第8話「夢なんかじゃないさ、君はこれから魔王になるんだからね」
「――玉座に座った気分はどうだい? 新たな魔王様」
聖剣を手にしたまま、悪魔の玉座に腰を降ろす。
勇者と魔王、そのどちらをも一夜にして手に入れたのだ。
悪魔よりも危ういヴァンパイアに誑かされるまま、人の道を外れた。
彼の瞳に映る自分の姿が見える。
金髪に青い瞳、そうだ、あのエステルと同じ幻惑だ。
パストゥール博士と同等の魔法をアシュリーが掛けてくれている。
実父から受け継いでもおかしくなかったものを、義妹から奪い取った。
「……ありがとう、夢を見させてもらったよ」
彼女が父の名を継ぐことは何年も前から見えていたことだった。
それほどまでに彼女の剣士としての才覚は異常で成人前から突出していた。
彼女の勇者としての初仕事も凄まじいもので、まるで答え合わせのようだった。
あんな真似、僕どころか父上にだってできないだろう。
「夢なんかじゃないさ、君はこれから魔王になるんだからね」
微笑む彼を見ているとその美しさにゾッとする。
男のはずなのに女のようで、けれど確かに男だと分かる。
そのアンバランスさ、全てが人を惑わせる。
「でも、あの副官は生きているんだろう――?」
ストラス医院への襲撃、副官の殺害、偽りの実行犯の用意。
そこから事前に新魔王を救い出していたことにして魔王城へ乗り込む。
僕という替え玉を、新たな魔王に仕立て上げた。
秀逸な手腕だ。事前工作を含めて素晴らしいとしか言えない。
元々は魔王ジェイクを復活させる作戦のスライドらしいが。
「……残念ながらそうらしい。彼女の情報網は生きている」
「魔王親衛隊が、至る組織の至る場所に散っているんだよね?」
「そういうことだ。あの女が仮に死んでいても親衛隊は機能し続けている」
副官の生死に関わらず、親衛隊は生きている。
そこに転生していたとか言う先代魔王がどう動いてくるか。
いつまでも聖都に留まっているとは思えないし、既に接触済みだろうか。
「……君の愛しの魔王様は、どう動くと思う?」
「どうだろうね。復讐してくるほどの興味も僕には抱いてない気もする。
まさかフィーデルが負けるとは思っていなかったけど」
アシュリー自身を除けば、連盟における最強の切り札だった。
彼自身も、彼の造り出す魔法剣士並みの食屍鬼たちも。
本来の予定ではそれぞれの目的を果たした後、魔王都に向かうはずだった。
けれど彼は帰って来なかった。だから代理を立てたのだ。
「フィーデルなら、あのレイチェルを殺して悠々と帰ってきていただろうに」
「まったくだ。しかし、ストラス医院の口の堅さは異常だよ。
あの堅さから逆に判断がつくくらいにはね」
つまり、副官は生きている。先代魔王も親衛隊も。
こちらはかなり強引な手を使って表向きは新魔王になったのだ。
好意的であるはずもない。どこまで本腰を入れて邪魔をしてくるか。
アシュリーはもうジェイクは自分に興味すらないと思っている。
70年前がそうだったとか言っていた。けれど、僕の見立ては違う。
「――アシュリー、改めて聞きたい」
「はい、陛下。なんなりとご質問くださいませ」
悪魔の国の礼儀に沿ったポーズをして見せるアシュリー。
まったく、こいつはどこまで本気なのかイマイチ分からないんだよな。
用済みになったら僕だって殺すんじゃないかと思っているのに。
「エステルは確実に殺したかい? 首は撥ねたか? 心臓は潰したか?」
あの夜、僕が父を手に掛けたあの日、アシュリーは聖剣を持ってきた。
”君の妹からの戦利品だ”と言っていたのを覚えている。
吸血鬼が人間を下したのだ。彼はエステルの死を疑っていない。
「なんだい? 君の妹はヴァンパイアなのかい?」
「近いものさ。僕も何かは知らないけれど少なくともただの人間じゃない」
「……血で胸を貫いて川に叩き込んだんだ。それ以上は追わなかった」
”いや、もしかしたら貫通はしていなかったかもしれない”
なんて続けるアシュリー。祈祷済みの防具を使えば魔力を帯びた血液も防げる。
それくらいの準備をあいつがしていないはずはない。
では、あれが川で溺れ死ぬような女か? あり得ない。
あいつは神に愛されている。そんなつまらない死に方ができる女じゃない。
エステル・アルフレッドはそうじゃない。
「――なら、あの娘は生きているよ。あいつはタダでは死なない。
兄としての確信だ。あれがそんな女なら可愛げもあったさ」
エステルが生きているのなら、次の動きは読める。
先代魔王だけではどう動くか読めなかったが、あいつが居るのなら。
「”王位決定戦”だろうね。奴らが仕掛けてくる次の一手は」
「……流石は宣教局一の博識家。よく、それが思い付く」
「悪魔の国の歴史は頭に入れているからさ」
歴史上、何度か行われたことがある儀式だ。
継承に疑義が生じた場合に候補数名で決闘を行い、魔王を決める。
今回で言えば、人間の勇者が2人いることになるのだから。
新魔王ヴェン・ライトニングという虚像を奪い合うことになる。
「ここまで読めれば潰せるかい? アシュリー」
「どうかな。戴冠式を引き延ばすのはリスクが大きい。
せっかく懐柔していた連中が転びかねない。かといって現状では……」
先代魔王ジェイクも、副官レイチェルも、エステルも見失っているのだ。
相手の動きが読めていても潰せるかどうかは分からないか。
まず間違いなく戴冠式を乗っ取ってくるだろうけど、先手は打てない。
しかし、戴冠式を遅らせて時間を作ればそれで足元をすくわれる。
「――嬉しそうだね? 魔王様」
「ふふっ、恐ろしいさ。あの女と一騎打ちだなんて」
「そうかな? とてもそんな表情には見えないよ、ジェル」
父とは違う愛称で呼んでくるアシュリー。
微笑みながら彼は、こちらに小瓶を手渡してきた。
決して重いものではない。けれどそれには確かに引力がある。
「――僕の血だ、ジェル。まだ飲んじゃダメだけれど、いざという時に」
「良いのかい? もうすぐ用済みになる男に、こんなものを渡して」
ヴァンパイアから血を吸われれば食屍鬼となる。
逆に血を与えられれば、吸血鬼になれる。
アシュリーは真に信頼した相手にしか血を与えない。
血の連盟を見ていればすぐに分かることだ。
「いいや、僕にとって君は用済みになんかならないよ。
君と私は似ている。君という人間を知るたびにそう思った。
君と話して確信に変わった。私はね、君を押し上げてみせるよ、世界の王に」
……先代魔王、ジェイクの後釜か。それも悪くないかもしれない。
僕はこの悪魔に魂を売って父と妹から勇者を奪い、魔王になるのだ。
そんな彼が僕を認めてくれるというのなら”代用品”で構わない。
「――キスは初めてかい、ジェラルド陛下」
「そういう君は慣れているな」
「知っているだろう? 私の生まれを」
彼の答えを聞きながら、人生二度目の口づけを行う。
ヴァンパイアは冷たい身体なんて俗説もあったが、違うらしい。
とても温かい感触がする。
「……ごめん、知っていて言った」
「ふふっ、意地悪な人だね――」




