも。
「ッ……なんなんだ、その力は」
けれど流石はアシュリーというべきか。
こちらの力を察したあいつは大きく身を退いたのと同時、血の濁流を放つ。
攻撃としてこちらを狙うのではなく、見えないものを浮かび上がらせるために。
「あの魔女が用意した力か、なんだってんだ、こんなの……」
魔力を帯びた血が、見えない姿の影を縁取る。
奴の血が、翼竜の頭を浮かび上がらせる。
自分自身の竜化とはまた違う能力、ドクが用意してくれた切り札だ。
「見れば分かるだろう? 今の俺には身体が2つある」
竜化した後の肉体と竜人としての肉体。
その両方を同時に運用できる。前者を魔力の塊として具現化させる。
つい先ほどエステルを乗せて飛んだ時には実体を竜化させたが。
「――化け物め」
「お前に言われたくないな、人殺しが」
こちらの竜、それを掻い潜るように距離を詰めてくるアシュリー。
血の濁流も相まって手数が多い。
これらを潰すにはしっかりと状況を認識して翼竜を操る必要がある。
翼竜を確実に操作していかないと容易く絡め獲られてしまう。
「ジェイク……ッ!!」
だから、これは仕方のないことだ。
距離を詰めてきた奴の拳が、俺の頬を打ち抜いてくるくらいのことは。
実際、ずっと偏愛に気づいていながら明確に拒絶しなかった負い目はある。
こいつがドクを殺し、ヴェンを死に追いやっていなければ、まだ。
「――アシュリーッ!!」
拳を握り込み、アシュリーの顔面を殴り飛ばす。
そうだ、もっと前にこうしてやるべきだったんだ。
70年前、摩天楼を潰した時からしっかりと断罪する必要があった。
あの日から今まで俺はこいつを増長させて、利用してきた。
「僕は、ジェラルドを世界の王にする……ッ!!」
翼竜の顎に血の槍が突き立てられるのと同時、鳩尾に強烈な拳が入る。
二重に入れられるダメージに意識が飛びそうになる。
だが、こんなもんじゃない。こんなものじゃない。
「そうかい、だが、仇は取らせてもらう!」
玉座から続く階段を飛び降り、アシュリーよりも低い位置を取る。
いったん距離を取りながら、この身体の強みを考える。
こういう接近戦において小さな身体というのは、実は有利だ。
筋力をはじめとした出力さえ低くなければ。懐に飛び込むのは楽なのだから。
「ちょこまかと……っ!!」
こちらを蹴り飛ばそうとした足を掴み取り、床に転がして馬乗りになる。
そのまま顔面に拳を叩き込む。何度も、何度も、何度も。
――思い出せ、ジェイク。
目の前でドクを殺されたときを、ヴェンを看取った瞬間を。
「お前にだけは死んでもらわないと収まらねえんだ」
摩天楼にはいくつものルールがあった。
そのひとつが”喧嘩をしても顔は殴らない”だ。
子供をかき集めて運営される娼館、定期的に喧嘩は起きる。
だからこそ顔に傷をつけないというルールが徹底される。
……兄弟の顔を殺す勢いで殴り飛ばして、思い出した。
俺とお前の忌まわしい過去だ。同じ過去から生まれてきた。
「舐めるな――ァッ!!」
拳を振り上げた瞬間を狙われ、上下が逆転する。
そのままアシュリーの拳が打ち込まれてくる。
なんて原始的な喧嘩だろう。
これがドラゴニュートとヴァンパイアの戦いかよ。
顔面が歪むような痛みを感じながら、翼竜に新たな指示を与えた。
”食い殺せ”
そんな単純な命令だ。
「ッ……まさか!」
翼竜は”血の濁流”を喰らい、魔力を奪っていく。
「意外とやれるもの――」
そこまで言いかけたところでアシュリーの牙がこちらの首筋に立てられた。
っ、ここでこんな原初的な吸血か。
血を奪われ、意識が歪む。強烈な甘美さが全身を震わせていく。
……このまま気を抜いたら心身ともにこいつの奴隷に堕ちるのだろう。
食屍鬼の出来上がりだ。
ドクの造った最高傑作であるこの身体が、つまらないグールにされてしまう。
「――俺は、お前のものにはならないよ」
電撃の魔法を放つ。僅かばかりの時間稼ぎだ。
どうせヴァンパイアのアシュリーには驚かせるくらいの効果しかない。
けど、それで充分だった。翼竜が自由になるまでの時間稼ぎには。
「っ――??!!」
透明な咢がアシュリーを喰らう。完全に捕らえた。
ッ、一瞬だけ逡巡が巡った。兄弟と共にした苦楽を思い出して。
俺にその気はなかった。
けれど、こいつから向けられる好意自体は嫌いじゃなかった。
「さようなら、兄弟」
強烈な魔力が流れ込んでくる。
翼竜としての俺がアシュリーの魔力を取り込んでいく。
ヴァンパイアを確実に殺すには最も効果的な攻撃だ。
聖剣を心臓に突き立てられてもなお、死なないような吸血鬼には。
アシュリーの血に染められた玉座の前に立つ。
……ずっと、ここに座る自分に違和感があった。
100年も座っていたというのに。
――俺はまだ、あの摩天楼にいるんじゃないだろうか。
俺はまだ、フェリス陛下の副官なんじゃないだろうか。
俺はまだ……。
「終わったのですね、陛下。ここは片付けておきますから」
玉座の間へと向かってくるアシュリーに対する案内役として置いた親衛隊。
静かになってもなお立ち尽くしていた俺へ、声をかけてくれた。
「すまない。俺は、闘技場に戻るよ――」




