第14話「流石だね、エステル。曲がりなりにもジェイクを殺しただけのことはある」
――私は、聖都で育った。
物心ついた時にはもう父上の子供で、あの頃は兄も優しかった。
けれど、たしかに私は”どこの馬の骨とも知れない女”だ。
物心つく前の私を、父は任務の最中に拾ってきたらしい。
任務中のことだからと仔細は教えてくれなかったけど。
でも、私がこの街で育ったことに変わりはない。
地理は全てを把握している。どこをどう走れば最も早いか。
一刻も早く宣教局に到着するためのルートが見えていた。
「とても人間とは思えない速度だね? エステル・アルフレッド」
宣教局が見えてきたその時には既に見えていた。
まるでこちらを待ち構えるように、ウィルド川の向こう側に立っている。
距離が開いていることは、こちらにとっての不利だ。
だからそのまま橋を渡って距離を詰めた。彼我の距離を。
「首領直々にお出ましとは勇ましいな、アシュリー・レッドフォード」
既に間合いだ。こちらから始めなかった理由は2つ。
1つ目は待ち伏せされていた可能性が高いから様子を見たかった。
2つ目は時間稼ぎだ。相手は吸血鬼、足を止めるだけで意味がある。
「――私は、貴方のことを女だと思っていた」
「ほう、興味深いな。アシュリーなんて名前、男にだって珍しくないのに」
「ジェイクへと向ける愛が重すぎてね、男が男に向ける愛には見えなかった」
クスクスと笑みを浮かべるアシュリー。
外でも感じるほど、強烈な薔薇の匂いがする。
今すぐ始めるつもりはないようだが、こちらを逃がすつもりもない。
そんな構えだ。
ドラゴニュートの肉体、ジェイクの遺体を操っていた時とは違う。
純粋なヴァンパイアとの戦闘。
そして、あの時のようにジェイクの助けはない。
「……かもな。けれどあいつを初めに愛したのは俺だ。
俺にはあいつしか居なかったし、あいつにも私しか居なかった」
「摩天楼か――」
ギロリとアシュリーの瞳が動く。
「ジェイクが話したのかな、私たちの忌まわしい歴史を。
そうだ、私と彼は同じものだ。血よりも濃い絆で繋がっている。
信じていたんだ、そう、信じていた。彼との絆というものを」
幼少期から摩天楼という娼館で飼われていた竜人と吸血鬼。
同じ世代の長命種、同じ監獄に囚われた少年たち。
「――でも、あいつは違った。あいつに裏切られて分かったよ。
あいつが副官に向ける愛、魔女に向ける愛、そして君に向ける愛。
そのどれもが違った。彼が私に向けてくれた愛とは、まるでね」
長い髪を揺らして男は笑う。
その気配に、戦闘の時が近いことを感じる。
遊びの時間は、まもなく終わる。
「正直に言うと憎いんだ。君たちと同じ方の性別に生まれなかったことが。
女からの愛も男からの愛も要らない。
あいつさえ居てくれればそれでいいのに、それが叶わない」
襲い掛かってきた血の濁流に対し、居合切りでねじ伏せる。
――聖剣は魔を払う。特に吸血鬼には有効だ。
もっとも、前回の戦闘で理解している。
聖剣には食屍鬼の再生を封じる力はあるが、吸血鬼のは遅らせるだけ。
これで致命傷を与えられるのか、相当に怪しい。
「流石だね、エステル。曲がりなりにもジェイクを殺しただけのことはある」
次に襲って来る濁流は2つ。
ギリギリでいなす程度のことはできるが、いつまで保つか。
遊びに付き合っている余裕はない。だが本気を出されたら終わりだ。
「――君の身体を奪ったら、あいつは僕を愛してくれるのかな」
襲って来る濁流の数が無数に増える。
ダメだ、エステル。無数と認識するな、それじゃ切り抜けられない。
どれだけの数であろうとも、全てがまったくの同時ではない。
まず3つ、これは聖剣で切り伏せる。
次の2つは左腕の手甲でいなす。神官からの祈祷を受けている。
聖剣ほどではないが、魔力を帯びた血を弾くくらいはできる。
そこからの残りは地面を蹴り、血の濁流を蹴り飛ばし――
「――君が、血を足場にするのは予習済みだよ」
宙に浮いたこちらを目掛けて、血の濁流が襲い掛かる。
これで完全にトドメを刺したつもりだろう。
自分の守りのことなんて、何も考えていない。そこに隙が出る!
「ッ――正気か、こいつ……っ!!」
狙い通りだ、狙い通りに、聖剣はアシュリーの心臓を貫いた。
あとは、こちらがどれだけ血の濁流を防ぎ切れるか。
最悪、相打ちで構わない。こいつを潰すことに価値があるッ!!
「うおおおおおお―――ッッ!!!!!」
血の濁流は、吸血鬼自身にダメージが入っても衰えることはない。
既に放たれたそれはもう止まらない。3発までは両腕の手甲でいなした。
けれど、深く抉られ、砕け、手甲は既に使い物にならない。
宙を跳んでいたせいで、足で防ぐことも難しい。
だからもう、胸で受けるしかなかった。こちらの心臓を狙ってきた一撃を。
――強烈な衝撃に、意識が吹き飛びかける。
宙を浮いていた身体が押し出され、水面に叩きつけられるのが分かる。
強烈な痛みと冷たさ、そして水に血が溶けだしていく。
ウィルド川へと私の命が流れ落ちていく。
……ダメだ、まだ、こんなところで。
こんなところで倒れるわけには。父さん、キトリ……ッ!
手放すな、意識を手放しちゃ――
「……凄まじい覚悟と執念だ、しかし惜しいな。
もう”心臓を貫かれた”くらいで死ぬ吸血鬼ではないんだよ、私は。
しかし、認めよう。君こそが真の勇者だ、伝説を継ぐに相応しい剣士だった」




