第15話「っ……やはり、来てくれたんだな。ジェイ」
――大きな川に面した凝った造形の建造物。
宣教局の入り口、その近くへと降り立つ。
瞬間、強烈な血の匂いが漂ってくる。
……この気配、既に食屍鬼が放たれているな。
通常時であればグール退治の専門家である教会の宣教局が負けるはずはない。
即座に鎮圧できる。それくらいの能力は保有している。
けれど、宣教局内部の裏切り者は司教1人ではないだろう。
そもそもが完全な不意打ち。
対吸血鬼用の装備も事前に破壊されている可能性が高い。
「――中にいる奴は食い終わったってか」
まるで俺を出迎えるように2体の食屍鬼が近づいてくる。
フィーデルの作った魔法剣士相当のそれとは違う。
ただただ生きている命を狙って襲ってくるだけの木偶の棒たちだ。
話にもならないな。こんなものに構っている暇は――
――雷でも放って終わらせるか。
そう思った瞬間のことだ。
瞬く間に2体の食屍鬼、その頭が吹き飛んだのは。
「ふふっ、丸腰じゃ危ないよ? 魔王様」
声が聞こえた今になって、初めて理解できる。
近づいてくる食屍鬼たちの間に1人の人間が立っていたことを。
二丁の拳銃で、正確に頭を撃ち抜いたのだ。
「……ドクターキトリ。君の幻惑の魔法は食屍鬼にも効くのか」
「ある種の賭けだったけどね。
おかげさまで宣教局の外には1体も逃していない」
そう言われてから頭を吹き飛ばされたグールが周囲に倒れていることに気づく。
……やれやれ、ダメだな。焦り過ぎている。
観察能力が著しく低下している。
「――状況を教えてくれないか、ヴェンはどうしている?」
「司令は中に。君たちの潜入に拘わらず、襲撃は今夜だと判断。
信頼できる人間を集め、全ての出入り口に配置」
その信頼できる人間の筆頭がキトリ。
背景に同化する幻惑のチョーカー及び洗礼済みの拳銃を持たせた。
今のところ、グールを外に逃がしてはいないらしい。
逃げた場合には発煙筒が焚かれる手筈になっていると。
「非戦闘員に対し、夜勤の中止と帰宅を命じたところで吸血鬼が出現。
おそらくは籠城戦に。決着はついていないはず。
教会本部に救援を求めに行かせた者は未帰還、まぁ、ヤバいね」
――司教が裏切っていた上に殺されているのだ。
宣教局だけでなく、隣の教会そのものもどうなっているか。
教会は教会で兵力を保有しているはずだが、そこからの増援も見込めない。
「司令を助けに行きたいんだけど中はグールの群れだ。
宣教局に残っていた人員に対し、3倍程度の数が運び込まれている。
姿を消せるとはいえ、焼け石に水、拳銃を撃つだけの魔力も残らない」
……だろうな。グールの目を誤魔化せたとしても音には気づく。
そして、数の暴力には対処のしようがない。
魔法が使える程度の普通の人間では。
「――司令はどこに籠城していると思う?」
「司令室かな、直感だけど」
「分かった、試してみるよ――」
歩き出した俺の背に、キトリが声をかける。
「……助けてくれるの? 人間を」
「どうだろうな、友を助けに行くだけだ――」
――歩みを走りへと変え、司令室に向かう。
なるほど、確かにグールの数は多い。
だが、指向性がない。
主人となる吸血鬼が居るのならもう少し規律だって動くと思うが。
そんなことを思う間に全てを焼き切る。
頭を潰すか、足を破壊するか、それでもう脅威ではなくなる。
「ここか……」
今朝、キトリ・パストゥールとして足を踏み入れた場所。
その扉は閉じられていて、グールが近づこうとしては弾かれている。
教会流の結界という奴だろう。並の食屍鬼では突破できない。
朝にはここの扉も開いていて、中に護衛兼監視役の2人が立っていた。
さらに奥の部屋に座るヴェンと、彼と話す実子も見えていた。
……変わってしまうものだ。これが襲撃を受けるということだ。
外からならともかく内通者の手引きの上、内側から。
結界を壊してしまわないように加減しながら雷を放つ。
グールどもを念入りに焼き殺す。万が一殺し漏れがあったらコトだ。
この先、ヴェンが上手く籠城戦を勝ち抜いていれば生き残りが居るのだから。
「っ……やはり、来てくれたんだな。ジェイ」
扉を開けた瞬間、理解するしかなかった。
……間に合わなかったのだ、俺は。
吸血鬼の遺体が2つと、司令室の扉を守るようにヴェンが座り込んでいる。
彼が胸に受けた傷は深い。俺に救う手立てはない。
「遅く、なった……」
「――いいや、間に合ってくれた」
ヴェンの元へと駆け寄り、傷口の止血を試みる。
けれど、傷は余りにも大きく、深い。
これは剣による断面だ。吸血鬼の爪や濁流ではない。
「奥に、生き残りが居るんだ……結界は、もう保たない」
「……ヴェン」
「君が来てくれたおかげだ、君のおかげで……」
虚空に延ばされた彼の腕を掴む。その身体を抱く。
……嘘だ、こんなの。
なんで、どうして、たったこれだけの間に2人も失わなくちゃいけないんだ。
ようやく、ようやく、再会したばかりだというのに!
「……ジェイ、あの娘に伝えて欲しい。愛していると」
「っ、そういうことは自分の口で伝えるんだ……!」
「叶うのならそうしたかった、けれど、俺はもう……」
虚ろな瞳が、それでもこちらを強く見つめてくる。
「――あの娘には、あの娘の出生を、教えていないんだ。
ジェイ、君の口から伝えてくれないか。12年前のことを」
「ッ……!!」
心の奥底で僅かに感じていた予感、それが形になる。
ヴェンの言葉で記憶が繋がる。
「……そんな驚いた顔をするなよ、君の言いつけ、守れたかな」
「ああ。あの娘は確かに人間だ。誠実で情け深くて、まるで君みたいに」
「……じゃあ、少しは良い父親で居られたのかな、俺も」
命が遠のいていくのが分かる。ヴェンの命が遠のいていく。
そして彼は迷っている。伝えるか否か、迷っていることがある。
この状況での迷いだ、それだけで察しがついてしまう。
「……良い父親じゃなかった、俺は、ジェラルドにとって。
母さんのことで俺があいつを憎んでいるんじゃないかって、そんなこと思わせていて、気づけなかった、今の今まで気づいてやれなかったんだ……」
――2人の間に、どんな事情があったのか。
その全てを知ることはできない。それでも理解しつつあることがある。
「……もし、あの子に、あの子に会ったら伝えて欲しい。
”不出来な父親ですまない”と」
「ヴェン……お前……」
間違いない、ヴェンを、いいや、アーサーを獲ったのはジェラルドだ。
俺の勇者はその実子に打ち負けたのだ。
だというのに、直接にそれを伝えず、アーサーは……。
「……許して欲しいなんて、言える立場じゃないが」
「ッ――死ぬな! まだ逝くんじゃない! 自分で伝えるんだ!
俺は君みたいに父親に成れなかった男だ、だから君の言葉を……」
父親が子供たちに遺す言葉なんて、俺なんかが伝えちゃダメなんだよ。
ヴェン、頼む、お前にはまだやるべきことがあるはずだ。
まだ伝えるべき言葉が。
「いいや、君だから託せるんだ。俺は、君のおかげで――」
アーサーが優しく微笑む。
「……あの時も今も、君には助けられた。ありがとう、本当に」




