第9話「――俺もそうさ。俺も勇者だ」
「そんなことか――アーサー、アーサー・アルフレッドだ」
なるほど、良い名前だ。自然に納得できる。
ずっとヴェン・ライトニングとしか認識していなかったが、アーサーか。
アーサー・アルフレッド、良い響きだ。
「……アーサーか、良い名前だ」
言葉にするまでもないことを言葉にしつつ、紅茶を飲み進める。
こういうことは言葉にできるうちにしておかなければ。
「ところでエステル。君は”エステル・アルフレッド”で合っているのかな?」
エステル自身の回答を待つまでもなく、アーサーとキトリの反応で理解する。
”何を当たり前のことを聞いているんだ”って感じだ。
……こいつ、悪魔の国の一般少年に本名を答えたわけか。とんでもないな。
「もちろん。”本名じゃない”なんて一度も言っていないだろう?」
「そりゃそうだけど、よく名乗ったな。あの時の俺なんかに」
「本名を撒いてどこまで食い付いてくるのかも諜報戦のうちさ」
――ほう、つまり、俺の反応を見られていたということか。
「偽名だと思い込んでいただろう? 面白い回答だった」
「ふふっ、すっかり一杯食わされたわけか」
「どうかな。こうして身内相手に手札を明かされているのは気恥ずかしいけど」
それもそうか。エージェントみたいな仕事では身内相手でも手の内を明かすことは少ない。特に自分の父親に、エージェントとしての駆け引きの勘所を知られるのは気恥ずかしいというのも理解できる。
「……ふふっ、もう少し君と娘の戯れを見ていたいが、そうもいかない」
優しく微笑むアーサーに父の表情を見る。
俺には成れないものだ。幼い日にその資格を奪われた。
彼のように老いることも、子を持つこともできなかった。
「早く戻らないとあの監視連中に何されるか分からないってか?」
「それもあるが、もっと大きな理由だ。敵はサウスランド商会に居るんだろう?」
そう言って小さく折りたたまれた紙をテーブルに置くアーサー。
次の瞬間、刻まれた魔術式が開き、紙はその大きさを変える。
「見取り図か……!」
「そうだ。人が監禁できるような隠し部屋があるとすれば候補は4つ。
地下、2階トイレ横と倉庫、3階事務室だろう」
俺のドクが捕らえられているから力を貸して欲しいと伝えていた。
しかし、手に入れた見取り図を元に当たりまでつけてくれるとはな。
ここまで候補が絞れていれば……行けるか?
「だが、俺が今から話すことの要点はこの4つの場所じゃない。
最上階に用意された大会議室だ。
今から3刻みもすれば、この場所でユニオンの会議が行われる」
ッ――なに?
「どうしてそう判断できる?」
「正規に聖都に入ろうとすれば関所を通る必要がある。
2人くらいなら誤魔化して入って来られるが大人数となればそうはいかない」
2人って俺とエステルのことだな。確かに関所なんか通らずにここまで来たが。
宣教局には、聖都の関所からの情報も集約されているというわけか。
「本来であれば、聖都で行われる大規模集会はその全てを把握している。
宣教局は立場上、狙われやすい機関だからな。
商会として正規の集会であれば届け出は必須だがそれは出ていない」
なるほど、たしかにそうか。魔王都でも同じような管理はしている。
大量の伏兵を合法的に送り込まれて気づかないなんて、あってはならない話だ。
「で、ここ数日の入都履歴を調べたところ、真っ黒だ。
経歴の辿れない人間、商会関係者、犯罪歴のある者多種多様に入って来てる。
本来であればこういう情報はすぐに私の元に上げられるはずなのに」
”そのための分析班が機能していなかった”とアーサーは続けた。
宣教局内部に侵食したユニオンの手引き。
商会として正規の手続きを踏んでいない大規模な集会。
「――商会関係者はともかく犯罪歴のある者まで誤魔化さずに入って来てるんだ。
完全にこちらの目を潰した気になっている。
実際、君とエステルの助言がなければ、こちらの目は曇ったままだった」
ヴェンがこのように判断する理由は理解できた。納得もある。
それに1か所にまとまってくれているのならば好都合だ。
万一、ユニオンではなく商会としての集まりでも1人くらいは居るだろう。
ユニオンの構成員の1人くらいは。
「……父上、ここまで調べ上げたのです。着きましたよね、足」
「まぁな。多少の偽装工作はしてきたが時間の問題だろう。
私が勘づいたことに、連中は必ず気付く」
エステルの指摘を認めるアーサー。
宣教局の司令とはいえ、部内資料の何を確認したかはログが残るのだろうな。
特に監視連中が居るのだ。
その場で監視役自体が気づかなくても後から辿る際の手掛かりにされる。
「――しばらく身を隠した方がよろしい。なんなら監視役を獲るべきだ」
「いや、お前は行くんだろう? 魔王と共に”血の連盟”へ」
「もちろん。それが私の役目ですから。勇者ヴェンは、ここで退きはしない」
娘であるエステルが父親を心配するのは当然だ。
俺だって正直、アーサーの奴には隠遁していて欲しい。
けれど、そんな男なら30年前、こいつは斥候に徹していたんだ。
人間軍を待たずに奴隷にされた人々を救ってしまうような男だからこそ。
「――俺もそうさ。俺も勇者だ」
「ヴェン、戻るつもりだな? 宣教局に」
「ああ。連中が動き出す予感がある。鬼が出るか蛇が出るか」
宣教局に潜り込んだ内通者を見極めるつもりか。
自分の身体を危険に晒してまで。
「それに、夜勤の連中を守ってやらないとな」
「……俺の本心は、エステルと同じだ。今すぐ隠居しろ、アーサー」
「やめてくれよ、ジェイ。アンタにそう言われると覚悟が鈍るじゃないか」
……ああ、変わらないものだ。
いくら歳を重ねて姿かたちが変わろうと人の本質は変わらない。
あの日と同じだ。ヴェンはこんな風に弱音を言いながら、折れないんだ。
「――ヴェン、誰が出てきても情けを掛けるな。良いな?」
「もちろん……それと、余力があったら助けに来てくれ、俺のこと」
「ふっ、もちろん。無事に決着がついたら宣教局に向かうさ」




